第3章 わが国の沿岸管理と今後の方向
第1節 わが国の沿岸域の現状
1 沿岸域の概念
「沿岸域」という言葉が用いられ始めたのは, 「第3次全国総合開発計画」(1977年11月)が, 海岸線をはさむ区域における保全と開発を円滑に進める観点から, 海岸線をはさんでこれに接する陸域と海域を一体のものとしてとらえ, それを「沿岸域」という概念として規定したころからである。その後さまざまな主体が「沿岸域」という概念を用いてさまざまな提言等を行っており, それぞれの場合において, 「沿岸域」概念は, 厳格に統一された意味で用いられているわけではない。それぞれの主体によって, 海と陸を一体としてとらえる必要や幅に違いがあるのはむしろ当然だからである。
本稿では, 沿岸域を「海岸線をはさむ陸域及び海域のうち, 人の社会・経済・生活活動が継続して行われる, または自然の系として, 地形, 水, 土砂等に関し相互に影響を及ぼす範囲を適切にとらえ, 一体として管理する必要がある区域」(注1)として定義しよう。
2 沿岸域において生じたさまざまな問題と現状
わが国の沿岸域の抱える問題は多様である。わが国の地形的特徴から, 古来, 日本人は沿岸域に多く居住し(注2), これらの人々の生活を支えるさまざまな活動が沿岸域において営まれてきたからである。その主要な問題を概観する。
1960年代から70年代にかけての高度成長期に, わが国では石油等の天然資源の乏しさを逆に国際競争上の利点とすべく, 海外からの原油の輸入とそれを用いた重化学工業製品の輸出への便宜のために, 臨海部の海岸線を埋め立ててそこに集約的な工業立地を行う, 臨海コンビナートの造成政策が採られた。その後の経済構造の変化により, このような臨海工業地帯の空洞化が指摘される状況になってはいるが, 現在でも, 沿岸に位置する市町村の工業製品出荷額は全国の約5割を占め, 商業年間販売額は全国の約6割を占めている(注3)。わが国の経済活動の過半は沿岸域で展開されているのである。
このような経済活動の集積と人口密度の高さは, 必然的に, 沿岸域の環境を悪化させる。大量の埋立による生態系の変化, 水俣病, イタイイタイ病, 日本最初の石油コンビナートを建設した四日市の公害(四日市ぜんそく)等が高度成長初期の沿岸域の公害問題の代表例であった。
1970年の公害国会による対策強化を経た今日でも, 沿岸域における観光や住宅のための開発工事による干潟の減少や生態系および景観の変化, 工場・農業・生活廃水等の陸上活動による海水汚染, 船舶の事故による油の流出, 海岸漂着ごみ, 海岸侵食, 自動車等の砂浜への乗り入れによる生態系への影響等が深刻化しつつある。
わが国の自然条件は, 台風や津波の被害から人々の財産や生命を守る必要を大きくしている。人口密度が高く, 台風による高波, 地震による津波等の災害の可能性が高い沿岸域では, このような防災の必要性が他に増して大きくなる。わが国の高度成長の過程でこのような防災施設の整備は大きく進展した。しかし, 今日でも海岸保全施設の整備率は約5割にとどまり(注4), 施設の老朽化の問題も生じている。
また逆に, このような施設整備が, 今日では砂浜や干潟の減少, 生態系への影響, 海辺への接近の困難さ, 景観の悪化といった, 豊かな社会で求められる沿岸域に期待される社会的な価値との矛盾を引き起こしている。
1997年, 水銀汚染魚の拡散防止のために設置された仕切り網が設置以来23年ぶりに撤去された |
以上見てきたような諸問題は, 人口がとりわけ密集する閉鎖性海域において一層深刻化する。それに対応して, 閉鎖性海域では他には見られない規制の強化, 特別立法がなされている。以下代表的な事例を紹介する。
東京湾, 伊勢湾, 大阪湾を含む瀬戸内海での水質悪化の深刻化に対処するために, 水質汚濁防止法及び瀬戸内海環境保全特別措置法によって, 汚濁負荷量の総量規制が行われている。また, 有明海や八代海においては, 深刻な漁業被害の発生を契機にして, 特別措置法が制定されている。さらに, 東京湾においては都市再生プロジェクトにおける大都市圏の海の再生の先行的なプロジェクトとして, 関係の地方公共団体等が連携する東京湾再生推進会議が設置され, 水質改善のための先進的な取組みが行われている。
図1-3-2 海岸に漂着した大量ゴミ
わが国の沿岸域管理は目的ごとに異なる個別法制による個別の管理の積み重ねによって行われている。沿岸域の管理に関連する実定法制度の全体像は概ね表1-4のようになっている。
表1-4記載の実定法が存在しない場合には, 海が国有であることから, 国の所有権に基づく管理(国有財産法)が行われる。
このような個別管理は, 沿岸域を沿岸域として, 総合的にとらえる視点を欠くものである。それゆえこのような管理の限界を克服しようとするさまざまな動きが見られる。近年の代表的なものを紹介すると以下のようになる。
(1)21世紀の国土のグランドデザイン(1998年3月31日閣議決定)
国土利用計画においては, 沿岸域の利用の長期方向が定められている。第5次全国総合開発計画である「21世紀の国土のグランドデザイン」で, 沿岸域圏を自然の系として適切に捉え, 地方公共団体が主体となり沿岸域圏の総合的な管理計画を策定することとされており, 国は計画策定の指針を明らかにすることとされている。これを受けて, 2000年2月23日, 「沿岸域圏総合管理計画策定のための指針」が策定されている。これによれば, 全国48区分の沿岸域圏に関し, 良好な環境の形成, 安全の確保, 多面的な利用に関する10年を目安とする期間の基本方針を定めるマスタープランとしての沿岸域圏総合管理計画が, 関係地方公共団体(都道府県及び政令指定都市等)を中心に, 他の行政機関, 企業, 地域住民, NPO等の多様な関係者の代表者を構成員とする沿岸域圏総合管理協議会によって策定され, それを関係地方公共団体の長が認定し, その円滑かつ確実な実施について指示することが想定されている。
沿岸域の中でも利用の密度の高い東京湾, 大阪湾, 伊勢湾に関しては, 首都圏基本計画, 近畿圏基本整備計画, 中部圏基本開発整備計画が沿岸域の総合的な利用と保全の方策を示している。
(2)経団連意見書「21世紀の海洋のグランドデザイン」(2000年6月21日)
経団連は, 海を調査(よく知る), 利用(賢く利用する), 保全(守る)することにより, 海面, 海中, 海底を3次元的にバランス良く活用すべきことを主張し, そのために産官学の一体的取組み, 関係省庁の一体的取組みの下での総合的な開発を必要とし, 沿岸域の活用に「従来の陸からの視点のみではなく, 海からの視点も加え, 沿岸域の総合的な管理により, 開発・利用・保全を三位一体的に推進すべき」とする提言をなしている。
(3)日本沿岸域学会の提言
沿岸域に関係する学際的な学会である日本沿岸域学会は, 2000年暮に2000年アピール委員会の学会理事会に対する答申として「沿岸域の持続的利用と環境保全のための提言」をとりまとめた。その内容は, 「沿岸域総合管理法」を制定して, 地方公共団体からなる沿岸域管理主体が, 自ら策定した沿岸域総合管理計画に基づいて, 沿岸域におけるi)水産, ii)埋立・土地利用, iii)国土保全・安全・防災, iv)港湾・漁港・物流, v)観光・レクリエーション, vi)資源・エネルギー, vii)交通(航路), viii)自然環境・環境保全を総合管理することを主張するものである。
図1-3-3 国土交通省が示した沿岸域圏総合管理計画のイメージ
(出典:「沿岸域の総合的管理に向けて」, 国土交通省)
表1-4 沿岸域の管理に関連する実定法制度の全体像
法目的の大分類 |
個別法律名 |
計画法制による計画的管理 |
国土総合開発法, 首都圏整備法, 北海道開発法, 離島振興法, 小笠原諸島振興開発特別措置法, 国土利用計画法, 都市計画法,
自然公園法 等 |
海に関連する国土保全 ・公物管理実定法 |
国有財産法, 海岸法, 港湾整備緊急措置法, 港湾整備促進法, 特定港湾施設整備特別措置法, 漁港漁場整備法, 河川法 等 |
海に関連する人間活動を 規制する行為規制法 |
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水産関係 |
水産基本法, 漁業法, 海洋生物資源の保存及び管理に関する法律, 沿岸漁業等振興法, 水産資源保護法, 海洋水産資源開発促進法,
漁船法, 日韓大陸棚共同開発協定特別措置法等 |
鉱業関係 |
鉱業法, 鉱山保安法, 石油及び可燃性天然ガス資源開発法, 石油備蓄法, 石油パイプライン事業法, 鉱業等に係る土地利用の調整手続に関する法律,
砕石法, 砂利採取法, 深海底鉱業暫定措置法 等 |
海上交通関係 |
海上運送法, 内航海運業法, 港湾運送事業法, 国際海上物品運送法, 船舶法, 船舶安全法, 船舶職員法, 船員法,
海上交通安全法, 航路標識法, 港則法, 海上衝突予防法, 海難審判法, 水難救護法, 水先法, 水路業務法 等 |
通信関係 |
電波法, 航海に関する条約の実施に伴う海底電線等の損壊行為の処罰に関する法律 等 |
空間利用関係 |
公有水面埋立法, 都市計画法, 都市公園法, 農業振興地域の整備に関する法律, 工場立地法, 石油コンビナート等災害防止法 等 |
エネルギー利用関係 |
石油備蓄法, 電気事業法, 電源開発促進法, 発電用施設周辺地域整備法, 核原料物質及び原子炉の規制に関する法律,
消防法 等 |
廃棄物処理関係 |
廃棄物の処理及び清掃に関する法律, 広域臨海環境整備センター法 等 |
環境保全関係 |
環境基本法, 環境影響評価法, 自然環境保全法, 自然公園法, 海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律, 水質汚濁防止法,
瀬戸内海環境保全特別措置法 等 |
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(4)日本財団「海洋と日本 21世紀におけるわが国の海洋政策に関する提言」(2002年5月)
日本財団は, 日本の海洋に関する行政が依然として多数の省庁の縦割りで行われ, 国連海洋法条約やリオ地球サミットでの新たな国際的な海洋秩序に基づいてこれらを総合的に実施する明確な海洋政策が策定されていないことに危機感を持ち, 海洋政策全体の提言を行った。
その中で, 沿岸域の管理について, 「沿岸域を海陸一体となった独自の自然的・社会的環境を持つ区域として認識し, その生態系の総合的な環境保全のシステムを考慮した, 開発と環境の両立を目指す持続的な総合的沿岸域管理について, 必要な法制度を検討すべきである。また, 沿岸域の開発と利用, 保全の当事者, 受益者として, 地域住民の役割を積極的に評価し, 沿岸域管理政策の立案, 実施, 評価, 再実施のサイクル的プロセスに積極的な市民参加を実現すべきである。」(注5)との提言を行っている。
(5)国土交通省「沿岸域総合管理研究会提言」(2003年3月)
国土交通省の河川局と港湾局が共同で実施した本研究会の提言は, 沿岸域に現に発生している個別問題の解決方策を個別に検討した後に, 「従来のような単一の事業・施策, 単一の施策目的, 単一の事業主体による対応では, 一定の目的は果たすものの, 望ましい沿岸域の形成のためには不十分である」(注6)とする。
その上で, 沿岸域の総合的な管理の基本的方向として, i)施策の実施主体の協働, ii)相互に関連のある問題に対する包括的な施策の実施, iii)個別法の法目的や適用範囲の拡大, iv)制度の空白部分の一体的管理, v)沿岸域の新たな活用のための施策の展開, vi)関係者間での情報共有と国民への情報提供, を挙げる。さらに同提言は, 「将来的には沿岸域を総合的に管理する新たな法制度の整備を目指しつつ」(注7)総合的管理の実現の第一歩としてこれらの基本的方向にしたがって, 個別問題の解決のための施策を実施すべきであると述べ, 沿岸域の総合的管理の新たな法制度の整備に向けての一歩を踏み出していることが注目される。
図1-3-4
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海岸侵食対策として砂浜にならぶ消波ブロック
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全国総合開発計画
国土総合開発法(1950年)による全国総合開発計画は, 1962年に全国総合開発計画として初めて策定され, 1969年の新全国総合開発計画, 1977年の第3次全国総合開発計画につながった。現在は1998年の第5次計画(21世紀の国土のグランドデザイン)が行われている。
注1 国土交通省が設置した沿岸域総合管理研究会提言「未来の子供たちへ美しく安全で生き生きした沿岸域を引き継ぐために」(2003年3月)
注2 現在, 沿岸域に位置する市町村は, 国土面積の約3割を占めるに過ぎないが, そこに総人口の約5割の人が居住しており, 東京湾, 大阪湾, 伊勢湾の沿岸の人口密度は全国平均の約10倍になっている。前掲・注1報告書2頁
注3 前掲・注1報告書2頁
注4 前掲・注1報告書7頁
水質汚濁防止法
1958年の水質保全法, 工場廃水規制法の不十分さを補い, 水質汚濁を規制するために, 前記2法を統合・規制強化して, 1970年のいわゆる公害国会で立法された法律。経済調和条項を廃止し, 公害規制に厳しい態度を打ち出した。
瀬戸内海環境保全特別措置法
1973年, 瀬戸内海の環境保全を総合的な見地で行うために立法された法律。各地方公共団体の個別的な政策を総合し瀬戸内海の環境を保全するために, 基本計画策定, 特定施設設置規制, 富栄養化防止のために特定指定物質削減指導方針の策定等を定める。
東京湾再生推進会議
2001年5月8日閣議決定により, 内閣総理大臣を本部長とする都市再生本部が設置された。同本部は, 水質汚濁が慢性化している大都市圏の「海」の再生を図り, 先行的に東京湾奥部について地方公共団体を含む関係者が連携して, その水質を改善するための行動計画を策定し, 「海の再生」を図ることとした。それを受けて, 国や東京湾岸の関係地方公共団体により組織された。
沿岸域圏総合管理計画策定のための指針
1998年3月31日閣議決定された全国総合開発計画「21世紀の国土のグランドデザイン」が, 沿岸域圏を自然の系として適切にとらえ, 地方公共団体が主体となり, 沿岸域圏の総合的な管理計画を策定するものとし, 国は, 計画策定のための指針を明らかにする, としたのを受けたもの。「21世紀の国土のグランドデザイン」推進連絡会議が, 沿岸域圏分科会(関係17省庁(当時)で構成)の検討を受けて決定。
注5 日本財団『海洋と日本 21世紀におけるわが国の海洋政策に関する提言』2002年10〜11頁
注6 前掲・注1報告書8頁
注7 前掲・注1報告書10頁
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