三月一日。
推定緯度三十二度で日付変更線を越える。
相変わらずの大時化だ。
東半球に入ったとの気休めだけで、日本は依然として遠く遥かな存在だ。
三月五日。
狂い舞う煙霧が幾分薄らぎ、巨浪の背越しに水平線が垣間見えるようになった。
白一色の泡の海は縞模様になってきた。
太陽を拒みとおし、おどろおどろした乱雲が時に仄かな明かるさを見せる。
測定儀も敏感に反応して六節を刻み始める。
二航今村は今日こそはと六分儀を手に天測の機会を狙っていたが、淡い太陽の輪郭を咄嗟に捉え、貴重な一本の位置の線をものにした。
毎日の足取りも位置取りも解らずに迷路に嵌まりこんで三週間、心もとない時の位置の線は貴重であり、推定位置より前進している可能性を明らかにしてくれた。
翌日の正午も天測の機会に恵まれ、七海里先行している船位を確認出来た。
荒天のなかに僅かながら好転の兆しが見え、船脚も六節に届き始めて、船橋に立った船長は笑顔を綻ばせた。
三月六日。
何時もの様に飛沫に濡れた大工が報告に来た。
「四番艙のビルジウエルが大麦で埋まっています」
ビルジウエルのある隔壁部は衝撃とストレスの集中するところ、付近の目張りが破れて大麦がウエルを埋めたようだ。
これはビルジの吸引不能を意味し、さりとて手の打ちようも無く多少の濡損は免れまい。
外板亀裂の起こらぬよう只祈るだけだ。
三月七日。
朝食時、一機牛山が気懸かりな事を言い出した。
「スターンチューブからプロペラの回転する度に海水が噴き出してきました。ブレイド(羽根)の欠けた影響が出てきたようです」
船医西村の表情に不安が走ったのを船長は見逃さなかった。
「ドクター、スターンチューブの水漏れは構造的に心配ありません。風も弱まりスピードも出てきたし後十日程の辛抱です」
穏やかな説明で西村は落ち着いたようだが、念のため現場を確かめてみると、軋む回転音と共に海水がかなりの勢いで飛び出しビルジウエルは溢れて、ドクターにはとても見せられる図ではなかった。事実、摩擦熱の懸念があったのである。
三月十日。
南鳥島から北北東三百六十海里の位置で、野島崎灯台に向け西北西に変針した。
残航程千百海里、速力六節。
入港一週間前の園内に入ったが、今までに多くの大型船を飲み込んで魔の海と呼ばれる房総沖の三角海域を越えねばならない。
昔、東海道で箱根の険をやっと越し、疲れ切って差し掛かった権太坂で、花のお江戸を目の前にして行き倒れ、投げ込み塚に葬られた旅人が多かったと聞く。投げ込み塚は願い下げだが、疲れた旅人の心情風情は、苦闘で傷んだ宝洋丸そっくりに思えてくる。
一方、燃料清水切れの不安から開放された船内には安心ムードが流れ、気の早い者は家族呼び寄せの電報を打ったりしていたが、そんな空気を一瞬に吹き飛ばす緊急事態を、顔を引き吊らせた甲板長と大工が報告に来た。
「五番艙が大分臭っています。麦がかなり発酵してるようです」
三番艙は危ないと思っていたが五番までが・・・、酷い腐食状況の全船的な広がりを眼の眩む思いで納得させられた坂本は、先ずは船長に報告、現場に飛んだ。
艙内は肥溜めを引っ掻き回したような臭気が充満して一瞬息を止めたが、それを気にする余裕などなく、三人は垂直タラップに縦に連なり、カーゴランプをかざして背丈程の周囲の空間を調べていった。
外板にも大麦にも、見える範囲には異常が無いようだ。周囲の外板を細かく調べるには、底無し沼のような麦の表面を這うしかない・・・危険過ぎる。
埒があかず、もどかしく、焦りもする。
「ボースン、どうも浸水の見当がつかないな。中甲板のトリミングハッチを開けてみるか」
四隅のハッチを開けると右舷後方の臭気が一際強いが、表面に異常は見られず濡損の程も全く不明である。
「大体の見当がついて良かったですね」
ボースンと大工は慰めを云ってくれたが、実状を確認できず、確認できても対処の法も覚束無い、切羽詰まった坂本は心の余裕を失いかけた。
狼狽して右往左往するだけの人間をよそ目に、黙々と荒天に堪え、走りを止めようとしない宝洋丸の声が、ふと闇の空間から聞こえたような気がした。
「私だって大変なのよ。こうなったら私達死ぬも生きるも一緒じゃないの。しっかりして下さいよ!」
どやされた思い、俺はお粗末だった・・・。
一蓮托生! その通りだ!。
開き直って急に気が楽になる。
「ご覧の通りだ。様子を見るしかない。これだけ臭うまでには少なくも十日位経っているだろう、ビルジには今現在異常はないようだし、今日明日どうなる問題ではなさそうだ。
大工長、ビルジには特に注意を頼む」
バンクーバーを出港する前、大時化を予想して航海安全を祈り、甲板部全員が冗談半分に髭を剃らない約束をしたもんだが、こんな事態に立ち至りフザケ気分は吹き飛んで真剣に祈る破目になろうとは!・・・。
坂本は伸びた髭を憮然として撫ぜた。
報告を受けた船長の行動は素早く的確だった。浸水状況、対応処置、見通し、部分海損の可能性を打電、事務長には安全無事を船内に周知徹底させた。
一段落して夜半過ぎ、当直に備へ横にはなったが、一件の生々しさに仮眠どころではない。
「怖い顔して何考えているの?赤ちゃんお腹の中で元気で大きくなっているわよ。貴方もしっかりしてね」
子供は無理と云われた弱い体を承知の上で、命懸けで産む気になっている女房の悦子が笑顔で語りかけてきた。
浸水発酵は確かに一大事だが後は神様だけがお見通し、いたずらな不安妄想は無意味でみっともない・・・と言っているようだ。
「もう一息だ。くよくよするな!」
改めて腹に力を入れた。
三月十四日。
舷窓からの丸い光の束がテーブルの上に揺れて爽やかな朝だった。
五番艙のビルジは今朝も異常なく、東京も日増しに近くなった。食事の会話も自然明るく弾んだがドクターが居なかった。
迎えに行ったサロンボーイが言葉にならない狼狽え(うろたえ)方で、
「ドクターが大変です!」
船長と部屋に行ってみると、寝巻きの儘床の上で横座りの体を両手でやっと支え、眼は視点を失いヨダレを流し、肩で息をつき失禁もしている。
何が起こったのか?、人を診察するドクターを診る立場になって困惑したが、よく見ると薬用アルコール瓶が床に転がり、ドクターの吐息から強烈なアルコール臭がした。
泥酔と解れば、処置も介抱も簡単、水を飲まし体を拭き寝巻きを替え氷枕で寝かしつけた。一時は急患かと肝を潰したが、急性アルコール中毒、とんだ余興ではあった。
待望の日本向け航海が大時化の長丁場となり、浸水や様々の騒動に動顛(てん)し、唯一の癒しだった酒も切れた挙句、薬用アルコールで泥酔したのかと思うと気の毒である。
ドクターは六十五才の内科医で、東京郊外の医院を伜(せがれ)に任せ、外国見物と海のロマンを楽しもうと東京で乗った船が不定期船だった為、半年以上も付き合う破目になり、この災難に遭ったのである。
栄養管理に細かく気配りしてくれたドクターを、具合悪くさせたら入港も近いのに申し訳もない。
事務長とサロンボーイが懇ろに面倒を見ることになった。
三月十五日。
そろそろ野島崎灯台の視達距離に入る頃である。星も月もない暗夜の海を、双眼鏡を右に左に構えてひたすら光茫を追い求める。
闇の空間に浮く淡い明るさは遠雷か?
明滅しているようにも見える。
明滅している。間隔を計る。
まだ灯にはならないが灯質は野島崎灯台のようだ。何回も計る。紛れもない。
「野島だ!野島が見えたぞ!」
思わずの叫びだった。
日本を五感で捉えた瞬間だった。
些か上ずっている。しかし我ながら正直でいい。
船長に報告。
コートの襟を立てた船長は、確認すると黙って深く頷いたが、無言の中、秘めた感慨は誰よりも大きかったことだろう。
野島の視認を交替の三航と祝う船橋は湧き返り、盆と正月が一緒の陽気だった。
三月十六日。
早朝なのに非番の者達は皆デッキに出て、食い入るように回りの景色を眺めていた。
箱根連山を踏まえて朝日に映える富士山には、故国の真髄を感じたし、秩父丹沢の山脈、早春の気配に包まれた大島、三浦、房総・・・、皆、憑かれたように凝視して話す間も惜しそうだ。
眼の前の何処も彼処も紛れもない日本がある。故国はお袋のように暖かく優しかった。
出船入り船が集約する観音崎の混雑も懐かしく、航路を妨害する漁船の群れも今日は憎めない。
東京港に無事係留を終え、入港部署を解除して船長の桑原は言った。
「宝洋丸の強運にあやかり全員無事に帰れて何よりだった。皆ご苦労さん」
一船の生命財産を預かる責任重圧を胸中に秘め、遭難寸前の狂乱の海を泰然と構えて乗り切った人柄が滲んだ爽やかな言葉だった。
航程五千五百三十三海里 航海日数三十八日
幕末、咸臨丸の太平洋横断記録を上回る珍記録を残して宝洋丸の旅は終わった。
追記。
五番艙の浸水原因は排水管のバルブチェストの腐食によるもので、縦横四/五メートル範囲の大麦が腐敗してケーキ化し、五番艙全量廃棄処分となり部分海損として保険処理された。
荷役終了後、名古屋でドックした宝洋丸は両舷外板の新替えで肋骨剥き出しの裸にされ、芯出し検査のためプロペラシャフトも抜かれて哀れな姿になったが、大修理ですっかり元気になり、荷物を求めて世界の海へ再び旅立って行った。
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