日本財団 図書館


第2節 海難・航行安全
 
シンガポール海峡で座礁したコンテナ船の引き揚げ、Wijsmullerが請負
 3月29日の夜、インドネシア寄りのシンガポール海峡、ヘレンマー礁で座礁したコンテナ船CGA CGM Normandie号(4,688TEU)の引き揚げ作業はWijsmullerが請け負うことになった。
 該船の引き揚げ作業の入札には、Smit International、Semco、Kasel Salvageも参加していたとみられている。
 30日Wijsmullerは、現場に40名の救難作業員を派遣した。同社によると、N号は5つの船倉が損傷を受けており、ダイバーが損傷した船底の補修をしているという。バンカー油の流出に備えて、オイルフェンスも用意されている。
 W社のスポークスマンによると、油の流出があったが「少量であった」とのことである。
 クレーンを搭載したバージが派遣され、コンテナが瀬取りされる予定である。
 N号のフランス船主は29日、1,950個あるコンテナのうちの1,200個が瀬取りされないといけないと話している。
 コンテナの瀬取り後、N号は離礁し、シンガポールで修理を受ける予定である。
 作業は全体で約1週間かかるとみられる。
 事故発生当時、N号はマレーシアのクラン港からインドネシアのジャカルタに向かっているところであった。
(2001年4月2日マリタイムアジア)
 
マレーシア パシルグダン沖インドネシアのドレッジャーがタンカーと衝突
事故発生日時:
2001年3月31日午前11時前
事故船の詳細:
ドレッジャー
Sulawesi II号 1974年建造 3,699トン
インドネシア政府運航
タンカー
Andahika Aryandhi号 4,251トン
Andahika Shipping運航 1983年建造
状況:
事故発生当時、ひどい悪天候で視界はゼロに近い状態であった。暴雨により、通信機器にも影響が及んだとみられる。
 Andahika Aryandhi号側のスポークスマンによると、事故発生時A号はパイロットを乗船させるため、パシルグダンのアンカーポイントに向かっているところであった。その時、悪天候の中を左舷側からS号がA号の進路を横切るように近づいてきて、A号の右舷にぶつかった。同スポークスマンは、S号が航路を譲らなかったとしており、左舷側から接近してきた船が航路を譲るのは当然のことだと述べている。
 事故によるケガ人はなく、A号の貨物(やし油)も無事であった。
 A号は右舷側の船体に少々へこみができたが、当局は総点検が行われる8月まで運航を続けることを許可した。
 S号の損傷の程度は明らかではないが、船体が浸水し始めたとの報告があったことから乗組員は船から下ろされた。S号の衝突による損傷は、A号よりもひどいとみられる。
 事故の直後にS号は、Semcoサルベージによって修理のためシンガポールに曳航された。
保険会社と当局が、調査を進めている。
(2001年4月10日シッピングタイムズ)
 
東ジョホール水道でコンテナ船とバージが衝突
事故発生日時:
2001年4月18日午後3時15分頃
事故発生地点:
東ジョホール水道 ウビン島南沖1キロの地点(シンガポール領海内)
事故船の詳細:
コンテナ船 「Johan II」 マレーシア船籍(登録:ラブアン) 1,969gt
バージ 「IT338」 シンガポール船籍 1,216gt
状況:
事故発生当時、バージ「IT338」はタグボート「Island Tamara II」によって曳航されていた。シンガポール海事港湾庁(MPA)は、現在調査を進めており、非難をするつもりはないと述べ、以下のような声明を発表した。
 「事故発生当時、「Johan II」はジョホール港湾庁のパイロットによって水先案内され、パシルグダン港から出港するところであった。一方、タグボートとバージは、インドネシアからパシルリス総合ターミナルに向かっているところであった。事故によって、J号の船首がバージの右舷側に突き刺さっている。損傷については現在も調査が行われているが、両船とも安定した状態で、けが人はなく、汚染の問題もない」
 バージ、コンテナ船ともに主要航路から移動されて、現在はスンゲイ・セラングーンの近くに投錨している。MPAによれば、東ジョホール水道の船舶交通に影響はない。
 
ヘレンマー礁で座礁したコンテナ船についての続報
 3週間以上前(3月27日深夜)にヘレンマー礁で座礁したフランスのコンテナ船CMA CGM Normandie号(4,734TEU)は、現在も座礁した状態のままである。
 該船はマレーシアのクラン港からインドネシアのジャカルタに向かっているところ、通航分離帯を外れた地点で座礁した。
(2001年4月20日シッピングタイムズ)
 
Normandie号をシンガポールに移動
 3月27日にシンガポール海峡で座礁したCMA CGM Normandie号(4,688TEU)は、Wijsmuller Salvageによって日曜(4月22日)、離礁され、残りの貨物を降ろし、修理を受けるためシンガポールに向けて移動した。
 N号は48時間にわたり乾ドックに入り、詳細な検査を受ける。N号が貨物の引き下ろしと修理のためにシンガポール港に入ることについて、シンガポール海事港湾庁(MPA)は入港許可を出している。
 元々1,950個あったコンテナのうち800個が、まだ船内に残っている。1,150個については、サルベージ会社がクレーンとバージを用いて瀬取りし、マレーシアのタンジュンペレパス港に輸送された。
 シンガポールで降ろされたコンテナは別のCMA CGM船によって各到着地へと輸送される。
 船内に残っているコンテナのうち約100個は、座礁によって損傷を受けているとみられている。
(2001年4月27日マリタイムアジア、ロイズリスト)
 
ジョホール・ショールでバンカーが座礁
事故発生日時:
2001年5月25日(金)午後10時頃
事故発生地点:
ジョホール・ショール、シンガポールのチャンギ沖東約3キロ
事故船名・詳細:
Lowlands Beilun号、バルクキャリアー、シンガポール船籍、85,906GRT、貨物:鉄鉱石165,000MT
The Tai Chong Cheang Co運航
状況:
シンガポール海事港湾庁(MPA)の発表によると、L号は午後10時10分にバンカーの燃料を補給した後、チャンギ特殊目的停泊地から出発したところ座礁、左舷側の第2バラストタンクに穴が開いた。
 MPAによると、油の流出及びけが人の報告はなく、L号は安定した状態にある。MPAは、L号への援助と万一の油流出に備えて、タグボートと防災船を各2隻派遣した。航行警戒も出された。
 土曜日(26日)午前1時の満潮時に、パイロット1名とタグボート3隻による船の離礁作業が行われたが、失敗に終わった。L号の運航会社は、サルベージ会社(Smit InternationalとSemco Salvage and Marine)に援助を求めた。
 土曜日(26日)からサルベージ会社が離礁作業を開始したが、27日現在MPAは新たな情報を入手していない。現在、MPAが事故の調査を進めている。
(2001年5月28日シッピングタイムズ)
 
マラッカ海峡で貨物船がタンカーと衝突後沈没 乗組員全員無事
事故発生日時:
2001年5月28日午前2時45分
事故発生地点:
マラッカ海峡 スダン島(Palau Udan)西沖約8海里
水深40〜50メートルのところで沈没
事故船の船名及び詳細:
貨物船Singapura Timur号、1,369gt、パナマ船籍、アスファルトとビチューメン積載、運航会社Odyssey Maritime、1997年建造、乗組員12名
タンカーRowan号、24,731gt、バハマ船籍、貨物は空
乗組員27名
状況:
貨物船とタンカーが衝突、その約1時間後に貨物船は沈没し始めた。(同日午後3時48分に完全に沈没)貨物船S号の乗組員は救命筏2隻で脱出し、その後海上警察に救助された。S号の運航会社Odyssey Maritimeのスポークスマンによると、乗組員1名が軽傷を負い、ジョホール州の病院で手当を受けた。ほかの乗組員もジョホール州で休息をとっている。
 同スポークスマンによると、事故発生当時S号はシンガポールからマレーシアのクラン港に向けて1,000トン以上のアスファルトと積んで航行していた。
 事故の詳しい状況は明らかになっていないが、衝突によってS号の船体はひどい損傷を負ったものと思われる。
 マレーシア海難救助調整本部(MRCC)のよると、S号のバンカーから少量を油が流出した。当局は状況の監視を続けているが、その後油の流出は見られていない。
 タンカーR号は、マラッカ沖に安全に停泊している。衝突によってR号の船体に穴が開いたが、損傷はそれほどひどくなく、航海に支障を与えるほどではない模様。R号の乗組員にけがはなかった。事故発生当時、R号はシンガポールからパキスタンのKassim港に向かって航行していた。貨物は空であった。
 現在、MRCCが事故の調査にあたっている。
(2001年5月29日シッピングタイムズ、ストレートタイムズ、スター)
 
マラッカ海峡での小型タンカー沈没事故続報
 5月28日に発生したマラッカ海峡でタンカー大型Rowan号と小型タンカーSingapura Timur号の衝突事故から、船舶の通航分離帯(TSS)違反問題が浮き彫りになった。
 マレーシア海事局は、今回の事故について、船が別の船の船尾に衝突するというケースは初めてで、このような事件は「普通でない」と述べている。
 海事局航行安全課のアーマッド・オスマン課長は、どういった経緯で事故が発生したのか調査にあたっている。
 事故当時両船はTSS内を航行中で、当初の報告では大型タンカーが小型タンカーに突っ込んだと伝えられていた。
 アーマッド課長と職員らは、VTMS(Vessel Traffic Management System)の記録をチェックして、どのようにして衝突事故が発生したのか検証する予定である。
 マレーシア海事研究所の副所長は、今回の事件は両船が規則に従っていれば避けられたはずだと述べている。
(2001年5月29日スター)
 
シンガポール イーストコースト沖でタンカーが火災・沈没
事故発生日時:
2001年6月15日0805現地時間(0005GMT)
事故発生地点:
シンガポール イーストコースト沖
事故船名及び詳細:
「Satama3」、タンカー、ベリーズ船籍、木造、115gt
状況:
シンガポール海事港湾庁(MPA)の発表によると、該船で0805に火災が発生。シンガポール沿岸警備隊、MPA、市民防衛軍の船舶が現場に急行し、火災は約1時間後に鎮火されたが、その後0940(0140GMT)に該船は沈没した。乗組員2名がシンガポールジェネラルホスピタルに収容された。1名はやけど、もう1名は煙を吸い込んだため、治療を受けている。事故発生当時、この2名(インド国籍とインドネシア国籍)のみが船上にいた。防災船が現場に派遣されているが、今のところ(事故発生6時間後)油濁は確認されていない。
(2001年6月15日ストレートタイムズ、ビジネスタイムズ、MPAステートメント)
 
シンガポールで火災・沈没したSamta3号の乗組員、危険な状態
 一方、シンガポールのイーストコースト沖で火災・沈没したシンガポール所有・ベリーズ船籍のSamta3号のインドネシア人乗組員は、全身の90%に及ぶやけどを負っており、危険な状態にある。
 MPAによると、サルベージ会社Smit Internationalは17日の午後までにクレーンバージが4つの貨物タンクを引き揚げ、サルベージ作業を終えた。
(2001年6月19日ストレートタイムズ)
 
台湾沖で貨物船が台風に襲われ乗組員行方不明
事故発生日時:
2001年6月23日
事故発生地点:
台湾台南沖
事故船の詳細:
Kuangyuan号、5,300トン、ベリーズ船籍、乗組員23名
鉱石積載
状況:
警察によると、船体が傾いて船尾から浸水していると該船から連絡が入った。その後、該船は行方不明になった。翌日24日巡視艇が該船及びその乗組員を捜索したところ、油膜とベリーズと書かれた救命具3つが見つかった。警察は該船が沈没したのではないかとみている。
(2001年6月25日シッピングタイムズ)
 
Inabukwa号、二度目の打撃
 3月15日に13名の海賊にハイジャックされ、その後フィリピンで沿岸警備隊に発見された貨物船Inabukwa号(インドネシア国営企業Pelayaran Nasional Indonesia所有、1,710トン)が、ルソン北部のSalomague港で台風による強風と荒波によって座礁した。I号の損傷状態はひどい模様。I号を含め9隻の船が過去3日間に沈没または座礁している。
 フィリピン沿岸警備隊によると、フィリピンは最近I号のインドネシアへの引渡しに合意したところであった。
 新たなインドネシア人乗組員がSalomague港でI号を引き継いで、5日の出発に備えていたところを台風に襲われた。
 I号は桟橋まで曳航されたが、台風によって係留ロープとアンカーが損傷を負った。該船は浸水してエンジンが故障して座礁したとみられる。
(2001年7月6日ロイズリスト)
 
マラッカ海峡で貨物船と油タンカーが衝突
事故発生日時:
8月29日(水)午前3時頃(現地時間)
事故発生地点:
マラッカ海峡(クラン港沖6海里)
事故船名及び詳細:
タンカーSilversea号、パナマ船籍
貨物船Paris II号、ギリシャ船籍
状況:
貨物船と油タンカー(両船とも空船)が衝突、タンカーの乗組員9名が負傷し、救急車でクラン病院に運ばれた。事故発生時、タンカーはパシルグダン港からクラン港に、貨物船はシンガポールからアラブ首長国連邦のフジャイラに向かっていた。
(2001年8月29日 ロイター通信)
 
CMA CGM Normandie号座礁 事故原因船橋の判断ミス
 フランス海難審判庁の報告書によると、2001年3月27日の夜、マラッカ海峡で発生したCMA CGM Normandie号座礁事故の原因は、速度の遅い沿岸船と追い越そうとした判断ミスにあったとのことである。
 見張りにあたっていた乗組員の責任が問われたほか、事故発生当時船橋にいた船長にも一部責任があるとされた。
 該船はクラン港からジャカルタに向かっていたところ、現地時間2300を過ぎた頃、左舷側を航行していた沿岸船を追い越して通航分離帯に戻ろうという誤った判断を下し、ヘレン・マー礁に乗り上げた。
 報告書には、以下のように記されている。
 「該船が通航分離帯から外れた右側に針路を変えたことが、本質上の事故原因である。座礁の直前になって事態に気が付いた船長は、誤った判断を共有し、認めていたものとみなされる。その時には残された時間もなく、船の舵を左に取って暴走を止めることぐらいしかできなかった」
 事故によって、該船は甚大な損傷を負い、ベトナムの造船所で修理を受けた後、今月になってやっと運航を開始することになった。
(2001年10月17日ロイズリスト)
 
マレーシア クアンタン港で貨物船の乗組員5名が毒性の煙を吸い込み死亡
事件発生日時:
2001年12月25日
事件発生地点:
マレーシア東海岸のクアンタン港
船舶名及び詳細:
MV Sunvaz号、18,000トン、旗国:セントヴィンセント
状況:
該船はタイで貨物の化学肥料を下ろした後、空の状態でクアンタン港に入港した。船内の清掃中に乗組員5名(全員中国籍)が毒性の煙を吸い込み、死亡した。死亡した乗組員は、中国江蘇省の出身であった。該船のエージェントからのコメントは得られなかった。
(2001年12月27日シッピングタイムズ)
 
バタム島に向かっていたインドネシア船が沈没
事故発生日時:
2002年1月27日(日)
事故船及び詳細:
Jaya Abadi号、コンテナ船、インドネシア船籍、全長38m
状況:
J号は、シンガポールからシンガポールの南20kmのところにあるインドネシア領バタム島に向かっていた。インドネシア領海に入った直後、船首の穴から浸水し始め、沈没した。乗組員7名は全員救助されたが、船内に残っていた船長が死亡した。J号の貨物についてはまだ明らかになっていない。
(2002年1月29日シッピング・タイムズ)







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION