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第7回海洋文学大賞受賞作品集

 事業名 海洋文学大賞の実施
 団体名 日本海事広報協会 注目度注目度5


海洋文学賞部門大賞受賞作品
 
『不定期船 宝洋丸』
 
椋本 一期(むくもと・いちご)
本名=椋本金三郎。一九二五年東京都渋谷区生まれ。清水高等商船学校を卒業後、船舶運営会を経て太平洋海運に入社、その後エバレット汽船に移り、スーパーカーゴ(荷役監督)として乗船。十八年の海上生活をおくる。横浜市保土ケ谷区在住。
 
 人は縁あって親子となり友を知り夫婦を契り一生を終えるが、坂本勇作は宝洋丸との出逢いを振り返って見て、人と船にも縁は深く介在しているように思うのである。
 宝洋丸に初乗船した時の話・・・。
 昭和二十九年十一月、T海運会社の海務課長佐伯は、坂本の持参した合格丙の健康診断書を見て頭を抱えてしまった。
 療養六年、胸郭成型手術を受けた身体なので合格丙は当然の結果だが、その彼を海上勤務の新規雇い入れとするのは、佐伯の立場上は大きな賭であった。
 然し佐伯は敢えて採用を決断した。
 職も無く、病弱な両親を抱えて生活保護を受けていた坂本の内情を知っていたからだ。
 その時横浜に入港した宝洋丸は二等航海士の緊急交代に迫られていたのだが、佐伯の勇断によって坂本と宝洋丸との「運命的」な縁は始まったのである。
 
* * *
 
 幸い、何度かの航海を大過なく果たして、坂本が宝洋丸に一等航海士として再び乗り組み、長期航海に東京を出港したのは昭和三十二年八月のことだった。
 東京/アデレイド(豪州南東)/北米ポートランド(精錬鉛輸送)
 航程一万三千六百九十海里 航海日数五十三日
 アデレイドまで全航程の半分近くが空船航海、勿体ない気もしたが長閑な時代だったのだろう。
 
 十月十八日、アデレイドを出港して七日。
 夕凪の南海に鋭い鮫の歯のような岩が只一本、水平線を背に吃立し、折からの西日に映えて燦然(さんぜん)と輝いていた。
 その異様な姿は神秘でさえあり、如来像の開帳に巡り逢ったようで思わず合掌した。
 
 十一月七日。
 針路北東一筋に二十六日。やっとハワイ諸島の山並が水平線上に浮かんだ。陸の香りも久し振り、穏やかな航海に恵まれ幸いだった。
 静寂の夜にレシプロエンジンは水車のような長閑な音色で郷愁をそそってくれた。南北太平洋を西経百七十五度で跨ぎ(またぎ)、赤道祭を各自の酒で祝ったのは十月二十九日だった。検疫に間に合い、ホノルルは目抜き通り前の客船桟橋に着岸した。
 凪の航海で白とダークグリーンのお化粧直しは済ませたが、老朽は隠せず、遠慮がちに、だが気位は堅持して一晩長旅の疲れを癒させて貰った。補油補水の当事者は気の毒だが上陸出来ない、出来た者もドル不如意の夜半では足慣らしに終わったことだろう。
 
 十一月二十一日、朝。
 コロンビア河口は一面の深い霧で、水先人は手漕ぎボートで突然現れた。
 水路沿いのブイには霧笛が装備されていて、霧笛頼りにブイと相手船を探る覚束無い足取りの霧中航法を強いられる。
「船と霧とは仇と仇 今日も霧かよ
霧笛が咽ぶ・・・」
 実習帆船の舟歌だが、レーダー装備が当たり前のご時勢に、舟歌を地で行く霧中航に時代感覚が混乱してくる。霧から逃れて溯航を三時間、ポートランドの太い原木で組まれた岸壁に着いた。
 
 十一月二十二日、荷役開始。
 作業員は船側までオートバイで、或いは奥さんに車で送られ、別れ際にはキスの交換である。日給二十ドルと聞く。彼らの日給三日分が甲板員一カ月の給料だ。給与水準の余りの違いに唖然としたが、夫々が弁当を持参しているのを見ると、生活感覚は左程変わりないのかも知れない。
 作業の機械化ぶりには眼を見張る。
 日本なら、各艙十五人一組でスコップを振るい、大汗かくところを、小型ブルを陸上クレーンで積み込み、作業員は僅か四人、しかも通常より五日早い取り切りだった。
 
 十一月二十七日。
 インカ亡国の悲哀を遥か南瞑の空に馳せながら、ペルー、カイヤオ向けに出港した。
 ポートランド/カイヤオ往復
 航程九千三百一海里 航海日数三十五日
 トランパー(不定期船)乗りは荷物を追って世界の海をさすらう稼業、故郷に何時帰るかの予定は暦にない。日本の裏側の海で揺瀾に身を委せ、星と磁針が道標の航海では、満天の星に神話を語らせ、朝夕の日輪に合掌し、時にはハグレ鳥にマストを貸し、流すハエ縄でシイラの馳走に与かることもある。
 
 十二月十四日。
 左舷近くを追い越すペルー艦艇に国旗を合せ敬意を表する。南緯十度で領海に入り十六日にカイヤオに入港。
 余裕充分の後背地を持つ定期船バースに宝洋丸は遠慮気味に着岸した。
 生憎クリスマス休暇と重なって半月近い停泊となり、クリュウには思わぬ贈り物となる。
 長逗留の日本船は珍しかったのか、船内の気さくな気分が親しまれたのか、休日は勿論普通の日も多くの日系人が訪ねて来た。
 日本語が解らず日本人同士が会話に大汗流す図は実に奇妙な感じがする。
 カイヤオには沖縄、熊本、広島県出身者が多く、同県人同士が地球の裏側で、異国の地を忘れて親交を結び、それは現地の人々への親近感に拡がった。その交歓の中で、養子縁組みを望まれた甲板員さえ出てきた。
 
 十二月二十八日。
 一介のボロ船の出港にしては信じられない程多数の見送人が詰めかけ、紙テープが派手に飛び交った。
 養子縁組みの娘は涙を涸し、甘美なリマの思い出を胸に、甲板員は身を乗り出して別れを惜しんだ。
 遠く離れてなお岸壁に残る小さな人影にもう一つの日本を感じ、内地からの出港のような離愁に、宝洋丸は長く引き摺られていた。
 
* * *







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更新日: 2020年7月4日

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