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海の子ども文学賞部門佳作受賞作品
 
「水平線に行きました」
 
菅原 裕紀(すがわら・ゆき)
本名=同じ。一九六六年生まれ。岩手大学人文社会科学部卒業。岩手日報「北の文学」入選。岩手県岩手郡在住。
 
 今年の夏も、ママは秘密の小ビンを海に流した。去年の夏も、おととしの夏も、その前も、多分私が生まれるずっと前から、ママの秘密の儀式は続いている。
 一体何のために、誰にあてて流しているのか、ママは絶対に教えてはくれなかった。毎年夏の頃、ママのふるさとのこの海辺の町にやって来て、地球に転げ落ちそうなこの岬の先っぽに立って、まっ青な海めがけて思いきり小ビンを放り投げると、とても満足そうに笑うだけだった。
 だけど今年の夏はちょっと違った。小学校四年生になった私に、この秘密の儀式のなぞを、ママはそっとそっと教えてくれた。
 宝箱を開けるように。秘密を分け合う、仲間のように。
 
 これは、私のママが小学校四年生の頃の話です。
 
 新学期は、いつだってゆううつだった。担任の先生が、休みの間どこに行って来たか、聞くにきまっているから。私はきまって、おばあちゃんの家に行きました、と答える。そしたらタケシとダイがきまって笑う。
 「車で二十分じゃねえか」
 
 父さんは、古くからの家の長男で、お盆だってお正月だって、遠くからおじさんやいとこ達が来ることはあっても、私はどこにも出かけたことがない。たまに母さんに連れられておばあちゃんの家に行ったりするけれど、タケシとダイの言うとおり、車で二十分くらいの所だったから、とても旅行とは言えない。
 だから私には、この海辺の小さな町が全部だった。
 その年の夏も、私は相変わらず「いらっしゃい、こんにちは」と言う側で、どこにも行く予定なんかなかった。夏休みの第一日目から始業式の心配をしているなんて、きっと私くらいのものだった。父さんは、代々続いている会社の仕事もそこそこに、商店街のおじちゃん達と釣りに行ってしまった。母さんは、お盆を前に掃除をしたり、客用の布団を干したり、何だかとてもピリピリしている。
 吉田商店でしょうゆを買って来るように母さんに言われて外に出たのは、気持ちの良い浜風が吹き始めた夕方だった。吉田商店のおばちゃんに、おじちゃん達はいつ来るのか聞かれたけれど、余計なことは言わないこと、と母さんにいつもクギをさされているから、「わかりません」と答えて店を出た。
 なんとなく、まっすぐ家に帰る気になれなくて、商店街をブラブラ通り過ぎて、八幡様に寄った。八幡様は、ちょっと小高い所にあって、けいだいに続く階段は、大きなトチの木のお陰で、とても涼しい場所だった。
 階段の真ん中あたりに座って夕涼みをしていると、けいだいの方で、ザザッと物音がしたような気がした。タケシとダイだったらどうしよう、と思いながら急いでけいだいに行ってみると、全く知らない女の子が、うす緑色の小さな丸いものを手の平でつつむように持って、ポツンと立っていた。色の白い、人形のような女の子だった。
 「それ、何?」
 私は反射的に聞いていた。だって、本当にきれいなうす緑色をしていたから。
 「たまご」
 当たり前でしょ、というようにその子が言った。
 「どれ、私にも見せて」
 私は近寄って、そっとそのたまごを触ってみた。
 「うわあ、可愛い。何のたまご?どうして持ってるの?」
 「ここに落っこちてたのを拾っただけ。何のたまごかは知らないけど、多分かっこうが落としたの。かっこうは、他の鳥に自分のたまごを育てさせるから。もともと巣にあったたまごは、くちばしで落とすの」
 「へえ・・・」
 あとは言葉が出なかった。お人形のように可愛くて、何でも知っていて、テレビに出てる人みたいに早口で話す、この知らない女の子に圧倒されていた。
 その時だった。女の子が、手に持っていたたまごを高くかかげて、地面に向かって思いきりたたきつけた。
 私は多分、キャーとかヒーとか、変な悲鳴を上げたと思う。あまりのことに持っていたしょうゆも放り出してしまって、グシャリと割れたたまごをぼうぜんと見ていたら、
 「誰も育てられないんだから、こうするのが一番いいの」
 女の子はそう言って、スタスタと階段を下りて行ってしまった。
 それがゆりえとの、初めての出会いだった。
 
 その翌日、吉田商店のおばちゃん経由で、診療所の先生の東京のお孫さんが、お父さんお母さんと離れてこの町に来ているということが、商店街に広まった。おばちゃんの情報によると、ゆりえに妹ができた頃から、お母さんがノイローゼ気味で、心配したお父さんが、おじいちゃんである先生の家にあずけていったということだった。
 あの八幡様での出来事を知らない母さんは、
 「郵便局で先生の奥さんに会ったら、お友達がいないって心配してらしたから、今晩、先生と一緒にゆりえちゃんも呼んどいたよ。仲良く遊んでね」
 と、早速おせっかいを始めた。
 うちの父さんや商店街のおじちゃん達は、釣りの合間に仕事をしているような人達で、釣りの後は必ず家で「えん会」をする。そこにたまに診療所の先生も加わるのだけれど、あのゆりえと、どんな話をすればいいのだろう・・・。
 けれどもその日もいつものとおり、ゆりえと私が合うとか合わないとか、何の話をしようとか、そんなことを考える時間の余裕なんて全くなかった。夕方からわらわらと人が集まり始めて、気がついたらゆりえと私は、母さんの作る料理やお酒を運ぶのに必死になっていた。二つ上の兄ちゃんは、ゆりえが来たおかげでいつもの手伝いから開放されて、さっさと二階に上がってしまった。
 ひととおり料理を運んだ後、いつものように、台所のテーブルに私達の食事が用意された。兄ちゃんはさっさと食べ終わって、母さんは酔っぱらい達の席に呼ばれて、ゆりえと私は、この日初めて二人きりになった。
 「いつもこうなの?」
 座敷の酔っぱらい達の今日の収穫の魚のおさしみや焼いたのを、お上品に口に運びながら、ゆりえが言った。
 「土、日は大体こんな感じ。普通の日もたいてい誰かいる。宮下モーターのおじちゃんとか、時計屋のおじちゃんとか」
 「ふうん」
 ゆりえは興味なさそうにそう言うと、おかずからおかずに、はしを移動する合間に、ついでのように、うちはいつも三人、と言った。
 「静かでいいね」
 私は心からそう言ったつもりなのに、ゆりえはどう思ったのか、おかしそうにクスクス笑い続けた。
 先生がヨタヨタとよろけながら、
 「ゆりえ、そろそろおいとましようか」
と台所に顔を出した時には、私達はすっかりうちとけ合っていて、アニメに出てくる鼻の大きい博士みたいな先生の赤ら顔を見て、息もつけない程笑い合った。
 
 次の日から私は、この海辺の小さな町で生活する「知恵」を、ゆりえに教え始めた。
 「吉田商店で買い物をしたいのにお金が足りない時は、『つけておいて下さい』って言えば、次におばあちゃんが行った時に払ってくれるよ。ただし、吉田商店であまり変なことを言ったりしたりしないこと。次の日には、町中に知れわたるから」
 「お豆腐屋さんの前を通る時は、息を止めて、早足で通り過ぎること。お豆腐屋さんのおじいちゃんは、酔っぱらって、戦争中苦労した話を聞かせる相手をいつも探しているんだから」
 
 その夏は最高だった。
 私達はほとんど毎日、秘密の砂浜に通った。小さな砂浜だったけれど、地元の人以外はほとんど知らない、まっ白い砂の、美しい砂浜だった。
 浜の北側の岩場にあるテトラポットに座って、色々な話をした。赤ちゃんが生まれてから、ゆりえのお母さんが急に泣き出したり、どなったり、少しずつ変わっていったこと。お父さんとお母さんが、夜になるとよくけんかをしていたこと。
 「それは、妹が生まれるずっと前からだけどね」
 私は、お人形みたいで、何でも知っていて、東京から来たゆりえを、うらやましいと思ってばかりいたけれど、ゆりえはたくさんのことを知っているかわりに、知りたくないことまで知らなきゃいけないんだと思った。
 「こんなふうに子供達だけで勝手に海に来るなんて、東京じゃあ考えられない」
 「え?どうして?」
 「それは、住んでみないとわからない」
 ゆりえはそう言って笑った。
 勝手にサンダルをはいて、八幡様ですずんだり、商店街のどこかの家でおやつをもらったり、砂浜に続くニセアカシアの並木で、その葉っぱを使って遊んだり、こうしてテトラポットに座って、水平線をながめながらおしゃべりをしたり、そんなことができない生活なんて、考えられなかった。
 ある日、いつものように砂浜に行く途中、吉田商店の前を通りかかると、おばちゃんのひときわ大きな声が聞こえた。なんだろうと思って、何げなく店をのぞいてみると、リュックをしょった背の高い金髪の男の人が、おばちゃんに一生懸命話しかけていた。日本語が少しは話せるみたいなのに、おばちゃんは何を言われても、「ノー!ノー!」と叫んでいる。
 私達に気づいたその人は、ホッとしたように、今度は私達に向かって、
 「キャンプジョウ、アリマスカ?」
と聞いた。日に焼けた頬は赤いやけどのようで、眼鏡の奥は青い瞳だった。
 キャンプなら、私達の砂浜の松林でもできそうだったので、
「イッショニイキマショウ」
と、私達まで変な日本語で答えた。
 その人はポールさんといって、日本を自転車で旅していると教えてくれた。大学で日本語を習っていたので、たいていのことは理解できるみたいだった。ポールさんは、私達の砂浜をとても気に入って、「シバラクココニキャンプシマス」と言った。
 ポールさんが、まるで魔法のように手早くテントを張るのを見学した後、私達も松の枯れ枝を拾うのを手伝った。
 夕方家に帰ってみたら、私とゆりえが、変な外国人にゆうかいされたことになりかけていて驚いたけれど、ゆりえがきちんと説明してくれたおかげで、吉田商店のおばちゃんの厳重注意となった。







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