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 こんなことがあって、サエキさんの出航が早まった。行き先は仙台に近いある港。サエキさんのお母さんの故郷だ。サエキさんの親族は、その港で代々造船所を営んでいるということだ。はっきりとは言わないが、サエキさんは、そこの造船所でこのヨットを完全に治して、やがて機会を見、アメリカ西海岸に帰るつもりではないだろうか。
 僕と弟は、宮城県のその港まで一緒に行くことになった。ここで船から追い出されても、僕たちには行くあてがない。このヨットの船体は、見かけよりもずっとしっかりしている。長かった梅雨も去り、天候も定まったし、そう、長い航海ではないから・・・。などなどと、ひとつずつていねいに説明をして、僕たちが一緒に行くことを許してくれたのだ。
 僕が思うには、サエキさんも、僕たちのことをほんの少しだけ頼りにしているのではないだろうか。
 僕たちのあいだでは、サエキさんが船長、僕がボースン、弟が提督なのだが、もし、どこかでひとに尋ねられたら、サエキさんは、留学生、僕たちはその従兄弟と答えることも決めた。
 沿岸に沿って走る短い航海だが、風と潮まかせなので何日かかるかわからない。コンパスや、海図なども満足なものは積んでいない。サエキさんが持っているちいさなコンパスと、おおきな縮尺の地図が頼りだ。
 航海日数を多めに見こんで、水と食料はたくさん積みこんだ。水は神社の蛇口から何度も往復して、寝台の下の黴臭いタンクに汲んだ。食料は、また、藤沢の町へ買いに行った。サエキさんの苦手なカボチャやサツマイモなどの代用食だが。ほかに、航海灯がわりに使う灯油ランプ、薬、調味料など。曳き釣りの道具や、水中眼鏡なども積みこんだ。
 家出から、ちょうど十日目。午前四時。まだ星の瞬いている海に乗り出した。エンジンの始動は手間どった。が、弾み車を廻すサエキさんが諦めかけた頃、突然、ゴトゴトと動き出した。防波堤をかわすと、夜明け前の冷たい風が頬をなでる。サエキさんに言われて、僕はマストの根元についた。
 サエキさんが舵を切って、船首を風上に向ける。腰越の岬が黒い小山のように見える。
 サエキさんが声をあげた。
 セールをあげろ、ということだ。つい三日前の夜、ヨットの船首室で震えていたサエキさんとは、まるで別のひとのような大声だ。
 教わったとおり、体重をかけてハリヤード(帆を揚げる動索)を引く。するするとセールが揚がってゆく。
 サエキさんがブームの端についたシート(帆を操る動索)をつめる。セールが風をはらみ、ヨットがぐっと傾いた。弟がエンジンのスイッチを切った。サエキさんの操舵で、ヨットはぐるりと回頭して沖へ向かう。
 エンジンの音が消えた静かな海を、陸からの追い風を受けて、滑るように走っている。バウ(船首)の切り裂く波の音だけが、川の流れのように、さらさら聞こえる。
 萌黄色の空を背景に、右舷前方に烏帽子岩のシルエットが見えてきた。つい最近まで、あんなにたくさんの軍艦が集まっていたのに、いまは艦砲射撃で頭の欠けてしまった烏帽子だけがポツンと海に浮いている。
 江ノ島沖二キロメートルほどのところに浮いていたオレンジ色の大きなブイをかわしたところで、船首を城ヶ島のほうに向けた。茅ヶ崎とは、サヨナラだ。
 歓声をあげていた弟の声が聞こえなくなったと思ったら、コックピットでサエキさんとならんで舵を握っていた。僕は、ひとりで船首のデッキに寝そべって、ヨットの切り裂く波の音を聞いていた。
 お昼前には三崎の沖を通過して、東京湾の入り口にいた。館山の手前で、こちらに向かってくる軍艦が見えた。大きなビルディングのような軍艦のデッキからは、ちっぽけなヨットなど目に入らないのだろうか。スピードも変えずに、灰色の壁が迫ってくる。と、思ったら、目の前で右に針路を変えてすれ違い、東京湾に入っていった。大きな曳き波をたてる軍艦の船尾には手を振っているセーラーの姿が見える。
 サエキさんは、まるで顔を隠すように、帽子を目深にかぶり、曳き波に揺れるヨットを必死にコントロールしている。
 船体のわりにマストが低く、セールも小さいこのヨットでは、思うようなスピードは出ない。と、サエキさんはぼやいているが、僕たち兄弟にとっては、すばらしいスピードだ。測程儀(ログメーター)が壊れているので、正確な速さはわからないが、サエキさんが船首から板切れを投げ入れて計ったところでは、およそ時速三・五ノット(七キロ強)で走っているらしい。目的の港までは、早くて五、六日。遅ければ「いつ着くか、わからないよ」と、サエキさんは半分真顔で言った。僕たちは、いつまで乗っていてもいいのだけれど。
 海水で茄でたトウモロコシやサツマイモは美味しい。けれど、ヨットには、サエキさんの持ってきたチーズがある。コンビーフもある。チョコレートもある。コユアもある。チューインガムもある。
 おとなはいない。宿題もない。デッキに寝転がって空を見あげる。マストが弧をえがき、白い雲が飛んでゆく。
 こんな時間がずっと続けばいいのに。
 野島崎から九十九里浜のずっと沖を通って犬吠崎へ。そこから北北西に向かい鹿島灘へ入った。朝と夕方はよい風が吹くものの、真昼になると夏特有のベタ凪になった。油照りの海のうえで、ただ揺れている時間が多かった。太平洋から押しよせる、ゆったりしたうねりに乗ってヨットがローリングする。そのたびにブームが左右に揺れ、セールがバサバサと耳障りな音をたてる。
 そんなとき、サエキさんはキャビンに降りて昼寝をした。弟はサイドステイ(マストを支える静索)に張った縄梯子に昇って、あちこちを眺めていた。僕は舵を握って、風のきざしになる海面のさざ波を見つけようとしていた。風だけで走るヨットの操縦が楽しくなってきたのだ。
 大洗の沖では、すれちがったちいさな漁船がコックピットに西瓜を投げ入れてくれた。そのとき舵を握っていたのは弟だったから、何事だろうと寄ってきてくれたのだろう。キャビンの入り口から顔を出したサエキさんを見て、安心して西瓜をプレゼントしてくれたらしい。
 夜の間はずっとサエキさんが舵を握っていたが、ときどきは僕もコックピットに出てウオッチを手伝った。コンパスの代わりに、ステイの間に星をとらえて針路を保つ方法も教わった。針路がずれたときだけ、サエキさんのちいさなコンパスに懐中電灯の光を当てて修正した。サエキさんの指示するコースは、十度とか、二十度とかおおざっぱなので、細かい舵取りは必要ないのだ。また、これまで走ってきた海はずっと静かだったし、夜すれちがう大きな船もほとんどなかったので、怖いことはなにもなかった。







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