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―シリーズ・保育研究(12)―
再び、保育について
 毎年確実に下がる出生率を聞くたびに「またか」とため息が出てしまうのは私だけではないはずである。中には国土の広さから考えれば日本の人口は多すぎるから減ってもいいのではないかという人もいる。確かに一理あるが、人口を形成する年齢の割合を考えれば単純に数字が減ればいいということにはならないだろう。将来、第一次、第二時のベビーブーマーを少数の生産人口で支えていかなければならないことを考えると、いろいろな意味で一人一人に高い能力が求められるようになる。しかし今の社会や子どもが抱えるさまざまな問題を目にするとき、ため息の一つや二つ、いや三つや四つ出てもしかたがないように思えてしまう。
 そんな中にも子どもたちは人間としてのすばらしい可能性をたくさん秘めてこの世の中に生まれてくる。そういう子どもたちに大人の私たちはどのように関わっていけばいいのか保育園という立場から考えてみる。
 
子どもという人間
 日々の保育に追われていると、非常に危険なことだが、つい目の前のことに気を取られ、子どもをひとりの人間としてではなく、言い方は良くないが、ある種、子どもという種類の生き物と錯覚し、限られた時間、限られた空間、限られた社会の中だけでしか通用しない考えで保育をしてしまうことがある。個性や自由、自主性を勘違いし、我がままでしかない言動を容認したり、ともすると放任ではないかと疑われるような保育や育児をしたり、大変だ、かわいそうだ、愛情だと言っては子どもから我慢や努力をする力、挑戦する意欲を奪ってしまうことがある。
 子どもはあくまでも人間として生まれ、私たち大人と同じように、いやそれ以上に心身ともに逞しい存在になり、将来一人の人間としてこれからの社会を支え、新しい命を育てていく使命を持っている。
 例えば障害のある子はかわいそうだと周りがすべてやってやったのでは、将来一番苦しい思いをするのはその子ども自身である。つまりそれはかわいそうという理由をつけて保育をした大人のエゴの犠牲者ということになる。
 私たちは今日一日の保育を保育士にとってそつなくこなせばいいというものではなく、いま目の前にいる子どもへのひとつひとつの関わりが、常に将来そこにあるべき一人の人間につながっていることを意識しておかなければならない。
 保育の中で表面に見えるものだけで「この子は何ができる。何ができない」という評価をするのではなく、人間として「何がどのように育ち、何がどのように育ってないのか」という見方を忘れてはならない。
 
人間だから育てられる
 子どもたちは豊かな感性、高度な社会性、個々に与えられた能力を育ててもらう権利を持って生まれてくる。しかし感性豊かな子を育てようと思うなら、まずそこに豊かな感性を持った保育士、つまり人間がいなければならない。機械やロボットでは駄目なのである。
 余談になるがある新聞にロボットの研究者が書いた記事が載っていた。そこにはロボットについてひとつ分かると一〇〇の疑問が生まれ、またひとつ進むと一〇〇〇の不思議が生まれるとあった。そしてそれはロボットの不思議ではなく人間の不思議だというのである。やはり人間は人間にしか育てられないのである。
 幸いにして私たちは人間である。そしてこの沢山の不思議と可能性を持った子どもたちの無限ともいうべき育ちの方向に少なからず影響を与える保育に携わっている。
 
資質向上
 こうして見ると保育士に課せられた責任はとても重大になってくるが、保育士も人間である。完璧な保育などできるわけはないが、目的の保育に近づけるための努力をすることはできる。
 保育士の質が積極的環境として、望むと望まないに関わらず子どもに大きな影響を与えることを考えれば、保育士の資質向上は保育園の運営にも大きく影響してくることは必至である。
 それではどうやって質の向上を図ればいいのだろうか。本を読むのもよし、経験者に聞くもよし、研修に参加するのも必要だが、目の前に並べられているものを何の目的もなくただ漫然と受け入れるだけでは本当の質の向上には繋がらず、何をどう学ぶかをはっきりさせなければその効果も高くはないだろう。そこで自分に何が不足しているか、また何を学ぶべきかを知るためのシステム作りが必要になってくる。
 例えば日々保育をしている中から必要と思われるいくつかの項目を挙げてみる。
 経験の中から得られる知識にはどのようなものがあるか、保育の中に必要な専門分野の知識はどのようなものなのか、また保育技術といわれる部分にはどのようなものがあるのかなど、ひとつひとつ並べてみることである。そうすることでそれぞれがなにを向上させ学ぶべきなのかが見えてくるはずである。その上でそれらを表として整理し記録し、自らのスキルアップにつなげていけばいい。
 
自己評価とフォローアップ
 スキルアップに繋げるために、自らの保育を評価し得意とするところや苦手とするところをあげ、必要と思われる分野の知識を身につけるための努力をし、その結果がどこまで効果を上げているかを知るには己の評価だけでは不十分である。
 そこである程度冷静な目で判断できる園長や主任といった立場の者が、本人の意見と合わせ再度評価をする必要がある。
 だがここで考えなければならないことは、評価だけで終わらせるのではなく次のステップへ進めるためのアドバイス、つまりフォローアップの必要性である。
 例えば、自己評価をし、不足の部分を見つけそれを補うための研修を受けたとしても必ずしもそれが身につき保育に生かされているかというとそうとは限らない。研修を受けたということだけで必要と思われるものが身についていると勘違いしてしまうこともなきにしも非ずである。
 そこで必要となるのはアドバイザーである。園とは関係のない外からの視点もある意味必要かもしれないが、アドバイスをするうえで、まったくの第三者ではなく、その園の保育方針やカラー、保育の流れ、職員間の雰囲気、個々の性格や保育の経験から身に付けてきているもの、本人の保育の癖などを十分理解し、日ごろから対象となる保育士を常に把握できる評価者がいることである。
 ただ評価者やアドバイザーがあまり近くにいることで、判断が甘くなるのではという懸念も出てくるが、まったく見ず知らずの人にとんちんかんなアドバイスを受けるよりはまだましなのではないだろうか。そういう意味からも評価者、アドバイザーとなる園長、主任の責任は大きく同時に、園長、主任の能力アップにもつながるだろう。
 AかBの方法を選択する際、少しでも効果の高いほうを選択するように、どのような資質を持った人間の判断がより有効かも、常日頃頭に入れておくことも大事である。
 このフォローアップのシステムが園内で確立され、スキルアップの経過が目に見える形になれば、保育士の資質と力量のアップに繋がると同時に、外部への子育て支援の際にも保育士に対しての専門家としての認識と地位の確立向上に大きな力となるはずである。
 
これからの子育て支援
 保育士が専門家として社会に強く認識されるようになると、当然その役割への期待も大きくなってくる。少子化と同時に働き方の多様化、生活の多様化が子育ての多様化につながり、子育ての専門家としての保育士はそれぞれの地域の中で子育て環境を有効に生かすための助言を求められる立場になるだろう。
 これからの保育士は保育園の保育メニューの中だけで活躍するのではなく、子どもを家庭で育てる親への個人的育児アドバイスなどと合わせ、地域の子育て資源の情報提供者であったり、活用の仕方などを子どもの成長に合わせコーディネートするという仕事も担うようになる。また必要な子育て資源や人材の掘りおこしや育成も、専門家としての保育士の役割として求められるようになるだろう。
 そうなればより高い資質を持った保育士がいる保育園は子育て支援の機関としてより高い評価を受けることになる。ただこれらの支援を受けるための費用の軽減も子育て支援の一部と考えると、その解決を図るために保育園として行政へ利用者の声を届けることも重要な役割である。
 何れにしろ子育て機関として、人間が人間として育つ、人間を人間として育てられる環境を提供できるよう努力することを忘れないようにしたいものだ。
(保育総合研究会 椛沢)
 
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