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臨床研究
ホスピスケアにおける栄養管理の実際*1
平野真澄*2
 
ホスピスケアとチーム
 
 ホスピスケアにおける栄養管理の目的や方法は、ある意味では明確である。なぜならばホスピスでは、食事提供を含めたすべてのケアは患者のこれからの限りある生のQOLの維持ないしは向上のためにあり、そのための緩和(治療を目的としたものでなく、患者を悩ます不快な症状をコントロールあるいは和らげる)医療およびケア、そして、暮らし方などあらゆる選択肢の決定権を握るのは患者の意志であるからである。したがって患者が望まない、あるいは意志表現が自由にならない場合においては、望まないであろうケアのかたちは存在しない。そして、それの実現に向けて患者をサポートするのは家族や友人である。さらにそれを裏で支えるのがホスピススタッフとなる。
 ホスピスケアにおいては、チームの存在は改めて言及する必要がないほど、基本的なものである。ホスピス医療の第一人者の英国医師R.G.Twycrossは、ホスピスの組織を図1のように表しているが、ケアにかわる活動の中心には常にチームワークがある。わが国ではホスピスは、建物や設備などハードの部分が注目されがちであるが、この図のように、むしろソフトの部分である「患者の人生を受容し支持し、尊敬の念を持って柔軟に発想していく」という理念と、スタッフの連携こそが重視されるべきであろう。
 
図1 ■ホスピスケアを家にたとえると
(R.G.Twycross.〈ホスピス・サーマイケルソーベルハウス〉1991)
 
食欲不振の捉え方
 
 人間の生得的な欲求は、その求める度合いの強さから空気、苦痛のないこと、水、排泄、休息と睡眠、食欲であるといわれる。裏返せば、それぞれは呼吸困難、疼痛、脱水、便秘(あるいは下痢)、不眠そして、食欲不振へと結びつく。これらは終末期の代表的苦痛症状であり、われわれがお世話する患者は、基本的な欲求までも失いつつある状況にあることを、忘れてはならないと思う。このように、食欲不振の問題は人間として根源的である。それゆえに、臨床的にも癌患者の死因の大半を占めるといわれる癌性悪液質症候群(Cancer Anorexia Cachexia Syndrome)の主要因として知られ、かつ解決が容易でないことも多い。
 
食欲不振と癌性食欲不振
 
 食物をとりたいという意欲が低下、または消失した状態を食欲不振という。その原因は、消化器疾患をはじめさまざまな疾患や精神的因子が挙げられる。しかし、癌患者の食欲不振は癌性悪液質に起因するものが多く、易疲労性、免疫能低下、貧血、集中力継続時間の低下などの症状は、ホスピスでの患者のQOLにおいて、精神と肉体の側面から多大な影響(ダメージ)を与える。私の勤務するホスピスでは、栄養科での1年間の食事対応の記録(2001年4月〜2002年3月)からみると在院20日以上(全患者の平均在院期間は35日)の患者では、強い食欲不振を訴えたものは27%にもなる。
 
患者の栄養評価
 
 Faith Otteryの報告によると、主観的包括的評価(global assessment・外見から見た評価)では、癌患者の栄養評価は、0: 栄養状態にはほとんど影響なし、1: 軽度の影響あり、2: 中程度の影響あり、3: 高度の影響を及ぼしている可能性がある、4: 生命の危険がある可能性あり、の5段階に分けられるとされるが、ホスピスケアの対象者は、その大多数が入院時にすでに3か4の段階にある。さらに、悪液質が進行しつつあるこの段階では、仮に高度の栄養補給を行っても、多臓器不全のため消化吸収障害が存在し、栄養状態や体組織の改善は望めない。しかし、適度の摂食の継続はQOLの維持と改善に前向きに作用し、結果的には、ADLの改善にもプラス効果をもたらす症例に出会うことは現実には多い。
 
摂食の障害をもたらす要因と対応
 
 終末期の、身体的にも精神的にも制限の多いなかでの食品や調理法の選択は新奇をねらう必要はない。患者は慣れた環境のなかで、安心してとれる良質な素材の食事を欲している。また、食事のタイミングも限られた時間幅のなかにあり、施設内にあっても、可能なかぎり食事の提供時間も融通をつけたいものである。図2のように、食事管理はホスピスでの栄養補給の最終的な目標である。「食事から楽しみを得ることができる」ようシステマティックに考え、選択すべきであろう。以下に出現率が高い経口摂食の障害要因への対応について述べてみたい。
 
口腔内の障害
 
味覚障害
 積極的な治療を行わない場合、化学療法中の患者に比べ、味覚の障害の程度や頻度は軽減する。しかし、いぜんとしてこの症状に苦しめられる患者は多い。
 たとえば、煮物に少量のみりんを使用するのにも支障があるほどの、甘みに対する感受性の充進はよく経験する。さらに口腔内に広がる苦味や肉類の異味も少なくない。
 こうした患者には、口の中の不快な感覚を隠すための多種の調味料を使用した複雑な味つけの料理よりも、素材そのままの自然の風味を生かしたシンプルな味つけが受け入れやすい。さらに、唾液の分泌を促すペパーミントやレモンシャーベット、果物、食酢、梅干し等、酸味などを好む患者は多い。
口内炎
 局所的な炎症だけでなく、口腔内全体に広がる重症のものもある。冷たく舌触りがよいものがよい。嗜好的に受け入れられるならば、アイスクリームや高度栄養流動食(エンシュアリキッドRなど)をシャーベット状に加工したものは喜ばれる。避けなければならないのは物理的刺激の強いもの、たとえばざらついた食物、口の中に残さが残るもの、固いもの、熱い料理である。食欲の亢進には貢献できるが、塩辛いもの、辛いもの、酸味など化学的刺激の強いものも局所的な痛みにつながる。
咀嚼障害
 全身的な筋力の低下は、咀嚼機能をも減退させる。さらに、入れ歯の不適や歯の手入れが困難な状況により、健全な歯の機能が損なわれ、年齢に関係なくなんらかの調理上の咀嚼援助が必要な場合がある。刻む、ミキサーにかける、煮込む、などが一般的である。しかし、一方では食物としての形状が変化すると食欲も大幅に減退することから、流動状態への加工は患者と相談し慎重に検討すべきである。
 
図2 ■食事管理の選択肢
(The Creative Option of palliative Careより改変)
 
嚥下障害(事例1)
 頭頚部の腫瘍や術後の後遺症により、比較的初期からみられる嚥下困難や障害には、摂食量低下により残された生活のQOLが大幅に損なわれることがないよう、エネルギーや蛋白質の摂取量の評価も重要になる。また、全身の衰弱による嚥下障害では、多くは残された経口の期間が長くはない、とのサインとなる。この時期に家族が食物をとることに固執する場合は、食物を消化吸収することによって残り少ない貯蔵エネルギーを使うこと、さらに、誤嚥性肺炎の可能性が増大すること、周囲から受けるプレッシャーにより、患者の精神的苦痛を増すことにもなる、などの飲食のデメリットを告げる必要も出てくる。
 
消化管の障害
 
嘔気、嘔吐
 食べられるときに、においの強くない冷たい食物を少量とることがよい場合が多い。しかし、強い吐き気があるときは、この期間は無理に食事をとらないことが最良である場合もある。ある食品をとったのちに嘔吐などを経験すると、その食品そのものを避けるようになってしまうことが多いからである。吐き気をもよおす食品を増やさない対策は、食べられる食品を新たに探し出すより有効な場合がある。食事のときに水分を同時にとらず、水分は食間に飲む方が食後の嘔吐は防げると考えられる。
 
ボランティアのティータイムサービス
 
腸閉塞(ileus・イレウス)(事例2)
 小腸の通過障害により、腸内容が完全かまたは、ほとんど通過しない状態のことで、末期の癌患者の1/4に現れるとの報告もある。播種した癌による腸管の運動障害のため、サブイレウス状態が進行すると真のイレウスとなり得る。急性期は絶飲食となるが、このときホスピスでは、必ずしも点滴栄養を用いるわけではない。サブイレウス状態であり、患者自身が飲食を強く望む場合は、慎重に食事を開始することがある。この場合、残さや刺激の少ない食品をごく少量とする。NG(胃)チューブで廃液しながらの緩和方法もある。
便秘
 便の嵩を増やすような薬剤を使用している場合は、水分摂取への配慮は重要である。高繊維食は一般の便秘症状の改善には効果があるが、脱水症状と強い便秘があるようであれば、高繊維食はむしろ、避けなければならない。
脱水
 終末期の脱水症状には点滴の適応例は多くない。たとえば、点滴を用いてもその量は、通常の処方よりはかなり制限された量となる。むしろ、強制的な補充は腎臓機能に負担をかけ、浮腫の増悪になる危険性がある。ホスピスケアを受ける終末期の患者の水分必要量は600ml/日ほどといわれ、通常の1/2量である。水分摂取の方法はシャーベットや氷片、果汁(みずみずしい果物を口に含む)などとなる。
 
<参考文献>
1)日野原重明・猪狩友行監修:緩和ケアのサイエンスとアート, (財)ライフプランニングセンター, 1994.
2)Faith Ottery, M.D: 癌と栄養:これまで, そしてこれから, 臨床栄養VoL.98, No.6, 2001, 6.
3)わかるできるがん症状マネジメント, ターミナルケア10月増刊号, 三輪書店, 1998.
4)河辺貴子・山崎章郎:河辺家のホスピス絵日記 愛する命を送るとき, 東京書籍.
5)ピータ・ケイ:緩和ケア百科−AtoZ, 春秋社, 1994.
6)恒藤 暁:最新緩和医療学, 最新医学社, 2001.
 
中咽頭癌により経口摂取に困難を生じた患者
◎患者データ
性・年齢・職業 男・50歳代・会社員
病歴 中咽頭(舌根部)癌・頸部リンパ節郭清術・胃潰瘍
経過 第1回目入院10日間
  第2回目入院4日間
  胃ろう増設のため他院に入院
  第3回目入院61日間
  在院期間(合計)75日
家族 妻(死去)・長女・長男
 
主な症状
第1・2回入院時
(1)食事のときのしみる痛み
(2)舌根部、咽頭部の痛み
(3)倦怠感によるADL低下
(4)疼痛による経口摂取困難・食欲低下
(5)便秘
(6)腫瘍の増大による気道閉塞、呼吸困難出現の可能性
(7)腫瘍増大による出血の可能性
(3)病気予後に対する不安
(9)口渇
第3回入院時
(1)疼痛
(2)不安、焦燥感
(3)胃ろう増設中
(4)胃出血の既往
(5)嚥下困難による摂取エネルギー不足
(6)腫瘍部からの出血
(7)せん妄
 
 頭頚部癌の場合、全身症状が進む以前から、咀嚼や嚥下擬能に障害を受けて摂食が困難になることが多い。このような場合、食事は楽しみ、気分転換など本来もつプラス要因よりはむしろ進行する症状との戦いの場となる。さらに、経口摂取に重きをおく患者にとっては思うようにならない食事環境に焦り、失望、怒りをもつことも多い。このような患者の心理を理解し、患者のみに感じる咀嚼・嚥下の障害の感覚にあう食事が提供されなければならない。
 
経過日数 患者の訴えと経過(太字は患者の言葉)
第1・2回入院 1回
2日目
やはり朝が痛い。食事は塩味をつけないで提供し、自分で調整するようにする(塩味・酸味・辛い味つけの摂食は無理)。甘い味はよい。
2回
1日目
やっぱり大変だ食事は戦争だね。一口飲み込んでは休みつつ摂取。食事中、食事後につらそうな表情。キシロカインのスプレー(痛み止め)も頻回に使用しなければならなくなった。
再入院。食事もプリンみたいなものならばだいじょうぶだ。少しずつ食べたいなあ。何かおいしいものを食べたいよ。最近プリンばかりを4個/日食べている。
1日目 TFは前院よりの450kcal/日。食欲はあり経口食にチャレンジしたい気持ちあり、しかし、すぐに再開したいほど積極的ではなく、TFが入っているので精神的には安心している。
2日目 そろそろTF注入量を増やすか食事を併用することも考える段階。
TF600kcal/日の注入・食事再開。
3日目 院内食以外に昨日はプリン、おしるこ、パン(水分に浸しながら)をとる。摂食中嚥下痛なく食べられているが空腹感も強い。
現在の食事内容では満足感が得られていない様子。もっと粒のあるものでないとだめ、あれではまるで水ではないか。
昼食時見守っていると、突然みそ汁にほうじ茶1/3ほど入れる。ゼリー、ほうれんそう、ミキサー食も混ぜて食べる。
6日目 みそ汁もだし汁もしょっぱくてしみる。こんな水みたいなものではお腹にたまらない。何度同じことを言わせるんだ。空腹感は単にエネルギー不足によるものでなく、食事形態の不満からもくるものだろう。
7日目 TFで長時間拘束されるのが苦痛。
8日目 ミキサーでなく形あるものが食べたい。食べられそうと訴える。
9日目 生きるのはつらいな。TF900kcal/日の注入。
10日目 力が入らなくて噛めない。食べると喉が痛い。単調な生活でやることがない様子。
第3回入院 11日目 食べると痛い。まずくて食べられないのではなくて食べたくないんだ。
皆が、自分のことを気にかけてくれていると思いありがたく思っている。
12日目 はあ、もう食べ物も見たくも食べたくもない。午前中食べたくないといわれたが、午後は3分粥にして欲しいとのこと。ときどきで訴えが変わるが対応していく。
15日目 うんいっぱい食べたよ。おやつも食べちゃった。もう栄養注入を止めていいよ(TFを途中で止めて欲しいと訴える)。朝昼ともに食事100%摂取。その他にも間食しており、朝昼共にTFは100ccほどしか入らず。注入量が少ないため満腹感もないとのこと。
20日目 胃よりの出血あり。
21日目 空腹感はわかるけれど満腹感はわからない。
25日目 1回の食事時間がかかり負担が多いため中間食(15時パン粥、19時にパン粥2皿)を追加。
32日目 飲み込みがつらいため中間食中止。夕食:ああ痛い食べられない。
34日目 食欲まったくなし、おやつのプリンも実質的な量はとれず気分転換程度。
35日目 食物・飲み物はときどきむせているが、冷たいものはまとめて飲めている。
40日目 傾眠強い。
45日目 朝食希望するが坐位保持できず、食べられず臥床する。
51日目 食べると痛くなる。TFのリクエストは本人が量を決定し、注入する。食事しないと嚥下時の痛みはない。
痛みにより食事摂取量にバラツキがあるが、特にこの3〜4日は食べられていない。
59日目 食事もナースが見守り、食器を支えるなどする。言葉は聞き取りにくい。ホットミルク・フルーツミキサーを食べる。
61日目 死亡。
キシロカインスプレー(塩酸リドカイン)局所麻酔剤
TF tube feeding: 経腸栄養
 

*1 Clinical Practices of Dietary Management in the Hospice Care
*2 ピースハウスホスピス栄養科
『ビジュアル臨床マニュアル』(小学館, 2002)に掲載







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