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 近くの漁船が出てゆく音で目を覚ました。何時かわからない。薄明かりのなかで、親指をくわえた弟の寝顔がぼうっと白く光っている。デッキに雨音がたたきつける音がする。小便へ行きたいが、セールのうえから降りる気がしない。が、がまんも限界か。そろそろと船首の物置を出た。床に溜まった海水の中をじゃぶじゃぶと、キャビンの梯子のほうへ行く。
 エンジンボックスの脇に、ひとの首が浮いていた。透きとおるように白い顔だ。
 大きな目が、じっとこちらをむいている。
「おにいちゃん」
いつのまに起き出したのか、船首室から弟が声をかけた。
 瞬きもせずにこちらをみつめていた目が、弟の声に反応するようにまばたいた。首は、ずるずると伸びあがり、エンジンルームの脇から這い出てきた。
「コンニチワ」
気味の悪い発音だ。
「コンニチワじゃないよ、まだオハヨウだろ」
僕の脇にきた弟が、そのひとにむかって言った。
 すっかり立ち上がったそのひとは、すごく背が高い。カーキ色のTシャツに、カーキ色のズボンをはいている。南湖キャンプのあたりではよく見かけるGIのスタイルだ。顔は、日本人のようだが、体格はアメリカ人のようだ。
 そのひとは、ポケットに手を突っ込んだ。ピストルか。とっさにそう思ったのは、茅ケ崎海岸では、夕方、酔ったGIが、ビールの空き缶などをピストルで撃ちぬいて遊んでいるのを、よく見かけていたからだ。
 ポケットから出したのはリグレイのガムだった。弟は、すぐに受け取った。僕も、手を出した。弟は包装紙を破いて、全部口に放り込んだ。僕は、ていねいに銀紙をはがし、半分だけ口に入れた。銀紙はとっておいて、あとで匂いを嗅ぐためだ。
 男と、弟はすぐにうちとけた。名前はジョン。名字はサエキ。たぶんアメリカ人。歳はよくわからないが、二十歳と二十五歳の間だろうか。
 僕とサエキさんは、ぎこちない。目をあわせないようにしている。用があるときは、おたがいに弟をとおして、ひとりごとのように話す。
 僕は、アメリカ人が嫌いだ。怖い。父さんが戦死し、母さんがアメリカへ行ってしまったこととは関係ないが。
 日本人の男の人は、もっと嫌いだ。キャンプの鉄条網にぶらさがって中を覗き込んだり、ダンスホールから出てくるGIにタバコをたかったり。バザーの日に僕がキャンプで貰ってきたクッキーを、引ったくっていったり。GIと腕を組んでいる日本人の女のひとの悪口をわざとらしく言ったり。ホームに止まっていた軍用列車に小便をかけたり。弱いくせに、卑怯なことをする。
 僕が神社から水を汲んでくると、サエキさんは、固形燃料で湯を沸かしココアをいれてくれた。コンデンスミルクもいれてくれた。コンビーフの缶を開け、乾パンも食べた。なんと、すばらしい食事だろう。弟は犬のようにむさぼったので、むせてしまった。
 雨はますます激しくなり、ちいさな漁港にはだれもやってこない。サエキさんは、弟の得意な滅茶苦茶話に声をたてて笑ったりしていたが、ときどき曇った窓に額を押しつけて、まわりの様子を窺っていた。とても落ち着かない様子に見えた。
 サエキさんの日本語は変だ。
 でも、なぜか僕たちにはサエキさんの言いたいことがわかったし、サエキさんも僕たち兄弟の言うことがわかるようだった。
 ふたりが家出中の身の上であることは、すぐに伝わった。弟が、得意そうに何度も「家出、秘密」と言ったから。
 サエキさんが船にいることは、決してだれにも話さないこと。そう約束して、弟は空の薬莢(やっきょう)を貰った。僕は、ブリキのタバコの空き缶を貰った。蓋をあけて匂いを嗅ぐと、とてもいい気持ちになる。
 僕たちの家出も秘密と、僕はサエキさんに肥後の守をあげた。大切な持ち物は、それでおしまいだ。が、サエキさんのズックの袋には、いろいろなものが入っている。本物のピストルも入っている。
 次の日も雨だった。
 僕は買い物に行かされることになった。弟は船に残る。それは、僕が気まぐれに逃げ出してしまわないための人質なのだろうか。
 買い物は、一週間分くらいの三人の食料。釘、金槌、鋸などの大工道具。セメント。船の燃料・・・。島には店が少ないので、隠しておいた自転車を使って藤沢の町まで行くことにした。
 途中、両親と一緒に映画館から出てきた友達に会った。「オス」と言って、すぐに別れた。おたがいに夏休み中なのだから、やましいことはなにもないのだが、家族連れの友達を見ると、なぜか気後れしてしまう。むこうは、傘もさしているし。
 食料の買い物は得意だ。母さんがいなくなってから、買い物は僕の仕事だったから。サツマイモ、カボチャ、ピーナッツ、トウモロコシ・・・。食料は全部、八百屋ですんでしまう。サエキさんは、パンとか、米とか言っていたが、そんなものは、通帳やクーポン券がなければ買えはしない。それに代用食なら、蒸したり、茄でたりするだけで、おかずもいらない。
 大工道具もまあ手に入った。
 困ったのは、セメントと燃料だ。小学生が、なぜ、そんなものを買うのかと、怪訝な顔をされたりした。あちこち歩きまわり、結局、買えずに船にもどった。
 サエキさんは、不満そうだった。サツマイモや、カボチャは苦手だし、いちばん必要なセメントと、燃料は手に入らないし。でも、不満を口には出さず、ただ「サンキュー」と言った。
 その日から船の修理が始まった。
 サエキさんは、この船の持ち主を知っていた。米海軍横須賀基地に所属する将校が何人か共同で持っていたヨットで、持ち主たちは、帰郷したり、朝鮮の戦争に出かけてしまっているらしい。面倒をみるひとがいなくなったため、船溜の奥に押しやられたもので、見た目よりは痛んでいないということだった。
 それにしても、なぜ、サエキさんは米軍のことを、よく知っているのだろう。やっぱりGIなのだろうか。
 そんなことより、船の修理だ。
 まず、水漏れ。壊れかけたビルジポンプ(排水ポンプ)と、錆びたバケツを使って、船の床に溜まった水を汲み出した。舐めてみると、あまり塩辛くない。ということは、船底からの水漏れではなく、雨漏りの水が溜まったものだろう、とサエキさんは推理した。
 まわりにひとがいないのを見はからって仕事をするので、なかなか水位がさがらない。それでも、僕の脛まであった水は、いつのまに踝あたりまでに減っていた。
 サエキさんは、床板をあげ、僕に懐中電灯を持たせて船底を調べた。思ったほど痛んでいないらしい。セメントを使わなくても、詰め物やパテでなんとかなりそうだと言う。サエキさんは、ヨットレース中、ディンギーの底にあいた小さな穴を、噛んでいたガムでふさいで走ったことがある、と言っているが本当だろうか。
 つぎは、エンジンボックスを開いて、なにか英語でつぶやいた。
 僕が質問すると、エンジンを冷やすための海水を取り入れるバルブの弁がだめになっていて、そこから海水が流れこんでいる、と教えてくれた。エンジンの修理はあとまわしにして、とりあえず水漏れを塞いでおけばいいらしい。
 サエキさんは、ヨットの専門家なのだろうか。初めて会ったとき、あれほどオドオドとして、落ち着きのなかったサエキさんが、船をいじりだしてから別人のように元気になってきた。まるで別の人のように見える。僕も、ラジオや、自転車など、機械をいじるのが大好きなので、そういうサエキさんの手伝いをするのはとても楽しい。
 ずっと雨が続いている。
 雨降りの、こんな忘れられたような船溜りには、めったにひとがこない。たまに小船が入ってきても、船を舫うとすぐに立ち去ってしまう。サエキさんも、だんだん大胆になり、外へ出て仕事をする時間も長くなってきた。サエキさんが、なぜ人目を避けているのか、ほんとうのことはわからない。けれど、ぼんやりと想像することはある。
 キャビンの屋根の破れ目もふさがった。便所のドアを壊して使ったので、便器が丸見えになってしまった。もっとも便器のポンプも壊れているので、外で用をたすしかないのだが。これは、すごく面倒なことだ。
 雨漏りがしなくなったので、3人とも船首室からキャビンに移って寝ることにした。弟には、サエキさんが自分の毛布を敷いてくれた。
 四、五日目の夜。僕は橋のたもとの漁港まで行って、船から燃料を盗み出した。一艘の船からたくさん盗むと見つかってしまうので、何艘かの船から少しずつ。燃料タンクの蓋をあけてホースをつっこむ。飲みこまないように吸いあげれば、あとは自然に流れ出てくる。ドラム缶風呂の水を抜くときにやっている要領だ。エンジンオイルは吸いあげられないので、缶ごと盗んだ。
 燃料の入ったバケツを渡すと、サエキさんは驚き、困ったような顔をした。これで僕もサエキさんと同じように秘密をもつことになったのか。
 困ったような顔をしたあと、サエキさんは、エンジンは防波堤を越えるあたりまで使うだけで、あとは帆で走るから、これだけあればじゅうぶん、と言ってくれた。
 ディーゼルエンジンの石臼のような弾み車にハンドルをつける。サエキさんがそれを廻し、勢いのついたところで、僕が燃料のコックを開く。そうすればエンジンがかかる。外観は錆びているが、ディーゼルエンジンはとても頑丈なので、たぶん動くはずだと言う。すごく楽しみだ。でも、今は静かな夜なので、エンジンの音を響かせるのはやめておこう、とサエキさんは言った。
 肝心なセールは、黴がはえているけれど大丈夫。順風用、荒天用、追い風用など何枚かそろっているらしい。シートや、ロープも、ところどころ痛んでいるけれど、よいところを選んで使えばいいらしい。
 いちばんの問題はマストだ。
 下から三分の一くらいを残して、上のほうがなくなっている。根元のほうはデッキの穴を通り抜けて、舟艇の背骨にあたる部分にしっかり乗っている。だから、十メートルくらいの長さがある丸太があれば、繋いで使えるのだが、とサエキさんは独り言のように言った。
 首をのばして、見あげてみればいい。
 サエキさんの欲しがっているものが、あそこにある。
 島の中腹の木々のあいだから、少しだけ頭をのぞかせている。江ノ島小学校の国旗掲揚用のポールだ。戦争が終わってから、どこの小学校でも日の丸を揚げることは少ない。国歌を歌うこともない。中島先生が音楽時間にレコードで「君が代」を聴かせてくれたとき、どこの国の音楽か答えられた生徒はひとりもいなかったくらいだ。あの国旗掲揚ポールも、ほとんど使われることはないだろう。
 サエキさんの顔が輝いた。
 夜明け前、三人で小学校にむかった。土砂降りのうえに、まだ暗い。江ノ島神社への参道には、人影はまったくない。
 中島先生の饅頭屋も、ひっそりと雨戸をおろしている。その前を駆け足で通り抜けた。
 島の中腹にある狭い校庭は、雨に煙っている。校舎を背にして国旗掲揚ポールが立っている。あらためて見あげると、なんと高い柱なのだろう。
 サエキさんは、ポールに近寄り、表面をなでたり、叩いたりしている。高さは、およそ十メートル。根元の太さは二十五センチくらい。先へゆくにしたがって、やや細くなっている。
 材質はヒノキの一種で、サエキさんによるとヨットのマストには、うってつけの木材だそうだ。
 サエキさんに言われたように、弟が腰にロープを結びつけてポールをよじ登ってゆく。普段は木登りの得意な弟だが、雨に濡れた木肌が滑りやすいのか、何度かずるずると落ちそうになった。それでも、なんとかてっぺんまでたどりつき、旗を揚げる滑車にロープを通した。その端をくわえて弟が降りてきた。
 ロープは細いものから、だんだん太いものへと繋いである。たぐってゆくうちに、いちばん太いロープがポール先端の滑車を通った。それを近くにある木の幹に巻きつけた。サエキさんが、その端を握る。
 ポールの根元をとめている二本のボルトのうち、上のほうの一本を、僕が引き抜く。
 サエキさんが木の幹に巻きつけたロープをそろそろとゆるめてゆく。ポールは下のボルトを支点にして、ゆっくり倒れていった。
 大成功だ。
 前の晩、下見をしたあと、なんども図を描いて計画を練ってきたが、こんなにうまくゆくとは思わなかった。弟は、思わず拍手をし、サエキさんに止められた。
 それからが大変だった。
 田んぼのようにどろどろの校庭をサエキさんとふたりでポールをかついで横切った。ポールは、なかが中空になっているとはいえ、やはりかなりの重さがある。そのうえ、サエキさんはノッポ。僕は、小学生だ。
 重さが僕の肩にかかる。ポールがたわむたびに、肩の骨が折れそうに痛む。背骨もつぶれそうだ。息もできない。それなのに、弟が、はしゃぎながらぶらさがったりする。狭い校庭を横切るだけで、なんども転びそうになった。
 ポールをかついで参道をおりるわけにはいかない。計画どおり、学校の裏側の崖を降りることにした。ポールの端にロープを結わえつけ、熊笹のスロープを滑らせてゆく。実際には、ポールはスキーのようなスピードで濡れた笹のうえを滑り落ちていってしまい、そのあとから三人が転げ落ちていった。痛いのか、おかしいのか、わからないうちに崖を滑り降り、下の道にでた。
 その日のうちに、古いマストの根元にポールを添わせて、応急マストが立った。だれも、国旗掲揚用のポールとは気がつかないだろう。
 でも、サエキさんは念のため、滑車や、ロープやボルトを、うまく組み合わせて、あまり力を使わずに起倒できるように工夫した。使うまでは倒しておけば、人目にもつきにくい。運河の多い国ではよく見られる起倒式のマストだそうだ。
 ブーム(帆桁)には、ポールの端を切って使った。そのために、やや短めのマストになった。このほうがセールの面積もちいさくて、ひとりで扱いやすいとサエキさんは言う。ということは、ヨットが海へ出るとき、僕たちは置いてきぼりということだろうか。
 船に泊まってから一週間くらいがたった夜。夢のなかに、ひとの声が混ざって目を覚ました。外で何人かのひとが、大声をあげたり、唄を歌っている。日本語ではないようだ。
 そばに眠っているはずのサエキさんの姿が見えない。闇のなかに目をこらすと、船首室の床にうずくまってセールをかぶっているサエキさんがいた。ひどく脅えているようだ。僕は、様子を見るために這ってコックピットに出た。長く続いた雨はあがり、月が海を照らしている。
 防波堤のうえに六人のシルエットが見える。歌ったり、踊ったり、コーラやビールの空き瓶を海に投げこんだりしている。みんな酔っぱらっているようだ。
 そのうち、ひとりがピストルを取り出して空にむかって撃ちだした。残りの五人も同じことを始めた。ピストルの乾いた音が船溜りに響く。よく見かける、酔っぱらったGIの悪ふざけだ。チガサキ・ビーチのあたりから遊びにきた米軍の兵士たちだろうか。
 六人は、しばらく騒いだあと、どこかへ行ってしまった。僕たちのヨットにも興味がないのか、まるで気がつかない様子だった。
 キャビンに戻り、サエキさんに、もうだれもいないと言っても、船首室から出てこようとしない。顔はひきつり、外からのちょっとした音にもビクビクしている。
 サエキさんは、なぜそんなに脅えているのだろう。なにを恐れているのだろう。
 それから二、三日、サエキさんは船から外へ出なかった。いつもおどおどと外の様子をうかがい、ごくたまに漁師の姿が見えると、あわてて船首室に隠れようとした。







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