第5節 科学技術・学術審議会答申とその評価
2002年(平成14年)8月1日, 科学技術・学術審議会は, 遠山文部科学大臣宛に「長期的展望に立つ海洋開発の基本的構想及び推進方策について」答申した。これは, 2001年4月に諮問を受けてから同審議会海洋開発分科会で審議してきた結果を取りまとめたものであり, 「21世紀初頭における日本の海洋政策」というタイトルがついている。わが国の海洋政策については, 海洋開発分科会の前身である海洋開発審議会が4つの答申(表1-3)を行っているが, 海洋政策全般にかかる答申としては, 1990年の3号答申以来であり, 実に12年ぶりのわが国の海洋政策の見直しである。(同答申の概要については第3部3. 参照)
表1-3 海洋開発審議会の答申
|
答申内容 |
諮問 |
答申 |
1号答申 |
わが国海洋開発推進の基本的構想および基本的方策について |
昭和46年8月25日 |
昭和48年10月17日 |
2号答申 |
長期的展望にたつ海洋開発の基本的構想について(第一次答申) |
昭和53年2月27日 |
昭和54年8月15日 |
長期的展望にたつ海洋開発の推進方策について(第二次答申) |
昭和55年1月22日 |
3号答申 |
長期的展望に立つ海洋開発の基本的構想及び推進方策について |
平成元年2月3日 |
平成2年5月9日 |
4号答申 |
我が国の海洋調査研究の推進方策について |
平成5年3月9日 |
平成5年12月8日 |
|
そこで次に, 以上に見てきたような海洋・沿岸域をめぐる大きな潮流の中で, 本答申が, 海洋・沿岸域の統合的管理についてどのように取り上げているかを見てみたい。
答申は, 先ずわが国における海洋政策のあり方として「これまでの海洋の恩恵をいかに享受するかに重点の置かれた政策から『持続可能な海洋利用』実現のための海洋政策への転換を図ることが最重要課題である。」(注4)とし, 今後10年程度を見通したわが国全体としての海洋政策を実施するためのポイントとして次の3点を取り上げている。
○「海洋を知る」「海洋を守る」「海洋を利用する」のバランスの取れた政策へ転換すること
○国際的視野に立ち, 戦略的に海洋政策を実施すること
○総合的な視点に立って, わが国の海洋政策を立案し, 関係府省が提携しながら施策を実施すること
図1-1-17 海洋の研究・保全・利用の関係
これらは, 総論としては近年の海洋の総合管理の大きな潮流に沿った妥当な提言である。特に, 「今後の海洋政策の推進にあたっては, 海洋利用の多面的な要因を踏まえた『総合的管理』の概念が重要である。ここで『総合的な管理』とは, ・・・今後も海洋を持続的に利用するため, 海洋にかかわる様々な問題を総合的視点から検討・調査分析を行い, その結果として, 海洋の保全・修復を行いつつ, 一定の制限を設けながら利用する概念である」, 「国は・・・総合的視点から海洋全体を見渡した総合的な政策を策定し, 複数の行政分野にまたがる政策等の統一性を図り, 『総合的な管理』を実行することが必要である」(注5)とする指摘は的を射たものであり, 評価したい。
しかし, 答申は, これに続いて, 今後の海洋政策を展開するにあたっての基本的考え方及び具体的推進方策を示しているが, これについてはいくつかの問題点がある。ここでは, そのうち特に重要な点を2つ指摘しておきたい。
第1点は, 「総合的な管理」とは何かという点についてである。答申は, わが国における海洋政策のあり方として「総合的な管理」の重要性を強調したにもかかわらず, 海洋政策の基本的考え方と推進方策を述べる段階になると, これらを総合的に検討することなく, いきなり「海洋保全」, 「海洋利用」, 「海洋研究」に分けて各々の基本的考え方を述べ, 具体的な推進方策を記述している。しかし, 「環境と開発に関するリオ宣言」の第4原則が, 「持続可能な開発を達成するため, 環境保護は開発プロセスの不可欠な部分を構成するものとし, それと別なものとみなしてはならない」と述べているように, まず「海洋保全」と「海洋利用」は不可分のものとして一体的に取り扱う必要があり, それを行わずに最初から別々に取り扱っているので, 海洋保全と海洋利用を総合した管理を具体的にどう進めるかが明らかでない。同答申の説明パンフレットは, 海洋研究, 海洋保全, 海洋利用の3者の関係を図1-1-17(左)のように並列的な関係として捉えているが, 3者の関係は図1-1-17(右)に示すような重畳的な関係として捉えるのが「総合的な管理」にふさわしく, そのような理解に基づいて「総合的な管理」の進め方を具体的に掘り下げることが必要である。
第2点は, 総合的な視点に立った海洋政策の企画・立案システムの具体化についてである。答申は, 「国として海洋全体を見渡した政策の策定, あるいは複数の行政分野にまたがる政策等について検討を行い, 『総合的な管理』を実行する必要がある。」また, 「これまでのわが国の海洋政策の企画・立案においては, 総合的な視点から国の総力を挙げて取り組むような政策は提案されにくい状況にあった。今後の政策の企画・立案にあたっては, 関連施策間の融合, 重複の除去に努めるとともに, 社会経済的な視点に配慮して総合的な施策のあり方を示していくことが重要である。」と適切な認識を示している。
図1-1-18
|
日本財団の海洋政策アンケート調査「恒常的な行政機関等の必要性」
|
海洋の管理に関する理念を何らかのかたちで明示するとして, その理念のもとに政策・策定を実行していくための恒常的な行政組織等が必要であると考えますか?
|
しかし, それを実行するための具体的な海洋政策の企画・立案システムについては, 「現行のシステムを総合的な視点に立ったシステムヘ変革するためには, 海洋開発関係省庁連絡会議を, 関係省庁の政策に関する情報連絡・収集に加えて, 実質討議を行う場へ変えることが重要である。」と述べるにとどまっており(注6), 行政府の中に海洋政策を企画立案・統括する新しい組織を設置する等の踏み込んだ対策については, 今後の海洋開発分科会を中心とした議論にゆだねて先送りしている。しかし, 総合的・横断的対応を要する海洋問題について連絡会議で「実質討議を行う」といっても, 第4節3で述べた大陸棚調査のケースが示すように, それには自ずから限界がある。縦割りの行政で対応できない問題に対する政策の企画立案・総括・調整機能をどうするかという点についての具体案が必要である。これでは, 「総合的視点から海洋全体を見渡した総合的な政策を策定し, 複数の行政分野にまたがる政策等の統一性を図り, 『総合的な管理」を実行する」ための具体的な道筋を示したことにならず, 内外の情勢の進展に的確に応えていない。
第3節で述べたアメリカの海洋政策審議会の「アメリカの海洋の未来のための国家政策」の審議の中では, 国家海洋政策の枠組みとして, 大統領府に海洋担当大統領補佐官および海洋政策室の設置, 海洋担当大統領補佐官を議長として海洋関係閣僚・長官をメンバーとする国家海洋会議(National Ocean Council)の設置及び大統領海洋政策諮問会議(Presidential Council of Advisers on Ocean Policy)の設置が検討され, 提言に盛り込まれようとしている。これと比較すると彼我の差はあまりに大きいといわざるを得ない。
図1-1-19 日本財団海洋政策提言:のぞまれる海洋関係行政機構
わが国も, 内閣総理大臣を長, 海洋担当大臣を副とし, 海洋関係行政を所管する各大臣からなる「海洋関係閣僚会議」の設置, 海洋担当大臣の設置, 内閣府に海洋政策統括室(仮称)の設置等, 総合的な視点に立って海洋政策の企画立案・実行の中核を担う行政機構の整備が不可欠であり, その早急な具体化が望まれる。少なくとも海洋政策の統括部局があれば, 2004年度予算概算要求に際してもめた, 200海里以遠にあるわが国国土の1.7倍に相当する65万km2の大陸棚調査をデータ提出期限内に完了できるのかといった問題などについても, 前広に総合的な視点に立って対応できたはずである。(注7)
第6節 今後の課題
わが国は, 1994年に発効した国連海洋法条約によってわが国が世界第6番目の広大な排他的経済水域・大陸棚を有する世界有数の海洋国家となったことを直視する必要がある。これによってわが国は, 日本列島の東西南北に広がるオホーツク海・日本海, 東シナ海, 北部太平洋, 中部太平洋など, 流氷の海から豊かなサンゴ礁の南方海域までの特色のある変化に富んだ広大な海を管理することになった。すなわち, 距岸200海里にも及ぶこれらの海域の天然資源の探査, 開発, 保存及び管理等に関する主権的権利と人工島等の設置・利用, 海洋の科学的調査等に関する管轄権が付与されるとともに, 海洋環境の保護・保全などの義務を負うことになったのである。
図1-1-20 日本最南端の領土「沖の鳥島」
(出典:「新しい海岸制度のスタート」, (社)全国海岸協会)
このように国連海洋法条約がもたらした新海洋秩序の恩恵をフルに受けるわが国であるが, その恩恵を実際に享受し, 同時に条約上の責任を果たすのでなければ, せっかくの新海洋秩序も絵に画いた餅にすぎない。わが国は, この新しい情勢に対応してこれらの海洋をどのように適切に管理し, その資源の開発利用と海洋環境の保護・保全をどのように実現していくか今, 問われている。
その実現のためには, まず, 広大な海域の海洋調査, 排他的経済水域・大陸棚の境界や外縁の画定, 管轄海域やその拠点となる遠隔離島の管理, 水産資源・鉱物資源並びに海・潮流, 風, 深層水, バイオなどの海洋資源・エネルギーの開発・利用, 海洋環境の保護・保全, 沿岸域の統合管理などに真剣に取り組む必要がある。
その際重要なのは, 今や海洋問題には国際的な視点をもって取り組むことが不可欠であるという認識である。地球上の71%を占める広大な海洋の問題は1国だけで対処するには大きすぎる。だから国際社会が協力して海洋問題に対処するための共通の法的・政策的枠組みを作ったのであり, それが国連海洋法条約であり, アジェンダ21第17章であるからである。
2001年に起きた北朝鮮工作船事件についても, 国連海洋法条約発効以前とは違って, この条約がこの事件を取り扱う際のベースとすべき国際的枠組みとしてあるのだから, それとの関係でわが国が新海洋秩序に対して十分な備えをしてあったかを問い直してみる必要がある。そういう観点で見ると, 各国の理解に差のある排他的経済水域制度の法的性格に対する共通認識の確立の必要性, 向き合う近隣諸国との境界画定の努力, 周辺海域の防衛・警備・管理体制の強化, 複数の排他的経済水域が接する海域における共通の脅威に対する国際協調の必要性など, この事件が実に多くの問題を提起していることがわかる。
世界は, 新しい海洋秩序の時代に突入している。海洋政策の立ち遅れが, わが国の海域の画定, 海洋の開発利用, 海洋環境の保護・保全, 海洋の平和利用と安全保障などあらゆる面に重大な影響を及ぼす。
図1-1-21
|
日本財団の海洋政策アンケート調査「政策大綱や法整備等の必要性とその内容」
|
海の管理に関する基本理念を明示的に表明する方法としてはどのようなものが適当とお考えですか? |
政策大綱を策定し, 法の整備も行うべきである。 →その場合, どのような法の整備が望ましいとお考えですか? |
わが国は, 早急に, 国連海洋法条約及びリオ地球サミットが掲げた国際的な海洋管理の理念の下に, わが国の管轄する沿岸域から排他的経済水域及び大陸棚外縁までの開発・利用・保全, ならびに公海を含む全海洋におけるわが国の権利義務の行使及び国際協力に関して国家としての基本理念と行動計画を掲げるわが国の海洋政策を策定し, 内外に明示する必要がある。
そのために, わが国は, まず, 個別の海洋関係法令の上位規範として, わが国の海洋政策の基本理念, 海洋基本計画の策定, 海洋の調査, 開発, 利用及び保全に関する施策, 国及び地方公共団体の責務, 海洋関係閣僚会議及び海洋担当大臣の設置, 海洋審議会の設置等の海洋政策の策定・実施に必要な規定を盛り込んだ「海洋基本法」の制定に全力をあげるべきである。
(寺島紘士)
海洋開発審議会
内閣総理大臣の諮問機関として, 1971年7月に旧海洋科学技術審議会が発展的に改組され設置されたものであったが, 2001年1月の中央省庁再編, 審議会等の統廃合に伴い, 文部科学省の科学技術・学術審議会の海洋開発分科会に改組された。
注4 21世紀初頭における日本の海洋政策(概要)「1. 我が国における海洋政策のあり方」
注5 21世紀初頭における日本の海洋政策3.3「総合的な視点からの検討」
注6 21世紀初頭における日本の海洋政策4.4(5)総合的視点に立った海洋政策の企画・立案システム
注7 大陸棚調査については, 政府はようやく2003年12月8日内閣官房に「大陸棚調査対策室」を設置した。
|