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コラム
育ち合いの場として
 日本一の高さを誇り、悠大な山頂と四方に広がる広大な裾野は美しい円錐形を形作りだし、自然の力強さと創造力を見せつける。日本人の心を象徴する、美しく気高い山、富士山。そんな印象を私は富士山にもっていた。しかし、その美しいはずの富士山が世界遺産に登録できなかった最大の原因が、ゴミの多さにあったというのは有名な話である。また、世界的に著名なある外国の登山家は、富士山のことを「世界でもっとも汚い山」と表現したそうである。悲しい話である。日本を代表する山を通して、日本人のモラルが問われているように思えてならない。
 このような話は、特別な観光地だけの話ではない。私が住む町にも、日本人のモラルの低さをあらわす場所がある。道路の中央分離帯にある植え込み部分がそれだ。そこは、かなり交通量の多い幹線道路で一〇〇メートル程の長さで中央分離帯部分に植木があり、春先にはきれいな花を咲かせてくれる。しかし、その植え込みには、たばこの吸い殻、空き缶、ペットボトル、お菓子の包み紙、雑誌など、あらゆるものが捨ててある。中にはご丁寧にスーパーの袋にゴミを入れて捨てられている場合もある。
 富士山であっても、道路の中央分離帯であっても、ゴミを捨てる人からは、「みんなもしている」「誰かがきれいにしてくれる」「自分さえ良ければ他はどうなってもよい」など、自分の都合のいいように物事を正当化し、誰かに依存し、自分だけが良ければよいという自分勝手な姿が容易に想像できる。そして、このような自分勝手な人達はそこかしこに存在し、その場所で少数ながら、いかにも大勢をしめているかのように受け取られてしまっている。結果、この少数派の存在が図らずとも「モラル」を決め、多くの人々を悩ませている。
 保育園ではどうか。ご存知のように例外ではない。保護者の中に、職員の中にでさえこの醜い心が見え隠れする時がある、保育園は、主に子どもが育つ場である。しかし、それだけではない。保護者、保護者の親族、卒園生、職員、地域、そして自分。保育園はたくさんの人が集い、関わり合い、人間として成長する「育ち合いの場」であると言える。そのような人間形成の場であるならば、醜い心をそのまま放っておくわけにはいかない。せめて人が育とうとする場所だけでも、清らかでなくてはならないと思うからである。また、もしかしたら、これだけたくさんの人間が育ち合う場なら、日本人のモラルをここから変えていけるかもしれない。「ここから変えなければ、何もかわらない」というぐらいの気概をもち、子どもを、職員を、そして保護者を、勇気と信念をもって変えていくことが必要なのではないだろうか。
 「大和魂」という言葉がある。辞書には「日本民族固有の勇猛でいさぎよい精神をいう」とある。「勇猛」とは物事にひるまずたけだけしいこと。「いさぎよい」とは、清らかで、けがれがなく、心や行為が道にはずれたところがないことを言う。このすばらしい言葉を日本の辞書から消してはならない。日本人の心から消してはならないのである。
 そしていつしか、世界遺産となった富士山を指さして世界の人々に伝えるのだ。「あの美しい山が、日本人の心そのものだ」と。
(よりみち)
 
 
 
――レポート――
片岡進
「月刊・私立幼稚園」
編集長
運動会や発表会も完全禁煙に
 保育園関係者の中にも煙草の好きな方はいると思います。しかし日本の社会は、愛煙家にはますます肩身の狭い状況になっています。二〇〇三年五月一日に健康増進法が施行されてからはなおさらです。この中では「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の人が利用する施設を管理する者は、これらを利用する人の受動喫煙を防止するための必要な措置を講ずるよう努めなければならない」となっていますので、これを厳密に解釈すれば、もはや日本の文化的環境では煙草を吸える場所はどこにもないことになります。
 当然ながら幼稚園界の紫煙状況も様変わりしました。十年くらい前までは、園長会というと会議室の中は煙で霞んでいたものですが、今はそんな光景はどこにも見かけません。研修会では、休憩時間のたびにロビーの喫煙コーナーに人だかりができていましたが、その人数もめっきり減りました。
 保護者が幼稚園に集まる発表会や作品展では、以前は外廊下や園庭の一画に灰皿バケツを置いた喫煙コーナーを設けていましたが、今はそれもありません。それどころか運動会や餅つきなど屋外の親子行事でも全面禁煙となり、市民会館などを借りた発表会でも、施設備え付けの灰皿は撤去されたり封印されるのが普通になりました。「幼稚園に関わる場所では禁煙が当たり前」という認識を誰もが受け入れてくれるようになったのです。
 先日、千葉県の幼稚園で、夏休み中の土曜日を利用した「お父さんのBBQ懇談会」がありました。約三〇人のお父さんが、園庭で肉や野菜を焼き、缶ビールを飲みながら語り合い、知り合いになっていきます。話は尽きることなく、三時間たっても四時間たっても誰一人帰りません。そのうち我慢し切れなくなった一人が煙草に火を付け、ビールの空き缶を灰皿代わりにしました。ところが旨そうに一服したとたん、「ここは幼稚園だから煙草はダメですよ」と周りのお父さん方から小声で注意され、「あ、すいません。うっかりしちゃいました」と慌ててもみ消す一コマがありました。そこまで徹底しているのです。
 「喫煙コーナーを設けておかないと、建物の陰など見えないところで吸って、かえって危ないのではないか」との心配があるようですが、あちこちに「禁煙」の貼り紙をしたり、挨拶や放送で全面禁煙の協力を呼びかければ、それを無視してまで吸う人は、少なくとも幼稚園の保護者にはいないようです。
 しかし幼稚園の中には、園長やバス運転手さんがどうしても煙草をやめられないという現実もまだあります。「吹雪の日でも外に出て吸っていますから」と本人は許された気でいますが、そんな園長さんでは、子どもの健康のことをいくら話しても説得力を持たないことになってしまいます。顔を合わせるたびにそのことをさりげなく伝えているつもりですが、愛煙家の意識にはなかなか届かないのがもどかしいところです。
 さすがに女性の先生が煙草を吸っている姿は見たことがありません。でも潜在喫煙者が相当数いることは言うまでもありません。もうこの際、幼稚園・保育園関係者はすっぱりと煙草をやめ、子ども達には将来にわたって煙草を吸わないことの運動を、そして保護者や地域の人たちに対しては禁煙の運動を、先頭に立って旗をふってほしいものです。それもまた、幼児教育担当者にとっての大事な責務だと思います。







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