日本財団 図書館


40 山尾 美樹 「私のお父さんとお母さん」
吉原小学校6年
 私のお父さんとお母さんは、漁連で働いています。
 お父さんは、午前二時から三時の間に起きて、京都の市場で魚を買って、また舞鶴にもどってきて、また夕方まで仕事をしています。
 お母さんは、午前九時から、妹を保育園につれて行ってから、お父さんやおばあちゃんと一緒に、漁連で仕事をしています。漁連の仕事は午前中で、午後からは事務所で仕事をしています。お父さんや、お母さんは、そういう仕事をしているので、夕方や夜に、注文の電話やファックスがきます。なので、お父さんや、お母さんは、一日中仕事をしているかんじです。
 お父さんは、朝は京都に行っているので、朝ご飯は一緒に食べることができません。お父さんの京都の休みは、日曜日と月に一度か二度の水曜日の休みだけです。仕事全部が休みの日は、正月とかしかありません。でも、お父さんとお母さんが仕事が休みのときは、遊びに連れていってくれます。仕事で疲れているのに、遊びに連れていってくれます。
 私は、そんなつらい仕事を毎日して、いやにならないのかなあと思います。
 そして、お父さんは、五月くらいから干物をはじめました。ラ・ポールには、お父さんやお母さんやおばあちゃんや、私の家の会社鶴水(かくすい)の写真もでていて、お父さんの弟が、魚を運んでいます。
 私のお父さんとお母さんは、毎日がんばって仕事をしてくれています。一日一日「仕事ごくろうさま」といいたいです。
 私のお父さんとお母さんは、みんなに自まんできる家族です。
 これからも、お父さん、お母さん、仕事をがんばって下さい。
 
41 山下 祐理 「漁業について」
吉原小学校6年
 私のおばあちゃんは、漁連で働いています。もうすぐ停年だけど、がんばって働いています。前はおじいちゃんが仕事場の社長だったけど、死んじゃったから、今はおばあちゃんが後をついでいます。
 おばあちゃんは家の近くの工場でも仕事をしています。その魚をほとんど毎日私の家にもってきてくれます。すっごくおいしいです。
 休みは士曜日だけで、仕事をがんばっているのでこしがいたかったり、手がまわらなかったりするそうです。
 おばあちゃんは、
 「おばあちゃあんが仕事しとんはあんたらのためなんやで。あんたらがなんかするときのために働いて貯金しとんや。」
 と言っていました。
 おばあちゃんの仕事場を見にいくと、いつもいそがしそうです。魚の重さをはかって箱の中に入れて運んだりしています。おばあちゃんと他の人達とで協力してやっているのが分かります。いそがしそうなので私も手伝ったことが3・4回あります。力がいるし、つかれます。漁連で仕事をする人はみんなつかれるんだと思いました。これを毎日やってるので、すごいと思いました。
 今の海は、きたなくてゴミがいっぱいあるから魚がいなくなってしまったけど、私も魚が好きだし、海をよごさないようにして、漁師さんにはいっぱい魚をとってもらいたいです。
 そして、これからも漁業を発達さしていってほしいし、私達も、海をきれいにしていけるようにがんばりたいです。
 今、漁師さんの数が少なくなっているそうだから、私達も海づくり少年団なので、漁師さんや漁業している人たちにも協力していい海づくりをしていきたいです。
 
42 和田 朋慧 「お父さんのいそがしい一日」
吉原小学校6年
 お父さんは、魚を運んだりしています。夜の十一時か十二時か一時に起きて、仕事に行っています。お父さんは一人じゃありません。おじいちゃんもいっしょです。
 トラックで、豊岡まで行っています。運転は交代ごうたいでします。後の席は、ねどこになっていて、運転してない人が、交代でねています。
 お父さんは、お昼はつかれていて、おふろに入って、すぐねます。だから、それを見たら、どんなにいそがしかったかが、すぐにわかります。
 日曜日は、お兄ちゃんもアルバイトをして手伝っています。帰ってくると、みんなすごく魚くさいです。お兄ちゃんも、すぐおふろに入っています。
 いつも思うけど、お父さんたちが、どんな仕事をしているか、見てみたいです。わたしは、止まっているトラックしか乗ったことがありません。ねるところは、とてもねやすいことは知っています。
 トラックの後ろの中は、寒くて、ずっとはいられません。お父さんは、絶対に入るなよと言っています。いつとびらを閉められて、とじこめられるかわからないからです。
 お父さんは、フグなどでも、食べられるところを知っています。免許をもっているからです。わたしは、フグの名前ぐらいならわかります。ハマフグ、金フグ、銀フグ、トラフグ、ハリセンボンなどです。そのほか、サメなど、いろんな魚がわかります。お父さんが魚の仕事をしているおかげです。
 お父さんは、土曜日しか休みがありません。いつもつかれているので、全然遊んでくれません。今までも、遊んでくれたことは、あまりありませんでした。でも、それでいいです。わたしは、がまんします。
 
43 山下 正人 「地引き網体験」
吉原小学校6年
 七月の十日に、神崎の浜に地引き網をしに行きました。
 浜に着くとすぐにおじさん達が網の準備をしてくれて引き始めました。
 網は三百メートルでロープも三百メートルありました。
 みんなで、網を引っぱっているのに、波のえいきょうもあって、なかなか引きつけられませんでした。網を引いていて、網の中から魚がとんでたくさんにげました。その時はみんなざんねんそうにしていました。
 網は、40分間もかかって引いて網がだんだん近づいてくるとみんな引くのも忘れて、魚を見ようと集まってきました。ぼくもどんな魚がとれたのか、わくわくしていました。
 網の中には、ハマチ、タイ、スズキ、キス、ホウボウ、などが入っていました。みんな、魚を見て「ウオー、すごい魚やなあ。」
 などと言っていました。
 ぼくは、ハマチやタイ、スズキなどの大きな魚もとれるんだなと思ってびっくりしたし、うれしかったです。
 この地引き網は、手がいたくなったし、とても体力をつかいました。毎日、地引き網をしているおじさんたちは、力もあるし体力もあってすごいなあと思いました。
 この神埼での地引き網は、吉原でもできないとてもいい体験でした。
 ぼくは、これからもこんな体験をもっと、していきたいです。
 海でこれからもたくさんの魚がとれるように、海をよごさず、大切にしていきたいです。
 そして漁師の町、吉原がこれからも漁師さんがたくさんいて、活気づいて、いつまでも漁師の町であってほしいです。
 
44 臼井 稔喜 「全校みんなで地引きあみ」
神崎小学校5年
 十時すぎぐらいに、やっと地引きあみに出発しました。
 地引きあみをする所は、西に西にずっと行って、由良川の手前の場所です。
 あみを海に出して、いざ、引きます。
 「よいしょ、よいしょ、よいしょ、よいしょ」というかけ声をみんなで言います。どんどんあみが近づいてきます。
 今回は、前の里おこしみたいに海草が入っていないので、とても軽いです。
 あともう少しの所で、内側によってきます。
 そして、また、「よいしょ、よいしょ、よいしょ」とかけ声を言います。
 けっこう見えてきた所で、うしろの方へいって、魚をあみからとります。ハマチ、タイ、フグなど。フグは小さかったけど、ハマチやタイは、とても大きかったです。
 漁業協同組合の人たちに手伝ってもらっていいけいけんができました。
 地引きあみを終えて、学校へもどってきたら、とれた魚を、塩焼きにして食べました。
 つけたしに、焼きイカや、まんがんじとうがらしも焼いてありました。
 とくに一番おいしかったのは、塩焼きでした。
 みんなおいしいと食べていました。
 おなかいっぱいになった所で、ドッチボールをしました。
 またみんなでやるのもひさしぶりでした。
 またこういう楽しい体験をしたいです。
 
45 桝本 航平 「体験、地びき網」
神崎小学校6年
 今日八月七日に、地びき網の体験をしました。ぼくは、神崎の里おこしでも地びき網を体験しているけど、やっぱり地びき網をしている漁師の人はすごく大変だなと思いました。
 そして赤組、青組にわかれて地びき網をしはじめました。ぼくは、網を引いているときは網がすごく重くて大変でした。でもこんな重い網を引いている漁師の人たちはすごく大変だと思いました。そして五十分ぐらい網をがんばって引いていたらやっと地びき網が終わりました。そして網の中を見てみたらタイやキス、フグの大きいのがたくさん入っていました。ぼくはあんな大きなタイが見れてすごくうれしかったです。
 ぼくたちは、神崎の海で友達と一しょに泳いだりして楽しく遊んでいます。でも時々クラゲにさされていたい思いをしたこともあります。けれどぼくたちは神崎の海がすごく大好きです。だから中学生になっても大人になっても神崎の海を守っていきたいです。
 ぼくは、これから神崎の海を守るためには次のことをしたらいいと思います。
 一つ目は、学校の行事の浜そうじを積極的にがんばったらいいと思います。二つ目は海で泳いでいてカンやビンなどのゴミを見つけたら拾ったらいいと思います。三つ目は、花火をしたり浜で物を食べたり飲んだりしたら自分で持って帰ったらいいと思います。このようなことを守って神崎の海を大切にしたいです。
 
46 吉田 望 「地引き網」
神崎小学校6年
 神崎漁業協同組合の人々のおかげで、思い出がまた一つ増えました。その思い出とは、地引き網です。みんなで一生けん命、よいしょ、よいしょと言いながらひっぱりました。
 私は、網を引っぱりながら
 「いろいろな魚がとれるといいなぁ」
 と思いました。
 次々と、網を引っぱっていくとだんだん重くなっていきました。いっぱいいることを願い一生けん命引っぱっていきました。やっと網が出てきました。最初に見た魚は、キスでした。最初の魚を見た時に、神崎の海にこんな魚がいっぱいいるんだと思いました。そしたら、もっと早く魚を見たいと思い一生けん命引きました。最初に、引っぱっていた時の気持ちとは全然ちがい後になる方がやる気が出てきました。
 網が出てきてかけつけてみると、いっぱいいました。とても大きかったです。網に入っていた魚はとても、いきいきしていました。
 私は、この地引き網で魚があんなにいきいきしているところが見れて良かったです。魚は持てなかったけれど人が持っていて、とても重たそうでした。
 この、魚は、食べてしまうけれど、ちゃんと、魚の姿を覚えておきたいです。
 神崎漁業組合の人々に、またありがとうと言っておきます。
 
47 岩 将郎 「地引き網」
神崎小学校6年
 今日、地引き網がありました。地引き網は里おこしの時にして今年は二回目だったのでどんなのかは知っていたけど一回目の時よりはとても軽かったです。
 今日は、網はとてもねれていてきもちわるかったです。
 ぼくは、「あーあまりやる気がしないな。」と思いました。ぼくは時々「よいしょよいしょ」と言っていたけどあまり力が入りませんでした。でも魚がとれてタイやブリや他いろいろな魚がとれたときはけっこううれしかったです。
 ぼくたちの住んでいる神崎の海にも大きな魚いるんだなーと思ってすごいなあと思いました。
 ぼくたちがおよいでいる時も3センチぐらいの魚がいるのでやっぱりいっぱい魚がいるんだなと思いました。
 そして今日は、海がとてもきれいですきとおっていました。
 ぼくは、海は意外にきれいでどんな人でも入りたいと思うくらいでした。
 ぼくは、こんなにきれいな浜をゴミでよごしてしまうのはもったいないと思いました。
 そしてぼくはもうぜったいにゴミは、捨てたくないなと思いました。
 
48 塩田 将利 「地引き網」
神崎小学校6年
 登校日に地引き網を行いました。
 右と左で分かれて網を引きました。最初は、めんどくさいと思っていました。
 「よいしょ、よいしょ。」
 と、言っているうちに楽しくなりました。
 最初は青よりリードしていたが、最後は、青に差をひらけられてしまいました。最初はちょうしがよかったけれど後からくたくたになってしまいました。網がきたらほっとしました。ほっとしていたら、
 「ちゃんとひきなさい。」
 と、言われました。
 おこられたのでがんばってひいていました。魚がでてくると、みんなが
 「おった。大きい。」
 と、言っていました。
 ぼくたちは、ふつうに遊んでいるときに見る魚より大きい魚がいました。そして魚が次々にでてきました。
 それから学校にもどりました。そして、やいたいかや魚を食べました。ぼくは、いかがとくにおいしかったです。
 ぼくたちは家では、買ってくる魚をたべていますが、自分たちでとったしんせんな魚はおいしかったです。
 
49 森口 友莉 「地引き網」
神崎小学校6年
 「よいしょっよいしょっ」
 というかけ声で、網を一生けんめい引きました。今日は、神崎漁業協同組合の方といっしょに地引網をしました。
 どれくらい魚はとれるかな、たくさんとれるかなと思いながら引いていました。
 漁業協同組合の方が、
 「引きもってこっちへこい。」
 といわれました。動きながら引くのは、難しかったです。網は、里おこしの時より軽かったけれど、砂がついたりして重かったです。
 そして、とうとう網が上がりました。大きい魚は、十ぴきくらいとれました。その時、がんばってよかったなぁと思いました。
 その魚を学校でお母さんたちが焼いてくれました。食べたとき、自分たちでがんばってとった魚はおいしいなぁと思いました。暑い中、みんなで協力してとってよかったと思いました。これらのことが、できたのは、神崎漁業協同組合の方々、お父さんやお母さんたちのおかげです。ありがとうございました。また、一ついい思い出ができました。







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