第3節 海洋汚染
マレーシア海事局が4隻の油防除艇を導入
マレーシア海事局は、新しい4隻の油防除艇を導入する。全長24メートルの双胴艇は油防除のほかにも捜索援助活動を実施する。
1番艇は5月中にも配属される予定になっており、残りも9月中には配属される。
費用は1隻640万リンギット。
速力は20ノット、沿岸から100海里進出できる航続距離を持つ。
(2001年5月14日スター)
油流出は国境を越えた問題(ブルネイオスパー会議)
5月28日にブルネイで2日間にわたる第6回オスパー会議が開催された。インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ブルネイ、そしてオスパープロジェクトの支援国である日本が、この会議に出席した。
ブルネイ通信省の事務次官は開会の挨拶で、「油流出は国境を越えた問題である。領海線を共有するアセアン地域において、オスパーの資機材を用いれば迅速に大規模な油流出に対応することができる」と述べている。
オスパープロジェクトは、IMOのOPRC条約(油汚染に対する準備、対応及び協力に関する国際条約)の採択を受け、日本が先頭になって進めてきた。
OPRC条約は、大規模な油流出事故が発生した際の各国及び地域の油濁対応計画、技術、相互援助を調整する目的で策定された。
またこの条約は、国際システムに参加するための基本油濁対応制度の開発を義務付けている。
中東からの油輸送でアセアン海域の主要利用国である日本は、先頭を切って当時のアセアン加盟国6カ国相互対応能力の確立を目指してきた。日本政府はアセアン諸国の油防除対応資機材の改善及び強化のために10億円を投入している。ブルネイ王国は1994年に8,000万円相当の資機材及びネットワークシステムを正式に受理している。
(2001年5月29日Borneo Bulletin、News Express)
油流出対策グループを拡大
先週ブルネイで行われた第6回オスパー会議では規模の拡大が合意され、アセアン新加盟国(カンボジア、ベトナム、ミャンマー)がオスパー管理委員会に招待参加される予定である。
ブルネイ通信省の事務次官は開会の挨拶で、カンボジア、ベトナム、ミャンマーのオスパー管理委員会参加を強く訴え、以下のように述べた。「油流出は国境や政治の境界を越えた問題である。大規模な油流出はあっという間に国家の資源を蝕んでしまう。我々の確立したオスパープロジェクトというのは、油濁対応提携である。費用効果の高めながら対応能力を引き出せるように、資機材を出し合って、情報を交換している。委員会はその課題と役割を見直すべきであり、個人的には対応計画の効果を高めるのに必要な条件を包含するための課題及び役割を拡大すべきだと考えている」
オスパープロジェクトは、IMOのOPRC条約(油汚染に対する準備、対応及び協力に関する国際条約)の採択を受け、1993年に日本が先頭になって開始・援助した。
中東からの油輸送でアセアン海域の主要利用国である日本は、先頭を切って10億円を投入し、アセアン加盟国への油防除対応資機材を提供した。
OPRC条約には、油濁対応計画の確立、油流出事故が発生した際の加盟国間援助の相互義務が含まれている。
しかし、当時のオスパー協定には、1995年にアセアンに加盟したベトナム、1997年の加盟したミャンマーとラオス、1999年に加盟したカンボジアは含まれていなかった。
シンガポールに拠点を置く海上安全関連団体の関係者は、これらの国の参加がオスパーの活動範囲を広げるだろうと述べている。
昨日(5日)IMOは来年3月11日から13日にフランスで開催される第3回油流出対応に関する国際研究開発フォーラムで発表する論文を募集し、世界的にこの問題を強調した。
論文の募集は、流出油の検出・追跡・回収・輸送・処理に関する最新情報及び進展情報の収集・共有の第一歩になるだろうと言われている。
(2001年6月6日シッピングタイムズ)
シンガポール船籍VLCCのタンクが爆発
事故発生日時:
2001年6月12日(火)0455(現地時間)
(GMT: 6月13日2355)
事故発生地点:
インド北西部Laccadive島沖のアラビア海
北緯13度47分、東経68度30分
事故船とその詳細:
VLCC「Heng San」シンガポール船籍、241,168dwt
Ocean Tanker(拠点:シンガポール)運航、乗組員42名
1977年建造
状況:
救出に向かったノルウェー船「Probo Baro」(Torvald運航、1986年建造、48,062dwt、)の船長は、H号の中央タンク4つが爆発し、タンカーの横の部分が甲板まで裂けていて、損傷がひどい状態であったと報告している。P号は0455にH号から「爆発と火災」の報告を受けた。P号はオーストラリアからペルシャ湾に向かっているところであったが、0520に方向転換した。0535、H号から再び連絡が入り、42名の乗組員全員が無事であるとのことだった。P号は、0720頃事故現場に到着したが、その時にはすでに火災は鎮火されていた。
事故に関して、ムンバイの海難救助調整センターとノルウェーのスタヴァンガー沿岸警備隊が常時連絡を取り合っていたが、H号の乗組員を救助する必要はなかった。
P号はムンバイからテレックスを受け取った後、1344に航海を再開した。
H号は、シンガポールの石油貿易会社Hin Leong Marine Internationalに代わって、Ocean Tankerが運航していた。Hin Leongは、1970年代に建造された大型タンカー70隻を所有している。
(2001年6月13日ロイズリスト)
シンガポール船籍VLCC「Heng San」爆発事故続報
インド沿岸警備隊の発表によると、北緯14度12.15分、東経69度10.0分の地点でタンクが爆発したHeng San号(VLCC、241,168dwt、1976年建造)は、船体が2つに裂けて沈没した。この事故でH号の乗組員42人中4人が行方不明になっている。そのほかの38名については無事救出された。爆発が発生したのは貨物タンク内であるが、その原因と詳細は明らかになっていない。
インド海軍、インド沿岸警備隊、付近を航行中の船が救出作業を行った。
Heng San号のかつての船名は「Shinanogawa-95」で、日本海事協会から船級を受け、シンガポールのOcean Tankersによって運航されていた。
(2001年6月13日海事関係者からの情報提供等)
ジョホール水道でケミカルタンカーが座礁(第一報)
事故発生日時:
6月13日(水)0340
事故発生地点:
パシルプテ沖のマレーシア領海内
事故船及び詳細:
ケミカルタンカー「Indah Lestari」、インドネシア籍船
フェノール積載
状況:
マレーシア海事局によれば、該船は13日0130にパシグダンを出港、0340にビーチに乗り上げたとのこと。積荷のフェノールが少しずつ流出しており、サルベージ会社が作業を開始した模様。
シンガポール海事港湾庁によれば、事故発生地点はマレーシア領海内であるものの、対応策を検討しているとのこと。
(2001年6月13日マレーシア海事局・シンガポール海事港湾庁)
ジョホール水道でケミカルタンカーが座礁(第二報)
第一報による船名「Indah Restari」を「Indah Lestari」に訂正します。
シンガポール環境省によれば、同船が積載していた積荷のフェノールは、630トン。座礁による軽度の船体損傷により、フェノールが少量流出している模様。
現在、付近海域の水質をモニタリングしているが、予備措置として、付近海域での遊泳、魚釣を避けるよう周知しているとのこと。
(2001年6月14日シンガポール海事港湾庁・シンガポール環境省)
シンガポール船籍「Heng San」爆発事故続報(第三報)
3名が死亡、1名が行方不明。
火曜日(12日)にアラビア海で爆発したシンガポール船籍タンカー「Heng San」の乗組員3名の死亡が確認された。1名が未だ行方不明になっている。
インド沿岸警備隊によると、3名は爆発による負傷が原因で死亡したとのこと。また、同沿岸警備隊は、H号の船上で火災が二度発生していたと述べている。一度目の火災はインド時間の12日午前0時を少しまわった頃に、二度目の火災はその約24時間後のインド時間12日午後11時15分に起こった。
H号からのSOSを受け、商船2隻が乗組員の救出に向い、乗組員42名中38名が救出された。救出された乗組員は現在も商船に乗船していると思われる。
インド沿岸警備隊は、明日も引き続き航空機を使った行方不明者の捜索を行うと述べている。
H号を運航していたシンガポールのOcean Tankersは、昨日(13日)の時点でも、乗組員4名は「行方不明」であると述べていた。
同社のスポークスマンは、救助の際に行方不明になった4名(韓国人1名、中国人3名)の捜索が現在も行われていると話し、4名が現在も行方不明であるという姿勢を崩していない。
タンカーは空船状態で中東に向かっていたところで、ゴア沖500キロの地点を航行中であった。一旦鎮火の後、H号は北の方向に向かって航海を続けたが、2回目の火災から爆発により、船体が2つに裂けたものとみられる。インド沿岸警備隊によると、最初の火災が起こった地点から北西に55キロ離れた地点(ゴア沖約520キロ)で該船は沈没した。
シンガポール海事港湾庁(MPA)は、乗組員の詳細を中国人34名、韓国人7名、ミャンマー人1名と発表した。
MPAは状況を監視していくと述べている。
(2001年6月14日ストレートタイムズ)
ジョホール水道でケミカルタンカーが座礁(第四報)
シンガポール海事港湾庁によれば以下のとおり。(事故発生地点がマレーシア海域であり、対応当局はマレーシアであることを前提)
1 同船の要目
船名 「Enda Lertari」(第二報による船名「Indah Lestari」は訂正)
総トン数 533トン
船種 ケミカルタンカー
全長 48m
全幅 18m
積荷 フェノール630トン
2 現在の状況
同船は右舷側に傾斜して砂浜に安定した状態で鎮座している。現在まで流出したフェノールの量は不明。
シンガポール当局は、付近のシンガポール海域の水質を調査、モニター中。これまでのところ異常は検知されていない。
また、シンガポールのサルベージ会社「Kasel Salvage」が、同船のフェノールを瀬取りする作業を実施するため、資材を準備中。本日中に作業を完了させる見込み。
(2001年6月14日シンガポール海事港湾庁からの情報)
シンガポール船籍「Heng San」爆発事故続報(第三報)
3名が死亡、1名が行方不明
火曜日(12日)にアラビア海で爆発したシンガポール船籍タンカー「Heng San」の乗組員3名の死亡が確認された。1名が未だ行方不明になっている。
インド沿岸警備隊によると、3名は爆発による負傷が原因で死亡したとのこと。また、同沿岸警備隊は、H号の船上で火災が二度発生していたと述べている。一度目の火災はインド時間の12日午前0時を少しまわった頃に、二度目の火災はその約24時間後のインド時間12日午後11時15分に起こった。
H号からのSOSを受け、商船2隻が乗組員の救出に向い、乗組員42名中38名が救出された。救出された乗組員は現在も商船に乗船していると思われる。
インド沿岸警備隊は、明日も引き続き航空機を使った行方不明者の捜索を行うと述べている。
H号を運航していたシンガポールのOcean Tankersは、昨日(13日)の時点でも、乗組員4名は「行方不明」であると述べていた。
同社のスポークスマンは、救助の際に行方不明になった4名(韓国人1名、中国人3名)の捜索が現在も行われていると話し、4名が現在も行方不明であるという姿勢を崩していない。
タンカーは空船状態で中東に向かっていたところで、ゴア沖500キロの地点を航行中であった。一旦鎮火の後、H号は北の方向に向かって航海を続けたが、2回目の火災から爆発により、船体が2つに裂けたものとみられる。インド沿岸警備隊によると、最初の火災が起こった地点から北西に55キロ離れた地点(ゴア沖約520キロ)で該船は沈没した。
シンガポール海事港湾庁(MPA)は、乗組員の詳細を中国人34名、韓国人7名、ミャンマー人1名と発表した。
MPAは状況を監視していくと述べている。
(2001年6月14日ストレートタイムズ)
シンガポール船籍「Heng San」爆発事故続報(第四報)
救助時に乗組員4名が犠牲に
爆発により船の側面と甲板が裂けたVLCC「Heng San」(241,168dwt)は昨日(13日)、悪天候の中沈没し、乗組員4名が犠牲になった。
救助に関わった2隻のタンカーの船長に話を聞いたところ、月曜日(11日)に起こった爆発では負傷者はなかったという。
しかし、その後、インドに進んできた南西モンスーンによる悪天候によって、乗組員4名が犠牲になった。
H号の乗組員2名は、救助にかけつけたパナマ船籍のClovely号(248,034dwt)によじ登ろうとした時に振り落とされた。
救命艇の指揮にあたっていた一等機関士は、水先人用はしごから救命艇に乗り込む際に振り落とされた。4人目の犠牲者は機関士で、C号に向かっていた救命艇から振り落とされたとみられる。C号によってH号の乗組員16名が救助された。
同時に、第二救命艇に乗り込んだ22名の乗組員はギリシャ船籍のAztec号(68,300dwt、建造されたばかりの新しいタンカー)に救助された。A号は、C号や現場に向かったほかのVLCCに比べ、小型で操縦が容易であった。
A号によると、H号の第二救命艇はエンジントラブルに見舞われ、あてもなく海上をさまよっていたという。最も難しかったのは、A号を安定させたまま、救命艇の乗組員をA号に乗り込ませることだったとA号の船長は述べており、当時波の高さは10メートルあったと話した。
「天候はもっと悪くなるという警告を受けていたので、彼らが一刻も早くよじ登って乗船できるよう2つのはしご、ロープ、ネットを降ろした。救助は困難を極めたが、乗組員が協力し合い、22名全員を救助することができた」とA号船長は語った。
救助された乗組員38名は全員体調に問題はないが、事件によるショックは大きかったようで、特に船長はひどいショックを受けていたとのこと。
C号とA号は、Fujairahに向かっており、救助されたH号の乗組員を数日後にそこで降ろしたいとしている。
C号の船長によると、5時間にわたる救助作業が終わり、現場を去ろうとした時には、H号の船体は船首の部分のみが海面から見えていたとのこと。
インド沿岸警備隊は昨日(13日)、成果が得られなかったため、海上の捜索活動を打ち切ると発表した。
(2001年6月14日ロイズリスト)
有害物質が流出、ジョホールで被害拡大
ジョホール州パシクダン港沖で13日、インドネシア船籍のタンカーが転覆し、積荷の有害化学物質が流出した事故は、ジョホール水道一帯で被害が拡大しているもようだ。事故現場周辺での漁業や養殖業は壊滅的な打撃を受けたほか、シンガポール側では遊泳禁止などの措置を取っている。
沈没したタンカー「MVエンダ・レスター」は13日午前3時頃、パシクダン港から東カリマンタンに向けて出航した。シンガポールに近いプンゴル島沖2海里に差し掛かった頃、船長が異常に気がついてジョホール港湾庁に通報。その後、タンカーは転覆し、2隻のタグボートに引かれ、カンプンパシルプティから100メートルほどの浅瀬に移動した。船長と乗組員13人は無事だった。
同タンカーは有害産業化学物質「フェノール」を630トン積載していた。今回の事故によってフェノール600トンとディーゼルが流出したもようだ。
「フェノール」は、プラスチックや消毒剤、殺虫剤などの製造に使われる石炭酸の一種。毒性が強く、体内に入ると呼吸困難、心拍数変調、昏睡などの症状を引き起こし、1グラムを超えると死に至る。
ジョホール港湾庁では、タンカーからの流出を防ぐために、あらゆる措置を講じたが、周辺海域では養殖されていた貝や魚が大量に死亡しているのが確認された。
ジョホール漁業協会は、付近の住民に魚を食べないよう通達している。ただ、この通達が出たのは13日午前9時。市場では早朝4時から魚の売買が開始されていたため、通達が遅かったと非難する声もある。
一方、シンガポール側でも監視を強めており、ウビン島、パシルリス、チャンギ、プンゴル島周辺での漁や遊泳が禁止されたもようだ。
カンポンパシルプティでの漁業経営者は125人。周辺の海域は死んだ魚が浮かぶ死の海と化しており、「これでは生物がいるとは思えない。今後1年は影響が残り続けるだろう」と怒りを隠せない。なかには損失が7,000リンギの上ったケースもあるという。転覆したタンカーは住民の目と鼻の先に放置されており、不安といら立ちは募るばかりだ。
マレーシア漁業開発庁のザイナル・マット・アリ長官は、今後の潮流によって汚染が拡大する恐れがあると指摘。漁民の訴えには最大の協力をする考えを示した。
現在はジョホール港湾庁を中心に事故原因について調査が進められている。一方、ジョホール州環境局はフェノールについて、「ディーゼルのように凝固することはなく、揮発性も高い」とし、海水で次第に薄められて毒性が弱まっていくとの見方を示した。
(2001年6月15日NNA)
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