――素敵な話の道しるべ(77)――
ことばのしつけ(3) 絵本を楽しむ
東京学芸大学 名誉教授
宮腰賢
(みやこし・まさる)東京生まれ。中学校・高等学校教諭を経て、一九七二年、東京学芸大学に戻る。二〇〇一年、定年退官。国語学者。著書に『まゐる・まゐらす考』『子どもの語彙を豊かにする指導』などがある。
「見える」ということ
入学後間もない小学校一年生の教室です。生活科の時間に春の草花について学んでいます。子どもたちの机の上には教科書が開かれ、教室の大型テレビ受像機には春の草花が大写しになっています。パンジー・チューリップ・スイセン、スミレ・タンポポ・オオイヌノフグリなどが次々に映し出されます。画面が変わるたびに、子どもたちは元気よく、草花の名を叫びます。オオイヌノフグリの名は知りません。先生が「これはオオイヌノフグリです」と言って、黒板に「おおいぬのふぐり」と書きます。子どもたちの何人かに読ませ、クラスの全員で文字を一字一字追いながら、「オオイヌノフグリ」と言います。
教室での学習のあと、校庭に出ます。花壇や学級園での観察です。子どもたちは、すぐにパンジーやチューリップに気づきます。スミレやオオイヌノフグリを見つける子もいます。ところが、タンポポは見つけられません。「今日は、タンポポは咲いていません。でも、つぼみのついたタンポポがたくさんあります。探してみましょう」。こんな担任の先生の声かけで一心に目をこらしますが、どうしても見つけることができません。
どうして見つけることができないのでしょうか。
子どもたちは、教科書や大型テレビ受像機でタンポポの写真を見ています。道端や公園でタンポポの実物を見ている子もいます。これはスミレ、あれはタンポポと明確に区別することもできます。にもかかわらず、タンポポが見つけられないのです。この時期の子どもたちは、花に注目しているだけで、葉や茎などには関心が向いていないのです。タンポポの全体が見えているわけではありません。だから、花の咲いていないタンポポが見つけられないのです。
特徴のよく出る花に目がいきがちなのは、子どもたちだけではありません。大人であっても、花時の桜や梅、椿は分かるのに、葉だけになった樹木だと区別のつかない向きがあります。関心が向かなければ、意外に見えていないのです。
初めての絵本
個人差が大きいのですが、満一歳の誕生日を過ぎるころから、絵本に関心をもつようになる子どもが出て来ます。
まずは、動物とか乗り物とかが大きく描かれた絵本です。お母さんなど周囲の大人は、子どもが絵本を持ってくると、時間の許す限り、相手をします。「きょうはこの本ね。動物の赤ちゃんね」などと、表紙を確かめ、ことばかけをします。「これは、お馬さん。これはお猿さん」などと、表紙に描かれている動物を一つ一つ指さしながら、話します。ときには、「これは?」と問いかけて、「うさぎさん」などと答えさせることもあります。こんなときには、その答えを受けて、必ず「そう、うさぎさん」と、復唱します。
大切なのは、一度見た本で分かりきっているものであっても、毎回毎回、同じように表紙からゆっくりと見てお話をすることです。情報を得て何かに役立てようとする大人の読書とは異なり、本というものに親しみ、本のある生活が食事などと同じような生活の一部であるということを身につける機会になるものだからです。
表紙を見ながらの話が済んでから、本文の第一ページに進みます。第一ページ(実際には表紙を一ページと教えて二ページ)と第二ページ(同じく三ページ)とで見開きの一場面になっているのがふつうです。ここからはたくさんのお話ができます。「お猿さんの赤ちゃんね」と言うと、子どもは「お猿さんの赤ちゃん」とおうむ返しに口ずさみます。
「これがお母さん」「お母さん」。「お母さんが赤ちゃんをだっこしてる」「だっこしてる」。「赤ちゃんはどうしているのかな」「赤ちゃんはお母さんをだっこしている」「赤ちゃんがお母さんをだっこしているの?」「だっこしている」「そうかな、赤ちゃんはね、お母さんをだっこしてるのでなくて、お母さんにしがみついているの」「しがみついてる?」「そう。お母さんから離れないように、しっかりとつかまっているの」「赤ちゃんは・・・」「赤ちゃんはお母さんにしがみついているの」「赤ちゃんはお母さんにしがみついている」「そう。赤ちゃんはお母さんにしがみついているの」
上のような会話が何度も何度も繰り返されることによって、子どもたちは、〜ガ〜ヲ「抱く」という動詞が対等の関係でなければ相互には用いられないこと、〜ガ〜ニ「しがみつく」という動詞が「(大きな頼りになるものに)しっかりとつかまる」という意味にあたるということなど、日本語の文法を徐々に身につけてゆきます。
最後のページまで見終えたら、裏表紙も見ます。本文に出てきた動物の赤ちゃんの絵などの描かれていることが多い。「これはうさぎさんかな」「うさぎさん」。「うさぎさんは耳が大きいね」「耳が大きい」。こんな会話を交わしながら、「これでおしまい」と言います。こどもはこのことばを受けて、「バイバイ」などと言いながら、本をいつもの場所に戻します。片付けの習慣づけができていなければ、「さ、ご本にバイバイしましょう」などと言って、やってみせるとよいでしょう。
絵本の読み聞かせ
三歳児になると、すじのある絵本に親しめる子も出て来ます。このころからは読み聞かせができます。就寝前の読み聞かせを習慣づけるとよいでしょう。
初めての本の場合は、かえって寝付かれなくなりますから、就寝前の読み聞かせとは別の時間をとらなければなりません。じっくりと時間をかけて、子どもと肩を並べてすわって、子どもに画面を見せながら、表紙から順に読んでゆきます。題名はもちろんのこと、文章を書いた人、絵を描いた人、作者名も必ず読むようにします。
いよいよ本文の最初の見聞きです。読み始める前に、画面を見渡します。いつの、どんな場所なのか。登場するのは何なのか。子どもと確かめます。本文を読む前ですから、必ずしも正しくはとらえられないかもしれません。それでもよいのです。画面を見渡すことが必要なのです。ひとわたり画面を見渡したら、「いい? 読みますよ」と言って、ゆっくり読み始めます。その場面に書かれている文章を読み終えるまで、子どもはもっぱら聴くことに専念します。いつもいつもそうしなければならないのではありませんが、読み終えてから、いつ、どんな場所で、だれがどうしたのかを話し合って、確かめることがあってもよいでしょう。
ついで、次の場面に進みます。ここでもひとわたり画面を見渡してから、「いい? 読みますよ」と言って、読み進めます。
留意したいのは、絵だけで、文字のない画面の扱いです。読み聞かせだからと、その画面を飛ばして読んでしまっていることがよくあります。これはいけません。
絵本の読み聞かせは、文字を音声にするだけのことではありません。絵だけの場面は文字での説明以上にたくさんのことを語りかけていることが多いのです。いつのどんな場面なのか。だれがどうしているのか。子どもと一緒にじっくりと読み取らなければなりません。説明をつけるとしたら、どんな、文章になるのか、子どものことばを聴きながら、考えてみてもよいでしょう。
こうして、最後の画面まで読み終えたら、裏表紙も見ます。裏表紙には本文にあった場面が描かれている場合だけでなく、本文にはなかった主人公のその後が描かれている場合もあります。裏表紙は、今、見て来た絵本の世界を振り返ったり、その後を想像したりすることができるところなのです。
こんなふうにじっくりと読んだ絵本が就寝前の読み聞かせには最適です。就寝の時間になると、子どもたちはその日のお気に入りの本を読んでくれるようにせがむでしょう。文章がすらすらと浮かんでくるようなよく知っている内容の本だからこそ、その読み聞かせを聴きながら、安心して眠ることができるのです。しあわせな豊かな時間です。
〈最終回〉
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