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―ルポルタージュ(29)―
構造改革特区第二次認定の自治体
 地域限定で規制改革を実施する構造改革特区については、多くの自治体が様々なアイディアを提案し、地方自治体のやる気を喚起している面がある。八月二十二日には、構造改革特区の第二次申請について内閣府構造改革特区推進室による認定決定が下ったが、中には自治体独自の構想を描いた自治体も見られた。構造改革特区第二次申請の自治体を取り上げてみたい。
 構造改革特区の第二次申請で、保育所や幼稚園関係で特区認定の対象となるのは、今年四月の第一次認定と同じく、幼稚園入園年齢制限の緩和や幼稚園における幼稚園児と保育所児の合同活動事業だけ。七月一日〜十四日までの受付け期間中、全国の自治体からは四十九件の申請があり、うち七件が保育所や幼稚園にかかわる内容であった。ただし、幼保関係の一件については、申請後、内容に不備があることが分かり今回は取り下げたため、今回、幼保関係で認定されたのは六件となった。
 今回の構造改革特区申請内容の内訳を見ると、幼稚園入園年齢制限の緩和(満三歳に達した年の年度当初からの幼稚園入園)は四件、幼稚園と保育所の教育・保育活動の一体的運用(幼稚園をベースにした合同保育)は三件となっている。中には、幼稚園に保育所の分園を設置した上で幼保の合同保育を実施したり、幼保園と称する幼稚園で入園年齢を引き下げるなど地域独自の取り組みを展開しようとする申請も見られた。
 中でもユニークだったのは、岐阜県瑞浪市。今回の特区認定で幼稚園に設置した保育所分園で合同保育を実施する一方、保育所に幼稚園分室を開設して合同保育に取り組む方法を模索している。実現すれば、市内全域で幼児教育を受けることが可能となる。
 同市が申請したのは、「幼児教保育特区」。内容としては、公立幼稚園の余裕保育室を活用して公立保育所の分園を設置し、平成十六年四月から、幼稚園の保育室で、幼稚園五歳児と保育所分園に在籍する五歳児が合同の活動を展開するというものだ。
 同市には公立幼稚園が三園、私立幼稚園が一園、公立保育所が七か所、私立保育所が一か所ある。公立幼稚園は五歳児だけを受け入れる一年保育の幼稚園。市内では公立幼稚園が偏在しているため、市民にできる限り平等なサービスを提供できるように、今回の特区計画を申請したという。幼児教育を求める人が、安心して幼児教育を提供する施設を利用でき、保育サービスを求める人がその施設を利用できるようにするのが狙いだ。
 現在、同市の五歳児は幼稚園と保育所にほぼ六対四の割合で在籍している。ただ、一部の幼稚園が通園区域を設けている関係で、一つの幼稚園に幼児が集まり、その近くの保育所で五歳児が極端に少なくなるなど、幼保で園児数が偏りが生じている。また、一部保育所では定員超過の状況もあることから、幼稚園に保育所の分園を開設することで、バランスの取れた配置になると見込んでいる。既に幼稚園の余裕保育室を活用した保育所分園が一か所開設されている。
 さらに同市は、市内全域で幼稚園児と保育所児の合同保育が可能となるような保育所の活用も構想している。それは、公立保育所の余裕保育室に公立幼稚園分室を開設し、幼稚園部分で幼稚園児と保育所児の合同活動を展開しようというものだ。保育所に幼稚園の分室を設けることが可能かどうか、現在、県と調整しているところだ。
 保育所については、保育所分園の基準が設けられ、補助制度も整えられたが、幼稚園ではそうしたものはない。幼稚園設置基準自体が、分園を想定していない。そこで県は、幼稚園本園と分室で設置基準を満たすことを基本に、幼児に適切な環境が与えられるよう指導している。
 保育所の余裕保育室を活用する場合は、児童福祉施設の目的外使用にあたるため、市内部での調整も進められている。幼稚園分室の設置が認められれば、全ての公立施設で保育所児と幼稚園児の合同活動が可能となる。単独では五歳児の人数が少ない保育所でも、幼稚園児と合わせると、適度な人数を確保することにもつながる。近くに幼稚園がないために保育所を活用していた家庭でも、幼児教育を受けることができる。また、保育所にも通いやすくなると見られている。市民に平等にサービスを提供しようというところから発想している点は意欲的。あとは、それに応じた質の高い保育・教育サービスを提供できるかが問われそうだ。
 また、福井県丸岡町の取り組みも地域の独自性が表れている。特区の名称は、「人と人・ぬくもりあふれる丸岡特区」。その内容としては、幼保園として長時間保育を実施している公立幼稚園において、入園を希望する満三歳児を四月の年度当初から受け入れるというものだ。
 同町では、平成十五年度から、町独自の幼保一体化事業に取り組んでいる。幼児教育の充実を図るために、それまで五歳児のみの一年保育であった幼稚園を三歳から受け入れられるよう入園年齢を引き下げた。それと同時に、町内の公立幼稚園五園、公立保育所八か所は、ゼロ歳児から就学までの乳幼児を教育・保育する総合的施設と位置づけ、両者それぞれを「幼保園」と称することとした。
 幼稚園は預かり保育を実施することで、三〜五歳児で長時間保育が必要な子どもと、短時間保育を希望する子どもが通う幼保園、保育園は長時間保育が必要な子どもが通う幼保園という整理となる。ただし、一幼稚園だけはまだ幼保園とは名乗っていない。こうした改革に伴って、昨年度は、幼稚園教育要領と保育所保育指針に基づいた幼保園の共通カリキュラムも作成した。
 今回の特区計画の認定申請は、子どもが少なくなる中でできるだけ早くから子どもを集団保育の場になじませたいと幼稚園の早期入園を望む親や、働くために二歳児からの長時間保育を求める親に対し、選択肢を広げる狙いがある。同町では、保育所の利用人数が年々増加する一方で、幼稚園の園児数は減少傾向にあり、三年保育を実施しても余裕保育室が生じていた。今回の満三歳児の年度当初受け入れは、幼稚園施設の活用という視点もある。幼稚園施設を活用するとともに、子育て支援にもつなげようという取り組みだ。
 さらに、茨城県金砂郷町は、「金砂郷町幼保一体的運営特区」と称して認定を受けた。内容は、町内にある公立保育所と公立幼稚園と合築施設「こどもセンターうぐいす」において、幼稚園児と保育所児の合同活動事業を実施するというものだ。十月には、保育所における合同活動事業をみとめる第二次提案の申請受付けが予定されているが、これについても特区の認定申請をする予定にしている。
 今回の認定申請を機に、来年度からは幼稚園での預かり保育事業にも取り組む。預かり保育や保育所、幼稚園での合同活動事業の取り組みにより、終日、幼稚園児と保育所児が共に活動できるようになる。園児が少なくなる中で、合築施設のメリットを最大限に生かそうという試みだ。
 同町には公立保育所が一か所、公立幼稚園が四園あり(民間施設はなし)、このうち保育所と一幼稚園、地域子育て支援センターを合築している。子どもセンターうぐいすでは、保育所と幼稚園の保育室は隣接しているものの、基本的にはそれぞれの保育室で別々に保育を行ってきた。現在、幼稚園には三歳児十七人、四歳児十三人、五歳児十五人が在園しており、保育所には三歳児二十三人、四歳児二十五人、五歳児十三人が在籍している。一クラスの人数が少なくなっているため、幼児期からより多くの子どもたちと接することができるよう、合同活動事業へ取り組むことになった。
 また、今回の特区申請を機に、幼稚園では預かり保育も実施し、子育て支援の充実にも力を入れる。さらに、今秋から構造改革特区の認定対象となる保育所における保育所児と幼稚園児の合同活動事業についても認定申請を行う予定にしている。これらにより、午前中は保育所児が幼稚園に移動して幼稚園児との合同活動を展開し、午後からは預かり保育の幼稚園児が保育所に移動して保育所児と合同で活動するなど、集団活動ができる環境を用意する。たくさんの友だちと触れ合うことによる教育効果が期待される。
 合同保育の実践は、職員配置の効率化も意図している。同町の保育者は、保育士資格と幼稚園教諭を併有している職員ばかり。既に人事交流も行ってきた。各年齢の人数が少ないため、合同保育ができれば人員配置の効率化にもつながると見込まれている。
 さらに同町は、幼保の合同保育に取り組むことを機会に、行政窓口も整理。幼稚園や保育所の入所手続きの共通化を図り、幼稚園や保育所、子どもセンターのどこでも入所申込みができるよう見直しすることも検討している。
 このほか、満三歳児の早期入園については、京都府長岡京市(長岡京市幼稚園早期入園特区)、大崎山町(幼稚園早期入園特区)、鳥取県米子市(幼稚園入園年齢制限特区)が特区に認定された。三市町は私立幼稚園しかない自治体ばかり。既に地域の各私立幼稚園は、満三歳児を受け入れており、実績を積んできていた。例えば米子市では、昨年度は、満三歳児百四十人弱が幼稚園に入園した。この数は幼稚園児全体の一割弱となっている。
 各自治体とも、私立幼稚園の事業意欲が高かったことから、満三歳児の早期入園の特区認定を受けることになった。満三歳児の早期入園が可能となれば、兄弟で入園するなど、新たな需要も生じると見る自治体もある。
(山田)
 
 
 
 
ずれた夏の事ども
小松原 勇
 
 虫や花との出合いを求めて、毎年、林間保育を実施しているが、今夏は降雨が多くてやむを得ず中止した。
 しかし、昨年拡張した学習園のサツマイモは見事に活着し、埋立て山砂地で順調な生育を遂げている。子ども達がそれぞれに植え付けた芋蔓に大きな芋が太る秋の収穫を思い浮かべつつ、夢がふくらんでくる。
 苗植え、成長の観察、楽しい芋掘り、待望の焼芋大会と、作物とのふれあい体験は、子ども達にとっての感動であり、貴重な生活学習でもある。
 多雨の夏、芋の成長と併せて雑草の繁茂も旺盛で、保育の合間を見ての職員による草取りも既に二回実施した。今夏は梅雨気象が長引き、冷涼に加えて日照不足、主食である米作は著しく不良と喧伝されてきた。しかし、北国方面は別として、関西方面ではお盆過ぎから厳しい残暑の連続で、かなりの回復がなされることも予想される。九月を迎えて、日中三十数度の高温の中、三度目の除草に汗を流した。雑草中、メヒシバとスベリヒユは最も難物である。細い茎をメヒシバは地表に広げ、節毎に強靭な根を出して抜きにくく、一節でも地表に残ると瞬く間に生き返る。スベリヒユは日照と乾燥に滅法強く、抜き取っても容易に枯死しない驚くべき生命力を身につけた草である。
 より快適に、より便利にと欲求の進む人間生活の中で、炎天下の除草作業は、人生途上、とかく見落とされやすい大切なものを思い起こさせてくれるよい体験である。
 
瓶ヶ森林道
 
 公民館活動の中に、山野草愛好者グループがある。今秋は四国の石鎚山山系方面に出かけたいとの合議になり、その事前調査のため瓶ヶ森附近に出かけることにした。
 松山自動車道を西進中、土居町の谷合いからはるか聳え立つ東赤石山の雄姿を久し振りに見た。昨日、中国山地に激しい雷雨があったとの報を耳にしていたので、四国山地の青空を見、一先ず安堵する。西条より加茂川添いに左折し、更に寒風山トンネルに向けて左折し国道を走る。立派な寒風山新トンネルが完成しているので短時間で高知県側に抜けられるが、瓶ヶ森林道を通るには、杉や檜の人工林中をつづら折りに登る旧道を利用する他方法がない。やっとの思いで旧寒風山トンネルに着く。石鎚山系の背深部近くを横断するこの林道は、崩壊や落石が多く、交通止めになることが多く心配していたが無事進入することが出来、ほっとする。
 東黒森付近でしばし休憩をとる。道の南面は本川村方面に向けて広く深く落ち込んでおり眺望は素晴らしく、遥か長沢ダムあたりの空に白い雲が浮いており、下界の喧噪と厳しい残暑を一瞬忘れさせられる。北側のノリウツギにアサギマダラが羽を休めており、下草に目を落とすと、ヒヨドリバナにも止まっていて、美しい羽をゆるやかに開閉していた。南国への渡りも間近かいことであろう。
 昔、仲間とキャンプをした瓶ヶ森近くの駐車場に着く。当時ミツバツツジが美しく咲いていた頃だったが一五〇〇mの深夜の冷却は厳しく、次々と天幕を離れて自動車に逃げ込み、暖房をいれて夜明けを待った思い出が甦る。氷見(ひみ)二千石原の笹原をよぎり直接女山頂上に向かう道と、右側崖の横に沿い男山(おやま)頂上を経て山頂に行く二コースがある。男山道は険しく、ウラジロモミやノリウツギ等の点在する中を踏み分けつつ男山の頂上につく。途中、薄桃色の可憐な花を咲かせたシコクフウロ、白い小さな花をつけたホソバノヤマハハコ等が丈低く点在していたのが印象的であった。広い笹原の先に瓶ヶ森山頂(女山)一八九七mが見える。男山から女山への道に山アジサイに似た潅木林がしばし続く。よく見るとそれはノリウツギであった。
 目的の山頂につく。視界を遮る物は何もない。眼下に氷見千石原のイシヅチザサが山の斜面を濃緑に染め上げている。その先に、ウラジロモミの林が続いている。以前は寒風に枯死した風衝木が多く、白骨林を形成していたが、今は数少なくなっている。
 
石鎚山の雄峰
 
 遥か西方に、西日本の最高峰と称される石鎚山(いしづちさん)(一九八二m)が聳えている。昔、山嶽信仰の隆盛が見られた頃から信仰の霊峰として、人々に崇められて来た。愚かしい小我を滅ぼし、偉大な大自然に融合するための修験場でもあった。主峰の天狗岳に立つと、北面は断崖絶壁であり思わず息を飲む。この峯に至る道には六十m余の鎖場が三か所もあり、流石、山嶽信仰の霊峰として栄えた来し方が頷ける。その山頂の岩上に、かつて立ったことはあるが、ここ瓶ヶ森山頂からの霊峰をしみじみ眺めるのは又格別である。
 
レイジンソウ
 
 やがてイシヅチザサの間を縫って氷見二千石原へと降る。小さな水場の石かげにピンクの花を沢山つけたレイジンソウに出合う。ミヤマアキノキリンソウは今が盛りである。リンドウも丈低く濃い紫の花をつけていた。
 瓶ヶ森林道は意外によく整備されており、空缶の投げ捨てや紙くずの散乱も殆ど見当たらず、関係者の努力やハイカーのマナーの良さに感心させられた。後日予定の自然観察会には、参加者にこの点を強く訴えたいと思いつつ帰路につく。
 八月も終りに近い夜半、中天にまたたく赤い大きな星を見た。六万年に一回、地球に大接近すると報じられた火星である。埃を払いつつ粗末な望遠鏡を覘いたら月に似た丸い星が顔をのぞかせた。北極冠の雪原や高いオリンポス火山等は目に入る由もない。しかし偉大な天体が一定の法則の下、運行している実体に改めて感動した。
 地球上では、人類の平和と幸福を求めて努力する願望とは裏腹に、抗争や殺戮が続いている。林道脇のヒヨドリバナで羽を休めていたアサギマダラの旅立ちは何時頃であろうか。群の渡りの道中に醜い諍いは起きないのであろうか・・・等々、ふと思う。
(倉敷市・社会福祉法人愛育会理事長)
 
ヒヨドリバナにとまるアサギマダラ
 







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