次に2番目の話題ですが、東アジア諸国の将来と日本をどう考えておくのかということにつきましては、もうご承知のとおりで大変な勢いで成長しています。
為替レートが現在の水準のときにこういう傾向ですが、ご承知のとおり、アジアの経済危機のあと、非常に貨幣価値が下がり、今そこから経済的には回復したと言われております。急速に回復しましたが、為替レートに関してだけは、そのまま固定されたような横ばいの状況です。
中国についていろいろ議論がございますが、ああいうコントロールを非常に厳しくやっているところ以外の国、例えばタイのバーツがどうなっているかとか、あるいはペソがどうなっているか、こういうところも、マレーシアは違いますが、マーケットに任せているところも実は回復をしていないという状況にあります。
したがって、本来本格的に経済成長すれば当然為替レートは動き出しますので、所得水準はトレンドよりもっと早い勢いで日本の水準と近づいてくるということが想定されます。
ただ、その成長がいつまで続くのかということについては日本の国内で、例えば中国について、無限に成長が続くかのような議論が多くなされております。まだこれからもう少し分析をしなくてはいけないということで、今勉強している最中です。
日本は高度成長期、例えば戦後ずっと成長はしてまいりましたが、高度成長期に入ったのが60年ごろからと考えますと、85年まで25年間です。25年間ずっと成長を続け、その間75年以降は安定成長と言いながら、3%か4%の成長でした。その前はもう少し急速でした。それでもなおかつ世界の奇跡と言われ、オイルショックのあとも日本の一人勝ちと言われるような状況、つまり世界の歴史では珍しい長期間の成長が続いたわけです。
中国が天安門事件から今13年目だと思います。これがあと何年、今の勢いで続いていくのかということは大変気になることです。国情も違いますし、政治体制も違いますのでいろいろな展開はまだあろうかと思いますが。中国の成長の限界についての議論は極めて限られている気がいたします。
たまたま我々今勉強している最中ですが、生産年齢人口比率が落ちる、つまり日本で少子高齢化ということが盛んに言われます。ところが、日本は生産年齢人口比率を戦後、ずっと増加してまいりました。96年からそれが低下するまで約40数年間ずっと増加してきたわけです。人口学者はこれを「人口ボーナス」という言い方をします。要するにこの人口比率が増加することが経済成長の牽引力であるということです。
もちろん成長の初期の段階では、中国が1人っ子政策をとりましたように、全体のGDPの伸びに対して人口増加が大きいと、一人当たりが豊かにならないということで人口を抑えたくなるわけですが、そこからテイクオフが始まりますと、この比率の多さが牽引力ということになります。
ところが問題はアジア、この黄色い線ですが、アジア諸国の生産年齢人口比率はまもなく低下に向かいます。中国あるいはタイ、そしてインドネシアが一番最後ですが、それでも2020年前後には低下に向かいます。
そうなりますと、今からあと何年とか10年というオーダーで、この比率が下がるわけです。当然のことながら生産性が上がれば別に人口比率が下がろうと、経済成長は続くわけですが、世界の歴史の中でこの比率が下がったときに経済成長力、成長がマイナスになるとは言いませんが、成長力は減速するというのが今までの我々の常識でした。
もしこれが下がって、当然のことながら貯蓄率が下がります。政府の支出についても、高齢化の対策に向かってまいりますし、貯蓄率が下がるということは国内での民間の投資にも影響してくることは明らかです。
もちろん今のところ中国にしろ、アジア諸国の貯蓄率が非常に高いので、30%とか40%という貯蓄率の国もありますから、それが5%下がってどうかというこんな観点ももちろんあるわけですが、少なくとも比率が下がることは明らかですし、そこの比率が下がるということは全体のマーケットにも影響し、マーケットの拡大を目指して海外への投資が行われるというところについては当然影響を与えるということになります。
ODAの関係で気になりますのは、もし、そういう国の成長があと10年とか15年だとしますと、日本の今の状況ほど民間のいろいろな生産施設ですとか、社会的なインフラを整備し切れるだろうかというと、とてもそこまでは至らないはずです。
だとすれば我々が我々自身の国の問題、財政余力の問題もありますが、それよりも何よりも残された限られた時間の中で、どう効率的にそういう国のインフラを整備していくのかということは、大変気になることです。
相変わらず要請主義とか、先ほどお話がありましたけれども、貧困対策とか教育とか、確かに重要ではありますが、私の今までお手伝いしたところで、それをやってくれればインフラは要らないという人はだれも発展途上国にいないわけで、どこの国もがインフラが一番欲しいという状況にあります。一体この残された期間をそういうところにどう資源配分していくのかは大変気になることです。
ブロック経済化、明らかにそちらに動き出します。そうなったときに、日本の国土という言い方ではなく、日本人の活躍の舞台がより広がるということに間違いないわけです。
またどちらかというと中国が成長するから日本はだめだ、相対的地位が低下するという議論が多いわけですが、アメリカの成長が止まって日本がハッピーだという人はだれもいないわけです。少なくとも今中国に対して輸出が大変増加して、それが日本の経済の牽引力になっているのは明らかです。そういう国が一体どう展開していくかについて、ブロック経済化、つまり日本人の活躍する舞台がもう少し広くなるわけで、そのために一体どういう格好の国になって欲しいのか、どういうインフラが必要なのかということの議論を、まだまだ詰める必要がある気がいたします。
それから水平分業についても、かつて世界中の開発経済の専門家たちは「雁行型」、雁が飛ぶようにだんだん産業が移っていく、ローテクの部分、あるいは労働集約型のものから移っていくのだと言われており、重厚長大の産業は日本から消えて近隣諸国に移っていくということを、だれもが言っておりました。これはイギリスとかアメリカを見てのことでした。
今アジアで起こっていることは全くそういう形ではなく、主として自動車と電子・電機関係あるいは機械関係ですが、部品レベルの分業体制が大変な勢いで進展しております。これはヨーロッパとアフリカの間とか、アメリカと南米の間で起こらなかったことでして、アジアだけで起こっていることです。
ここからは仮説ですが、中国あるいは近隣諸国にとって、残された集中投資の時間がもし短いとすると、民間ベースで一体どこに投資をするかと考えますと、当然のことながらリターンの早いほうに投資をするはずです。
例えば半導体の工場をつくって数年でリターンを得るということになるはずで、重厚長大型の、初期投資額が非常に大きなウェートを占めるところに投資するという、民間ベースのインセンティブはやや少ないはずです。
中国に関して言いますと、その分は国営で賄われております。鉄鋼にしろ、化学プラントにしろ、こういうところで民間の資本はそちらに必ずしも流れていないという状況にあります。そういう国営企業でやっているところが大変非効率で、なかなかうまくいかないという現状のもとで、一体、全体の資源配分がどういう格好でされるかというのは大変興味のあるところです。
もしかすると、これはほんとうの仮説ですが、この間和歌山で起こりましたように海外資本が日本の重厚長大なところに資本参加をするという形態も、あながち特異例ではないかもわかりません。そんなことも気になるところです。
どちらにしましても我々が発展途上国、特に近隣、東アジア諸国をどう見るかということについて、もう1度限られた時間と資源だということの意識から見直す必要があるのではないかというのは、私の率直な今の思いであります。
今、経済学者とか金融の方とかにも助けをいただいて、勉強会をやっているところであります。
次に三番目の話題のODAの関係ですが、ご承知のとおり、先ほど竹内会長からもお話がありましたように、世銀は貧困対策あるいは教育・環境にお金を回すべきで、インフラは後でいいという方針をずっとやってまいりました。特に鉄道についてはリターンが遅い、オペレーションがうまくいかないということもあって、非常にネガティブな態度をずっととり続けてまいりました。
都市鉄道に対するそういうネガティブな姿勢というのは、もう1970年代の後半からそういうことを言い、80年代にはそういうことを公式のレポートとして出して、それが日本にも影響してきたように思います。この数年間の動きは少し違っておりまして、やっぱりインフラをもう少し重視すべきではないかというレポートが先ほど出され、それについて議論が始まっているところであります。
何か日本の国益に合うというところにという議論には大賛成ですが、東アジアインフラに関しては、日本はどうもトラックを1周おくれで少し昔の方針を追随しているようにも見受けられます。もちろんご担当の方々はよくご存じと思いますが、少なくとも繁栄が日本の為という広い観点の下で、国益で、マスコミレベルで議論されていることは明らかに1周おくれの話で、日本のこれからのODAのあり方については大変気になることです。
ODAにつきましてはご承知のとおり、例えばドイツで言いますと最初は教会税で始まりました。これは文字どおり人道主義に基づく援助でした。それが国内企業の、国内経済のためにという、一つは直接的な販路を広げる、もう一つは少し発展途上国のマーケットを大きくして経済成長させることによって、また世界経済を大きくするというということが援助の大義名分になりました。
東西の壁が崩れた後は、どちらかというとほっておくと所得格差のためにたくさんの人がどんどん入ってきてしまうので、向こう側に生産資本を用意して、そこで人の流れを食いとめようという格好に移ってまいりました。それがさらに今のFTAとかでブロック経済の中でODAをどう考えるかという、世界中でもだんだん動いているわけです。ややその辺についても日本国内で、まだ情緒的な話と国策という話がうまくかみ合わなくて、ああでもないこうでもないという議論を新聞等でよく見かけるわけであります。
もちろんマスコミの方を悪く言う気は毛頭ないわけでありますが、国民の意見の一つの反映として見ますと、日本人がODAについてどう考えているかということについて、大変気になるところであります。
最後の話題として、これからの重要な課題として気になることをあげたいと思います。環境面での話は先ほど申しましたが、どんな都市も、東京で3,000万人が50キロ圏に住んでいる。毎日500万人の人たちが都心に通勤してくる。こういうのをあまり問題もなく、最近時々、鉄道の問題も起こりますが、ほとんど問題もなく、食べるものも通勤もいろいろなこともマネージできる、そんなことは世界の歴史の中になかったわけであります。これが世界標準で、アジアでどんどん展開するとはなかなか思えないわけです。
当然のことながら、先ほどのある成長の限界で、どこかで大都市の成長もとまるかもわかりません。そう考えますと、今の時期の都市の展開は、未来永劫その都市の土地利用の形態を規定する、ちょうどそのときに当たっているかもしれないという気もいたします。
都市鉄道に関して言いますと、早く投資過ぎますと当然財務的に問題を起こします。とてもそのお金が回収できないということになります。マニラにしろ、タイにしろ、新たにつくった鉄道というのは大体1日30万人から40万人のお客がおります。我々が新交通をつくって2万人だとか3万人だとかと言っているのとはけた違いの客がいるわけであります。問題はいつにかかってその資本費部分をだれがどう負担をするかということと、運賃水準がほんとうに適正なのかということ、この2つであります。
先ほど言いましたように、早すぎると財政に問題があり、遅過ぎますと、もうあとからは土地利用の形態が違うようになってなかなか整備ができない。こういうはざまのところで、一体どのタイミングでどういう手から打っていくのかということが問われている状況下で、多くのご専門の方々がご苦心を、日本人のODAにかかわっている方々がご苦心をされていると思っております。
第2、第3都市のインフラ不足。これは先ほど申しましたし、FTAにつきましても先ほど申し上げたとおりであります。
もしFTAが、EU的とはいいませんが、そうなったときに、一体中国の中に展開している工場のロジスティックスは、どうなるのだろうかとか、あるいは日本人が生活するときの生活環境はどうなるのだろうかと考えますと、いろいろ思うことが多いことであります。人材育成についてはまたお話をしたいと思います。
今、ホーチミンで都市交通の計画を手伝っております。そういうところでどんな都市拡大が行われているか。一つは道路沿いにべたべたと張りついていく。もう一つは田園地域に無作為的にスプロールしていくという状況であります。
この低密で拡散的な土地利用がどんどん展開している、この状況を我々としてどう見ていくのかというのは大変気になるところであります。
日本の場合は、多摩の田園都市線の沿線ですが、ああいう鉄道を中心にして都市開発をしたことが、なかなかできないという状況にあります。田園都市が構想されたのは昭和29年でありますので、まさに今のアジアのそういう状況下でこの日本人はこういうことをやってきたということなのではないかと思います。
都市計画については、欧米に比べて大変下手な国民性だという専らの評価であります。しかしながらそれでも何とか鉄道のインフラがある程度そろっていて、そこへさらに急増する人口を見て、先行開発的にこういう鉄道の建設がされた。田園都市線の建設はキロ11億であります。新多摩線部分を入れて、地下部分も入れてそんなものであります。
そういう状況と、東南アジア諸国の鉄道整備の状況と、中国が少し前から自前でつくってきた、こういう状況を我々としてどう見ておくのかというのは大変興味のあるところであります。
それから人材育成について。これは先ほど申し上げた悪循環の例としても、こんな図面を持ってまいりました。
昔今から10年ちょっと前にマニラに行って、どうしようかと思ってつくったものであります。どうしようかというのは、私のミッションはフィリピン大学に交通関係の大学院コースを2つつくれということであります。JICAからの指令は、向こうに赴任した最初の専門家だったものですから、カリキュラムをつくれと。これが1年間のミッションでありました。大変驚きました。私にとって30年以上も大学経験がありますし、まして交通ですから、カリキュラム作成は1日あれば十分です。しかしながらJICA専門家は自分で教えてはいけないとか、いろいろなご注文がつきました。ただお願いをして、向こうの客員教授に向こうの学部で指名をしていただいて、学部の教育から始めました。
NCTSプロジェクトの教育・研究課題構造図
そのときに一番最初、何が問題なのかを知りたくなりました。きっかけはこういうことがありました。最初に出た教授会で工学部長からの大変いいニュースだという提案がありました。それは何かというと、教授が講義ノートをつくって学生に配ったら賞金をあげます、論文を書いたら賞金をあげます、教科書を書いたら莫大な賞金をあげますと。その資源はすべて世銀から来ております。
私は紹介されるということで新任のあいさつをした直後にその議題があったものですから、すぐ手を挙げまして、それはそもそも給料のうちではないかと、なんでそんなものに賞金を出すのかと伺いましたら、学部長がにやっと笑って、「あなたはまだ知らないんだ」と、こういうお話がありました。
そのあと、インフラ交通関係の中央官庁の方々、もちろん日本から来られたJICAの専門家の方々にヒヤリングをしたり、大学の教務課に行って過去の学生たちがどういうことだったのかというデータ収集をいたしました。
大変驚いたことに、ランゲージバリヤーがないものですから、フィリピンの学生はどんどん外国に逃げています。成績のいいほうの2割が10年間にわたってずっと外国に行っております。必ずしもそこで専門的に教育されたことを生かすのではなく、クリーニング屋をやっていたり、ガーデナーになって庭の芝刈りをやっていたり。全部があるわけではありませんが、聞いてみますとそんなことでした。
それで、私自身はカリキュラムをつくって学生をつくればいいと思って行ったのですが、どうもそんなものじゃなさそうだということで、いろいろ見てみますと明らかに悪循環がたくさんあります。
ここに簡単な表示しかしていませんが、例えば大学の外部資金がほとんどないし、大学で使えるお金がない。そうしますと研究資金が不足しますから、研究活動は低下して研究能力も低下して、結果的にますます社会から相手にされなくなるという状況でありました。
当時、フィリピンには3,000ぐらい大学があると言う人もいましたが、言い方を変えると2大学しかないと。UP AND THE OTHERSだとこういう言い方をする。明治の東大みたいな雰囲気かなと思いました。その大学の研究室のスタッフたちがやっているのはコンサルタントが受けた仕事の下請けで、路側に座って自動車の台数を数える。これが私が行った頃の委託研究の内容でありました。
最近構造改革ということがどこでも言われますが、実はここでも「ストラクチュアル・チェンジ」ということで、向こうの教授会でこういうことをやろうじゃないかという提案をいたしました。要するに「ストラクチャー」というのは、変わらないから「ストラクチャー」と言うのであって、変わるものは「ストラクチャー」とは言わないわけです。したがって変わらないということを前提に「ストラクチャー」というのは何なのかということをはっきりさせないと変えようもないわけです。
このケースでは「悪循環」だと、定義をしませんかと申しました。この定義をしますとこの「悪循環」については100%みんなが賛成いたしました。そうなると100%賛成するということは、それをポジティブに回すために一体どうするのかと、次のメジャーメントが出てくるわけであります。
例えば研究環境を再構成しましょう、建物・コンピューター、こういうハードウェアをちゃんと何とかしましょう。研究資金も最初から来ないんだから、投入しましょうと、JICAから大変なお金をいただきました。研究室の運営も変えましょうとか、スタッフを、「もう1回勉強しよう」という雰囲気にしなくてはいけないとか。あるいは将来希望がなければ人間は働くわけないですから、ファカルティーのポジションは確保してほしいと、学長のところに10人分の助教授以上のポジションを欲しいとお願いに行きました。何をばかなことを言っているという雰囲気で聞いておられましたが、最終的にはご了解いただき、今7人、既に日本でドクターを取った現地のスタッフがちゃんと動き出しております。
また別の提案は教育環境についても奨学金制度を確立するとか、卒業後の就職をちゃんとするとか教官がいなくても勉強できる教材・教育環境、勉強できる環境を整える。あるいは実社会とうまくつながって、そこでお金が回転していくような仕組みに変える。こんなことがありました。
もう1つは、フィリピン交通学会とアジア交通学会の設立というのを当時お話して、近隣の諸国からもご賛同いただいて、でき上がっておリます。
ここにおられるこの協会はもちろん、多くの団体から大変貴重な資金をご提供いただいて、ようやくつい先月10月29日から11月1日まで、福岡で初めて日本での大会をいたしました。第1回のフィリピンでやったときは論文数が100点ぐらいで、そのうち日本人が70人という状況でありましたが、この間のフィリピンの状況は、日本人がやっぱり70ぐらいで、外国の論文が250とか、こういう状況でありました。参加者も日本人が百七、八十に対して、外国からの方が300人を超えたという状況で、大変ありがたいと思っております。
私もあちこち見てまいりましたが、明らかに彼らがそれぞれの国で重要なことでかつ、われわれが若いころに勉強した以上の広い視野からのおもしろい研究を始め出しております。
つまり何を言いたいかと申しますと、こういう悪循環をどうするかというときに、多くの方が、日本から来られるJICAの方々も、この国はどうしようもないと、いくらやったってうまくいかないとほとんど9割の方が言っておられます。しかしながらうまくいかないから発展途上国なのであって、それは最初からうまくいけばもっと成長していたはずですから、それがおかしいとかだめだとか言ったってしょうがないわけで、そこを何とかブレイクスルーする方法はどうかという知恵を求められているということは明らかです。
もう一つ、都市鉄道の必要性については、都市構造を誘導することの重要性と財政制約、それから鉄道についてハイアラキーのネットワークを将来必要だということ。これも大変気になることです。これは後ほど申し上げたいと思います。
それから運賃の制約も同じです。例えば今ホーチミン、ハノイで、ついこの5年ぐらいバスから自転車、自転車からオートバイと移って、オートバイがあふれるほどいるという状況から、もう1回バスに戻そうと、マスタープランづくりと同時並行的に施策を試みてます。日本のコンサルタントが大変精力的にいろいろなトライをしていただいております。
その中でバスの運賃を下げてバスにお客を戻すという話で、現実にお客も戻っています。しかしながらバスの運賃を下げることは、将来明らかに鉄道を入れにくくするというものです。世界中、鉄道をつくるとまず移るのはバスのお客です。決して自動車からは移りません。その鉄道が土地利用を変えて、その沿線に住む方々は鉄道を使うべく住むようになって、結果的に長い期間かかって機関分担が鉄道にシフトするという状況です。
サービスだけでパッとお客が移るわけではありませんので、当初はバスの運賃が非常に安いとすると、鉄道のお客はなかなかとりにくくなるという状況です。どこかのタイミングでバスの運賃も値上げして鉄道にシフトするような環境をつくらなくてはいけない。解決に向かうプロセスのパスはあまり広くない、そういうところで工夫を、タイミングを見計らってやっていく必要があります。そういうマネージメントがうまくできるかどうかというのが、将来の望ましい鉄道の状況をつくる大変重要なことです。
メンテナンスについても同様です。先々月、ジャカルタにまいって鉄道関係のシンポジウムを国交省の方々がおやりになるのに参加させていただきました。ご承知のとおり三田線の車両があそこの都市交通のメインの車両になっております。しかも国鉄の収入はほとんどその車両で稼いでいるという状況ですが、そのメンテナンスがなかなかうまくいかないという状況です。メンテナンスのための援助ももちろん行われておりますけれども、なかなかうまくいかない。そういうところを一体どうすればいいのか。
あるいは土地利用につきましても我々から見ますと、都心に業務機能があり、郊外に行くと駅のそばにショッピングセンターがあり、その周りに住宅が広がってという、鉄道が使いやすいような土地利用になるわけですし、そこのつなぎのために駅前広場を整備してというのは我々から見ると常識ですが、なかなかそういうところがうまくいかない、あるいはそういうところにお金が回しにくいという状況にあります。
将来に向けてということで、少し私が関係しました都市交通のプロジェクトで、思ったことを申し上げたいと思います。
メキシコシティは、実は五十二、三年ごろ、これは私自身がコンサルタントのメンバーの一員としてこの都市鉄道のプランをつくりました。結果的にはフランスに負けてしまいました。日本とフランスの提案の差は何だったかというと、フランスはパリで使っているゴムタイヤの中古車両を持ってきて、それで地下鉄のネットワークをつくり出そうという、安上がりにやっていきましょうという提案でした。
我々の提案はそうではなくて、メキシコはもうそのとき人口が1,000万人に及ぼうとしておりましたので、そういう小容量だけの鉄道だけではとてももたない。これも日本は、最近ですと新幹線通勤、時速が大体表定で120~130キロ、駅間距離が40~50キロというもの。それからJRの中電と呼んでいたものですが、4~5キロの駅間距離で表定速度が40~50キロ、60キロというもの。それから私鉄の急行電車とか国電、大体駅間距離が2~3キロで表定が40~50キロ。35キロ~50キロぐらい。それから地下鉄、これが大体1キロ、2キロの駅間で表定速度が30キロ前後。さらに新交通システムがその下にあって、表定が25~30キロで駅間距離が200とか500メートル。こういうハイアラキーの鉄道網を有し、その下にバスがあるという状況であります。これでもって、非常に大きな50キロ圏に及ぶ都市をマネージしているわけです。
私どもにも責任があるのですが、世界中の都市計画、都市交通の教科書には「道路はハイアラキーのシステムをつくれ」と書いてあります。都市高速道路があり、幹線道路があり、ディストリビューター、コレクターといわれる分散路があり、区画街路があるというハイアラキーをつくれと書いてありますが、鉄道の階層性の必要性についてそういうことは書いているものはほとんどありません。
現実にフランスは、もちろんSNCFの通勤鉄道はありましたが、都市鉄道としては地下鉄だけだったところへ急行地下鉄を入れてまいりましたし、ドイツはもともとストラッセン・バーン(路面電車)だったわけですが、そこに地下鉄Uバーンを入れて、さらにSバーンといわれるDBを都心に入れてくるようなもので、ハイアラキーをつくりだしてまいりました。ニューヨークはもともと急行の地下鉄が走っています。
こういうハイアラキーのシステムはどうしても必要です。東京はハイアラキーがあるといいながら、JRが非常に混んでいるけれどもなかなかそれの容量増が難しいので、例えば東西線とか南北線の埼玉高速というものをつくるんですが、都心のほうが速度が遅いのでなかなか競争力が持てないという悩みを抱えております。ハイアラキー構成上の問題点だと言えます。
つまりハイアラキーのシステムをつくっていくことが必要であるにもかかわらず、実はメキシコは結論から言いますと、小容量の地下鉄で賄おうとしました。結果的に今10本の地下鉄ができてます。それでも郊外端末駅ではバスがそこに集まってきて、改札止めという状況です。そこからもっと延長しようとすると、容量がパンクして都心のほうでお客が乗れないということになります。ものすごく混雑しておりますので、男性用の車両と女性用の車両を分ける、それから駅にたくさん入れるとプラットフォームで危ないので、駅の前で万博会場のパビリオンの入り口みたいな通路をつくって、駅の外で待たせるということが起こっております。これは明らかにハイアラキーのシステムをつくらないで、あれだけの大都市を賄おうとした失敗の事例かと思います。
しかしながらアジアでそれをやろうというと、とてもそんな状況にはないわけで、マニラの3号線、環状鉄道ですが、これもLRTでつくりました。大体東京で言うと山手通りの位置です。東京の山手線があれだけの車両があれだけの頻度で走っているのに比べ、LRTで未来永劫賄えるとは思えないわけです。この容量拡大をどう担保していくのかというのが大変重要なポイントです。当然のことながら駅の構造、プラットフォームが伸ばせるようにしておくとか、いろいろなやり方があるわけです。
次に都市構造ですが、それから私が関係したところではパキスタンのラホール、そのほかいろいろな都市で、10年、15年の間にあと数100万から1000万、人口が増えるというときに、都市構造は一体どういう格好に持っていけばいいのか、副都心をどういう格好で育成していけばいいのか。大変気になるところです。
ジャカルタも、南のほうに副都心をつくると言いながら結果的には拡散的に商業地がずっと拡がっていて、渋滞がああいうひどい状況です。
それからマニラのときには、いくつかの試みをしました。まず、一番最初SWで行ったときに、都市交通計画のスコープ・オブ・ワークの中に向こうの研究教育を育成するという目的を1つ入れていただきました。結果的には技術移転とか何かという目的もありますが、日本のコンサルタントのオフィスをフィリピン大学のNCTSという研究センターの中に置いていただきました。大変都心から離れて不便だったのではないかと申しわけない思いもいたしましたが、結果的にはそこで向こうの教官がそのプロジェクトを手伝ったり、あるいは学生が修士論文を書くのにそのデータを使ったりという格好で、うまく技術移転ができていったのではないかと思いますし、最終的にコンサルタントがお使いになったコンピューターとかソフトウェアを寄付していただいて、それで大学がうまく回っていくようになっております。
昔、フィリピンのマスタープランのときのデータがお役所にあるはずだけど、どこか行ってよくわからないとか、そんなことが起こってしまうのに比べますと、大学をそういう格好で使うことによりデータの保持としても割合うまくいったのではないかと思います。
それから情報蓄積、これはコンサルタントの方のアイデアでできたもので、交通関係あるいは都市計画関係のデータベースをつくって、もちろんコンピューター上も見られますし、パンフレットもつくってマスコミの方にもアクセスできるようにして、それで多くの方々が交通問題の所在を理解され、もちろん政府の要人もそうですが、人々の理解や関心についてが大変うまくいったのではないかと思います。
そのあとベトナムの計画のときはこんなことがありました。私は始める前に国内でマスタープランとは一体何のためのマスタープランか、日本がODAをやっていくためのマスタープランなのか、その国の都市のマスタープランなのか。これは明らかに後者であります。後者だとすればほかのドナーの人たちもそれをマスタープランだと認定しなくてはいけないので、ステアリング・コミッティーに世銀の方とかヨーロッパ、ドイツ、イギリス、フランスの方に入ってもらえばいいではないかとご提案をしました。JICAの結論はノーでした。これはバイラテラルの援助であるから、そういうことはうまくいかない、だめだという話でした。これもコンサルタントの方が随分ご尽力いただいて、我々が現地に行くたびに、その次の日にドナーの方に集まっていただいて自由にご議論いただき、我々の作業結果をお見せして、議論の結果を踏まえてマスタープランをつくり上げるということをやってまいりました。
聞くところによりますと、その間、世銀の方が、世銀でつくるマスタープランを世界標準の、ベトナムのマスタープランにしろと言われて、ヨーロッパ諸国から大変なブーイングで、結論から言うと日本のプランを各ドナー共通のマスタープランにしようではないかということになったということでした。
帰ってからJICAの方から、こんなのは日本の経験で初めてですと言われました。それなら最初からちゃんと僕の言うとおりにしておけばいいじゃないかと思わないわけではありませんでしたが、その後ホーチミンのが始まるときも、あのときのようにうまくやってほしいというお話がありました。
ホーチミンのときには、実はこれも先ほどのようなバイクからの転換というマスタープラン以外のミッションが、向こうの政府から要請が来ておりましたので、社会実験をやろうと提案して、これも8月初めにやっていただいております。
コンサルタントの方、普通のマスタープランづくりと違う、調整その他大変なご苦労があったのではないかと思いますが、そういうことができました。
もう1つはステアリング・コミッティーにマスコミの方を入れてほしいとお願いをいたしました。今回はJICAのほうでも相手政府がいいなら結構ですというお話でした。
何でそういうことをやったかというと、結局都市交通の問題というのは市民意識が変わらないとうまくいかない。マスコミの方というのは、少なくとも報道することはもちろんですが、社会的な教育をするというミッション、任務を負っていると理解しております。したがって入っていただいていますが、その方々にも是非報道陣としてではなく、人々の教育をする、意識改革をする役割を担ってほしいとお願いしております。
自慢たらしくこういうことを言いたいのではなくて、それぞれの場所でいろいろなやり方があると私自身は経験しましたし、もちろん若干JICAの悪口に聞こえたかもわかりませんが、そうではなくて、お願いすればちゃんとわかっていただいて、それなりに違うやり方ができていくと申し上げたかったわけであります。
最後に気になりますのは、特に大半の方はそうではありませんが、ときどき日本のコンサルタントの方が、日本の経験をそのまま教えればいいと勘違いしておられるように見受ける場合があります。そうではなくて、世界中の情報をちゃんと持っていて、世界中の経験をすべて知っていて、なおかつその国に固有の問題を発見し固有の解決策をとる、だからコンサルタントというのではないかと思います。どちらかというと日本国内の組織人としての役割をそのまま持っていけばそれでいいと勘違いをしているように見受ける場合がままあります。
したがって専門家をどういうふうに養成していくのか。よく大勢でないとうまくいかないという議論がありますし、人件費が高いから日本人のコンサルタントは競争力がないというような議論もありますが。人件費が同じだったら十分競争力を持っているのかという問いかけを大学の中でもしております。
大学もアジアが重要だと言いながら、アジア固有の問題の研究にどれだけの勢力を割いているかと考えますと、決してそうなっておりません。実は私どもの大学の学科ではもう20年前から外国人のコースをつくっています。毎年30人ぐらい外国人の学生がまいります。この支援を文部省だけではなく、世銀やアジ銀からもいただいております。しかも大学の入試では異例ですが、我々の学科で書類選考をして入学と認めたら自動的に入学試験は免除されて東大の学生になります。この蓄積が大変大きくなってまいりました。
数年前から、今度は日本人を外国で働くように育てようと、試行して、今年から正式に駒場から来る学生に、土木の1つのコースとして、外国で働く国際的なエンジニアを養成する10人のクラスをつくっています。今年に関しては大変人気が高かったわけであります。
おそらくこれからどういうふうに伸びていくのかと思いますが、実は学部は土木工学科、大学院は「社会基盤工学専攻」と変えておりましたが、この名前も変えまして、「社会基盤学科」、「社会基盤学専攻」となります。進学してくる学生は法学部からも経済学部からも複数おります。
そんな格好で、どんどん我々が専門家をどう育て、専門技術のサステイナビリティーをどう保つのかと考える時期に来ているのかなと思っている次第であります。
大変ばらばらと、とりとめのないお話をしました。これからのアジアの都市交通の重要性は明らかですが、我々自身が仕事のやり方を今までと違う格好で踏み出す、そういうちょうどいい時期なのかもわかりません。
大綱も大変重要なのは当然ですが、国の政策というより、個々の専門家の方がどういう格好で仕事をされるかということが大変重要なのではないかと思って、お話をさせていただいた次第です。どうも大変ご静聴ありがとうございました。(拍手)
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