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 五日目の夕方。塩屋崎を越えて間もなく、急に天気が崩れ出した。それまで鏡のようだった海面に南からの細波が立ちだした。止まっていたヨットが、するすると走り出した。船尾から流していた曳き釣りの潜行板がぐっと潜った。大喜びで引きあげると、大きな虹色のシイラがかかっていた。コックピットに取り込んで、弟と大騒ぎをしているうちに、海の表情は一変していた。
 ヨットは、一面、白ウサギのような波に囲まれていた。ジブセール(船首帆)を降ろすためにデッキに出たサエキさんの大声で、僕は舵にしがみついた。ヨットを風上に向けようとするが、舵がきかない。全身を使って舵柄を風上側に押そうとするが、はね返されてしまう。ヨットは風下のほうに、激しく首を振ろうとする。横向きになっては、サエキさんが帆を降ろせない。
 セールが風をはらみ、ヨットが横をむいた。横腹に波を受けて、船体が大きく傾いた。前デッキのあたりまで行っていたサエキさんが、滑って海に振り落とされそうになった。いや、半分は海に漬かっていた。それでもスタンション(支柱)にしがみついて、船の上に戻ってきた。
 こんな状態のなかで、サエキさんはジブセールを引き降ろして、パルピット(船首の手摺)に結わえつけた。さらに、メンスル(主帆)を降ろして、三段リーフ(縮帆)した。船の状態を考えて、ぎりぎりまで小さな帆だ。
 コックピットに戻ってきて、舵を代わってくれた。気がつけば、僕の喉は渇ききり、膝頭が震えている。そんな僕を見て、サエキさんは何事もなかったかのようにニコニコと笑っている。こんなことは、すでに何回も経験済みさ、といった顔付だ。
 キャビンの入り口から首を出した弟のおでこから血が出ている。ヨットが傾いたとき、どこかにぶつけたのだろうか。でも、痛がりもせず、
「凄かったね」
などと言っている。僕は、ただ一刻も早く岸に戻りたいだけなのに。
 縮帆したヨットは、これまでのことが嘘のように素直に走りはじめた。いや、操舵手がサエキさんにかわったことが、もちろん大きいのだが。
 海の状況はますますひどくなっている。
 白ウサギから、さらに白馬のたてがみのように大きくなっていった波は、今では、一面、飛沫になって霧のように風下に吹き飛んでいる。小山のようなうねりが、つぎつぎと押し寄せ、僕たちの船をてっぺんに持ち上げては、ウォーターシュートのように谷底に突き放す。
 ヨットは、ねじられ、たたきつけられて、今にもバラバラになってしまいそうだ。
 このまま沖にとどまるのは無理なようだ。「もう少しちゃんとしたヨットなら、沖で風が止むのを待ったほうが安全なんだけど」とサエキさんは、惜しそうに言うが。
「ここからそう遠くないところに、小さな港があるから、一旦、そこへ逃げ込もうか」と、サエキさんが決断した。
「でも、ちゃんとした海図がないから、どんな港かわからないよ。そのときは、もう引き返せないから、覚悟をしてね」
と僕たちの顔を見た。おかしな日本語なので、まるで冗談のように聞こえる。
 海は大時化なのに、お天気はとてもよい。荒れ狂った海が、水平線まではっきりと見える。雲も、波も、光も、影も、すべてがくっきりしている。だから、いっそう怖さがつのる。
 僕はコックピットにぺたりとしゃがみ込み、底の簀(すのこ)を手が痛くなるほど握りしめていた。弟は、キャビンの入り口の梯子につかまり、ちょっと緊張した顔を見せている。
 四時半頃、サエキさんが言っていた小さな港、間々口港の沖に着いた。河口を利用してつくったちいさな漁港らしい。
 ここから二マイル、海岸に直角に、港の入り口にむけて走る。少しでも曲がれば、追い波の餌食になる。
 そのためには、波に飲み込まれないだけのスピードが必要だが、いまは三段リーフした、ちっぽけなセールしか揚げていない。
 リーフを解くには、クルーがたりない。僕では、役に立たないということだ。
 もう、サエキさんの舵取りにまかせるしかない。
 もともと痩せたサエキさんの顔が、さらに引き締まって骸骨のように見える。ヨットは、いやいや波の山を昇ってゆく。頂上で、ゆっくりと止まり、こんどは一気に波の坂を滑り落ちてゆく。
 船首は頭を振りながら波につっこみ、船尾は崩れかけた波に追いつかれて、お尻を右、左に振る。
 このときどちらかに振られれば、船は横腹を見せて、波に巻かれてしまうだろう。
 サエキさんは、股のあいだに舵柄をはさみ、コックピットに仁王立ちになっている。右手にメインシートを持って、暴れ馬でもあやすように、ひとつ、ひとつの波をさばいていった。
 何百の波を越えただろう。
 船は、河口に近づいた。そのあたりは波が崩れていて、港の入り口がどうなっているのかよくわからない。それでなくとも、大きな波が追い越すたびに、目の前はふさがれ、なにも見えなくなってしまう。
 「しっかりつかまれ」
英語だったが、意味は通じた。
 信じられないほど狭い港の入り口が迫る。右は、防波堤。左は、岩礁。後ろからは丘のように大きな波が追いかけてくる。もう逃げられない。
 船首は波に突っ込み、とんぼ返りをうちそうだ。ヨットが、横倒しになった。凄い力が、ヨットから体をひきはがそうとする。鼻から海水が流れ込み、猛烈に痛い。それでも、ヨットのどこかにしがみついていた。
 どのくらいたっただろう。ヨットは、ゆっくりと立ち上がった。気がつけば、港に滑り込んでいた。
 コックピットにはサエキさんがいた。弟は、右舷のライフラインにつかまっていた。
 港内は、外の大時化が嘘のように静まりかえっていた。
 サエキさんはヨットが着けられるところを探して、狭い港の中をぐるぐる廻った。岸壁には隙間なく船が着いていて、接舷するところがない。
 しかたなく、港のいちばん奥に停泊していた漁船に横付けした。
 漁船の操舵室から、ずんぐりした漁師が顔を出した。
 ジロジロとこちらを見ている。サエキさんが、ここに船をとめてもいいですか、とていねいに尋ねている。が、漁師は返事をしない。
 サエキさんの言っていることが、通じないようだ。日本語の発音がおかしいうえに、態度がおどおどしているので、なにか怪しんでいるようだ。
 サエキさんの言葉が、次第に英語ばかりになる。顔は日本人なのに、英語をしゃべるサエキさんを、漁師は怪訝な目で見返している。
 今度は、僕がきいてみる。
「ここに、船をとめてもいいですか」
ジロリと睨まれた。返事はない。子供など相手にするか、という態度だ。
 やがて、漁師は船から降りて岸壁にあがってしまった。そこに、三、四人の漁師が集まって、こちらを見ながら、なにかささやきあっている。いやな感じだ。
 そのうちのひとりが自転車に乗ってどこかへ行った。
 どのくらいたっただろう。
 さっきの自転車の漁師が、ふたりの警察官を連れて戻ってきた。警察官も自転車に乗り、帽子の顎紐をかけている。
 サエキさんは、ますます落ち着きを失い、コックピットから、逃げるようにキャビンへ入ってしまった。
 警察官と、漁師たちが、てんでに何かを怒鳴っている。
 この港は、他所からの船は入港禁止だぞ。夜になると、たくさんの船が帰ってくるから、早く出て行け。どうしても入りたいなら、もっと北のとなりの港へ行け。と、いうようなことを、てんでに怒鳴っているらしい。
 サエキさんには理解できない。
 いや、すっかり落ち着きを失い、ひとの言っていることなど、耳に入らなくなってしまっているようだ。
 警察官たちが、次第にいぶかりだした。横柄な態度で、ヨットに乗り込むぞ、と怒鳴っている。おまえらは、どこの国の人間なのか、スパイだろう、というようなことも言っている。
 港の外へ出るのは怖い。絶対に、嫌だ。でも、こうなったら、どんな大時化だろうと海へ出たほうがいい。サエキさんなら、大丈夫だ。早く海へ出よう。
 「サエキさん。早く、出ようよ」
と、言っても、サエキさんの耳に、僕たちの声は届いていないようだ。こんな別人のようなサエキさんに、僕はどうしてよいかわからない。
 若く見えるほうの警察官が、横抱きしている漁船のもやいロープを引っ張って、乗り込もうとしたとき、キャビンから、弟が出てきた。
 両手で、サエキさんのピストルをかまえていた。警察官に銃口を向けた。
 「撃つぞ」
と言った。僕でさえ、凍りつくように澄んだ声だった。
 本物か。玩具か。日没の光のなかでは、よくはわからないようだが、警官は、あわてて岸壁へ戻った。
 こちらを伺いながら、みんなで何かを相談している。
 若い警察官が自転車で走っていった。
 港は濃い藍色につつまれはじめた。湾口のちいさな灯台の光が、緑色に明滅しはじめた。
 弟と、サエキさんは、キャビンに引きこもったまま出てこない。
 僕は、どうしてよいかわからずにコックピットに座って、防波堤のうえに残った警察官たちの様子を見ていた。突然、サイレンの音が近づいてきた。
 海岸沿いの道のほうから、一台のジープがやって来た。赤色灯がグルグル回っている。
 防波堤のうえを走ってきて、僕たちの頭のうえで停まった。サイレンが止んだ。
 白いヘルメットに、白い弾帯。ふたりのMPが、ジープから降りた。
 キャビンの入り口にサエキさんの首が浮かんだ。初めての朝、ヨットのエンジンルームのわきに浮かんでいた、あのときと同じ白く透きとおった顔だ。
 漁船に乗り移ろうとするMPのほうを見あげて、すぐに消えた。
 突然、キャビンの中に銃声がとどろいた。しばらくして、弟が梯子を昇ってきた。
 僕と弟の家出は終わった。
 サエキさんの脱走も終わった。
 僕と弟は、茅ケ崎へ帰された。
 サエキさんの遺体も、たぶん、茅ヶ崎の米軍キャンプに帰っていったのだろう。
 
 走り出した帆船は止まらない。
 弟はヨットマンになった。今から数年前、真冬の江ノ島−グアムヨットレースに参加して、クルーと共に海に消えた。艇の切れ端も見つかっていない。艇名は、あの「ノーチラス。」参加したヨットの多くが、大破したり、遭難者を出すという、厳しい海況での事故だった。
 僕は、といえば、いま、サエキさんの故郷であるアメリカ西海岸の港町サンディエゴに住んでいる。ちいさなマリンサプライの店を持ち、毎日、漁師やヨットマンたちの相手をしている。
 店の名前は[SAEKI]。僕の妻は、あのサエキさんの姪なのだ。
 走り出した帆船は止まらない。
 近頃、ますます強くそう思う。湾内を走っている、あのちっぽけなディンギーでも、沖をゆく、コーストガードの、あの練習帆船でも。走りだした帆船は止まらない。
 ひとはただ、そのうえで遊ばされているだけだ。







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