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――四季折々――
早春の頃
小松原勇
 地球の温暖化が叫ばれている中で、今冬は瀬戸内でも久し振りに、しばしの間、雪景色に接することができた。
 子ども達は雪を集めて小さな雪だるまを作り、はしゃいでいた。二、三日は屋外の水道も凍結して、湯を注ぐなどし、北国の体験をすることもできた。
 節分を迎えて、心なしか日脚の伸びを感じ始め、霜や薄氷を見ながらも、春近し・・・と、再び廻り来る春への思いをつのらせる。
 自生地の知人から便りが届く。ふと、庭に目をやると、鉢植えのセツブンソウが頭をもたげている。可憐な数輪の花は、既に開いていて早い春の訪れを告げている。
 人間の思考は、とかく主観的になりやすく、自然界の歯車から外れやすい。しかし、植物は正直で巡り来る春を即受けとめ、早春の息吹に華やいでいる。十糎前後の花茎に深い切れ込みのある総包葉をまとい、その先に純白な五弁花を開き、寄り添うように春を語らっている。(五枚の花弁と思われるものは、実はがく片で、本当の花弁はがく片の内側にあり細い棒状で、先端に黄色の蜜腺をつけている)暖地では霜に打たれながら咲き、雪国では残雪の間から恥じらうように顔をのぞかせて咲く。セツブンソウは早春の愛すべき花である。咲き終ると小さな莢をふくらませ中に丸い種を実らせる。こぼれた種を拾い、大切に播くと、翌春小さな一枚葉が出る。その翌年にはそれが掌状葉となり、大切に育てると三、四年目には可憐な花を咲かせるキンポウゲ科の野草である。セツブンソウは、山里にいち早く春を告げる季節の女神として、心ある人々に愛されており、自生地保護の運動が各地で起こされている。
 
セツブンソウ
 
 庭の日溜りでは、フクジュソウが陽を受けて黄色の花弁を広げている。四国山地では、山里の住民が連携し、斜面全体に自生の輪を拡げ、黄色の花で山地の春を彩っていた。フクジュソウの花を見ると、今もその光景が浮かんでくる。
 落葉樹林をマンサクが黄色に染めている。小さな花が梢にまみれて咲くと、谷を隔てたこちらからもそれがよく分かる。足元の落ち葉をわけて、そーっと顔をのぞかせているのはコバイモである。細いしなやかな茎頂に鈴を釣り下げたように白い花を咲かせている。セツブンソウの様に大群落は作らないが、時折小さな群落を作り山路の春に趣を添えている。
 
コバイモ
 
 石灰岩地帯などでこの花に会うと、自然界の創造の巧妙さに感嘆する。ユリ科の多年草であるが、花が終わると何時の間にか地上部は黄変し、見当たらなくなってしまう。
 石づきのセキショウの細長い葉に、ウラギンシジミが羽を休めていた。シジミチョウの仲間では大型で、翅をとじた裏側は銀色に木洩れ陽を美しくはじき返していた。クズの葉を食草とするので庭では滅多に見受けない。いつからか・・・、数日同じ処に止まり、ミイラの様に動かない。雨上がりの或る日、其処をのぞくと、何時の日にか飛び去って姿を消していた。
 
ウラギンシジミ
 
 寒夕焼けがした。ふと澄んだ夜空をのぞく。早春でも黄砂が飛び、街の灯が夜空を消すこの頃、今宵は自然が勝っている。
 南の天頂にオリオンがまたたいており、三つ星をはさんで、狩人オリオンの肩先きに赤く光るベテルギウスが目に写る。対角線上に白く輝くリゲルも直ぐ飛び込んでくる。リゲルは、地球から七〇〇光年、気の遠くなるような位置にあり、太陽の七〇倍の直径がある巨星であるという。赤い光を放つ星は老年期を迎えた星、白い光芒を放つ星は壮年期の星と聞く。赤く光るベテルギウスを平家星、白く光る星を源氏星と呼ぶ地方もあるという。
 かつて、戦地での位置確認のため、北極星を目当てにしたことがあった。晴れた夜空にはカシオペアか北斗七星のいずれかがまたたいていた。双方の基準になる星間の五倍の位置に、北極星は弱い光を放っていた。あの頃からもう半世紀を過ぎた。
 早春の夜空は星が美しい。偉大な自然界の営み、その深遠さ、整然とした秩序、寒冷な夜気をも複雑な社会事象をも、しばしの間忘却させられていた。
 昨年から今春にかけて、園庭に訪れる小鳥の数と種類が増えて来た。隣接する児童公園のネズミモチは、毎年、黒い実をたわわに実らせる。今年も年明け早々に、ツグミとヒヨドリが数十羽飛来して瞬く間に食べ尽した。
 花壇の除草をしていると、おどけもののジョウビタキがどこからともなく飛来して、忙しくおじきを繰り返しながら虫などを狙っている。シジュウカラも桜の梢に訪れて、しばらくすると去って行く。
 メジロは暗緑色から黄緑で眼の周囲に白色の輪があり、小型ながら美しい。カリンの小枝に輪切りの蜜柑を挿してやると、何時の間にか数羽が飛来して、子ども達にもなれ、せっせと啄む。多い日には十数羽にもなり、子ども達も馴染みになっている。ヒヨドリが目ざとくこれを見つけると、メジロを追い払い、蜜柑の袋まで直ぐ食べてしまう。
 園の前に三面コンクリートの小川がある。ドジョウやザリガニはいち早く姿を消したがハヤやフナは淵から上って来る。早春には水が枯れてところどころ底が見えている。夕方、カラス大の鳥が音もなく飛んで来て降り立った。よく見るとゴイサギである。夜通し餌を探し、夜明には寝ぐらに帰る夜行性の鳥である。行事多端、益々複雑多岐化する社会の中で、眼前の事象や物質的具象に兎角心を奪れやすい昨今である。時折り、視点や着目を変化させ、自然のもつ偉大な営みや時間を超えた心の視点に気づく必要もあるのではと思われる。
 雪や霜を被りつつ咲く野の草達、季節と共に訪れる小鳥の群れ等々、心を翻せば町の片隅にも、未だ豊かな自然が息づいている。
 
春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる)胸の思いを
いかにせよとのこの頃か
いかにせよとのこの頃か
 
 園庭に早春賦が流れている。早春の息吹の中に春を探す心、歳を重ねる毎に深まって来る。
(のぞみ保育園園長)
 
フキノトウ







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