Session 3-3
海上紛争防止システム−行動計画の提案
Sam Bateman
ウーロンゴン大学海洋政策センター教授
概要
本論文では、海上秩序を構築するために幾つかの基本的な提案を行なう。協力関係を推進し、効果的な海上紛争防止システムを構築するには、地域内において海の問題に関する認識を高めることが極めて重要である。また、海洋環境管理の複雑さについても理解することが大切である。これは米国において、海域認識(Maritime Domain Awareness)が、国土防衛の必須要素として受け止められていることと同様である。海で何が起きているかに関する総合的な知識は、海上保安に必要不可欠な要素である。しかし、適用範囲を地域全体に拡張する場合、協力的な活動を通じて行なう以外に、こうした知識や理解を得ることは不可能である。十分な海上監視能力および情報能力を独自に保有している沿岸国はごく僅かである。
過去の地域フォーラムにおいて、海洋関係の知識や情報を交換することを目的としたイニシアティブはいくつも存在した。しかし、主な原因として積極性、リソースの両方が欠けていたため、これらのうち実際に効果的な運用システムにまで成長したものは少ない。本論文では、こうしたイニシアティブのうち幾つかを採り上げ、完全な実施に至らなかった理由について論じる。主な問題点は、この地域の海上環境が複雑に入り組んでいることに十分に配慮しなかったこと、そして海上保安上の共通の利益を最大化するような協力が必要だということに気付かなかった点である。
ひとつの糸口として、海の問題に関するより幅広い認識を促す「積み木」的手法が考えられる。これには、協力の利点を正しく認識することも含まれる。これを実現するために、三段構えの構想を提唱する。まず、地域の安全保障に関する協議を省庁間や政府間で行ったり、海洋情報ディレクトリを構築したりするなど、海の問題に関する認識を高め、情報の共有を推進するため、基礎となるいくつかのイニシアティブから着手する(第1段階)。次にデジタルデータベースを構築する(第2段階)。そして最終的に、海洋観測や情報交換をリアルタイムで行なうという究極の目標に向けて活動を進める(第3段階)。こうした活動の過程で、洋上の共同安全保障に関する一歩踏み込んだ議論が生じてくることが予想される(1996年から2000年にかけて東京の防衛研究所において検討された海洋平和維持活動など)。しかし、こうした活動には海軍よりも沿岸警備隊があたった方がよいというのが本論文の見解である。
現在、東アジア地域では、海の問題に関する幅広い認識は得られていないのが現状である。しかし、海上に安定した管理体制を実現し、地域としてテロ行為や海賊行為に効果的に対処するには、海の問題に関する認識を深めることが必要不可欠である。本論文では、海上紛争防止システムを構築するための段取りとして、まずは、こうした認識を高める啓発活動など、「小さな」ところから始める行動計画を提案している。
海上紛争防止システム−行動計画の提案
Sam Bateman
現職:オーストラリアWollongong大学海洋政策センター教授
学歴:オーストラリアNew South Wales大学において博士号取得
元オーストラリア海軍准将。洋上艦士官および国防省の戦略・政策の分野のポストを歴任。近年は海洋における地域安全保障、海洋法の施行、海事上の協力関係について研究を行っている。オーストラリア、アジア太平洋およびインド洋の安全保障と海事関係について著書があり、オーストラリア内外の海洋政策に関する多数の会議に参加。現在CSCAP海洋協力ワーキンググループ副議長、国際SLOC研究グループメンバー。
|
|
はじめに
安定した海の管理体制を構築することを通じて、秩序を提供し、紛争のリスクを低減し、地域の各国が海洋における正当な権利を安全に、かつ安心して追求できるようにすること。これは、アジア太平洋地域において海上保安が直面している最大の難問である。このような海洋管理体制を構築するには、この地域における海事分野での協力を大幅に活性化する必要がある。
今日、秩序よりむしろ不秩序がこの地域を支配している。東アジアの海域のうち、閉鎖的または半閉鎖的な水域において、この傾向は特に顕著である。 1 この地域のあらゆる水域で、海洋管轄権に関して対立する要求が出されており、各国の海軍予算は急速な増加を続けている。 2 陸上及び海上で発生する海洋汚染は一向に減る気配が見えず、海における伝統的習慣は破壊され続けている。さらに海賊行為、麻薬取引、密輸など違法活動との戦いも大きな問題を抱えている。漁業資源は枯渇しつつあり、多くの水域では不法操業が横行している。東アジアの海の地理的特徴を考慮すると、独占的権利を与える排他的経済水域(EEZ)や主権国が資源を支配するような方法では、この地域の海洋を管理したり、海洋環境を保護する有効な手だてを提供することはできないであろう。 3 財団法人シップ・アンド・オーシャン財団(SOF)の海洋政策研究所において構築された「海を護る」というコンセプトは、この地域の海に秩序をもたらす上で歓迎すべきイニシアティブである。
本論文では、海に秩序をもたらす行動計画に盛り込むべき幾つかの基本的な提案を行なう。この地域の海事協力が「トップダウン」方式では機能しないことが、過去の経験から分かっており、従って「ボトムアップ」方式が推奨される。 4 「ボトムアップ」方式、別名「積み木」方式は、1995年8月にブルネイで開催されたASEAN地域フォーラムにおいて合意された行動計画書では、信頼醸成及び予防外交を実現する手段として明記されていた。 5 しかし、こうした対策の達成は、最近の行動計画書からは姿を消してしまったようである。相互協力を奨励し、有効な海上紛争防止システムを構築できるかどうかは、海の問題に関する幅広い認識を地域内に持たせることができるかどうかが、その鍵を握っているというのが本論文の主張である。西太平洋の海洋戦略地図は、数多くの島々、混雑する海上交通路(SLOCs)、豊富な資源、折り重なるような海洋管轄権などによって特徴づけられる。この海域では、海洋環境とその複雑さ(特に法的、物理的な側面)について共通の理解を持つことが特に重要である。この共通理解を発展させるには、協力活動を活性化して、海の安全の要求を満たす統合管理システムを実現する必要がある。
海域認識(Maritime Domain Awareness)
対テロリズム戦争と優先度に従った国土防衛が進行する中、米国の海洋戦略に「海域認識」という用語が追加された。海域認識とは海洋環境で何が起きているかを把握している、という意味である。水域にどのような船舶がいるか。そして何をやっているのか。どこへ向かっているのか。積荷は何か。他にどのような海洋活動が進行中か。それは海上テロ、不法移民、麻薬密輸、密漁、海洋汚染などの脅威の下に結実した海上保安の総合アプローチであり、リスク評価の基礎となる良質な情報を持つことが、根本的に重要であることを示唆している。
地域レベルで海域認識を適用するには、以下の要素が必要である。 6
・海洋環境に関する総合的な知識(SLOCs、海上貿易、海の境界線及び資源等に対する要求、海賊事件及び海上の武装強盗、原油やガスの採掘権、漁業分野などを含む)
・比較的に厳密でない知識(地理、海洋学、気象、船舶管理の国内協定や責任の所在等に関するデータや情報等)
・情報管理センター(データや情報の収集、融合、解析を行ない、リスクを評価し、関心分野の関連情報について唯一の全体像を提供する)
卓越した諜報・監視能力を背景に、米国は隣国(特にカナダ)から得る限定的な情報以外は、独自の情報源だけを用いて必要な情報を収集する能力を保有している。しかし、西太平洋や東アジアでは状況は異なる。一般的に、これらの国々はごく近くに複数の隣国を持ち、互いに海によって隔てられ、海洋関連の限られた情報・データの収集能力しか持たない。これらの国々にとっては、海洋環境の認識を高めようという試みは、協力なしでは考えられない。海洋環境の知識と認識を高める必要がある、と米国が認識したことは、東アジア地域に対して重要な教訓を与えている。こうした教訓には、より良い協定の制定(必要性は実証済みである)、政府機関の相互協力に基づく海洋情報の収集、管理、交換などが含まれる。
これ以外にも考慮すべき要因はある。今日特に重視されているテロ対策、及び国際海事機関(IMO)の海上保安を取り扱った1974年の「海上における人命の安全のための国際条約」(SOLAS)への修正条項、特に、新しい「船舶及び港湾施設の保安(ISPS)に関する規約」では、海に関する知識と認識の重要性に焦点が当てられている。この変更は、船舶自動識別装置の搭載を前倒しして、300トン超の全ての船舶に2004年末までに装備し、 7 2004年末までに大多数の船舶に必須装備として船舶警告システムを設置し、残りの船にも2006年までには設置を完了することを含む内容となっている。 8
ヨーロッパまたは北アメリカ沿岸のように、治安が保たれている水域内で船舶安全警告システムを整備することは理解できる。しかし南シナ海のような水域では、こうしたシステムが有効性を発揮できるかどうかは極めて疑わしい。緊急事態が発生したときに、旗国の海洋担当官庁が該当国の該当する機関を特定できたとしても、適切な措置が取られる保証はどこにもない。現在この地域には、必要に応じて対処するための協力協定が存在しないのである。
海に関する知識の重要性
海で何が起きているかに関する総合的な知識は、海上保安に必要不可欠な要素である。国内的には、こうした知識は国内法の管轄権が及ぶ水域(内水、領海、排他的経済水域及び大陸棚、群島国家における群島水域)において必要となる。さらに、こうした水域の周囲の海に関する情報も収集しておく必要がある。よほどの小国であっても、自国の管轄権が及ばない水域では何が起きようが関知しないとは言い切れないであろう。リスク評価を行ない、また通常以外の活動を評価するベースラインを構築するには、対象とする全水域について裏打ち情報が要求される。洋上の船舶の長距離識別及び追跡は、船自体の安全も含めた海上保安に十分に寄与する対策である。
海上の監視及び情報のニーズに単独で応えられる十分な能力を備えている国は少ない。したがって、地域協力が必要になる。とくに、隣国同士の利害が一致し、かつ共通の海域に隔てられている場合は、安全保障の面で譲歩していると感じたり、機密情報をみすみす渡しているのではないかと考えることなく協力し合えるはずである。これが西太平洋のほとんどの領域の現実である。海洋の知識を共同で収集する方式のイニシアティブは過去にも試みられたが、政治的な理由や、リソースと関心の両方が欠如していたなどの理由から、そうした努力は葬り去られてきた。
海の問題に関する認識を共同で構築することには、以下に示す幾つかの利点がある。まず第一に、海洋の知識が増す。これは、海上の安全や海難救助能力の向上につながり、海洋汚染、海賊行為、麻薬密輸、武器の密輸など海上の違法行為を取り締まる地域の能力が向上する。たとえば、南シナ海における船舶に起因する高レベルの海洋汚染は、効果的な海洋監視や取り締まり体制が整っていないことが原因ではないかという信頼できる状況証拠がある。第二に、協力的手法でこの課題に取り組むことは、地域の活性化につながる。政治的な違いにかかわらず、地域各国が協力して、海上テロの脅威など共通の問題に取り組むことができることが分かる。最後に、協力活動は信頼・安全保障醸成措置(CSBM)として重要である。
海事の諸問題に関して、規則や国の障壁を乗り越えて地域レベルで教育・訓練を行なうことは、海の問題に関する地域的な認識を促すことに重要な貢献を果たしている。 9 さらに、政府機関同士が国内及び地域内で協力や対話を構築する手助けになる。1996年には、CSCAP海上協力ワーキンググループは、海に関する地域的な諸問題のワークショップを定期的に開催する提案に合意した。 10 こうしたワークショップの主要な目的は、アジア太平洋地域における海事的問題や安全保障に及ぼす影響について認識・知識を深めることである。のちに、ワークショップの提案はCSCAP運営委員会によって採択されたが、資金が集まらず、提案は実施に至っていない。
関連のイニシアティブ
海の問題に関する認識や、認識を促すことの重要性については以前から指摘されていた。海事問題に関する知識や、情報交換の開発に関する複数のイニシアティブが詳しく検討され、かなり以前から地域フォーラムにおいて提唱されてきた。しかし、これらのうち効果的な運用システムに成長したものはごく僅かである。主な原因は参加意識の低さとリソースの不足である。
ARFの海洋情報データベース
ARFのCSBMsのリスト、及び先に述べた予防的外交手段には海洋情報データベースが含まれる。海洋情報データベースを通じて、地域各国は海上交通、環境問題、海賊、密輸に関するデータを収集し、対照できるようになる。たとえば、地域的な環境安全保障に関連したデータには船舶の管理や有害物質の保存/投棄に関する情報が含まれる。現状で、東アジア地域の水界地理、海洋地理に関する情報の蓄積はごく限られている。重要な水域のうち、情報が欠落している箇所に関する情報収集を行なう国際プロジェクトが実施され、共通の利益のための試みとして認知されている。中国がデータベースの構築を引き受け、これはその後天津において実践された。ウェブサイトのアドレスは www.arfmarinfo.orgである。ただし、このデータベースは資金不足のため最近は更新されておらず、その後消滅したようである。
マラッカ・シンガポール海峡
IMOはマラッカ・シンガポール海峡において強制船位通報制度を導入した。 11 これはSTRAITREPと呼ばれている。 12 インドネシア、マレーシア、シンガポール、及びIMOは、マラッカ・シンガポール海峡に海洋電子ハイウェイの構築を進めることで合意した。 13 この統合システムには電子海図、位置情報システム、AIS自動識別装置、気象学、海洋学、航行上の情報システムなどが組み込まれている。MEHシステムは、海峡を通る船舶の航海の安全と航行の保安に重要な貢献を行なう。船舶はもちろんのこと、沿岸国が管理する通航管制システムなど陸上のユーザーも最大限の情報を利用できるようにする。MEHシステムのような環境整備は、シンガポール海峡と東北アジアの港を結ぶ通称「盗賊回廊」のいたるところで要求されていると言える。
WPNS海事情報交換ディレクトリ
西太平洋海軍シンポジウム(WPNS)は海事情報交換ディレクトリ(MIED: Maritime Information Exchange Directory)を開発した。 14 このディレクトリは、メンバーである海軍が特定の海事情報を報告する際に用いるガイドライン及び信号のフォーマットを提供する。メンバー国ごとにセクションが割り当てられており、海洋汚染、海難救助、人道的活動、麻薬密輸を疑わせる怪しい活動、航海での強盗、違法漁業操業などの情報を報告する連絡先が含まれている。しかし、対応する情報を提供していない国もあり、多くの国のセクションには空欄が目立つ。 15 ハワイを本部とする米国沿岸警備隊の第14沿岸警備管区は、非防衛地域安全保障に関する複合作戦マニュアル(Combined Operations Manual for Regional Non-Defense Security)と呼ばれるMIEDに似た文書を開発している。 16
APECの海洋管理情報
2002年、APECにおいて参加国の海洋管理と政策に関する研究が実施された。この情報が収集された当初の目的は、2002年4月ソウルで開催されたAPEC海洋担当大臣会議において合意されたソウル海洋宣言の方式に基づく海洋の共同管理の基盤を構築するためである。 17 ただし、この情報は多少の修正を加えたのち合同海上保安にも活用できる。
生態系に基づく管理
2003年6月にオーストラリアのケアンズで開催された「生態系に基づく管理」(EBM) 18のワークショップに参加したフィリピンの代表は、生態系に基づき、東アジア及び東南アジアの海を対象にした、生態地域的な大規模海洋統治メカニズムを提唱した。このようなメカニズムを実施するには、航行の安全、海洋科学探査、及び「監視管理及び測量システム」(MCS)の構築の問題を含む実質的な協力を行なうために包括的な行動計画が要求される。
海事情報システム
1990年代の半ばに、オーストラリア軍事科学技術協会情報技術部(DSTO: Information Technology Division of the Australian Defence Science and Technology Organisation)によって海事情報システム(SMIS)が開発された。これはオープンソース・データベースで、東南アジア及びオーストラリアの海をカバーする海事情報が蓄積されている。蓄積されているデータには地図表示、海上の境界線、海で発生した事件の報告、港湾に関する詳細情報、地域で操業する総トン数1,000トンを超える約32,000隻の商船に関するデータ、主要な航路及び船舶の動きなどが含まれている。表1は東南アジアで操業する危険な貨物を積む船の動きに関するデータを示す。これはSMISによって提供される情報種類の一例である。この種のデータは、リスク評価及び海上保安の管理に重要である。しかし残念ながら、スポンサーが見つからなかったためSMISは数年前に活動を停止した。
地域的な海上監視及び安全性の管理体制
地域的な海上監視及び安全保障の管理体制(RMSSAR: Regional Maritime Surveillance and Safety Regime)は、1990年代初頭に初めて提案された。 19 舶及び海上貿易の安全を保障する手助けとなり、安定した海洋管理体制の構築を支援し、海洋環境の保護に貢献し、将来生じる可能性があるより深刻な緊急事態にも対処できる基盤を提供できる協力の枠組みを開発する。一方、多くの問題点も判明した。こうしたトラブルには、メンバーとして参加する可能性がある国々の間に明確な共通の利益が全く見あたらない場合、国内の監視手続きの国による違い、地域的に取り扱いが微妙な特定の問題、漁業や海洋資源への主張が紛争に発展した場合などが含まれる。
表1
ASEANの港における危険な貨物を搭載した船舶の移動(船種別)
1993年5月−1994年4月
|
LNG搭載 |
LPG搭載 |
LNP搭載 |
ケミカルタンカー |
オイルタンカー |
合計 |
ブルネイ |
173 |
0 |
0 |
2 |
170 |
345 |
インドネシア |
412 |
867 |
94 |
925 |
10324 |
12622 |
マレーシア |
147 |
685 |
7 |
1004 |
4494 |
6337 |
フィリピン |
12 |
533 |
2 |
205 |
495 |
1247 |
シンガポール |
25 |
894 |
27 |
1231 |
7846 |
10023 |
タイ |
2 |
127 |
0 |
228 |
979 |
1336 |
合計 |
771 |
3106 |
130 |
3595 |
24308 |
31910 |
|
注:国内の通航を含む
情報:海事情報システム(SMIS)
|