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海洋文学賞部門佳作受賞作品
 
帆船は止まらない
 
原 鴻一郎(はら・こういちろう)
本名=同じ。一九四一年横浜市生まれ。早稲田大学文学部卒。一昨年までクリエーティブディレクターとして(株)電通勤務。共著に「コピーライター入門」。元東京コピーライターズクラブ会員。現、漂着物学会会員、一級小型船舶操縦士、JCA公認サイクリングインストラクターなど。海、船(ヨット)、自動車、航海記、海洋冒険小説等を愛す。
 
 帆船は、走り出すと止まらない。
 ハンカチーフのような、ちっぽけな帆をもつディンギーでも、シップやバークと呼ばれる三本マストのおおきな船でも、走り出したら止まらない。
 疾走する船のうえで、ひとは、ティラーやラット(舵柄や舵輪)を操り、シート(帆綱)をさばいている。が、それは馬車や自動車を操縦するのとは、まるで別のものだ。
 帆船は、船首を風上にむければ、たしかにおとなしくなる。また、帆を降ろして、錨を入れれば、いやいや止まったようにみえる。しかし、止まったとみえるのは錯覚だ。
 それはただ、風を逃がしているにすぎない。帆を持つ船は、いつも風と一緒に走っている。走り出したら止まらない。
 ひとは、ただ、その上で遊んでいるだけだ。と、言いきるのも、およそ半世紀も前、僕と弟は、疾走するヨットに乗って、ハックルベリ・フィンか、トム・ソーヤのような何日かを送ったからだろうか。
 
 湘南茅ヶ崎の中海岸から江ノ島まで。今なら一三四号線で、たった十キロメートルの距離にすぎない。だが昭和二十年代、湘南遊歩道とよばれる道は辻堂のあたりでチガサキ・ビーチ(米軍の射爆演習場)をとりまいて大きく迂回し、穴だらけの道には砂が厚くつもっていた。
 僕と弟は、そんな道を自転車に乗って江ノ島にむかった。ふたりとも、サドルにまたがることができず、いわゆる三角乗りという、トップチューブのしたに足をつっこんで立ち漕ぎする、かなり不自由な乗り方をしていた。
 自転車は重く、風も強い。走り出してから、すぐに後悔しはじめたが、弟の手前、前に進むしかない。弟は、廃車寸前のぼろぼろの婦人乗り自転車に乗っている。これは、前日、近所の家から盗み出しておいたものだ。オンリーさんが住んでいる家で、門の前にはときどき、大きなビュイックが停まっていた。その運転席に砂を投げ込んだり、ペンキ塗りの白い塀に「パンパンの家」と落書きをしたり、僕たち兄弟や、近所の子供たちの、悪戯の標的になっていた。だから、自転車を盗み出しても、あまり悪いことをしたと思わないですむ家だった。
 茅ヶ崎海岸から江ノ島のあいだには、何本かの細い川が海にそそいでいる。このドブのような川をガンガーと呼んでいた。西から東に向かって、第一ガンガー、第二ガンガーというように。なぜ、ガンガーと呼ぶのか、いまもってわからない。だれが、そういいだしたのかもわからない。でも、ガンガーは、小魚の宝庫だった。鮒(ふな)や鯔(ぼら)や、ソーメンと呼ぶ鰻の稚魚もいた。
 また、揚げワンタンのような形をした飛行機の燃料タンクも浮いていた。ということで、僕たちにとっては、釣やイカダ遊びをするのに絶好の場所になっている。
 ところが、きょうは夏休み真っ最中というのに、どのガンガーにも友達の姿はない。そういえば、陽炎のたつ道にも、鉄条網をへだてたビーチ・チガサキ射爆場にも、人影はまったくない。
 マグネシュウムをたいたような白々とした景色がひろがり、松林と波だけがごうごうと鳴っている。
 心細い。江ノ島行きなど、すぐにやめてしまいたい。が、弟がついてくる。僕たちは、家出をしてきたのだ。家出をするのだから、家には、もう絶対戻れないんだぞ、と言ったのは僕だ。
 家出といっても、家にはだれもいない。戦争未亡人だった母は、半年ほど前に米兵と結婚して、どこかへ行ってしまった。
 行き先は、アメリカだろうか。まわりのおとなたちが、そんなことを言っていたから、そうかもしれない。ある朝、目を覚ましたらそうなっていたので、本当のことはわからない。そのあと面倒を見てくれていた親戚のおばあさんは、だれかの出産を手伝いに行って病気になり、そのまま入院してしまった。
 だから、家にはだれもいない。いや、猫が一匹いたが、この数日餌をやらなかったので、どこかへ消えてしまった。これでも家出といえるだろうか。探す家族もいない張り合いのない家出だが、書置きまでして出てきたのだから、僕たちにとっては、立派な「家出」だ。
 緊張しているためか、お腹はすかない。いや、むしろ鳩尾(みぞおち)のあたりが固くなり、吐き気がする。猛烈に喉が渇く。渇ききったパンを半斤、給食袋のなかに持っているが、水は一滴もない。喉の渇きにもまして気がかりなのが、荷台に乗せているメジロだ。置いてくるわけにもゆかず連れてきてしまった。どうしたらよいだろう。餌は、ハコベか小松菜に糠を混ぜてすりおろしたものしか食べない。家を出たときには暴れまわっていたのに、いまは鳥篭の底に敷いた新聞紙のうえにぐったりと横たわっている。もう、死んでしまったのか。
 それにしても不思議な日だ。
 人影が消えてしまっただけでなく、音さえしない。いつもなら鳴り続けているチガサキ・ビーチの演習の音はどうしたのだろう。
 キャタピラを軋ませて砂浜を走り回っていた戦車(馬入川河口の南湖病院の跡は、いま米軍機甲師団の基地になっている)。波をかきわけて駆けあがってきた上陸揚舟艇。潜望鏡のような排気筒から黒煙を吐いて走る装甲車。烏帽子岩の沖をゆったり行き来していた軍艦・・・。なにもかも、消えてしまった。
 おとなたちが噂していた、あの朝鮮半島での戦争が、ほんとうに始まってしまったのだろうか。僕たちが眠っているあいだに、こっそりと、音も立てずに、朝鮮半島に移動して行ってしまったのだろうか。それでは、まるで母さんと同じだ。
 風はますます強くなり、電線が鳴っている。防砂林の貧弱な松はもちろん、砂に這っているハマボウフウまで吹き飛ばされそうだ。肌にあたる砂は小粒の石のように痛い。目にも、耳にも、飛び込んでくる。口の中は、ザラザラだ。
 でも、弟はついてくる。泣いてもいない。もっとも、弟が泣いたことはめったにない。脚を折ったときでさえ、歯を食いしばり、体を震わせながら、泣き声はたてなかった。
 母さんが消えた朝、ほんの少し泣き顔を見せたが、それはただ、いつものように寝起きが悪かっただけかもしれない。号泣していた僕には、本当のことはよくわからない。
 ちいさくかすんでいた江ノ島の影が、だんだん大きくなってきた。もう、片瀬海岸だ。江ノ島の橋のうえには人の姿も見える。影絵のように頼りなく動いている。
 やっと、橋のたもとに着いた。台風で壊れたばかりなので、杭のうえに不揃いの板を並べただけの粗末な橋だ。自転車は、ここでおしまい。おでんの屋台の裏に二台の自転車を隠す。
 江ノ島には、何度も来たことがある。
 学級担任の中島章子先生も住んでいて、つい最近、江ノ島神社の夏祭りに、同級生五、六人と呼んでもらったばかりだ。
 先生の実家は饅頭屋だ。店先に積んだせいろから、参道にむかって白い湯気をしゅうしゅうと噴きあげている。先生は三十歳をすぎているが、まだ結婚はしていない。相撲の大関松登のような体のうえに、店の饅頭のような顔がのっている。とても優しい先生で、とくに戦争で親を亡くした生徒のことを気にかけている。そんな気がする。なぜって、このあいだ祭りに呼ばれた五、六人が、みなそうだったから。家出を決めたとき、ほんの少しだけ先生のことが頭にあったかもしれない。といって、先生のところへ行こうなどと思ったわけではない。それどころか、先生に見つかったら一大事だ。すぐに、家に送り返されてしまうだろう。
 土産物屋と貝問屋のあいだの狭い路地へはいりこんだ。船溜りのある東の岩場へむかう道だ。五、六メートルうしろから弟がついてくる。
 突然、いじわるな気持ちがわきあがってきた。弟をふりきろう、と思ったのだ。家と家とにはさまれた迷路のような隙間にとびこみ、そのあたりをやみくもに歩きまわった。
 しばらくたち、もとのところへ戻ったとき、弟は消えていた。路地から路地をのぞくが、どこにもいない。縁側で爪を切っていた老婆がけげんな顔で見ている。漁船が繋いであるほうへ行ってみる。あたりは薄暗くなりはじめ、海は、ますます荒れている。黒い雲が垂れさがり、渦巻いている。急に不安になってきた。
 弟の名前を呼んでみる。防波堤の上を走ってみる。船をもやっていた老人が、どうしたのかとたずねてくる。
「うるせいやい」
老人は、首をふりながら行ってしまった。突風にあおられたトンビがバランスを失って急降下した。
 防波堤のはずれに弟がいた。石段に腰掛け、足をぶらぶらさせている。両手でトマトをかかえこみ、顔を洗うようなかっこうで食べている。うれしそうな顔で
「にいちゃん。これもらったの」と、言った。気がついたとき、手が出ていた。顔をはりとばし、トマトは海のほうに飛んでいった。
 唐突に弟が泣き出した。弟は泣かないものだと思い込んでいたのに。動物のような、笛のような声だった。いつまでも泣きやまず、僕は、海に唾をはいた。
 まわりが暗くなり、防波堤の端の灯台に緑の灯がついた。給食袋から乾いたパンをとりだしたが、弟は食べない。僕も食べたくはない。もう、ひとの姿はない。
 前から目をつけておいた船にもぐりこむことにした。ほかの船から離れたところに、捨てられたように繋がれている。前に来たとき、同級生の馬場がノーチラス号と名づけた船だ。もとは外洋を走るヨットだったのだろうか。屋根には穴があき、マストは途中から折れ、ノーチラス号というより、幽霊船といったほうがいい。
 貝のこびりついたロープを引っ張って船を寄せる。鍵のこわれた扉を開いてなかに入る。機械の油、腐った海草、黴(かび)の混ざったような、ひどい臭いだ。梯子を降りて船室に入る。僕の脛のあたりまで海水がきている。
 蝋燭に火をつける。家出にそなえて、空缶に古い蝋をためておいたものだ。光がひろがり、影が揺れる。藁のはみでたマット。開いたままの抽斗(ひきだし)。ブヨブヨにふくれた海図の束。錆におおわれたエンジン。船首部屋に垂れさがっているロープ。まさに、幽霊船だ。
 泣きやんだ弟は、海図台に置いてあった錆びた六分儀をいたずらしている。
 破れた屋根から夜空が見える。雲が低く飛んでゆく。驚くほど明るい星が揺れている。いや、星が揺れているのではなく、船が揺れているのだ。浸水はしているが、まだ、ちゃんと浮いているらしい。船溜りに入ってくる波に揺られて上下し、突風にあおられてぐらっと傾く。そのたびに、床にたまった海水がざあっと流れる。
 雨が降りそうなので、穴のあいたキャビンを避け、船首の物置で寝ることにした。三角の狭い物置には厚いセール(帆)が何枚も積んである。そのうえに弟の寝る場所をつくった。
 弟は六分儀を握ったまま、すぐに寝入った。僕も、死んだメジロを海に捨ててから、積み上げたセールのうえに横になった。なかなか寝つけない。デッキのうえを、だれかがどかどか走り回っているような音がする。索具がひゅうひゅうと鳴る。怖くなって、弟のそばに移動した。







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