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 炭労のストがつづく。盆休みを島炭鉱の港で積み荷待ちのまま過ごすのも業腹だと、船長が船主と連携プレイで、“ドベ炭”を積んだ。洗炭場から流れ出る“ドベ”を沈殿させる。水を抜き、程々乾いた粘土状のものが、塩田などの燃料炭として使われる。
 エンジンの振動と波の揺さぶりで、液化現象を起こした“ドベ炭”はハッチの中で平らになった。艫に比重の大きい恵海丸は、船足のバランスを崩して、周防灘の些細な時化で舳(みよし)から波の中に突っ込んで仕舞うところだった。二度目の今回は、間仕切りの材木を用意して、順調に終えた。
 国家管理の枠から外れる“ドベ炭”が割り当てられるのも、正月後先に周吉らが運ぶ米俵の効果だと、船主の見通しの鋭さを船長は大仰に褒めた。その“ドベ炭”さえも底を突いた。盆過ぎに牡蛎ノ浦に繋いだまま、動こうとしない山の上のコンベヤーを毎日眺めて半月過ぎた。以前は四、五日も荷待ちをすると日毎に苛立ちの度合いが高まって行った船長が、今回は、変に落ち着いている。
 むしろストの続行を望んでいる風にさえ見えた。繋船料の要るこの港で待つより、水も旨い、“タテ船”も出来る、七つ釜に行こうと言った。大潮の満潮時に砂浜に接岸横着する。船の四方を固定して、引き潮を待つ。
 地方(じかた)に向けて四十五度近く転ばし、沖側の船腹に繁殖している牡蛎や海草を掻き落とす。乾いた後に“ドクチャン”を塗布する。毒性が強く貝類の生息を許さぬ筈だが、効能書き程の効果はなかった。
 「海の中に毒を撒き散らすだけで、外板に残るのはただのペンキだけやぞ」
 ぼやきながらも、“タテ船”の後の酒を周吉にそれぞれ注文出ししてはしゃいでいた。
 翌日の潮で、反対の舷をこする。
 二日目の“タテ船”が終わって、せいやんが突いて来たオコゼの吸い物を、酒の後の胃袋に落としながら、船長がぼそっと言った。
 「このままだと正月まで何航海出来る事やら。航海手当も玄海手当もあったものじゃないぞ。船主にしても、繋いどる船に飯食わして、給料出して、やっとられん話じゃぞ」
 誰も気にしてないわけではなかったが、改めてこんな席で言い出さなくても。
 「ストライキ。ついこの間まで炭鉱の中でそがいなこと考えられることじゃなかった」
 島炭鉱の蛸部屋から、時化の夜、一本の坑木に身を委ねて海峡を泳ぎ渡って、脱出したことを、他の者の従軍記談に負けまいとするかのようによくしゃべっていたボースンが、憤懣やる方なき様に残りの焼酎を干した。
 「時が経てば、何事でも様変わりするものじゃ。嫌でもそれに沿うて流れにゃあしょうがない・・抗て見てもどうにもならん」
 船長の言葉は、皆に聞かす以前に、自分に言い聞かす響きが籠もって(こもって)いた。
 「石炭(すみ)積んで阪神まで乗る三航海分出る仕事があるのじゃが、皆どうする」
 その表情と、話の内容の食い違いに、誰もが返答を探しあぐねている。
 「何を積む・・何処え行く・・キャプテンがそんなこと尋ねるのはおかしいのと違うかい。のうみんな。キャプテンの命令は、白が黒でも従うのが船方のきまりじゃないのかい」
 もう一人のセーラー、船主の姉の子が、酔いに任せて調子よくぶった。
 「そう言われりゃ楽じゃが。積み荷はわからん、行き先もわからん。判っておるのは荷物が米軍の物と言うことだけじゃ」
 元軍艦伊勢の高射機関銃の射手をしていたと言う船主の甥の表情が強ばる。
 「行き先は朝鮮かい!」声がささくれた。
 「わからん」
 「荷は、弾薬かい。缶詰かい」
 「それもわからん」船長は、生冷めたチヌ飯を、噴き上げて来る感情を押さえ込むかの様に大きく飲み込んでいた。
 「今言ったことをすぐにも引っ繰り返すことになるが、船長、こいつはついていけんことじゃよ。俺の体に鎮座しとる此奴らが承知せんと思う」そう言って元射手は、左腕の行動範囲を半分以下に制御している、脇の付根の盲貫銃創を撫でた。
 右の大腿部にも弾が残っているのだと言っている。今日すぐにでも摘出手術を受けねばならないのだが、そう言いながら、現状を楽しむ風情さえ見せていた。
 「強制されているものでもない。するでもない。お前らの自由じゃ。ことわっとくが万が一事故があっても、国の保証はない。国の預かり知らぬことなんじゃ」お替わりの椀を差し出しながら、船長は言葉を継いだ。
 「よけいやっとれるかい。のう皆」
 元射手の声が、酒の香りにむせていた胴の間の空気を一瞬凍らせる。
 「今度は、潜水艦も飛行機も無しじゃろうなあ。勝ち戦の船団もええんじゃないかい」
 繁さんとせいやんが頷きあっていた。
 「すみ積んで“しじもって”(沈む)も何程の保証があると言うのじゃ、俺らは荷積んで運んでなんぼの船方じゃないか。わしゃ行くぞ」
 ボースンの声は、異論を挟ませまいとするかのように、上ずってさえいた。
 結局元射手の加茂さん一人が降りることになった。
 「片ワッチ、一人足らんようになるが・・」
 六時間交替で、機関場に一人、ブリッジに二人ずつ必要だった。ボースンが気使う。
 「兄公がおる・・俺とやろ。何時迄も飯炊きでもないじゃろう、この航海が終わったら、補充は“かしき”にしてもらう。年明けにおろす新造船の連中を雇うついでに」
 船長の言葉をもう一度、周吉とボースンは手繰り寄せていた。ボースンの拳骨が、周吉の後頭部にかなり強く弾けた。鼻先の皺が泣いている。
 「兄公儲けたのう・・俺のお陰じゃぞ」
 加茂さんが言ったが、周吉はボースンに対する謝意と同じ感情を、この元射手には持てなかった。櫓も櫂も経験がないと言う新米のかしきに、ひと航海で下船を奨めた加茂さんだったが、周吉は一度も加茂さんの櫓、櫂を操るのを見たことはなかった。
 
 「何処の生まれかしらんが、船方の血のかけらも見当たらん奴じゃったな」
 船長と繁さん兄弟が村上。ボースンとせーやんが河野。来島周辺の定番とも言える姓だった。佐世保の桟橋に加茂さんを送って帰って来た周吉が、最初に聞いた船長たちの会話は、加茂さんの姓についての詮索だった。
 山手の村から出てきた周吉だったが、郡の名と同じ姓がさせるのか、意外に疎外感はなかった。ただ祖父が、その先代が、と言う船乗り物語りには入って行くことが出来ない。
 加茂さんがとる行動は、盆休み明けの出港前に、船主が予測していたと、船長は今度の航海の指示を受けたことと一緒に明かした。
 「お前らは、反対せんと決めてかかったのは俺の思い上がりじゃなかったかと・・」
 十隻余りのLST(戦車兵員揚陸艦)が並んで繋船しているのを、眺めながら、明日荷積みの指示を受けて来た時、全員をデッキに集めて、今更、とも思える逡巡の様を見せた。
 だれも腹は決まっているものの、船長の言葉に返す術を探すのにてこずっている。
 「あの船、同じのが並んで・・日本の船と違うわなあ」周吉の問いに答えるべく、全員意識を、並ぶ艦船に移した。
 「アメリカのリバ艇。俺らが御帰還の時にお世話になった船や」せいやんが言った。
 「そんでも、昨日も見てたけど、乗っとる人は皆日本人やで」
 周吉は、ブリッジの双眼鏡を使った観測の子細を、拳骨覚悟で告げたが、誰一人、
 「余計な遊びをさらして」と手を上げる者はいなかった。そういえば、加茂さんが去ってから一度も拳の配給を受けていない。
 「小船に至るまで、丁寧に沈めた見返りにアメさんが、日本の会社に払い下げてくれたもんじゃよ。鉄屑の捨て場でもあるが・・」
 船長の言葉に付け足しをする者はいない。
 「また徴用されたのか」
 「その筋のお達しに逆らってやって行ける程、海運界はまだ息吹き返しておらんから」
 「炭鉱のストも、俺らを引っ張り出す為に仕組んだことかの」
 「そこまでは・・思い過ごしだろうが・・」
 船長とボースンは、先の船長の言葉に始まった、行き詰まりの空気を動かした周吉の行動をあらためて反芻していた。
 「今度は、木製の機関銃の据え付けはないのか」繁さんが、無理な真顔で言う。
 
 出帆予定日を告げられて、上陸は禁止された。“ジョウドマ”(船倉の蓋)を外した後、積み込みを見ることは許されなかった。
 「前と同じじゃないか。それ程重要な物でもなかろうに」繁さんとせーやんは、七年前を思い出し、気が重い。
 “ジヨウドマ”を並べる時も、シートで隠された荷物を見ることはなかった。
 「攻撃される心配は絶対にないそうじゃ、が、浮遊機雷の危険が若干とのことじゃ」
 船長は、それを避けるすべを見せてやると言っている。水平線の空気の歪みで索敵をした眼力を信じろと言った。波の背に浮かぶ物は、木切れひとつでも見逃しはせん、とも重ねて言う。
 「機雷みたいなもん、瀬戸内を漕いでいても当たる時には当たるけど、宝くじに当たるより難しいのと違うかい」
 繁さんが、みんなの不安を払拭するかのように、白濁した左目も大きく見開いて笑う。
 夏の盛り。新盆の休み前の稼ぎを追い込んでいた漁師たちが死んだ。
 音戸と早瀬の瀬戸を過ぎて、しばらく西に行くと、芸予諸島の西の端に長島がある。その島の沖で大型の磁気機雷が、網にかかって爆発した。死亡三十名、行方不明十六名、重軽傷者十五名。一瞬の爆発で人の命が奪われたことでは、恐らく世界で一番の体験をしたこの辺りの人々にしても、かなりショックなニュースだった。正月松の内には福井県蒲生海岸の防波堤に、浮遊機雷が漂着して爆発し、付近の家屋四百戸近くの窓ガラスなどが砕かれ、住民三十名余りが怪我をした。
 繁さんもみんなも、結局何処の海にいても危険の度合いは同じだと、意見が一致した。
 九月十日の出港予定が一日遅れた。
 横浜、神戸から出帆する他の船団の準備が、九月二日から接近して来たジェーン台風の影響で躓いた(つまずいた)。台風は九月三日には室戸岬から淡路島付近を通り、午後一時過ぎ神戸に上陸。高潮から逃れようとした大阪南部の大和川川尻周辺のバラック小屋の人たちは、イモ畠の凹凸と、イモ蔓に足を奪われ命を落とした。同じ日、和歌山県箕島周辺海域で漁船が多数流失、沈没して百名余りが行方不明になった。
 五十隻程のLSTの船団につかず離れずと言えば、いいのだが、船足の差はどうしようもなかった。
 「また単独航になるのかい」
 せいやんが、ブリッジでしきりにぼやく。
 誰も船室に降りて寝ようとはしない。
 「行く先は仁川の沖じゃ。迷うことはない、ついこの間まで我が国の海じゃないか」
 船長もボースンも落ち着き払っている。
 「周やん、何考えとる」
 せいやんの声に、すぐ返事が出来ない。
 「兄公!」とつい一週間前まで呼ばれつづけていた周吉には、即応出来かねる呼び声だった。つがいであろうか、二羽の鳰が、島影さえ見えぬこんな沖の波間でのんびりと浮いている。次の台風の余波か、波頭が不規則に泡立って、騒ぎはじめていた。
 「お前も、もう“おか”でよう暮らせん。俺らと同じじゃの」
 「鳰か」周吉はつぶやきながら、もしこの航海で危険に会っても、帰港して船を降りることはないと思っていた。







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