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 二月七日。
 大小の島が浮かぶ瀬戸内のような静かな内海を抜けて朝四時、バンクーバー島南端のヤンデフカ海峡を通過、二百二十五度(南西)に定針する。
 今日も、明日も・・・十日は同じ針路を走ることになる。
 太平洋はいきなり時化だった。
 宝洋丸は大西風、高波の逆巻く太平洋に突っ込み性根を据えて身構えた。
 天気図では、発達した低気圧群が数珠繋ぎに太平洋を東進していた。それは揺るぎない疾風怒濤が、日本に着く迄延々と立ち塞がっている事を意味している。右舷前方に風波を受け、船は上下左右に大きく揺さぶられ軋み始めた。
 海象気象は日増しに厳しくなり、雲の切れ間に顔を覗かせていた太陽も暗黒の乱雲に完全にかき消され、天測の機会を失ってから七日が経つ。
 二航今村、三航日向は当直中六分儀を傍らに天測の機会を空しく追っていた。
 
 二月二十二日。
 出港以来十六日、最悪圏に入ったようだ。
 連日、風速二十メートル以上、巨浪の谷はマストを消し、全甲板は浸洗されて潜水艦の浮上状態だ。速力も四節を切り、前進の感覚は無く殆ど漂流状態になる。
 推定位置 北緯三十度 西経百六十度。
 ハワイ諸島の北、約六百海里の予定変針点だが、位置確認の術もなく二百七十度に変針した。
 海面は疾風に剥ぎとられて白一色の泡と化し、粉砕された雨と飛沫は霧状に視界を奪い、船首は微かに見えては忽ち消える。
 巨濤に叩かれ、飲まれ、担がれ挙句に放り出される宝洋丸は、絶え間ない衝撃に全身を震わせ軋み切ない悲鳴を上げ続ける。
 溺れかけ必死にもがく老朽船が夜昼通して連日非情にいたぶられる図は、神も仏もない地獄絵さながらだ。
 その地獄絵の露天甲板に身を挺して、乗組員は当直課業を遂行する。
 波が膝まで襲うと、人は簡単に転がされ浚われかねない。後部露天甲板に奔入する波の合間を縫って、前後左右の激しい揺れのなか部員の食事当番は桶を抱えて、甲板員は見回りに操舵手は当直に、昼夜を問わず命綱を頼りに駈け抜け、黙々と課業をこなす。
 
 二月二十四日。
 一際巨大な怒濤が崩落して船首が忽然と消え、衝突したような衝撃が走った。波は瞬時に一、二番艙を飲み込み、船橋、ボートデッキに奔騰して中央楼も沈め、船尾まで一気に貫いた。船橋は窓の一つを破られ鉄砲水で膝まで浸かる。救命艇のカバーは裂けて備品が流出、賄所も海水が充満しコックは危うく溺れかけ、ラーメンが天井一面に散乱したため昼食は非常食の乾パンとなる。
 暴れ水は船尾の昇降扉を破り、航機の居住区を荒らし回った。突発事態を甲機長は冷静に受け止め、部員を担当配置に散らし、排水、洗浄、修理を手際よく分担して対応、戦時の修羅場を潜り抜けた男の凄さを見せつけた。
 
 時化の荒れ様が只ならぬ気配になった。
 船長桑原は舵手の夜半早朝の当直交代時、露天甲板越えを禁止し、エスケープトランク、シャフトトンネル、機関室経由を命じた。
 狭いトランクを船底まで上下し大回りするので一苦労だが、安全第一、妥当な指示だ。
 老朽宝洋丸にとって、漂流状態が狂暴な強風波浪を最小にかわす唯一最善の手段とは何とも情け無いが、どうしようもない。
 なまじ推進力があって怒濤に挑んだら、押し潰され海没の事態を招きかねないだろう。
 そんな苦労も知らぬげに、吹きまくる海上にアホウ鳥の一群はのんびり浮かび、苦しみ喘ぐ宝洋丸を物珍しげに見物をきめこんでいる。羨ましい限りだが腹も立ってくる。
 太平洋の真ん中で身動きも取れず、先の見通しも皆目立たないと多少弱気も顔を出す。
 そんな時、正午位置の交換で他船を身近に確認すると元気が湧いてくる。
 本船自体が潰されそうなこの大時化で、SOSの遣り取りがあったら助ける方も助けられる方も命懸けとなる。潜在的なお互いの覚悟認識が元気を振い立たせるのかもしれない。
 それとも人懐かしさか。相手船は行き逢いであったり追い越しだったり、その度に見えぬ仲間は航海安全のエールを交換し、束の間の出会いを喜び名残りを惜しむ。
 力のある相手船は忽ちに去って、取り残された気分になるが、また新たな他船とエールを交わし、絶海の淵で嬉しい交歓の花が微笑ましく咲き続ける。
 
 二月二十六日。
 いじらしい程我慢していた宝洋丸も遂に耐え切れず、綻びが目立つようになった。
 伝声管の笛は機関室からだった。
 「海水のメーンパイプが破裂! 応急修理中です」
 普段は落ち着いた一機牛山だが、伝声管からの声は上ずりかなりの緊張状態だ。
 床下のメーンバルブチェスト付近から青い海水が噴騰し、機械も人間も当たり一面ズブ濡れだ。大小数多のパイプが錯綜して足場の悪い狭苦しい床下で、機関員は激しい動揺に抗い(あらがい)海水と油にまみれて防水に殺気だっていた。
 主機、補機を海水で冷却しているためバルブを締め切れず、その苛立ちを牛山は大声の下知で紛らしているかのようだ。
 楔(くさび)で仮止めし鉄バンドで締め上げた夢中の三時間、機関員は疲労と安堵で座りこみ肩で息の状態になった。
 昼食時、牛山の報告である。
 「今朝は本当に驚かされました。余りに勢いが強いので底が割れたのかと思いましたよ。ゲートバルブの内側で場所もよかったので助かりましたが、下手すると機関室が水浸しになったかも知れない」
 冗談めかしてはいたが表情の強張りは隠せなかったし、気配を察した船医西村も顔を引き吊らせた。
 
 二月二十七日。
 昼近くサロンボーイが上半身をズブ濡れにして駆け込んで来た。小用中、便器から海水が突然噴き出し顔面を直撃されたらしい。
 実に間が悪い時に用を足したものだ。
 便器からは、波の周期に合わせて高圧の間欠泉のように海水が噴き上げている。
 ボーイの取り乱し方も納得できる。
 排水口のノンレターンバルブが脱落したらしい。大工長の出番だ。早速ボーイを走らせる。
 大工は排水管のジョイントにメクラを噛ませ、一思案後ゴムシートを細工してバルブを作り復旧した。多少逆流するが使用には差し支えなさそうだ。使用不能になれば船橋楼の住人は用足し、風呂の度に合羽を着こみ、時化のデッキを中央楼まで行く破目になるところ、大工の処置は正に人助けで表彰ものだった。
 
 二月二十八日。
 朝、又もや機関室から緊急連絡だ。
 「機関室左舷上部から浸水!」
 見当は石炭焚き時代に使用していた側炭庫で現在の雑用倉庫あたりらしい。
 甲板部に防水準備、現場急行を指示、一航坂本も駆けつける。
 船体中央部は屈伸応力が大きく外板、デッキの金属疲労が特に激しい所、老朽船ならば亀裂も起こるべくして起きたと言えるが、この大時化の只中では引導を渡された思いである。
 汽罐室の熱気が淀み黴臭い倉庫の中を、カーゴランプで照らし噴出場所を目指す。
 三番艙と汽罐室を仕切るフレーム(肋骨材)の水線部外板が三十センチ程亀裂し、青い海水が真横に噴出している。
 痂を剥がすように慎重に銹(さび)を除き周囲の腐蝕状態を確認すると、外板は紙のようで背筋が凍る。嵩に掛かって噴き出す海水はガラクタに当たり散らし、床を右往左往して流れる。
 防水法は肋骨間をセメントで充填する一手に尽きる。
 「天井までフレームの間にセメントボックスを組もう」
 突発の浸水で騒然とした現場だが、戦時中、雷撃の経験を持つ甲板長と大工は、冷静的確に甲板員に作業の段取りを分担した。
 ガラクタを搬出、材料を搬入、枠組み、セメントの調合と、動きに無駄がなく見事だ。
 ウエッジの噛まし方に勝負が懸る。
 手加減を誤って傷を広げては命取りになる。
 大工は顔面を襲う噴水に怯まず、ウエッジにボロを絡ませて静かに打ち込んでいった。
 数本のウエッジが噴水を抑えると、すかさず木枠を組みセメントを流し、壁と天井から突っ張りが入念に噛まされた。
 狭い倉庫の中で下知が飛び確認が響き、激しい船の動揺から身体を支え、担ぎ叩き噛ます懸命な動きは機敏で無駄が無い。
 まさに筋金の入った船乗りたちである。
 浸水騒動は治まったが、紙のような外板が大麦が埋まる三番艙を跨いでいる肌寒い現状を、全員否応なく見せつけられた事になる。
 買船した同じ老朽船K丸が大時化の太平洋で船体を割って沈んだのは最近の話で、他人事ではなくなった。宝洋丸の身を震わせ軋む音が暗い空間に木霊して悲鳴に聞こえ、このまま絶海に沈む命運を告げてるようで不気味だ。
 「ボースン、大工長、三番艙のビルジ(淦水)は眼を離せないな。夜半早朝、当直交代する舵手にもビルジを測らせてくれ」
 坂本は努めてさりげなく言ったつもりだが、異常な程緊張したその場の空気を和らげるには些か役者不足だったようだ。
 
 三月二日。
 太平洋の真中で、大型台風と大洪水に一度に見舞われたような状態が半月以上になるが、凌ぐ手段は怒濤の前に只うずくまるのみ。
 何処も彼処もびしょびしょだ。
 汽罐室は洗濯物の満開である。
 乾く洗濯物が羨ましい。
 寝ても起きても揺れ幅四十度以上。
 宝洋丸の旧式な冷凍庫・冷蔵庫では食材の質も落ちてコックも腕の振いようがなく、唯一の楽しみの食事も単調になる。野菜もとうに切れて、ドクターは栄養剤、注射と栄養管理に忙しくなった。
 三番艙は浸水の危険性を孕み、時速四節の漂流航海で先の見通しも立たず、水浸しの生活がこうも続くと全員に焦燥感が兆す。
 大尺度の太平洋海図では、四時間毎の船位が隣り合わせになって太い線となり苦闘の跡が生々しい。
 こんな調子が後十日も続けば、燃料清水切れの深刻な状態に陥る。
 残航程二千二百海里、現在位置は米軍基地ミドウエイから北北東約三百海里、補油補水するには現在位置が最後の機会である。
 基地への一般船舶の入港は問題もあろうが、緊急事態とあれば選択肢はない。
 道なお半ば、浸水の不安を抱え、身動き取れない荒天の海で、燃料補給か曳航覚悟の続航か、宝洋丸の生命財産に全責任を負う船長の桑原は、気象海象を睨み、孤独な決断の淵に立たされていた。苦境脱出を模索する桑原を冷徹な判断に導くものは、全身五感に浸透している太平洋横断の豊かな経験則だけだった。
 暴風雨の煙霧は悪魔の形相で視界を奪い、奪われた水平線の遥か遠くを透視するように、桑原は沈思して船橋に立っていた。
 天気図では好転の予兆を到底読みきれないが、台風並みの荒天が一カ月以上も続いた経験もない。万一続いて四十五日の漂流航海となれば立派な海難である。海難保険は海難を担保する。ミドウエイでの補油となれば、南北六百海里のロス以上に問題なのは、怒濤の衝撃を横腹の紙の様な外板でまともに受けて亀裂浸水し、止めを刺されかねない事だ。
 又まともな横波で三十度の大揺れとなれば動く物は皆踊り、全甲板は常時高波を被り、死の海を覚悟しなくてはなるまい。補油が海没を招いては本末が転倒する。
 狂乱の海に翻弄されてはいるが海面下五十メートルは魚の群遊する穏やかな海であり、更に海底は永久に静寂な世界である。
 不吉な暗雲を突き抜ければ快晴明朗な天空が輝き、日本の山河が微笑みかけていることだろう。桑原は、弱気強気に揺れ楽観悲観に浮沈し、さ迷う暗夜航路のただなかで目指す灯台の閃光を遂に捉えたようだ。
 直航あるのみ!
 正午の船橋は決断の場。緊張が張り詰め一航、二航、三航、舵手は固唾を飲む。
 「このまま行きましょう」
 直航決断の下知が何時もと変わらぬ静かな口調で伝えられると、船内に漂っていた不安感は払拭され、全員の気持は一つになった。
 節水はクリュウのこれまで以上の協力で支えられ、火夫は船脚の伸びを祈りつつ油を焚いた。
 一機牛山は汽罐の還流水を洗い、水に回そうと工面し、苦境脱出に全船挙げての力が強く結集されていった。
 キャプテン、ジョーダンの清水四十トンの餞別は干天の慈雨より有難い命の水となり、坂本は遥かに彼の面影を偲び瞑目した。







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