一日目のまとめ(共同研究者、座長)
矢沢(座長) ろう学校の存在意義、在り方について、立入先生はもっと具体的にろう学校の姿を描くということをいくつか提案されている。例えば、高等部や専攻科において、立派な施設を作っても何年か経つと役に立たなくなるといった現状がある。普通学校でも同様なことが起こっている。東京都教育委員会による「専門高校のあり方について」という委員会の答申には、自校のみで職業教育を完結させることは困難であり、他の学校、企業、職業訓練所等、様々な場所を利用していくことを考えなければならないということが書かれている。さらに、高校だけで職業教育をやるのは困難、企業に行って学ぶ必要がある。2〜3週間の実習という形ではなく、半年ぐらい企業で働き給料をもらってもいいのではないか。ドイツ等で行なわれているデュアルシステム(学校と企業の両方、行ったりきたりという意味)を日本でも導入してはという話になってきている。それらを含めて、ろう学校の高等部、専攻科をどうするか具体的イメージを持っていかなければならない。
ろう学校の教員の専門性について。どのような教員であるべきか考えると、親としては、とても熱心で十分に専門性をそなえた教員をできるだけ多くそろえてほしいという願望があると思うが、実際には難しい。教員の中にも様々な教員がおり、それぞれ得意な分野、専門の分野や個性、そうした様々な教員がいて学校教育が成り立っている。学校以外のことについても様々な趣味を持っているとか、関心を持っているとか、そういう教員と触れ合う中で子どもは育つ。そういう意味で、いろんな特技を持った教員の集団もろう学校には必要ではないか。
もう一つ専門性について。今までは聴覚口話法という専門性があった。新しく手話を使う専門性が出てきた。その中身は何なのかということについて、トータルコミュニケーション研究会のグループでデンマーク、スウェーデンを視察したときに、そのことについて説明を受けた。一つは、バイリンガル教育を行なうためには手話が十分できるという専門性が必要。それだけではなくて、手話を使える子がいた場合にそれを基にしてスウェーデン語なりデンマーク語というものを指導できることが必要とされる。トルコ語を話す移民の子ども達にトルコ語の上にスウェーデン語をどうやって獲得するのかという取り組みについての話を聞いてきたが、その辺も我々の課題として出てくるのではないか。
ノーマライゼーションについて。ノーマライゼーション即インテグレーションということではなく、ろう児はコミュニケーションの特殊性があるのだからろう者集団が必要であることは以前から出されていた。デンマーク、スウェーデンでは、1960〜70年代、インテグレーションがかなり進行してしまったが、しかしそれでは良くないということで、聴覚障害児、コミュニケーションがうまくいかない子ども達は、またろう学校や障害児学級に戻ってきた。統合教育が基本で高校以上になれば普通学校に皆入るという方向でやっている。ノーマライゼーションを正しい理念として我々はそれを実現しなければならない。また、コミュニケーションの特殊性から、ろう学校の集団も必要であり、その二つをどのように整合性を持たせるのかということがこれからの課題である。
教員の養成について、現場の校長は大学でいくらいいことをやっても限界があるという感覚を持っている人はかなりいる。所詮勉強にすぎなく実際にろう学校へ来ないで大学で勉強しても限界がある。そうなると現職教育が大切になる。ろう学校に対して、外から評価する制度が必要になってくる。東京都では、学校運営連絡協議会を設け外部評価制度があるが形だけで何の役にも立っていない。外部評価員が機能していないのが現状である。しかし、何らかの形で外から評価してそれによって内部が変わっていくような制度が必要ではないか。
<共同研究者提案III>
安藤(共同研究者) ろう教育や特殊教育の専門性についての前提は人権である。基本的権利については福祉と教育に共通なものと考える。昭和22年、福祉ということばがなかった時代から運動をはじめて、手話通訳などの様々な成果を得てきている。そのほとんどが我々当事者の要望に合わせて、国の政策や地方自治体の策になっている。しかし、権利の視点ではきちんとした制度にはなっていない面がある。ろう教育の専門性についても、その子どもの人間的権利というものをどこまで現場の教員や親が考えているかが問題である。ろう学校の教員と話をするが、権利の視点にずれがあるように思う。特殊教育に携わるまた携わろうとしている人たちがそれらをしっかりおさえることが大切である。
日本でも、情報開示、障害者の選択や自己決定がなされるようになり、国民一人一人の権利が得られるようになってきた。歴史的に権利というものになじみにくい国柄だったが、その辺が変わってきていることをしっかりおさえることが大切である。
サブテーマ(2)
「ろう教育の専門性を高めるために」
【レポート(3)】
「ろう教育の未来への第一歩」
岡本みどり(全国ろう児を持つ親の会)
【レポート(4)】
「水俣学に学ぶろう教育の専門性」
板垣岳人(東京都立品川ろう学校保護者)
※レポート発表の時間がのび、質疑の時間が取れなかった。
<共同研究者のまとめ>
立入哉(共同研究者) ノーマライゼーションの中で、ろうの独自性、聾免許の独自性を残していってもらいたいと言っているのは、聴覚障害者関係だけである。検討委員会の中では、ろう関係者は20分の1にすぎず、ほとんどの人々が盲も養護も一緒で構わない、総合免許で構わないと言い、今年度中にその免許問題について結論が出されるであろう。昨年の12月にその問題についてパブリックコメントというのが文部科学省から出され、ろうの関係者から「反対だ」という意見が非常に少なく、むしろLDやADHDの関係者から「賛成だ」という意見が非常にたくさん集まったという事実があることをどう考えていくかだと思う。バイリンガル教育や手話コミュニケーションに関する授業は(大学では)行っているが、全体の領域の中の1領域である。大学の学部4年間では、日常生活の手話程度が精一杯で、他の聴覚口話法などについて全てを習得させることは不可能である。また、聾学校の中でも定期的な手話講習会などが積極的に行われているが、教員の移動が激しく、十分な研修が困難であることも事実である。やはり聾学校の教員になりたいのであれば、聾の免許状を取って教員になって頂きたいと強く思っている。
日本手話の必要性と聴覚口話の必要性、どちらも感じている。昨年、アメリカのコロラド州で聾学校を見学してきた。手話を中心とする公立の聾学校、通常の小学校でいわゆる難聴学級、逆に聴覚口話法から一歩進んで聴覚法というのが実施されつつある。これは全く口話情報を使わない、耳だけを使った教育方法が人工内耳を使っている子どもやその親からのニーズである。しかし、これらを日本にすんなりともってくることは困難なことではないかと思う。基本的には、そのような個別のニーズ、要求が、各子ども一人一人についての個別の教育支援計画を聾学校も立てなくてはいけない。この計画の立案には保護者も積極的に加わるべきだということになっている。それぞれの個別に合わせた教育を行っていこうじゃないかという動きになってきている。この動きを上手に使っていく方法もあると思う。そういう面では、批判を一方的に行うのではなくて、制度的な改革の中で、何を上手に使っていくかを考えていくことも1つの方法であると思う。
しかし、その一方で、親の参加が必要だと言うことは、責任も互いに背負うこととなる。日本手話を親が学びたいと思ったときに、その日本手話を学ぶ場をどのように保障していくのかなど多面的な方向から考えていかなければならない。それは教員養成の問題だけでなく、社会システムの中で、家族を支援するシステムについても勿論考えていかなければならない気がした。
最後に、お金の使い方は考えるべきである。量ではなく、質を考えるべきである。例えば、(教員の)異動の問題で、新しい先生が来るとその先生の研修費はどうしても必要となる。それではその移動がなければ研修費は必要ないではないか。そうすれば、コストは下がるではないか。コストの面から考えると、異動はコストがかかり、無駄な出費がどんどんかさむだけではないか。これからは、コストに関することも考えていくことが必要なのではないかと思う。
<座長のまとめ・挨拶>
矢沢国光(座長・司会) 本日の討論に関して、今後の課題「聴覚障害児の学ぶ場と聾学校の改革」についての今後の私たちの取り組みについて述べたい。
人権救済を巡っての討論があった。1つは、聴覚口話法の限界について。「聴覚口話法には限界がある」とばっさりと切って欲しくないという声も当然出てくる。子どもによっても違うし、学校のやり方によっても違う。今までの聾学校は、どんな子どもに対しても聴覚口話法で指導を行ってきたところがある。しかし今はそうではない。聴覚口話法は一定の条件がなければ出来ないということを聾学校が認めるようになってきている。だから、聴覚口話法で出来る子どももいるし、それが出来ない子どももいる。出来ない子どもに対しては、手話を行ったり、他の方法を考えている聾学校はたくさんある。聴覚口話法を行うからといって、手話は排除するのかというと必ずしもそうではなくて、聴覚口話法でやって、なおかつ手話もというやり方である。
子どもが小さい頃から聴覚口話法+手話で行うことも必要である。人工内耳の子どもを含めて、聴覚障害児に手話が必要だと言うことはほとんどの人が確認できると思う。バイリンガル、聴覚口話法、バイリンガル+聴覚口話法などの様々な選択肢が考えられる。
2つ目は、運動の進め方である。専門家の役割について(板垣さんから)出された。「専門家というのは強者の権力に対して弱者の立場に立つべきだ」といわれた。もう1つの側面として、個別と全体があると思う。個別に対して専門家は全体を代表する立場にある。親は個別の立場です。自分の子どもは個々に違う。自分の子どもをこんな風にしたい、自分の子どもに合った教育を行って欲しい。しかし、専門家はどんな個別の子どもに対しても全ての子どもに対してきちっとその子どもに合った教育の方法を準備しなくてはならない。そういった意味では聾学校の教師も含めて専門家という立場の人々は個別に対して全体を代表することも必要ではないか。
また、運動の進め方として、相手は文部科学省か★今までの聾学校の教育は文部科学省が全てを決めて、それを下に降ろしてきているということではないと思う。現場の方針は、聞こえる親の要望に基づいてそれに応えるということから口話法が広がっていった。実際に行っているのは聾学校の現場の教師と親がやっていることである。最終的にやらなくてはいけないのは、現場を変えていくということで、教師、親、専門家、聴覚障害者が連携をとって進めていかなければならない。
昨日今日のテーマが「聾学校の改革」ということですが、理念の問題、聾学校の制度の問題、それを実現する運動の問題と大きく分けると3つの問題が取り上げられる。
聾学校の制度に関する問題については、現状のまま聾学校としてそのまま残る学校と特別支援学校として残る学校、2、3の県にまたがる広域の聾学校、と色んなことが考えられる。新しいシステムを考えていかなくてはならない。そのような中で、立入先生の報告にあったが沼津聾学校は松崎分教室のように通常の小学校内に聾学校の分教室を設けた。これからはそのような例は起こってくると思う。特別支援学校という形で、知的障害児学校とごちゃごちゃにして残すというよりも、通常の小・中学校の中にミニ聾学校といった形で残していく方が聾学校としては、すっきりとするのではないか。そのことも含めて、聾学校をどうやって残していくのか、そのための教育方法の改善、専門性の養成などをどうするのかが今後の課題としてあげられると思う。
制度改革についてはこの2日間で議論を始めたばかりなのですが、動きとしては速い。いまのところ大阪、東京などでぐらいでしか統廃合はないが、来年になれば全国でもっとたくさん起きてくる、そういう時代に我々はいる。それに対して各都道府県の中で、どのように対応するかが問われてくる。そして各都道府県の中の聾学校の教師、親、専門家、聴覚障害者などが連携する必要がある。昨日、今日の分科会がその出発点になればいいと思う。
【討論集会会場:ビッグパレットふくしま】
|