■拡大する医学の領域
この財団は, 子ども, 壮青年期, そして老年期という生涯を通しての終生のヘルスケアのお手伝いをする使命をもって現在に至っているのですが, それでは人は亡くなってしまえばそれで私たちの仕事は終わりかといえばそうではありません。死後の家族へのケア, 愛する人を亡くされて悲嘆のさなかにある家族の方々のためにケアをするということがホスピス医学ではとても大切なものとされています。そして30年後の現在の医学は, 自然科学, 心理学, 行動科学, 人文科学, 音楽, 教育学, 社会学, 文学, 倫理学, 哲学, 宗教などというものが健康の問題に大きく関連するようになり, 医学は「人間を対象とした, 人間のいのちのための, 科学に支えられたアートである」という定義に向かっていくことになります(図2)。
図2 医学と他分野との関わり
医学は, 人間を対象とした, 人間のいのちのための, 科学に支えられたアート(技・術)である。 |
このように新しい遺伝子学や高度なサイエンスの応援を受ける以外に, これまではある意味で脇役に追いやられていた東洋医学やその他, 神秘的だといわれる治療法, それはいままで科学者が重要でないとしていたのですが, その中にも本当のものがあるのではないかと考えるようになってきました。私の尊敬するウィリアム・オスラー先生は, 若くして英国に留学したときに腰痛を訴える患者のために鍼(はり)を習ったと記録にありますが, 東洋医学や正統派ではないといわれるような代替医学についてもこれからは研究がなされていかなければならないのです。現在, 先進国ではこれらの研究が非常に盛んに行われています(図2)。
■急速に進む高齢化
さて, 30年前には65歳以上の人口が全体に占める割合は6.8%でした。すなわち日本人が100人集まると, そのうち6人か7人が65歳以上の老人だったのですが, わずか25年の間に14%まで増加してきました(図3)。外国ではどうかといいますと, フランスでは65歳以上の老人が総人口の7%から14%になるまでには115年もかかっています。日本はこのままいきますと, 2025年には25%の人が65歳以上という老人大国となり, 2050年には32.3%になると予測されています。日本は世界で最初に老人大国―経済・政治・医療などの状況がどのようになるか―という実験をすることになるのです。世界の人たちはみんな日本に注目しています。私たちはこれまでは欧米を見て, その後をついていき, そしてあわよくば追い越せと号令をかけて無理をつづけてきたのですが, 老人が増えていくというのは世界の先進国すべてに見られる状況ではありますが, その老化のスピードと増加については日本が先端を切っているのです。日本はこの先どのように対応するのかということを世界各国が関心をもって見ているのです。私たちはこの問題については外国から学ぶことはできないのです。内から解決方法を考えなければなりません。
65歳以上の人を老人と規定したのは半世紀以上も前のことでしたが, その当時は日本人の平均寿命が68歳でした。ですから65歳以上を老人とすることに何の違和感もありませんでした。ところがいまは平均寿命も男女を均すと82歳に近づいています。昔は65歳以上を老人といっていたとしても, いまでは65歳に10歳底上げして75歳ということにしないとどうしようもない時代になっています。
図3 人口高齢化の速度
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日本 |
アメリカ |
イギリス |
西ドイツ |
フランス |
スウェーデン |
7% |
1970年 |
1945 |
1930 |
1930 |
1865 |
1890 |
14% |
1994年 |
2014 |
1976 |
1972 |
1979 |
1972 |
かかった年数 |
24年間 |
69 |
46 |
42 |
114 |
82 |
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資料:週間社会保障編集部編『欧米諸国の社会保障』
表2 65歳以上の老人と14歳未満の子供人口の比
年度 |
65歳以上人口 |
1−14歳人口 |
2000 |
17.2% |
14.7% |
2010 |
22.0 |
14.3 |
2020 |
26.9 |
13.7 |
2025 |
27.4 |
13.1 |
2050 |
35.7 |
10.8 |
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また, 日本は少子化の進み方もイタリアに次いで世界第2です。日本では, 女性が一生のうちで産む子どもの数は1.32人となっています。少子化によって生産人口はますます減少していくのですから, 65歳以上を老人とするという従来の定義を変えていかないことにはどうしようもありません。
こうした日本の状況は, 将来どうなっていくのでしょうか。子どもは少なくなり, 老人が増えていく。いずれは日本の人口も半分になるだろうといわれています(表2)。
■“どう生きるか”ということ
このような状況の中で考えなければならないのは, 私たちに与えられたいのちをどう生きるかということです。ソクラテスは2500年前に次のように言いました。「ただ生きることでなく, よく生きることをこそ, 何よりも大切にしなければならない」と。お釈迦さまは人生を「生老病死」という四苦としてとらえました。ソクラテスの考え方を釈迦の言い方に応用すると, 人生とは, 「どうよく生きるか」「どうよく病むか」「どうよく老いるか」「どうよく死ぬか」ということができるでしょう。
私たちの遺伝子には必ず死の遺伝子が含まれています。文句なしにみんな死ぬのですから, それではどうよく死ぬかということが問われてくることになります。また, 病気になるということについても, ニーチェが「病気は人間の属性である」と言っているように, 人間は人生のどこかの時点で必ず病気をするのです。そうなったときに, どのようによく病むかということが私たちの生き方として問題になるのです。つまり, 私たちの生き方は, 病み方, 老い方, 死に方であるということができるでしょう。
WHO(世界保健機関)は健康の定義を次のようにしています。
「健康は, 完全な肉体的, 精神的及び社会的によい状態にあり, 単に疾病または病弱の存在しないことではない」。身体的にも精神的にも社会的にも“よい状態にある”ということは, もっと積極的な意味を持たせた考えなのでしょうが, 実際にはこんなことはありえないことなのに, WHOはこのような理想を掲げたのです。最近WHOもこの定義を検討し直しているところです。WHOは, 身体的・精神的・社会的によい状態であるということに加えて, スピリチュアル(霊的)によい状態であるということを加えたほうが本当の健康の定義ではないかというのですが, スピリチュアルという見解が国によっていろいろと違うので, 宗教的でない国家ではそんなことを加える必要はないということがあったりして, まだまだ討議がつづいていくのではないでしょうか。
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