海の子ども文学賞部門佳作受賞作品
ぼくは魚のお医者さん
長谷川 洋子(はせがわ・ようこ)
本名=同じ。一九四七年愛知県生まれ。主婦。日本児童文学者協会会員。恐竜文化賞優秀賞受賞。第八回浜屋・よみうり仏教童話大賞金賞受賞。第十七回毎日新聞社《小さな童話》大賞受賞。第七回学研「読み特賞」受賞など。愛知県知多市在住。
ぼくの名前はポポ。ホンソメワケベラという小さな魚だよ。
ぼくのパパは、体長がたった十二センチしかないのに、海ではとってもえらいお医者さんなんだ。だって、大きな肉食魚のハタやクエが、パパの言うことならなんでも「はいはい」って聞いちゃうんだもの。
パパが魚の病院を開いている場所は、さんごしょうのなかにある、岩と岩のすきまなんだ。水は青くすきとおっているし、赤やピンクのさんごは花がさいてるみたいにきれいだし、お日さまはきらきらとかがやいて、おしゃれですてきな病院なんだ。
そのせいかどうか知らないけど、患者さんはたくさんやってくる。だから、パパはいつも大いそがし。パパひとりじゃ手がたりないので、むすこのぼくもおてつだいしているってわけ。ママが生きててくれたら、パパもぼくも助かるのに・・・。
去年、ママは病気で天国にいっちゃったけど、やさしいかんごふさんだったんだ。
「患者さん、どうぞおはいりください」
ぼくが言うと、一メートルもあるクエのおじさんが、岩かげからヌッとあらわれた。ずんぐりとした茶色い体にしまもようのあるクエは、さすがにはくりょくがある。
ぼくはビクッとしてパパの後ろにかくれた。
患者さんたちは、ぼくたちホンソメワケベラを食べたりしないけど、やっぱりこわい。
「先生、助けてくださいっ!」
クエのおじさんはいきなりさけんだ。
「どうされましたか、いったい?」
「このごろなんだか息がしにくいんです。年のせいでしょうか・・・」
おじさんは、大きな胸ビレをひらひらさせながら、コポポッと空気をはきだした。
「どんなふうに息がしにくいのですか?」
「エラのあたりがむずむずして、水をすったりはいたりがしにくいんです」
「それはおこまりでしょう」
パパは、おじさんのエラを上から下までじっくりと観察しながら、口の先でちょんちょんとつついて診察している。パパってすごい。
「先生、なおりましょうか?」
クエはごほごほせきこんだ。
「ふむ、外から見たかぎりではそれほど心配ないと思いますよ。傷も見あたりませんし」
パパが首をひねりながらつぶやく。
「エラをしらべてみましょう」
クエは、カパッと口を開けた。その大きいこと。こんな口にのみこまれたら、たいていの魚がひとたまりもない。
「そのままじっとしていてくださいよ」
パパはためらいもせず、クエの口の中へすいーっとはいっていった。
ぼくはパパを尊敬した。だって、クエがうっかり口をとじたら、パパは食べられてしまうわけで、まさに命がけのしごと。信頼しあってないとできないことで、ぼくにはまねもできない。
「パパだいじょうぶ?」
ぼくはおそるおそるのぞきこんだ。
「心配はいらないよ。まあ、見てなさい」
クエの口の中はまっ白だから、白と紺のたてじまもようのパパはよく目立った。
「ああ、これでは息がしにくいはずだ」
パパは、エラのあたりをつつきはじめた。
「ひどいごみだ・・・」
パパは、クエのエラにたまっているごみを、せっせと食べにかかった。ごみといっても、魚の肉の食べのこしだから、ホンソメワケベラにとってはごちそうなんだけどね。
「ふうーっ、やっときれいになった」
クエの口からでてきたパパは、おなかをぱんぱんにふくらませていた。
「食後にちゃんとうがいをしないから、こんなにごみがつまっちゃうんですよ」
パパはげっぷをしながら注意した。
「すみません・・・」
クエのおじさんは、こっけいなほどしおしおあやまった。
「エラの具合はどうですか?」
「はい、おかげさまでとっても楽になりました。ほら、見てください」
クエは、ごぼごぼごぼと深呼吸して見せた。
「それはよかった。どうぞおだいじに」
「どうもありがとうございました」
クエのおじさんは、尾ビレをぱたぱたおどらせながら、元気に帰っていった。
「お待たせしました。どうぞ」
つぎの患者さんは、イトマキエイのマンタくんだった。体長が二メートルもある巨大な魚だ。そんな相手でも、
「どうされましたか?」
パパはへいきで話しかける。
「先生。おれ、体がかゆくてかゆくてたまらないんす。なんとかしてください!」
マンタくんは、いきなりテーブルさんごにおなかをざりざりとこすりつけた。さんごの表面がくだけて粉がとびちる。
「こらこら、そんならんぼうなことをしちゃ、さんごがかわいそうじゃないか」
「だって、がまんできないんだよー」
マンタくんは、むちのような細いしっぽを、ぶんぶんふりまわした。
「まあ、おちつきなさい。ちょっとのがまんなんだから」
パパはやさしく言って、マンタくんの白いおなかの下へもぐりこんだ。
「ポポ、ちょっときておくれ」
パパがぼくをよんだ。
「ほら、よく見てごらん」
パパが、マンタくんの皮ふについている虫(チョウ)を見つけてぼくにおしえた。
「わあ、チョウがたくさんいるね」
「パパひとりじゃとても食べきれないから、ポポもてつだっておくれ」
「うん、いいよ」
ぼくとパパは、つぎつぎとチョウを退治していく。でもマンタくんの体は大きすぎて、食べても食べても虫はなくならない。それでも、ぼくとパパはもう食べられないというところまでがんばって食べつづけた。
「わーい、かゆみがおさまったぞ」
マンタくんが体をのけぞらせてのびをした。
「よかったね」
ぼくは胸ビレをぴらぴらふった。患者さんが喜んでくれると、ぼくまでうれしくなる。
「先生、ポポ、どうもありがとう」
「かゆくなるまでほっておかないで、もっと小まめに皮ふのそうじにきなさい」
「うん、そうする。ああすっきりした」
「おだいじにー」
マンタくんはおどけてくるりと一回転して見せると、三角のヒレをたくみに上下させながら、ゆうゆうと帰っていった。
その夜、パパが病気になった。むりをしてチョウを食べすぎたせいで、はらをこわしたらしい。
「いたたたた・・・」
「パパ、しっかりしてよ」
「おなかがいたくて、じっとしてられないんだ」
パパは、さんごの林の間をのたうちまわっている。マンタくんにはがまんしろと言ったくせに、自分のことになるとまるきりだらしがないんだから・・・。
ぼくはふと、「病気には温泉がきく」という話を思いだした。
さんごしょうの南のはしに、海底からあたたかい水がふきだしている場所がある。そこで魚が病気をなおしているって、キジハタのおばさんから聞いたことがあった。
「パパ、ぼくたちも温泉にいこうよ」
ぼくは、パパのふくらんだおなかを口でつんつんマッサージしてやりながらさそった。
「しかし、病院を休むわけには・・・」
パパは顔をしかめながらうなる。
「自分が病気なのに、なにを言ってるの」
「だって、わしが病院にいなかったら、患者さんたちがこまるじゃないか」
「けど、自分の病気をなおすのが先でしょう」
このひとことがきいたのか、パパはようやく温泉いきをしょうちしてくれた。
「じゃあ、でかけるとしよう」
夜の海はまっくらでこわかったけど、パパを早く楽にしてあげたくて、ぼくは温泉いきをいそいだ。道にまよいそうになると、さんごしょうの小さな魚たちが、かわるがわる道案内をかってでてくれる。パパが病気をなおしてあげたことのある魚たちばかりだった。
ぼくたちはなんとか温泉にたどりついた。温泉のまわりは水が白くにごっていて、へんなにおいがただよっていた。でも、温泉だけあって、あたたかく気持ちいい。
海底には、温泉のふきだしてくる穴がいくつも開いていて、その穴のまわりには黄色いイオウがこびりついている。あたりには、病気で弱った魚たちがじっとしていた。
「ここは、海のリハビリセンターだ・・・」
パパはのんびりと海底の砂地にねそべった。
「この温泉、ききそう?」
パパのへんじがない。ぼくがはっとしてのぞきこむと、なあーんだ。すやすやとねむりこんでしまっていた。
パパのおなかはふくらんだままだけど、温泉のおかげで腹痛はおさまったらしい。ぼくはほっとして、パパのとなりでゆったりとくつろいだ。
温泉のへんなにおいは気になったけど、これが病気をなおしてくれるにおいにちがいない。そう思ってがまんした。
海面からは、やわらかな月の光がさしこんでくる。さざ波が、ちゃぷんちゃぷんと子守歌をうたってくれる。さんごにとりついた海ホタルが、光ったりきえたりしている。海藻のハンモックにゆられながら、ぼくはとろとろとねむりにおちていった。
つぎの日になっても、パパのおなかはひっこまなかった。もともと食べすぎでふとりぎみだったところへ、高血圧や、糖尿病だろ。医者の不養生ってやつだ。
「ほらパパ、海藻を食べておなかのそうじをしなきゃだめだよ」
ぼくは、やわらかそうなモズクやワカメをつんできてパパに食べさせた。海藻はダイエットにもいいしね。そのときだった。
「あら、ポポちゃんじゃないの」
キジハタのおばさんが温泉にやってきた。キジハタは、赤茶色の体に黄色いてんてんもようのあるおしゃれな魚だ。
「おばさん、どうしたの?」
「見ておくれ。ひどい目にあっちゃったよ」
おばさんは、ヒレや皮ふから血をにじませながら、顔をこわばらせた。
「わあ、胸ビレがぼろぼろだ。せなかのウロコもはがれおちそうになってるよ」
「そうだろ。これでも必死でにげてきたんだよ。くやしいったらありゃしない!」
おばさんは、今にもなきだしそうだ。
「いったい、だれにやられたの?」
「それが、エラのそうじをしてもらいに病院へいったら、休みだっていうじゃないか」
「うん。パパが食べすぎでおなかをこわしたから、病院はしばらくお休みだよ」
「そうだったのかい。で、先生の具合どう?」
おばさんはちょっぴり声をひそめた。
「まあまあってとこかな」
「大事にしておくれよ」
「おばさんこそ」
「そうそう、それでね、診察してもらうのをあきらめて帰りかけたら、ポポちゃんとそっくりの魚がやってきて、エラを見てやるって言うんだよ」
「ぼくとそっくりの魚?」
「そうなんだよ。体つきも色もそっくりで、おまけに泳ぎ方までにてるもんだから、ついおねがいしちゃったんだよ」
「へえ、だれだろう?」
あれこれ考えたけど、さっぱりわからない。
「そしたらそいつがね、見かけによらないするどい歯でかみついてきたんだ。その痛かったのなんのって、さんざんだった」
「えっ、なんだって!」
うとうとしていたパパが、海底の砂をまきあげて、ぴょんととびおきた。
「そいつは、ニセクロスジギンポといって、ホンソメワケベラのふりをしてみんなをだますわるいやつなんだ。わしのるすをこれさいわいと、ひどいことをするとは、ぜったいゆるせん!」
パパが、こうふんしながらどなると、
「まったくだよ。なんとかしないと、ぎせいがふえるばっかり。ああ、くやしい!」
おばさんもぷんぷんわめきちらした。
「なんとかできるかなあ・・・」
ぼくはぞっとして、もごもごつぶやく。
「すがたも大きさもポポちゃんによくにていて、かわいいんだけど、どうもうなのよ」
ぼくとにてるということは、十センチくらいの魚のはずなのに、五十センチもあるキジハタのおばさんにおそいかかるなんて・・・。
「このままほっておくわけにはいかん」
パパはいらいらと尾ビレをくねらせた。腹痛はおさまったものの、まだよたよたしていて、病院にもどれそうにない。だからぼくは、
「よし、ぼくがおいはらってやる!」
勇気をふりしぼってさけんだ。本当はすごくこわくて、心臓がどきどきしていたけど、病気のパパに心配させるわけにはいかない。それに、患者さんたちが、ニセクロスジギンポにだまされて傷だらけにされたらと思うと、いてもたってもいられない。
「ポポひとりじゃむりだぞ」
パパが丸い目をくるくるさせた。
「そうとも。むりむり。殺されちまうって」
「けど、じっとしていられないよ」
「おやめったら、おやめ!」
キジハタのおばさんが、おろおろしながらぼくをひきとめる。そのおばさんの大きな体の下をすりぬけて、ぼくは病院へいそいだ。
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