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ろう両親交流会
出席者:31名(幼児・幼稚部の保護者8名、小学部の保護者9名、中・高等部の保護者4名、学生の保護者3名、社会人の保護者3名、その他4名)
司会:畠山和子(札幌聴力障害者協会)
助言者:山根昭治(全日本ろうあ連盟理事)
 
(司会) ろう両親交流会はこれで5回目の開催。1年1年顔ぶれが変わっているが、ろう教育について、自分の持っている悩み、又、昨年、一昨年と参加した方は、その後どうなったのかということも合わせて話していただければありがたい。聞こえない子どもを持つ親の立場の苦しみや悩みをなかなか先生や学校には話すことができない面があるので、この場を設けてある。
 
 
〜ろう学校幼稚部の現状〜
(静岡県) 幼稚園免許を有する先生が足りないので、小学部の先生がやっているという形になっている。そのため、4歳の子どもは自分の思っていることを上手く表せないし、先生も子どもの表す手話が良くわからないので子どもの声に頼っている。子どもの心理をつかもうとしていないような気がする。娘は保育園にも通っているが、保育園の先生の方が子どもの心理をつかんでいるように感じている。他の県はどうか?
 
(広島県) 広島の教育委員会の考えが2〜3年前から大きく変化した。ろう学校の先生のほとんどが異動になった。今年はもっと厳しい。今年から幼稚園の資格を持っていない先生は、幼稚部に入ることは出来ない。小学校の資格を持っていなければやはり小学部は出来ないというやり方で一昨年から変わった。今までのやり方と突然変わった状態で、今混乱している状況。
 
(福島県) 幼稚部は昔と今では違うと思うが、昔は口話教育で厳しかった。息子の場合は3歳から口話教育と言うよりは遊びを中心にしている。口話が覚えられないなら、遅れても良いという教え方には少し疑問があるように感じる。担任が小学1、2、3年と持ち上がりでなく、1年ごとに変わっている。息子は先生の顔を覚える前に担任が変わってしまうので大変。このことについてはどうか。皆さんのお話を聞きたい。
 
(山梨県) 息子は小学5年だが、1年ごとに担任が変わっている。5年生なので5人目の先生。毎年同じ説明の繰り返しで飽き飽きしている。先生の異動に疑問を感じている。すごく教えるのが上手な先生は、すぐに異動になってしまう。そのことは納得できない。今年はたまたまクラスメイトが8人いる。2年ごとにクラスの入れ替えをし今年は5年生なので、またクラス替えがありました。せっかく友達になったお母さんとも分かれて、手話を覚えてくれたのに、また最初から手話を教えなければならず、コミュニケーションを取るのがしんどい。
 
(宮城県) 幼稚部に関しても、養護学校を経験してきて低学年の子どもたちを見てきた先生が入っている。高等部からきている先生も中にはいる。コミュニケーションの上手く取れていない先生が本校の幼稚部にもいる。
 そこで、数年前校長先生から、まずは通じることが大切だということで、手話をずいぶん取り入れて授業行っている。遊びの中で子どもたちが、手話を使って子ども同士で手話を教えあっている状況があって、子どもが以前の口話法のときのように、手を引っ込めるとか、たたかれるとか、そういうのが今ではなくなってきているので、すごく表情が明るく生き生きしている。昔はなかった笑顔が今の子どもたちにはすごくあって、自己表現のできる子どもたちに健やかに育っていくのではないかと将来楽しみである。聞こえの良い子どもさんを持つ親御さんは、聴覚を使った教育をしてほしいと思っているし、ろうのお母さんたちは、自分も教育をしやすい手話を取り入れてほしいと、両方とも書き言葉が出来るように育って欲しいという要求が増えている。
 
(司会) ろう学校の幼稚部を見学したとき、とても表情が暗かった。口話で先生は一生懸命やってはいるのだけど、先生を見て子どもが怖がっている様子があったので、子どもを保育園に通わせた。コミュニケーション方法は園に任せた。また、集団生活を身に付ける必要があると思って園に入れた。保育園から普通小学校に入り、まあまあ良かったが、そのうち勉強がまったくわからず、遅れをとって辛かったので、途中からろう学校に入った。このように良い経験をしてきた。
 子どもが小さいときの教育については、先生が良いか悪いかではなく、聞こえない子どもの教え方、その背景、環境について何かあったら、遠慮なく皆さんで話し合ってほしい。
 
(助言者) あるデフファミリーの方の事例をあげたいと思う。始めはろう学校の幼稚部に入ったが、その先生からあることを言われた。その親は聞こえないけれども文章がとても上手だった。それは、聞こえないこととは関係ないこと。先生がこう言った。「聞こえないのに文章を書くのが上手ですね」って。(会場より「失礼」「失礼」)その両親は、その先生に信頼をもてなかった。
 2つ目として、子どものことで先生の言っていることが良くわからないので、手話通訳をつけてほしいとお願いしたら、「自分たちでやるから手話通訳は必要ない」と言われた。結局、不信感を生じ、子どもを安心して預けられないことから、普通の保育園へ預けた。保育園の先生たちは積極的に手話を覚えてくれて、子どもはのびのびとしてきた。卒園してからどうするか、普通の小学校に入るかろう学校に入るか迷ったが、聞こえない同士の集団活動が大切と考え、ろう両親は聴覚口話法だけでなく、手話を導入してほしいと要望を学校に出した。結局は認められ、今は小学校2年生で、毎日楽しい学校生活を送っていると聞いている。保護者自身が納得して、子どもを安心して学校へ預けたいということが必要なのだと思う。このあたりの学校との関わりについてお話を聞きたい。
 
〜キュード法は必要か〜
(広島県) 広島ろう学校は手話が認められている。今10歳の子どもが幼稚部に入るときの話だが、広島ろう学校はキュード法だった。幼稚部に入る前に幼稚部の学習発表会に行ったら、劇なのにキュード法と声だけで本当につまらなかった。幼稚部に通っている健聴者の親は、大喜びだったようだが、私は本当につまらなく納得できなかった。他に入れる幼稚園がないということなので、幼稚部に入れた。入れた後、ほかの人に何と思われようと自分の要望を出した。キュード法は何のためにあるのか。私の家族はデフファミリーで、友達もろう者。なのに自分の子どもとキュード法だとコミュニケーションが取れない。キュード法だと、「それはおかしいのではないでしょうか」と言うことを幼稚部の先生にもはっきり申し上げた。わかるコミュニケーションが必要なんだという話をして、4年前からキュード法をやめて手話になった。娘が幼稚部に入ったときは、学習発表会はキュード法をやめて手話に変わった。今、幼稚部や小学部の子どもたちを見ると本当に明るい。卒業した人たちが遊びに来ても、コミュニケーションをちゃんと取れている。前のキュード法のときは、卒業生とのコミュニケーションも取れなかった。
 
(助言者) 自分一人で要求を出したのか。
 
(広島県) ろうの両親というのは私一人だけ。私が言ったから変わったとは思ってはいない。「手話が必要だ」と言う先生方と、「キュード法が第一だ」と言う先生方と半々だったが、その先生方の会議で変わったのだと思う。
 
 
(静岡県) キュード法は私も反対。先生に、「なぜキュード法が良いのか」という話をしてもらった。先生方も2〜3年で変わってしまうので、先生方が手話を覚えるには時間がかかる。けれどもキュードサインであれば、1週間で覚えられるし、キュード法を使ってすぐに教えられるから良い面があるということだった。でも私は「キュード法は表情がない。ロボットのようだ。」と訴えると、先生はむきになって話される。例えば、「泣く」の教え方なのですが、ろう者の場合は自然に泣く時の表情になるのだが、先生がいうには「泣くというのはこういう表情なのです。この顔を真似しなさい。と教える。」と、得意気に話された。私はそれに対して大変不満だった。ロボットみたいに表情のない子に育っても良いのか、とほかの親御さんや学校に話し続けて来た。幼稚部では少しずつ変えてもらうことができたが、今も相変わらずキュード法で残っている。息子が悩んで私に言うのだが、「学校ではキュード法だけど家では手話なんだよね」と。そして家でもキュード法を使う。でも、キュード法が速すぎて何を言っているのかが私にはわからない。それで息子に「家では手話で話して」と言うと、「先生は手話がわからないから。キュード法は厳しいから。家でも練習しなさいと先生が言った。」という。学校からはキュード法、家では手話と言われ、板ばさみになっている。私としても悩んでいる。どうしたら良いのか。
 
(司会) 今のことに対して、意見やアドバイスをお願いしたい。
 
(滋賀県) 上が娘で、下が息子です。娘は幼稚部に通っていた。ちゃんと手話とキュード法を使い分けていた。娘は幼稚部のときはキュード法だけだったが、「ちょっと待ってください。」「そのキュード法はわからないので手話を使ってください。」と娘は先生に言っていた。下の子は、「みんな他の友達は手話で、自分だけキュード法だ。」と悩んでいた。幼稚部のろうの友達はみんな手話だった。「自分一人だけがキュード法だから、それが悩みだ。」と息子が言ってきたので、「じゃあ、それは学校に言ってごらん。」と息子に言ったら、息子は先生に「手話を使ってください。」と頼んだが、相変わらずキュード法のまま。でも、子どもに「先生にはっきり言いなさい。」と言えば少し変わっていくのではないかと思う。また、友達の手話を見て覚えていくことで、気持ちも変わっていけるのではないかと思う。
 
(千葉県) 上の子が小学3年、下の子が小学2年。上の子が幼稚部にいるときはキュード法だった。先生が大変厳しい方で、「とにかくキュード法を早く覚えるためにお母さんも覚えてください。親御さんの中で覚えていないのはあなただけですよ。」と私も怒られてしまった。私は、指文字は使えてもキュード法はわからないので覚えることがしんどかった。とにかく娘にキュード法を教えた。私としてはやはり戸惑いがあって、先生の言うとおりキュード法が良いのか、手話が良いのか、大変迷った。で、先生がキュード法をやっていたので、上の子はずっとそれでいった。下の子の場合は手話でもキュード法でもどっちでも良い。下の子は指文字も出来るし、手話も出来る。しかし、お母さんたちが、声がきれいに出せれば手話なんかいらないのではないかと言う先生方に負けてしまう。
 
(司会) 今、キュード法とかいろいろ出たが、今社会的にも手話が理解され広まりつつある。キュード法だけではなく、小さい子どもたちに何を教えることが必要なのかということ、未来を考えたときに何が必要なのかということを母親たちも自覚する必要があるのではないかと思う。キュード法が良いとか、手話が良いということも、自分一人だけでがんばるのは無理があると思う。やはり、PTAとかお母さん仲間で、おかしいと思ったことを話し合って学校に対して遠慮せずに意見を出し合ってよいと思う。
 
(参加者) うちの子供は幼稚部のときから手話を使っている。小学校の時に、この大会に参加してから、あるお友達とメールや文通をしてきた方がいる。高校三年のとき久しぶりにその友達に会ったが、娘は手話。相手の子はキュード法。相手は表情もなく、違和感を感じた。今はキュード法でもかまわないと思うけど、社会に入ってからどうするのか、やはりおかしいと思ったそうである。手話通訳はいるけど、キュード通訳はいない。社会に出てからの壁は大きいのではないか。キュード法はやめて手話を大切にしなければならないと娘が言っていた。
 
(参加者) 親子で手話が良いとかキュード法が良いとか話し合っているが、本音を言うと幼稚部の3年間は口話の厳しい先生だった。隣のクラスは、手話と口話一緒のクラスで、良いなあと思っていた。文字を書くのも早いし、コミュニケーションもとれていたと思う。うちのクラスはいろいろな面で遅れていた。劇の発表会を見ていたら、うちの子供は口話だけ。子どもたちも緊張している様子がわかった。隣のクラスは手話でのびのびとやっていた。隣のお母さんから「すごく声がきれいだね」と言われたが、「手話での発表が良いんじゃない?」と言ったら、「ううん、やっぱり、声をはっきり強く出そうとしているのだから、その方が良いわよ」と言われた。うちの息子は声が下手だと思っているが、健聴の姉から「あなたは口話が下手だけれども、息子は声が上手よ。きれいよ。口話で厳しく育てたの?」と言われたのだが、私は手話の方が良かったという話をした。やはり、力の差というものは当然子どもの中にあると思うが、出来れば2つを使えればよいのではないかと思う。
 
(助言者) 声がきれいとか、上手とか、はっきりしているとかの話があったが、私はちょっと引っかかる。というのは、「声がきれい!」と誰が決めるのか。基準はあるのか。私は逆に聞きたい。例えば、健聴者をつかまえて、「あなたの声はきれいね」とは言わないのに、何故ろう児に対してこのように発言するのか?非常に違和感する。声の優劣でろう児を見るべきではない。
 
(広島県) PTAの集まりのときに、私は意見を言いたいからいつも手話通訳を同行している。健聴の親御さんたちから「すごく積極的だね」と言われた。前は手話は駄目、口話主義!という時に、健聴の親が主流派になり、ろうの親は疎外された状況の中で先生にもほかの人にも言えなかった。でも今は変わってきたので、これからも遠慮せずいろいろと言っていきたいと思う。
 
(司会) 手話通訳制度が認められたから今の若い親たちはいろいろ言えるのだと思う。昨年、北海道で全国ろうP連の全国ろう学校教育関係の研究会があって、その1つに親だけの分科会があった。交流会でほとんどの大先輩たちは、ろう教育で手話でないとは駄目だという人は珍しくて、「今の若いお母さんたちはパワーがあってよいね」つまり「元気なお母さんたちがいるから子どもは幸せね」と言われた。ろう教育を変えていくためにも、意見をはっきり言っていくこともやはり必要なんだ、ということを理解してもらえると思う。







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