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イレウスのある患者の食事におけるジレンマ
◎患者データ
性・年齢・職業 女・40歳代・主婦
病歴 子宮頚癌(術後再発), 骨盤内腫瘍浸潤, 直腸腔瘻, 回腸導管, 人工肛門(横行結腸)
在院期間 137日
家族 夫・小学生の男児
経過
 術後化学療法6コース施行, 左骨盤に再発。化学療法1コース受けた後, 民間療法(漢方・酸素・自然食・アガリスク・プロポリス)などを行っていた(1年間)。 直腸腔瘻を生じ横行結腸に人工肛門増設, 退院後在宅療養をへて当院に入院。
主な症状
 (1)悪寒, (2)分泌物(膣からの), (3)今後の見通しへの不安, (4)子どもの今後, (5)前歯の不適合, (6)消化器症状(嘔吐・吃逆), (7)下腹部痛(イレウス), (8)直腸腔瘻の拡大, (9)食欲の亢進(ステロイド使用による)→摂取量低下(病状の進行による)
(6)(7)(9)は下表の左側の番号に対応
 
 「食べる」という行為には, 多くの役割が課せられることが多い。それは, 生命維持に直結する必要物質の取り込みのほか, 残された社会との接触手段であったり, また抱えるスピリチュアルな問題のサインであったりする。患者は死の恐れ, 身体の制限, 痛み, 容貌の変化, 自立や活力あるいは人間関係の喪失など解決困難なストレスをかかえ, その解決の代替として食に対する欲求が高じることがある。このような場合, 患者の真の訴えを知り, 精神的・社会的支援が行われなければ, 食に対する訴えは解決できない。さらに終末期に現れるイレウス症状は患者の食べたい思いと裏腹に, 時には激しい腹部症状を起こし, 摂食を容易にしない場合がある。このように「食べて生きたい」という本人の思いと身体的条件に大きな隔たりが生じた場合, スピリチュアルペインを引き起こすことがある。
 
 
経過表
 
消化器症状と食事の経過
在院日数 食種 主食/量 主菜/量 コメント
1〜48日 S 常飯 常菜 低脂肪食・朝食は洋食
  普通 普通  
49〜60日 S 常飯 常菜  
  普通  
61日 LB 重湯 ポタージュ 適宜シャーベット 
  5分粥    
62日 S 常飯 常菜  
  普通 普通  
63〜68日 SB 全粥 軟菜  
  普通 普通  
69〜85日 SB 全粥 軟菜 低残さ
  2/3 2/3  
86日 TS      
87日(昼) LA 重湯 クリア 食欲低下対応・適宜シャーベット
  2/3 2/3  
(夕) LB 重湯 ポタージュ  
  2/3 2/3  
88〜91日 LB 重湯 ポタージュ エンシュアリキッド125ml毎食
  2/3 2/3 軽食15:00&眠前
92〜93日 LB 3分粥 軟菜 低刺激・消化吸収・低残さ対応
  1/2 1/2  
94〜100日 LB 5分粥 軟菜 朝・洋食
  1/2 1/2  
101日 SB 全粥 軟菜  
  1/2 1/2  
102〜115日 SB 1/4 1/4 ミニチュア食
116〜117日 SB 1/4 1/4 朝のパン粥1/2量にレモンティーをつける
118〜122日 LA 重湯 クリア 1日の食止め後再開
  1/2 1/2  
123〜130日 SB 全粥 軟菜 ミニチュア食
  1/3 1/3 レモンティー・朝食パン粥
131〜137日 LA 重湯 クリア オレンジジュース禁
  1/3 1/3  
食種  S: スタンダード(基本食)
SB: SoftB(軟菜食)
LA: クリア流動
LB: ポタージュ流動
 
TS(Terminal Special)食
通常の食事の時間や形態では摂食が困難になった場合に, 時間や食事箋にとらわれずにタイミングよく食事が出せる食種。ピースハウスでは最終末期にTS食で入院患者の34%が過ごす。
 
■最終末期の食種
 
ミニチュア食
 食事をとりにくくなった患者のために基本食の種類でごく少量を盛り付けて, 見るだけでも楽しめるよう記慮した食事。
 
 
 
臨床研究
末期患者の食べることへの援助
食事と療養のあいだで*1
平野真澄*2
 
ホスピスの理念と“食”
 
 ピースハウスの理念は「ここはやすらぎの家である」と始まる。そして, 「ここで時を共にする人は, 皆それぞれの生き方を尊重する」と続く。患者さんあるいはご家族, それぞれの生き方を尊重し, その人らしく時を過ごす。このように表現される精神に基づいてピースハウスは運営されている。
 英国の代表的な終末期医療の専門医師, R.G.Twycrossは, 1991年に来日の際, ホスピスを“家とそれを構成する部屋”にたとえて, 次のようなケアの視点を紹介している。患者をAcceptance(受容), Affirmation(支援)すること, と。その上に数々の要素−Symptom Control(症状コントロール), Psychosocial Support(心理・社会的支援), チームワーク, Flexibility(柔軟性), Respect(尊敬), Beauty(生理・精神的な美しさ), Creativity(創造性)−というような数々の要素をレンガのように積み重ねていくことが必要であり, これにスタッフ, ボランティア, 家族など患者さんに関わるすべての人たちが基礎となる家の一階部分を作り, どれが欠落しても, 家は完成しないというのである。
 では, この家の中で生活するすべてのものにとって“食”はどのようなものであるのだろうか。
 
図1 在院中の訴えの増加
 
食欲不振とは
 
 ピースハウスに入院している患者さんにとって, 食欲不振は便秘に次いで, 吐き気, 痛みと同率の26%を占める訴えであることに注目したい(図1)。私たちは生まれながらに, 空気・苦痛の回避・水・排泄・休息・食欲への欲求をもっているといわれる。これが脅かされると呼吸困難・疼痛・脱水・便秘・不眠・食欲不振というホスピスでの主な苦痛症状になる。このことは現在私たちが接している方々が生を全うするための根源的な条件を奪われつつあることを示しているともいえよう(図2)。これら, 疼痛, 吐き気や便秘などの上位症状に対応できてはじめて, 食べたい, あるいは食べられる意欲が出現するのが, ホスピスの患者さんばかりでなく, 人間としての感覚であるということをまず認識しておく必要があるのではないだろうか。医療で使われる食欲不振という言葉には「食べる意欲が十分でなく, 必要なだけの食物がとれない状況」と説明されている。しかし, “意欲がない”という状況には, 本人に食を拒む意志がある場合と, 本人の意志に反して食事が摂れない場合が存在する。ともすると前者があることを私たちは忘れがちであり, また後者の場合は臨床的にその解決のため手を打つ努力を怠ることがないよう自戒する必要があるのではなかろうか。
 
図2 ひとの生理的欲求
 
 
図3 食欲不振(食思不振)・食欲低下
食べる意欲が充分でなく, 必要なだけの食物が摂取できない状態
・癌による症状
・消化器の病変
・治療によるもの
・心因性のもの
・環境の不備・不適応
・癌悪液質に起因するもの
・体重の減少
・虚弱, 易疲労性
・免疫能の障害
・貧血, 浮腫
・運動機能, 精神機能の低下
 
 
食欲不振を招く症状
 
 癌患者の食欲不振を招く症状としては, 上記の2点に加えて, 電解質バランスの乱れや腫瘍部位の増大, 出血, 便秘やイレウスなど消化器の病変による影響が考えられる(図3)。また, いかに最小限に抑えている場合でも, 薬剤や経管栄養による影響も少ないとはいえない。これらへの対処は緩和医療の発達とともに進歩しつつあるとはいえ, このような身体上の影響に加えて, 悲嘆, 怒りやうつ状態, 自身の不安定な未来や家族の将来への思い, あるいは経済問題など数え切れないほどのストレスの中に身を置いていることによる影響にも注目しなければならない。しかし, 死亡原因の40%を占めるといわれる悪液質症候群に由来する食欲不振は, 現在のところ治療法は明らかにされているとはいえない。それゆえ, 現時点での対策はこれと共存するという消極的な方法しかなく, “食”の立場からはいかに上手にこれと共生していくかを考えることが必要となる。
 では, どのように共生する方途を見いだしたらよいのだろうか。矛盾する答えのようであるが, 私には患者さんの生きたいという欲求が食と繋がって, 食べたいという思いを支えるのではなかろうかと思えるのである。なぜ人は最終末期においても食べることにこだわりを持つのかということは, これまで繰り返し問われてきたテーマである。むしろこの時期だからこそ, 人は「食べる」「食べない」と相反する行動を内包する“食”にこだわるのだと思えてならない。
 
図4 食のもつ意味
 
ホスピスでの食事の目標
 
 最終末期では食事は量や栄養面での質を問うものではない。オーストラリアのホスピスケアのマニュアルでは, 「ホスピスでの栄養管理は, 不快な症状を最小に留めつつ, 患者の利益, 楽しみ, 喜びを最大に引き出すことが目標である」と明解に示した後, (1)食事摂取量を改善することが患者の病状に適し, 患者の希望であるのか?(2)食事の摂取量が適切でないことは患者のQOLに著しく影響するのか?(3)食事から喜びや満足感を患者は得ているのか?(4)食に関する悩みを減少させ, 症状を好転させるよう働きかけているのか?と, 具体的に各ステージに沿ったチェックポイントが示されている(図4)。
 これらの各点から見ると, なによりも大切にすべきものは, 患者個々人の身体的・精神的・感情的な必要性とニーズであることが強調されている。したがって「食事の摂り方を改善したいと思っても適切なアドバイスが得られない」「周りに思いを無視される」「食べたいものを食べていればよいなど周りが関心がない」などという医療者側の姿勢を反省することはもちろん, 食べ物をとることを積極的に考えられない患者の立場から見れば「無理やり栄養物質を入れられる」「意思に反して食べさせられたりする」「終末期においても点滴の量の調整がされない」ことなどは, 患者に苦痛を与えることとして回避されなければならない(表1)。
 
表1 食事ケアは不快な症状を最小にしつつ患者にとっての利益・楽しみ・喜びを最大に引き出すことを目標とする
●患者個々人の身体的・精神的・感情的な必要性とニーズから検討されるべきである
避けなければならないことは
○無理やり食べさせ(栄養物を入)られること
○改善したく思っても適切なアドバイスが得られないこと
○改善について周りが無関心(無視)であること
 

*1 Supportive Cares for Patients in the Terminal Stage with Special Regards to Dietary Regimen as a Part of Daily Meal
*2 ピースハウス病院栄養部長
第26回日本死の臨床研究会年次大会教育講演(2002年11月)







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