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☆ほいくの両極☆(68)
スワンパンの話
太田象
 最近よく行くお気に入りのパン屋の話。
 港区赤坂。といっても虎ノ門よりの、アメリカ大使館や虎ノ門病院近辺のオフィス街のあるパン屋の話。
 外堀通りの交差点に面したビルの一階にあって、採光がよく、ガラス越しの店内は外目にも明るい。
 ドアを入るとパンを並べたショーケースがあって、買ったパンをその場で食べられるようにテーブルもあり、昼時には近くのオフィスのOL等でにぎわう。
 この店は、パンのタネは都内の某有名ベーカリーと同じものを使っているので、パン自体の水準はもちろん申し分ないのだが、それだけではない。店の愛好者は気がついていると思うが、コーヒーがとてもうまいのである。たぶん、最近はやりの大手のカフェよりもうまいのではないか、豆自体もいいもののようだ。中でもおすすめはカフェラテ。ツーショットで入れてくれてとても香ばしい。これはハマる。
 あか抜けした店の雰囲気は、TVドラマのロケにも使用されるほどだ。
 このお店の正式な名前は「スワン・カフェ&ベーカリー赤坂店」。
 障害者をたくさん雇用している企業として、関係者の間ではとても有名なお店である。
 元ヤマト運輸社長の小倉さんが始めたこのパン屋さんの生い立ちに関しては、本も出ているので省略するが、スワンパンは、赤坂以外にも北区の十条はじめ、若干経営方式が異なるものを含めていくつかの店舗がある。
 とはいえ、そうしたことを感じさせるような特別な雰囲気を醸しているわけではないので、赤坂店の愛用者の中には、この店が、障害者雇用で有名な店だとは、気がついていない人も多いと思う(気づかせる必要もないと思う)。
 障害者が施設から出て地域に暮らすようになると、自ずと「働く」ことへの希望、意欲がわいてくる。このお店は、これからの障害者雇用の一つのモデルだろうと思う。
 最近では、全国いろいろな方面からこの店を視に来るようである。
 中には、県庁内にスワンパンを作ろうと、知事の命を受けて視察に来る県庁の幹部もいるらしい。うがった見方をすれば、県行政としても障害者対策に方を入れています、ということをアピールする、その象徴的な存在をスワンパンの知名度に求めようというわけなのだろうか。
 少なくとも赤坂のスワンパンは都会のオフィス街という立地を意識したスタイルでここまで成功しているパン屋だと思うし、地方で同じような企画をするというなら、その地域、その地盤のパン屋さんを活かして(いや、パンじゃなくても何か特産品でもいい)、土地の人にいつまでも愛されるようなことをすればいいのに。
 オリジナルではなくスワンパンという既製品にあやかろうというのは、ちょっと浅薄・・・。
 
 ま、ともあれ、障害者雇用のこの店が、一種のブランドになったということはとても素晴らしいことだと思う。最近、小倉さん自身も某女性雑誌に載っていたが、これも、とてもうれしいことだ。
 多少軽薄、底の浅い一面があるかもしれないが、障害者の雇用への関心が確実に高まっている。
 意外なところで、そういう兆しに接するとき、とても気分が明るくなる。
 
スワン・カフェ&ベーカリー赤坂店
東京都港区赤坂1-2-2 TEL03-6299-5533
最寄駅 地下鉄銀座線 虎ノ門駅
 
○「ほいくの両極」についてのご感想、ご意見等がございましたら、
E-mail: hoiku@jobs.co.jpまで。
 
 
 
悪魔の囁き
 中高年の皆様自分の不始末事案を提供致します。
 自転車を卒業し、自走する物に乗るようになったのは、高三の頃。あれから幾十年、バイク手始めに、耕運機、そのうち車と、世のモータリゼーションに追随。最初のバイクの自走に、興奮と緊張感は今でも忘れず。車は、若き頃は経済的要因により中古車オンリー。四台目の中古車のとき、高速道路を走行中、汚れたオイルが原因で突然のエンジンストップ。慌て、冷や汗じっとり。これに懲り、ただちに、新車に変更。家計を気にする家族のコンセンサスも堂々とクリアー。お陰をもって、爾来、新車。現在の車は、現役最後の記念にと、三年前に、ちょっと張り込んだ。いろいろな事情で、今や、専らカミさんが運転。時折、運転させて貰う立場に様変わり。されど、長距離走行や都内とか運転の困難場面には、不詳筆者が登場。
 そんな状況下の二月のある日、「東名」を東京に向けての走行中のこと。勿論、運転は筆者。土産を買うべく日本平サービスエリアにハンドルを左へと旋回。三台分のスペースに、「無意識に、ぼんやり」と、バックで入れようとした途端、左後部の方からベリベリと、鈍くイヤーな音。ハッとすると同時に、「やってしまったか」「ヤレヤレ」と、自責と後悔の念が一挙に吹き出した。助手席のカミさんの叱声の連発。自分の運転のウイークポイントは、左の後部。その上、加齢化と直前までの睡眠不足と疲労。「ああ、後悔先に立たず」
 直ちに、愛車を降り、大したことが無いことを念じつつ、被害状況を見聞。その間、カミさんが車を移動。少しパーキングラインをはみ出しての駐車。気になるも、直す意欲が出ず。運転者は買い物中なのか、無人の黒の国産のワゴン車は、右ドアの下の方が少しメラメラ状態。少し安心しつつ我が愛車をカミさんの溜め息を背に覗き込んだ。こちらはほんのカスリ疵。このとき、悪魔の囁きが自分を襲った。このまま「トンズラ」しても、分からないではないか。恐る恐るカミさんに、小声で「どうする」。即座にカミさん曰く、「家のもキチンと直して」その一言で覚悟は決まり、「囁き」を払拭。幸い、こんなこともあろうかと、携帯に保険会社の電話番写が入力済み。ベンチに座り、保険会社に事故の概要を話し、今後の処理方法を聞こうとしていた矢先、今度は当方の車の右横に、中年女性が駐車しようとしているのを目撃。「当てなければ良いが」との杞憂が現実となり、またまた接触。当の女性はそれには気が付かず、リクライニング。これこそ、ダブルショック。関係車両も、いつしか三台。
 携帯も途中にし、状況を把握すべく立ち上がろうとしたところ、体の大きいサングラスを掛けたおアニーさん二人が、黒のワゴン車に乗り込み出発しようとスタンバイ。慌てて窓越しに、「ヤーさんだと困るな」と恐る恐る、「ぶつけた」旨を話し、鄭重に謝罪。車を降り、被害箇所を眺め、「お互い様ですよ」の声に安堵。名刺を頂き、今後の処理方法を協議。名刺には、あまり聞き慣れない雑誌社が記載。「警察に証明して貰うこととしたいが良いか」の確認に快く応諾。早速、携帯から一一〇番。一一〇番は生まれて初めての経験。静岡県警の「ケガはないですか」の声に、又々ホッとする。「高速道路警ら隊が、十分から十五分で行きますから」とのこと。この間、保険会社との会話の積み残しを実施。十五分待ったところで、携帯。今度は、パトカーから、「今、下り斜線にいるので、しばし待て」との沙汰。その間、当の中年女性はかすかなカスレ疵のせいか、被害者顔で、涼しい顔。そのうちパトカーが颯爽と参上。こういうことでのパトカーは、初体験。念入りな質問と写真をとり、パトカーご帰還。その後、若干の打合せをして、関係者一同、散会。その場は、これにて一件落着。
 事故処理に要した時間は、およそ二時間。残りの運転は、傷心の筆者からカミさんに交代。車内では、カミさんの「ぼやき」と、無言の繰返しがしばし続き、足柄辺りからは「どの位の費用がかかるかな」に変わり、自宅に近くなった頃には、「物損もそれ程ではないし、何より人身でなくて良かったね」と変遷。
 中高年の皆様、運転にはユメユメ油断なきよう、謹んでお願い申し上げます。
(S・O)11
 
 
 
無理がとおれば道理が引っ込む
 ちょっと気になる事件が起こった。気になると言ったのは、事件そのもののことではなく、その後の周囲の反応についてである。
 その事件は川崎市で起こった。古書店で少年がマンガ本を万引き、店長に捕まった。ここまでは、よくある話だが、その後が妙な展開になった。少年が店長の目を盗んで逃走をはかり、電車の踏切を渡ろうとして、不幸にも跳ねられて死んでしまったのである。
 店長は経営者として当然のことをしただけで、非はないのだけれど、少年が電車に跳ねられて死んでしまったことから、「おまえが悪い」と多くの抗議や嫌がらせを受けたというのである。一時は店じまいまで考えたそうだ。しかし、古書店チェーンの本部にたくさんの励ましの声が届き、気を取り直し店を続けることにした――というのである。
 このニュースをテレビで見たとき、事件そのものより、事件後の周囲の人の反応に違和感を覚えた。被害者であるはずの人間が加害者かのような非難をあび、本来は加害者である人間に同情が集まるという、倒錯した関係が生まれたことが気になったのである。
 事件については、新聞やテレビなどのマスコミを通した情報でしか分からない。少年や店長の人柄、日頃の行いなどはまったく分からないので、勝手に推測してみるしかないが、昨今の世の中を象徴しているように思えたのだ。
 テレビをとおした印象では、店長は自分に非はないと思いつつも、後味の悪さに憔悴しきっている様子だった。抗議や嫌がらせをした人は、どれほどの人数でどんな人なのか、またその内容も分からない。相手が分かっているのなら、なんらかの対応をとったと思うので、多分「匿名」の何者かだったのだと思われる。正体不明者からの抗議や嫌がらせなのだ。
 自由に意見が言えるのはよいことだが、匿名で非難するというのでは嫌がらせにしかならない。もし、万引き事件と少年の死を結び付けるのなら、捕まえた書店主ではなく、万引きという行為まで逆上って考えなければならないのではないか。感情的にではなく、道理を追って考えるという冷静さが必要ではないか。無理がとおれば道理は引っ込んでしまうのである。どうも最近の世の中は感情が優先して、考えるという面倒くさい行為が敬遠される傾向がある。
 社会生活を送るうえの基本的な約束事がなくなってきたのかなとも思えた。豊かさが個を開放したかもしれないが、開放された個の集合体としての社会のあり方はまだ見えてこない。そこではきっと、個の責任と相互に認め合うことが重視されると思うのだが・・・。
 少年の仲間が逆恨みしてやったんだよ、その程度の嫌がらせで廃業するなんて人がよすぎるよ――ということだったのかもしれないが、一人の人間の「死」が複雑な人間模様や社会の現在を描きだした。
 少年を知っている人は、そこまで追い詰めなくてもいいのに、ほんの出来心だったのだから・・・。一方、店長を知っている人は、ごくふつうに万引き犯を捕まえ、事情を聞いていただけなのに・・・当事者を知っている人たちには、いろいろな思いがあると思う。マスコミを通して知った私たちは、そこまでは分からない。仮に当事者の人柄まで報道されたとしても(よく近所の人や知人にインタビューしたものが挿入されることがある)、それをそのまま鵜呑みにするほどマスコミを信じてはいない。ただ、事件の外側をみるだけで、その背景(社会、人など)まで目を向けない。
 毎日たくさんの出来事がマスコミなどを通して伝えられる。身近なものでなければ、人ごととして右の耳から左の耳へと通りすぎていく。しかし、事件というのは社会の有り様と無関係ではない。違う所で、同じような事件が起こるのであれば、その社会に共通する何かがあるはずである。
(えびす)
 
 
 
子ども窓口の一元化
 高知県では、平成十五年度から、幼稚園と保育所の窓口を一元化した「幼保支援課」を教育委員会内に設ける。子どもに関する窓口がいくつもの部署に分かれているので、これを一本化し、就学前の教育・保育施策について一貫した方針で取り組めるようにするためだ。県レベルで幼保の窓口を一元化したのは高知県が初めてだが、市町村レベルではいくつか誕生している。幼保の窓口を一つにし、さらに在宅で子育てをしている家庭への支援事業も取りまとめ、「こども課」と称するところもある。幼稚園や幼保園といった形で、一元的な施設を設置したり、設置を計画している自治体で、窓口を一本化する例が多いようだ。窓口一元化の取り組みを整理してみた。
 幼稚園と保育所の国レベルの所管は、幼稚園が文部科学省で、保育所が厚生労働省。地方自治体レベルでは、私立幼稚園は全て都道府県知事部局の所管となるが、公立幼稚園については設置主体の市町村が直接の所管となる。都道府県教育委員会は、幼稚園教育全体としての充実や市区町村教育委員会の指導を担当する。
 一方、保育所は、保育事業の実施主体である市町村首長部局が直接の所管となり、都道府県知事部局は保育所の認可や社会福祉法人などを所管する。
 住民に身近な市町村レベルでみると、公立幼稚園と公私立保育所の所管は明確になっているが、私立幼稚園ははっきりしない。就園奨励費補助の窓口として、教育委員会や首長部局に私立幼稚園担当が置かれているが、市町村と私立幼稚園には施策という面でそれ以上の関係は薄い。そうしたことから、文部科学省が平成十三年三月に公表した幼児教育振興プログラムでは、「市町村における私立幼稚園等の窓口の明確化を図る」と盛り込んでいる。
 そんな中で、古くから公立幼稚園と保育所の合同保育に取り組んできた大阪府交野市や、就学前の子どもの事務を「こども課」として一つにまとめた愛知県豊田市など、窓口一元化の例はいろいろある。大きくは、(1)幼稚園や保育所だけでなく、子ども関連の施策をひとまとめにしているところ(2)幼稚園と保育所の窓口だけを一つにしているところ――の二つのタイプがある。
 さらに、幼稚園と保育所をひとまとめにした窓口を設けた自治体では、教育委員会にその窓口を設置しているところと、首長部局に設置しているところとに分かれる。幼稚園の所管を首長部局に置く場合、「教育行政の中立性を保つために教育委員会制度を設けているという点で問題がある」と、文部科学省は見ている。しかし、実際には、首長部局の職員が幼稚園に係る教育委員会事務を補助執行する体裁をとり、最終的な管理は教育委員会に残る形となっているケースが多い。
 幼稚園と保育所の窓口を一元化するのは、幼保合築施設を建築して合同保育に取り組むといった事業がきっかけとなることが多いようだ。そうした計画を持っていない自治体で窓口を一元化するのは、「市民に分かりやすく」という狙いが大きい。だが、窓口を一元化したことをきっかけに、幼保の連携を進めるなどの新たな取り組みが進んだり、職員に「幼稚園に通っている子どもも、保育園に通っている子どもも同じ」という意識が生まれるといった効果も出ているという。
 具体的なケースを見てみると、先の高知県では、それまで私立幼稚園は総務部学事課、公立幼稚園は教育委員会学務課、保育所や子育て支援関係は健康福祉部子ども課、家庭教育については教育委員会生涯学習課などに分かれていたが、教育委員会にこども課を移し、新たに幼保支援課を設けるという再編を行った。こども課が担当していた児童養護施設や母子福祉関連の事業は、健康福祉部に残すが、それ以外のこども関連の事業は教育委員会に集約されることになる。同県では、「高知のこどもをどう育てるかを考える会」が幼児教育振興プログラムの基礎となる提言を行い、この中で窓口の一元化を求めていた。県は、十五年度も「第二期高知のこどもをどう育てるかを考える会」(仮称)を設置し、幼保の連携について検討する予定にしている。
 公私立幼稚園・保育所の窓口を一つにし、子ども全般を担当しているケースとしては、愛知県豊田市がある。平成十三年度から、社会部の中に「こども課」を設け、公私立幼稚園・保育所を所管している。こども課では、母子保健や乳幼児健診、育児相談、母子家庭対策、放課後児童クラブなど、子どもに関するほとんどの事業を所管している。「就学前のお子さんを総合的に扱えないか」という考えから、こども課が設置されたという。公立施設が多い関係からか、以前から市立幼稚園と保育園の交流は盛ん。幼稚園教員と保育士との人事交流も行われている。現在、同市立保育園・幼稚園民間移管計画が策定されたところで、幼保を含め公立施設の民間移管を進め、保育サービスの質の充実につなげる。それと同時に、幼保の一本的な運営についても検討する予定にしている。「こども課」という名称を初めて打ち出して注目された自治体としては、福井県鯖江市がある。平成十一年度から、市長部局に独立したセクションとして「こども課」を設けた。私立幼稚園はないので、公立幼稚園と公私立保育所を所管。そのほか、子ども関連のことについてはこども課を窓口としている。
 東京都小平市では、平成十一年度から、私立幼稚園の所管を児童女性部児童課に移し、就学前の子どもの窓口が一つになった。同市には公立幼稚園はない。窓口では、幼稚園と保育所の情報提供を一緒に行っている。同市の場合は、窓口が一つになったことをきっかけに、平成十二年度から私立幼稚園の預かり保育に対して、独自の補助事業を始めた。保育所並に長時間の保育が必要な子どもを受け入れられるよう、早朝や夕方遅く、さらに長期休業中も預かり保育を実施する私立幼稚園に対して、国や東京都の補助に上乗せして補助を行っている。
 平成十四年度から、幼稚園と保育所の窓口を一つにしたのは、熊本県山鹿市。就学前の児童については一つの課で取り扱う体制にしようと、市民福祉部に子育て支援課を設けた。それまで教育委員会が担当していた公立幼稚園の事務、私立幼稚園の就園奨励費の事務などを同課が担当するようになった。幼保だけではなく、学童保育や児童館など、子育て支援事業についても担当する。
 教育委員会に一元的な窓口を設けた例としては、群馬県太田市がある。平成十二年度から、教育委員会の青少年育成担当課に、健康福祉部の「こども課」を編入した。こども課には、「そうだん指導係」「児童母子係」「保育係」「児童センター」などが置かれている。公立幼稚園はなく、私立幼稚園と公私立保育所、子育て支援、ひとり親家庭支援などの子ども関連施策を担当している。「就学前教育から青少年教育まで一貫した教育機能を果たそうとしたもの」という。同市のこども課は、実質的には、福祉事務所の児童に関する部門の中に私立幼稚園を加えて、教育委員会の管下になったという体制。窓口は一元化されているが、福祉事務所長の決裁と、こども課長の決裁が二重に必要なケースもあるといい、内部の事務処理は複雑な部分を残している。ただ、窓口を一元化したことにより、「(職員が)幼稚園の子どもも保育所の子どもも同じ目でみるようになった」といい、幼稚園と保育所、小学校との連絡協議会を発足させたり、幼稚園、保育所合同で市の行事に取り組むようにするなど、連携が進んでいるという。
 幼稚園や保育所の窓口だけを一つにしている例としては、大阪府交野市がある。昭和四十六年から、「どの子どもにも平等に教育機会を与える」という考えで、公立幼稚園と公立保育所を一元化し、就学前の二年間は合同保育所を行っている。これにあわせ、市長部局の中に独立したセクションとして、「幼児対策室」を設けている。同室は私立幼稚園の就園奨励費補助の窓口ともなっており、公私立の幼稚園・保育所を全て担当している。
 愛知県高浜市でも、平成十四年度から、公立幼稚園の所管を市長部局に独立したセクションとして設けている幼児センターに移管し、新たに「こども課」を設けている。ここで新設された私立幼稚園も含めて、幼稚園と保育所の事務を一元的に担当している。幼児センターは平成十一年度に設置され、保育所と児童センター、障害児の療育機関を所管していた。センター長が教育部長を兼務しており、これまでにも人事交流や合同研修会の開催など幼稚園と保育所の連携を図ってきたが、所管を一つとすることで更なる連携に取り組む。また、幼稚園と保育所の合築施設や併設施設を運営していたり、計画している自治体で、幼稚園と保育所の窓口を一元が進んでいる。静岡県掛川市は平成十四年度から、教育委員会学務課内に幼保一元室を設け、幼稚園と保育所の事務を担当しはじめた。平成十五年度から、幼稚園と保育所の合築施設「乳幼児センターすこやか」をオープンする予定にしており、それに先立って取り組んだてもの。今後、市内の公私立幼稚園・保育所二十一園を再編し、幼保の一体施設六園、幼稚園二園とする計画を進めている。
 香川県池田町では、平成十三年度から教育委員会内に幼児対策係を設け、保育所の事務も行うようになった。同町では、平成十六年度には、公立幼稚園と保育所を再編し、一元化した「幼児教育センター」(仮称)を設置する予定だ。幼保の併設施設を設けている北海道共和町や北海道様似町、岩手県藤沢市、京都府八木町では、教育委員会の総務課に幼児対策係などを設け、教育委員会で保育所事務も担当。このほか、一部の幼稚園と保育所の窓口が一つになった例としては、東京都江戸川区がある。同区子育て支援課では、平成十一年度から、私立幼稚園と私立保育所の所管を一つにした。公立幼稚園は教育委員会、公立保育所は保育課が所管している。私立幼保の所管が一つになったことをきっかけに、子育て支援課では、ファミリー・サポート・センター事業のブランチとして私立幼稚園を活用したり、私立幼保の経営者らの勉強会が発展して合同で社会福祉法人を設立し、同法人が公設民営の保育所を委託運営している。
(山田)







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