日本財団 図書館


 私達が砂浜に行くと、ポールさんはたいてい決まったテトラポットに腰かけて、海を見ているか、本を読んでいるか、書きものをしていた。私達はいつの間にかポールさんのことを、「テトラおじさん」と呼ぶようになっていた。
 「カワイイムスメタチ、セカイヲミナサイ」
 テトラおじさんはよくそう言って笑った。
 たとえば日本では、車は左側通行だけれど、世界の国々の中には、その逆もある。あたり前と思っていることがあたり前じゃないこと、答は一つじゃないこと、そんなことを教えてくれた。
 「ムスメタチョ、ドコニデモイキナサイ。メノマエニナニモナイ、アノスイヘイセンニムカウヨウ」
 私は少しだけ勇気がわいてきた。
 この町で生まれてこの町で大きくなって、いつもいつも「いらっしゃい、こんにちは」って言う側で、「さようなら、また来てね」って送り出す、そんなおいてけぼりになるだけの私じゃない、そんな気がしてきた。
 
 テトラおじさんのうわさは、またたく間に商店街にも広まった。宮下モーターのおじちゃんなんか、釣りの後テントにさし入れを持って行ったついでに、さばいて、焼いて、さしみにして、酒屋のおじちゃんにビールまで配達させていた。
 もっとすごいことは、お豆腐屋さんのおじいちゃんが、テトラおじさんをたずねて来たことだった。おじいちゃんは、例の戦争の話を、時には大声で、時には泣きながら話していた。驚いたことに、テトラおじさんも泣いていた。その日、おじいちゃんは酔っぱらってはいなかった。
 
 お盆が過ぎると、この町はひとっ飛びで秋になる。お別れの時が近づいていることは、口に出さなくても誰にもわかっていた。
 その日は、夏が最後の力をふりしぼっているような熱い日だった。テトラおじさんがふいに、「オヨギマショウ」と言った。私達は、いつも水着を持ち歩いていたから、さっそく水着に着がえて海に入った。だけど、この浜で水遊びくらいはしたことがあっても、沖まで泳いだことはなかった。
 「ダイジョウブ」
 テトラおじさんにそう言われて、私達はおそるおそる沖に向かった。テトラおじさんはゆっくりゆっくり、私達の後からついてきた。
 一瞬、体がふわっと軽くなって、足のつかないところまで来たことがわかった。
 「すごい」
 こんなに遠くまで来たのは初めてだった。目の前には、ただ青だけが広がっていて、さえぎるものは何もなくて、どこまでもどこまでも行けるような気がした。
 
 お別れの朝、商店街のおじちゃん達や吉田商店のおばちゃんまでやって来て、たかがテントをたたむだけのことに大騒ぎした。
 「実家に帰るのか?」
 宮下モーターのおじちゃんが聞いたら、
 「モウスコシタビヲシマス」
と言って笑った。
 自転車にまたがったテトラおじさんを見たら、またおいてけぼりの気分になったけれど気をとりなおして聞いてみた。
 「連絡したい時、どうすればいいの?」
 テトラおじさんは、ゆりえと私の頭をそっとなでてこう言った。
 「マイトシナツニナッタラウミニイマス。ウミニテガミヲナガシテクダサイ。ワタシモナガシマス。マイトシナガシマス」
 
 テトラおじさんが行ってしまうと、空がちょっぴり高くなって、澄んだ秋色に変わった。
 始業式が近づいてくると、いつもとは違った理由でゆううつだった。楽しかった、ゆりえとの夏が終わる予感。そしてゆりえがそっと教えてくれたあのことが、心に引っかかっていたのかもしれない。
 砂浜で犬の散歩をしているタケシに会った時、後ろ姿にアッカンベーをしていたら、ゆりえが言ったのだ。
 「あの子のお母さん、病気だよ。おじいちゃんの診療所じゃ治せないから、今度遠くの病院に行くの」
 タケシのお母さんほど働きものはいない、と、よく母さんが言っていたことを思い出した。
 「タケシ、強くなれ。タケシ、強くなろう」
 私は心の中でそう繰り返していた。
 
 ゆりえのお父さんとお母さんが東京から迎えに来たのは、その次の日のことだった。小さな赤ちゃんを抱いた優しそうなお母さんが、
 「いつも遊んでくれてありがとう」
 そう言ってクマのぬいぐるみを持って来てくれた。父さんと母さんがいつものくせで、まあまあすみません、なんて言いながら、上がって御飯を食べていくようにすすめたので、ゆりえのお母さんはちょっと驚いた顔をしていた。
 お別れの日、ゆりえは言った。
 「忘れないよ」
 私も、大きな声でいった。
 「私も忘れない。ゆりえちゃんも、テトラおじさんも忘れない。おじさんとの約束守ろうね。手紙、流そうね」
 
 二学期の始業式の日、担任の先生が、クラスのみんなの日焼けした顔を見まわしながら言った。
 「みんな、休みの間、どこに行って来ましたか」
 みんながいっせいに手を上げて、口々に楽しかった思い出を話し始めた。
 先生が私をさして、教室が一瞬静かになった。
 私は、大きく深呼吸して答えた。
 「はい、水平線に行きました。」
 
 これが、ママの秘密の小ビンの話だった。
 その小学校四年生の夏以来、ママはテトラおじさんにあてた手紙を、海に流し続けている。今も旅を続けているかもしれない、テトラおじさんに・・・。
 「カワイイムスメ、人生はあの水平線に向かうようなものよ」
 ママはそう言って笑った。
 
 それから、ママ達の秘密の砂浜に寄って、帰りに商店街を歩いた。
 今では立派な自動ドアのお豆腐屋さんの前を通りかかった時、ママと私は息を止めて走り過ぎて、大声で笑った。少し年をとった吉田商店のおばちゃんが、不思議そうにこっちを見ていたけれど、かまわず笑い続けた。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION