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――子どもと食生活(34)――
たのしい行事食
――子どもの心を育てるために――
武蔵丘短期大学学長
実践女子大学名誉教授
藤沢良知
一、食育としての行事食の奨め
 
 食をめぐる環境の変化に伴い、最近は方々で食育についての運動が活発になってきたことは喜ばしいことである。
 食育運動については、政治面でも行政面でも大きくとりあげられるようになり、政治面では昨年十一月に自由民主党政務調査会に食育調査会が設置され、消費者の食に対する関心、考え方を育てる方策が進んだり、厚生労働省では平成十五年度から食育推進事業の予算化もなされ、事業が進められている。
 民間活動としては(社)日本栄養士会では、食育事業を重点施策としてとりあげ、都道府県栄養士会と協力して、食べ物を大切にする心を育てるとともに、体験学習としての親子の料理学習、食事相談、食教育等の様々の事業を展開している。
 その中で子どもの心を育てる食文化関連の事業として、親子の料理教室、親と子のおにぎり教室、親子ヘルシークッキング、クリスマスを親子で楽しくクッキング、親子で楽しむ行事食、親子でかんたんおやつづくり等がとりあげられている。
 内容をみるとそれぞれ工夫されているが、これからの食育事業として、保育園等でも是非「親子でつくる行事食」などをとりあげていきたいものである。
 
二、食文化としての行事食
 
 食べることの楽しさ、大切さを論じたフランスのブリア・サバランは“美味礼賛”という著書で「禽獣は食らい、人間は食べる、教養のある人にして初めて食べ方を知る」として、人にとって食事は、体を養うだけでなく、食文化を育て人間関係をも育てることの意義が強調されている。
 このように食事の楽しみは、生活に欠かせない、他のいかなる楽しみより万人に共通する楽しみである。わが国も最近は食事を文化としてとらえ、食事を楽しむ傾向が強まってきたことは喜ばしい。
 “食”を文化としてとらえ発展させるためには、子どもの時から行事食などを通じて、子どもの情緒発達、心を育てることにつなげていきたいものである。
 
三、日本人の心を活かす行事食
 
 行事食といえば、正月、ひな祭り、子どもの日、お月見などの年間の行事と、毎月保育所で行われている誕生日会などで供される食事をさしている。
 古来このような行事は、五節句(ごせっく)が中心となり、節日(せちにち)に供される食べ物を節供(せちく)といった。これが後に節句(せっく)と言い習わされたもので、行事と食べ物は切り離せないものになっている。
 時代とともに行事も料理もかなり形を変えたり、簡略化されてきている。また、行事食は各地方で風習を異にするが、行事食は子どもの最大の楽しみでもあるので、よい風習とともに子どもに伝えてあげたい。
 もちろん、現在の保育所のおかれている状況では、行事食にまで手が及ばないかもしれないが、行事食に寄せる心は、必ずや園児の健全な成長の糧として、園児の心豊かな成長を約束することにもなろう。
 
四、保育所給食と行事食
 
 保育所給食は集団給食であることから、行事食といってもあまり細かい配慮はできないにしても行事食を通じて食文化を大切にする心を育ててあげたいものである。
 食文化は、その国固有の文化的環境や社会環境、自然環境により、長い期間を経て育くまれたものである。
 従って、行事の内容や意味、行事食とのつながりを伝えることは、食文化の伝承ということにもなる。それは、園児が喜ぶとか、保育のアクセントということだけではなく、園児の精神発達、心の成長としてのプラス面が極めて大きい。この視点からも、保育所の行事及び行事食をとおして、伝承すべきものは何かを改めて問う機会にもしたいものである。
 日常の食事や給食から、季節感や地域性が失われつつある今日、行事や行事食を通して改めて“食”を考えることは、保育上重要な意味があると思われる。また、行事食には、それぞれの地方の気候、風土、風習によって育まれた文化が現れるので、その文化を基礎にした郷土料理なども大切にしていきたい。
 
五、保育所の月別主な行事食
 
四月
・入園式・・・幼児がはじめて接する集団生活の第一歩、幼児が親元から離れて、同年齢の集団の中に入る最初の日であり、保育所と乳幼児の出合の日でもある。赤飯の弁当など用意されることもあろう。だんだんに給食に慣れるよう保護者との連絡を密にしたい。
・お花見・・・四月は花見月とも呼ばれ、弁当やおにぎりを作って外へお花見に出掛けたりするのもよい。お花見を“弁当始め”と呼び、秋の紅葉狩りを弁当納めといったようであるが、秋から冬は寒さによって弁当がおいしくないことからこのように云われたものであろう。
 お花見には、チキンライス弁当、オムライス弁当、のり巻き弁当、ロールサンド弁当、ハンバーグ弁当、三色そぼろ弁当などをつくって、野外食をたのしみたい。
五月
・子どもの日・・・五月五日は端午の節句、男児の成長を祝い、鯉のぼりを立て、武者人形を飾り、しょうぶ、ちまき、かしわもちを供える習慣は現在に伝わっている。保育所でも鯉のぼりを立て、武者人形を飾ったり、特別献立の給食をしてあげたい。つくる祝い料理も、しょうぶ、矢羽根、かぶとなどを形どったものが使われることが多い。
六月
 むし歯予防の日・・・六月四日は、むし歯予防の日、全国各地でむし歯予防の行事がとりあげられている。むし歯予防には乳幼児期に栄養バランスのとれた、歯の栄養素を十分与えることが大切である。むし歯予防に役立つ献立をつくり、また、園児に丈夫な歯をつくるための栄養や食物、歯みがき、うがいなど歯の衛生のことを教えてあげたい。
 特にカルシウムの多い牛乳、スキムミルク、小魚、海藻、緑黄色野菜を中心とした献立を考えたい。
七月
・七夕祭・・・五節句の一つで、陰暦七月七日の夜、天の川の両岸の牽牛星と織女星とが一年に一度の逢瀬をたのしむという伝説から生まれた行事である。
 星祭りは平安時代からあり、公家(くげ)では南面の机に、たい、あわび、枝豆、ささげ、なす、うり、桃などに、杯、銚子を添えて供えた。江戸時代には庶民の祭りとなり、糸にあやかってそうめんを食べる。
 園児達のためには、幼い日の思い出となるように、七夕様に短冊をあげれば願いごとがかなう、字が上手になるなどといわれる伝説を教えてあげ、五色の短冊に思い思いの願いごとを書かせて、笹の小枝に結んで保育所内に飾って雰囲気を盛りあげたい。
八月
・孟蘭盆(うらぼん)陰暦七月十三〜十六日、祖先の霊を迎えて供養する。果物や野菜、乾物、それに故人の好物を供えたり、精進料理を食べる。精進料理としては、精進揚げ、ごま豆腐、そうめん、豆腐の信田巻きなどがよくつくられる。
 保育所でも盆にちなんだ献立をたて、子どもに盆の意味を教えて、先祖をうやまう心、霊を供養する心を育ててあげたい。
九月
・お月見・・・陰暦八月十五日、九月十三日。八月十五日は中秋の名月、九月十三日は後の月である。月を祭る行事で、月見だんご十二個(九月は十三個)、柿、栗、ぶどう、きぬかつぎ、枝豆などを三方(さんぼう)や盆に盛って供する。だんごは供えたあと、蒸し直して砂糖じょうゆなどで食べる。
十月
・運動会、遠足・・・園児の運動会や遠足、またピクニックなどには弁当をつくってあげたい。主食はのり巻き、いなりずし、サンドイッチなど、おかずはだし巻き卵、きんぴら、さといもの含め煮、栗の甘煮、果物などを取り合わせてつくる。
 おにぎりもよく園児に喜ばれる。おにぎりの具は、梅干し、けずり節、梅かつお、塩ざけ、たらこなど、周りにつけるものとしては、のり、青のり、ゆかり、ごまなど適宜組合せたい。
十一月
・七五三・・・十一月十五日、この日は陰暦で月満つる日として七五三の祝日となった。男児は三歳と五歳、女児は三歳と七歳に成長の祝いをする。三歳髪置(髪をのばし始める)、五歳袴着(袴を着ける)、七歳帯解(付けひもをとり、帯を用いる)の祝いである。現在は成長を喜び、産土神(うぶすながみ)にお礼参りする、千歳あめを配り、赤飯、尾頭つきの祝い膳が用意される。
十二月
・クリスマス・・・十二月二五日、キリストの降誕を祝う日、最近は宗教色に関係なく普遍化している。特別に手のこんだ料理でなくても、アイディアを活かし、幼児に喜ばれる盛りつけの工夫をしたい。
 オープンサンドイッチなどは見た目にも美しく、バラエティに富む。ハム、アスパラガス、クリームチーズ、ゆで卵などを一緒に盛る。
一月
・正月・・・一年のスタート、心を新たにして正月を祝いたい。昔は三日間食べる食品をつくって重箱に詰めたりしたが、最近はこの風習も薄れてきている。
 黒豆、数の子、田作りは昔から祝い肴といわれている。正月の初めの給食に添えて新春を祝ってやりたい。
二月
・節分(豆まき)・・・二月三日または四日、季節の変り目をすべて節分といい、全部で二四の節分があるが、立春を迎える最後の節分を特に重んじ、現在はこの日を指す。いり豆をまいて疫病の鬼を払い、年齢の数だけ豆を食べると厄落しになるともいわれている。
三月
・桃の節句(ひな祭り)・・・三月三日は上巳(じょうし)の節句、女児の成長を祝いひな段を飾り、桃の花、菜の花、白酒、ひしもち、ひなあられ、貝類を供えてお祝いする。
 この日、草もちを食べることは、中国から平安時代に伝わり、室町時代からよもぎをまぜるようになったといわれる。
 保育所では、ちらしずしをひし形に仕上げて、紅白のゆで卵でつくった内裏びななどを飾ると見た目もきれいである。汁物ははまぐりでなく、しじみなどで代用するとよい。
 参考資料・・・たのしい行事食献立(保育所献立シリーズ4)
 藤沢良知他著、第一出版KK刊一九八四年
 
 かつて障害児に対し「就学免除」という制度があった。本来ならば親の義務として公教育を受けさせるべきであるのに、障害児は「義務教育に馴染まない」として教育委員会が親の義務を免除していたわけである。
 憲法二六条を持ち出すまでもなく、近代国家は「すべての国民は、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」ことから出発する。それにも関わらず、その子どもの権利を役所と親の合意で「免除する」とはどういうことであろうか。問題点は二つある。第一に、「障害児の能力がゼロ」という決め付けを誰が行い得るのかと言うこと。第二に、小・中学校の教育というものは、単に「読み書き算盤」だけなのか。すなわち多様な人と共に生きてる「社会」を学ぶことは含まないということなのかということ。この欄でいつも強調している制度論や権利論から考える「落とし穴」がここにもあったように思う。
 この問題の原因は、義務教育を行う場に「医療」や「保健」が用意されていなかったことにある。したがって「責任」を負えないから障害児を「排除」するという帰結になっていたわけである。もし同じ理由から、保育所が障害児保育に対して消極的であるとすれば、保育関係者はかつての「就学免除」制度を笑えないのではあるまいか。
 そうなのである。学校も保育所も同じように定型的な「施設」として設けられるわけであるが、その定型以外のサービス−例えば医療や保健−が必要となった場合、そのサービスを追加しようとせずに、その利用者を受け入れないことによって「施設」を維持しようとする嫌いがあるのである。そのサービスの担い手である医師や看護婦の協力を求めるのが教育や福祉の実践で在り方ではなかろうか。
 なお、障害児の「就学免除」の制度は、四半世紀前に廃止されたが、まだ問題が残されていることを次回に述べることにしよう。







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