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地域協働によるカリキュラム開発
筑波大学教育学系 田中統治教授
発表要旨
 
 地域で活動するという学生に対して、ぜひ後ろから背中を押したいという気持ちで本日参りました。今日この後の分科会での話合いに何か役立てばと思いまして、いくつかコメントをさせていただきます。
 (現在の状況として)なかなか、学校で総合学習を進めることが難しい。特に、高等学校が一番難しいという状況があります。小学校では、生活科という低学年で社会科と理科を融合した科目を実験した実績があるので取り組みやすいのですが、中学・高校となると難しいという話を聞きます。そして中には、「大変だから総合はもうやめたい」という空気がある事も聞いております。「そのうちなくなるのではないか」と期待している方もあるようです。これではいけないと私は危機感をもっています。せっかく教科の枠を超える新しい活動として始まったものです。これをきっかけに、学校と地域それから学生がそこに加わる事は、日本の学校にとって活力のある挑戦です。
 
●地域と学校を取り巻く環境の把握と地域協働
 これまで地域との連携という言葉は使われてきました。一方「協働=コラボレーション」という言葉は、その意味がよく理解されずに使われているところがあります。地域の方にはお馴染みでない表現かもしれません。まず、協働がこれまでの連携とどこが違うかという点を考えたい。コラボレーションという場合、学校と地域がパートナーとしての役割を果たす事、これが特徴になっております。そのためには、まず立場がお互い違うという事を認め合わないと始まりません。「共通理解・意思統一」といった表現が教育界ではよく使われるのですが、難しい言葉を使うよりも、まずお互いの立場の違いを認めるところから始めたい。コラボレーションというコンセプトはまさしく立場の違いを超えて協力しあう活動です。この点で「地域人材の活用」といった一方向でなく、双方向の視点を特徴にしています。そのポイントはつぎの3つです。
 
1. 目標を共有する
 目標は「子ども達に豊かな学びを」という共通の基盤に立つ事です。これを共通目標にすえて、お互いそこを中心に活動をはじめて、何か課題を解決する事を目指します。
2. リソース(資源)の活用
 これまでリソースというと物的な条件整備が中心でした。それ以上に、サービス・情報・時間といった目に見えないものを資源と捉えて、それを融通しあって相互に活用する関係をつくる事です。
3. 対話を行なう
 お互いの立場は違います。その違いを理解するには、どこが違うかという点を対話しないと実感できません。ベストセラーの『バカの壁』は「ひとは理解し合えないことをわきまえよ」と強調しています。
 
 しかし、それを承知のうえで「話さないと分からない」ことは多いはずです。全面的な理解は難しいが、分かり合える部分は広げたい。
 「協働」という考えでは、以上のところがポイントになるという事をぜひ知っていただきたく、理屈っぽい解説をしました。行政で言われる「連携」とはその意味合いがずいぶん違います。
 
 先程、総合学習が危機にあると言いましたが、私が最も総合学習に期待する理由は、これまでの教科学習のままでよいのかどうかという疑問が大きく関わっています。つぎにそのことをコメントします。
 私達はこれまで教科学習こそが本来の勉強だと信じてきました。しかし、その教科学習にさまざまな問題点がある事に気付かれたかと思います。私自身、総合学習のようなものを経験した事がありません。しかし中学生の時に自分で調べに行って、大人にインタビューし、その内容をクラスの壁新聞の形でまとめて発表するという活動をしました。これは社会科の宿題でやりましたけれども、今私が研究者になったきっかけがここにあります。この時、全く見ず知らずの大人がまともに対応してくれた事が、子どもの自分にとってうれしく、そして自分が知りたいことを直接本物の方に触れて聞けた事が新鮮な経験でした。
 今の教科学習に何が足りないかと言いますと、(教科学習は)擬似的で、閉鎖的な特殊な学習だということです。それを克服するために求められる学習は、本物にリアルなことに触れることです。その実体験を意味づける事ができる活動、これが教科学習に風穴をあけるだろうと思います。試験のための学習では、学ぶ意味が見失われます。教科学習と総合学習がうまくリンクすれば、お互いの良い所を伸ばせるはずです。ところが今の学校の現状ではそれがなかなか難しい。なぜ学校の中だけでは困難なのでしょうか?
 その原因はいろいろと考えられますが、一つに保護者からの教科書をきちんと教えて欲しいという要求があります。教科書を教える事が教科学習だと固く信じられてきました。この信念に対して、どうすれば実社会との間で風穴を空けられるでしょうか。そのための活動として、実体験、つまり本物に触れる活動の意義があります。
 
 
 私はカリキュラムの研究をしております。なぜ教育課程と呼ばずにカリキュラムと言うかと申しますと、カリキュラムは、人と人との関係、関わり合いを分析するための概念だからです。従来のカリキュラム研究は、「紙」キュラム研究でした。ペーパーの上にあるものがカリキュラムだと捉えられてきました。しかし、それだけでは、学習経験の質を捉えるために十分ではありません。人と人の関わり合い、つまり関係性としてカリキュラムを捉えると、これまで見えていなかった人間に固有な「学びの世界」が見えてきます。
 例をあげましょう。兵庫県でトライ・ヤル・ウィークという活動を中学2年生で行っています。これは神戸市須磨区の事件の後、「地域で中学生を育てるための活動」が必要だという声がきっかけとなった試みです。夏休み前の一週間、地域で中2生が一番体験したい事を思う存分、授業なしで体験する活動です。私も兵庫県で調査してきました。そして、これがカリキュラムを通して人の関わり合いを生む試みだなと感じ入りました。先生方も地域との交流でずいぶん変わっています。最初は授業をつぶすことに反対の先生が多かったそうです。けれども、生徒たちはこの1週間を経験した後、「目つきが変わった」、「自信を持って帰ってきたようだ」とどの先生も熱く語られます。その理由は、この1週間がただ単なる体験活動だったのではなく、地域の大人とじかに関わり合うことによって、中学生がその仕事や活動のもっている意味を深く実感して帰ってくるからだと考えます。人が教えを請い学ぶときの関係は本来こうだった。学ぶ関係が学校のカリキュラムだけに封じ込まれている現状に問題がありそうです。
 学ぶ意味が日本の子どもたちの間で見失われています。「何でこんな内容を勉強するの?」と疑問に感じている。そこには「逃げ」の部分もあるかもしれない。しかし、大人たちがこの問いに正面から向き合わないといけない時代に入っています。テストの結果について「高得点・低教養」とよく言われる。生きるうえでの知力、世間的な意味での知恵や教養、それを根底から支える、学ぶ意欲が低くなっている状況が、日本の子どもたちの多くが示す特徴です。
 学ぶ意味を復活させるためには、人との関わりを学校の外に開いて、そのネットワークの中で意味づける事が必要です。ただ実体験をすればよいというわけではなく、大切なことは、他者との間で体験した意味の内容をどれだけ「深く厚く」確かめ合えるか。これが人と学びの関係だと思います。総合的な学習のカリキュラムをつくるとき、そこに人との出会いや関わりをどう組み込むか、この課題について各分科会で話し合っていただきたいです。
 最後に、スクールボランティアへの期待を申し上げます。学生として成長する事を一番大きな目標にしていること、これはすばらしい事です。私はこういう活動をアメリカの大学のように単位にしたいと思います。学生がボランティアを行う事が単位になって、しかも学校と地域にとってはそれがサービスになる。それぞれの地域で、「渡りに舟」という状況を生み出していきたい。協働の本質はこのような状況を生み出すことにあるのです。
 
フォーラムのご感想
 
 大学生の企画力・実行力を見せてくれた素晴らしいフォーラムでした。参加された皆さん、会場を貸していただいた吾妻中学校の先生方に感謝します。私にとって新しい出会いの場ができました。地域で学校のことを本気で考えている方がこんなにおられることに感動しました。分科会では学生への期待を込めた厳しい注文も出されましたが、それを糧にしてさらに前進してほしいです。私も微力ながら応援します。
 
 
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