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―現代いろは考「て」―
敵は本能寺
 「大量破壊兵器」が見つからない(四月末現在)うちに、イラク戦争は一応の決着(?)をみた。なんのための戦争だったのか、よくわからないままに、「情報戦争」という言葉だけがクローズアップされた。
 そもそも「イラクが大量破壊兵器を持っている」という情報自体が、操作されたものではないかという気もする。かつて使用した事実はあっても、今回の国連査察団、進駐した米英軍も今のところ発見していない。ということは、「持っている」という情報が間違っていたのか、それともイラク側の隠蔽が非常にうまいのだろうか。
 「間違い」にもいろいろある。相手にだまされることもあれば、勝手に勘違いした結果ということもある。さらに勘繰ってみれば、意図的に間違えた「振り」をすることも考えられる。敵は本能寺で、本来の目的をカムフラージュするために、わざと間違えることもあるからだ。疑心暗鬼、何が本当で何が間違いなのか、だんだん分からなくなってきて、猜疑心が無限に増大する。これも情報戦の目的の一つかもしれない。
 「メディア・リテラシー」という言葉を耳にしたことがあると思う。メディア(を通した情報)の見方、読み方、接し方など、いわゆるメディア版「読み書き算盤」の能力という意味。メディアを通して流れてくる情報を無前提に信用するのでなく、いろいろな視点から検証して、受け止めるようにしようという動きである。
 イラク戦の情報戦争は、恰好の題材を提供してくれた。米軍に同行した従軍記者からの報告、バクダッドに居残ってレポートを送り続けた記者たちの報告、米軍司令官の記者会見、イラク側の会見―立場の違いでものの見方が違う、というだけでなく、立場の違いでものの見せ方を違えているので、何が本当で何が嘘なのか分からなくなってしまった。米英とイラクの壮絶な駆け引きが、メディアを通して行われていたのである。情報戦争の道具として、不幸にもメディアが利用されてしまったようにも思えた。
 バクダッドが「解放」されて、フセインの像を引き倒す場面が何度も放送された。「たくさんのバクダッド市民」が集まって、像を引き倒し、引きちぎれた頭部を引き回していた。「勝利」の象徴的な場面で、この場面だけを見れば、フセインの圧政から解放され、多くのバクダッド市民が歓喜に酔いしれている―と、だれもが思うに違いない映像だった。
 ところがいくつかのテレビ局では、像が立てられている広場の全景を写していた。その画面を見ると、「たくさんの市民」は像の回りにしかいない。周辺部には、まったくといっていいほど人の気配がない。ほんとうに解放され、喜んでいるなら、ぞくぞくと市民が集まってくると思うのだが・・・周囲は閑散としている。不思議な映像。しかも、像の首にロープを懸けたのは米兵で、そのロープを引っ張ったのは米軍の車だった。
 広場に立っているフセイン像が倒されたというのは事実だが、それを伝える映像は大きく二つに分かれていた。興奮した群衆とその行為だけを収めた画面、集っている群衆の全体像が分かるように周辺部まで写し込んだ画面である。同じ出来事が、画面の切り取り方ひとつで、まったく違った印象を与える好例になった。
 「情報戦争」の結果がもたらしたものは、イラク戦争という現実の出来事とは別に、非常に大きなもののように思える。それは「情報」そのものの信頼性の喪失が進むのではないかという懸念である。情報というのは「作られる/作った」ものであることに気づいた結果、常に色眼鏡で情報をみるようになる。情報の信用性を考えながら自分のなかで取捨選択し、再構築する力があればよいが、信用できないからと拒否してしまえば、外界とのつながりは断ち切れてしまう。
 情報化社会のなかで、情報が信じられなくなるという奇妙なことになる。ストレスの種が、また一つ増える。
(えびす)
 
 
 
―築地市場の水産物と青果物―
道野英司
 先日、娘がお世話になっていた保育園の園長先生からファックスをいただき、今年も園で田植えする予定とのことだった。娘も卒園してかれこれ五年が過ぎたが、当時娘が道路から田んぼに落っこちて大笑いした話などを妻と思い出し、懐かしく読ませていただいた。
 さて、食品衛生法の改正についてここ数か月間、書かせていただいたが、衆議院での審議が終了し、いよいよ五月十五日から参議院厚生労働委員会での審議が始まった。参議院では委員会での質疑のほか、東京都の築地市場で現場視察が行われた。
 参議院厚生労働委員会の築地市場視察に私も同行し、十年ぶり築地市場におじゃまして、現場の状況を勉強させのていただいたので今月はこのコーナーでは珍しい現場の食べ物の話を紹介したい。
 築地市場は東京都中央卸売場市場のひとつで、他に芝浦の食肉市場、大田市場なども含め十一か所の市場が設置されている。それぞれの市場で扱われる食品は少し異なっており、食肉は芝浦、水産物は築地、大田、足立、青果物は芝浦以外の十か所で取り扱われている。
 東京の市場は、江戸時代の一心太助にもでてくる日本橋の魚河岸が始まりとされ、現在の築地市場は昭和十年に設置された。築地市場は、銀座の海側で東京の一等地にあるが、施設の老朽化などの問題も抱えている。すなわち、施設が老朽化してきているだけではなく、鉄道輸送中心の古い時代に建設されたため、国鉄の引き込み線が新橋から設けられていたそうだが、トラック輸送中心の現在では、場所の良さがかえって交通渋滞の影響を受けて、不便となっている面もあるようだ。また、取扱量も増加しており手狭にもなってきているが拡張工事も容易ではない。このような状況から東京都では平成二十二年頃に市場の豊洲への移転を計画しているとのことであった。
 さて、築地といえばまずは水産物、世界最大規模の水産物市場であり、取り扱う水産物は約四五〇種類、一日当たり二千三百トン、小学校のプールでいえば七〜八杯分の重量である、取扱量が多いのは、マグロ、アジ、タコ、スルメイカ、カツオ、イワシ、サケなどであり、マグロやタコの多くは輸入である。
 一方、青果物は都内では大田市場に次ぐ取扱量があり、取り扱う青果物は三五〇種類、一日当たり一千五〇〇トンである。産地は野菜では千葉県産が最も多く、続いて北海道、茨城県、果物では愛媛県、フィリピン、熊本県が多い。取扱量が多いのはダイコン、キャベツ、ミカン、バナナなどである。
 実際に市場内を見て歩いても確かに上記の水産物や青果物が目には付くが、そのほかにも国内は北海道から沖縄まで、さらに世界各地からいろいろな種類の水産物や青果物が所狭しと並べられていた。
 築地市場を構成するのは、卸売業者、仲卸業者、買い出し人である。基本的な商売の流れは、卸売業者がせりなどで仲卸業者に品物を売り、仲卸業者が小分けして町の魚屋さんや寿司屋さんなどの買い出し人に販売する。
 取引は夜半から相対取引といって一対一の取引が開始され、朝方からせりが始まる。水産物の場合は午前六時頃、青果物は午前七時頃には卸売業者が仲卸業者に販売するせりが終了し、町の魚屋さんや寿司屋さんなどの買い出し人が仲卸業者に押し寄せる。こうした動きも午前十時を過ぎると一段落し、市場内では翌日の品物を受け入れるための掃除や整理がはじまる。このようにして一日に築地市場で売買などを行う関係者は五万二千人、車両は一万七千台が出入りするそうである。
 このように築地市場では夜半から午前中までの短い間にいろいろな食品が大量に流通する場所であり、東京都では市場衛生検査所を設置して、流通拠点での検査体制を整備している。ここでは約三〇名の食品衛生監視員が交代で早朝四時からせり場をまわって、水産物の保存温度や衛生的に取り扱われているかについてチェックをする。その後、品物が卸業者から仲卸業者へ移動するのにあわせて、チェックの対象も仲卸業者に移っていく。こうした監視活動の中で、食品の一部を採取して、食中毒菌、ウイルス、食品添加物、残留農薬などの検査を年間八万二千件も実施している。
 このような築地市場の視察は約二時間余りで終了したが、参議院の先生方も第一線で活躍する現場の人たちや大量の水産物や青果物をご覧になり、大いに法案審議の参考になったのではないかと思うが、私自身も久しぶりに現場の雰囲気に触れ、有意義な時間が過ごせたと思う。
(厚生労働省食品保健部監視安全課 課長補佐)







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