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第8分科会/討論
【座長提案I】
「聴覚障害教育を取りまく情勢と制度改革の課題」
矢沢国光(ろう教育の明日を考える連絡協議会事務局長)
 
サブテーマ(1)「ろう学校の役割と再編成」
【レポート(1)】
「ろう学校に聴覚障害者教員を」
佐藤久子、小柳峰子(福岡県聴覚障害教育を考える会)
 
【レポート(2)】
「東京都立ろう学校の統廃合問題とろう学校の在り方」
前田芳弘(東京の聴覚障害教育を考える会)
 
【質疑・討論】
 
畠山(北海道) 中高生のフォーラムの具体的な内容について教えてほしい。
 
佐藤(レポーター(1)) 中学1年から高校3年まで16〜17人が集まり、スポーツレクや料理、ディベート等を行う。例えば「100万円あったら何をするか?」について、普通学校に通っている生徒とろう学校の生徒が一緒に話し合う。口話だけだと「マンガ」と「ハンバーガー」と読み取りを間違う。このような誤解があったことからも手話の必要性を子ども達が実感した。
 
浅野(宮城) 今、東京では特別支援学校の構想が進んでいるようだが、心配が3つある。ろう学校には90〜100年と言う歴史があるが、この伝統を後輩に受け継がなくて良いのか。普通学校にインテグレートすることにより先輩・後輩が一緒に勉強する時間と場所がなくなり、ろう者としてのロールモデルがなくなってしまうのではないか。ろう学校がなくなると、ろうの先生の身分保障はどうなるのか。
 
前田(レポーター(2)) 同窓会の方も同じ心配をしている。同窓会の形は連続性がなくなってしまう。先輩後輩のつながりが途切れる。もし途切れた場合は、ろうあ連盟、ろうあ協会等で活動をしていかなくてはならないのではないか。
 ろうの先生の身分保障については、健聴の先生も同じ。聞こえる先生と同じく身分保障されることが大切。
 
 
比嘉(沖縄) 福岡の「ろう教育を考える会」の取り組みはすばらしい。5つのろう学校にろうの先生を配置する際にどのようにしているのか。また、1年契約ということだが、どのような契約なのか。「あおぞら」フリースクールでの具体的な活動について、また「考える会」とのつながりについて教えて欲しい。
 
佐藤(レポーター(1)) 緊急雇用対策の一環で行われており、福岡県の場合は5人が決まった。一年契約については、教員補助員の場合、3月までという方針。ろうの先生が辞めてしまうのではないかと、ろうの子ども達が不安を感じている。
 フリースクール「あおぞら」は、ろう成人、インテグレートして孤立した子ども、ろう学校の子どもたちの出会いの場。1ヶ月に1回、保護者にとっては成人聾者と触れ合う機会となってる。
 
高木(山形) 東京のレポートに対して、ろう教育に関する問題点と改善要望が5つ挙げられているが、実現可能なものは何か。また、それらについて今後どのように運動していくのか。
 
前田(レポーター(2)) 5つ書いてあるが、問題があるから書いたわけで、改善してもらいたいという意味である。現在は意見を出した段階で、今後はまず話し合いをもちたいと考えている。しかし、教育委員会とのことなので、すぐには進んでいかないのが現状である。
 
畠山(北海道) 昨日、交流会で司会を担当したが、参加者が非常に増えたこと、また討論も盛んで驚いた。現在ろう学校では、幼稚部の免許を持っていない先生が教えているが、専門性はあるのか。また、教員免許状はどのようになっているのか。
 
立入(共同研究者) 基礎免許状を基本として特殊免許状がある。特殊学校で働く場合、この2つが必要になる。基礎免の関係で、採用の時に小中の学校は試験が別にある。特殊学校の場合、県立なので幼稚部に県立の先生が採用になれば、普通高校の先生が配属になることもある。幼稚部の場合、採用試験でも配慮はされていない。小学校の免許をとる際に、幼稚部の免許もとるように、大学によっては生徒に薦めている。人事上、結果として、免許のない先生が採用になっていることが多い。
 
穐田(熊本) 特別支援学校に変わってしまうと、先輩からろう文化について教わる機会がなくなるのではないか。ろう者が教員の免許を取って頑張っているのに、活躍の場がなくなってしまうのではないか。
 
前田(レポーター(2)) ろう学校の教員になりたい聴覚障害者はたくさんいる。ろう学校に聞こえないモデルとなる先生を増やしたいという願いを持って活動している。新しい先生が昨年と4・5年前に採用された。しかし、通訳の保障がない。会で要望を出したりした結果、4・5年前には情報保障なかった(研修に通訳がない)が、去年採用の人には保障があった。ずっと言い続けていくことが大切。当事者が入って会議を進めていくことが必要。ろうあ者の立場の発言によって研修していくよう各校に働きかけることもできた。
 
山根(北海道) 特別支援教育の内容を見ると、寄宿舎のことが何も書いてない。私は寄宿舎で働いているが、寄宿舎では聞こえない子ども達がしのぎあって生活している。今後寄宿舎がどうなっていくのか。
 
立入(共同研究者) これからCDR、地域で学んでいくことを大切にしていこうとする見方がある。親と離れて生活させるのではなく、各地域に複合施設(盲・聾・知的など)を作って自宅から通えるように実現していこうという動きがある。
 
矢沢(座長) 特別支援教育になってろう学校がどうなっていくのかという心配がある。各都道府県の実態をつかんで話をする事が大切。例えば筑波大学附属聾学校の場合、名前だけが筑波大学附属特別支援学校聾学校へ変るだけで実体はそのままで残る。名前だけが変わって他の障害の学校もそのまま残るということもありえる。分校という形になるのか、教員をあわせてしまう形になるのか、県によって状況は違う。
 
安藤(共同研究者) 多様な問題がでているが、建設的に考えれば良い。障害者全体を考えたうえでろう教育を考えていく必要がある。大きな意識転換が必要。
 1997年に代表世話人としてこの会に参加した。そのときに比ベレポートの内容が発展していてうれしく思う。活動がろう学校の活性化の中で生かされていけばと思う。
 国、福祉の場合、地方分権化が進んでいる。特別支援教育についても、地域の自治体が決めることになる。福岡は組織を作って活動しており全国的なモデルとしてすばらしい。
 教育的な効果と、経済的な効果は、相反する。経済効果を無視して教育効果だけを考える時代ではない。宮崎にはろう学校が2つある。17人の児童生徒に先生が40〜50人、3人の寄宿舎に先生が7人。スクールバスがほしいけどお金がないから対応できない。先生が辞めてその分をバスにまわしてほしいという声もあるくらい。宮崎と東京都では経済的にも違いがある。
 ろう学校がなくなったら、先輩後輩のつながりはどうなるのかという問題があるが、ろう教育の専門性とは、手話を言語として楽しく勉強できる環境である。今、その環境がろう学校にあると思うか。自覚している先生が何人いるのか。学校現場で手話環境の必要性を持たなくてはならない。
 
 
【共同研究者提案II】
「聴覚障害教育の専門性とは何か」
立入哉(愛媛大学)
 
<質疑・討論>
 
菊池(埼玉) 松山ろう学校の話で、4時間かけて通うか、寄宿舎に入るか、特別支援教室を近くに作って入るか、など選択肢が増えるという話があった。「寄宿舎を設けなければならない」というきまりから「寄宿舎を設けることができる」にかわるという話も聞いたが、寄宿舎を作る必要がないということは、4時間かけて通うのは不可能なので、選択肢が特別支援教室だけになるのか。情報があれば教えてほしい。
 
立入(共同研究者) 地方公共団体が考えるべきこと。寄宿舎が全部なくなれば良いということではない。低年齢で親元を離れるのはいかがか。子どもの年齢や家庭の事情により選択肢を増やすということは、最終的には子どもたちの為になるが、それらが声としてどう地方公共団体に伝わっていくか、気を付けてみていかなければならないし、柔軟性ができるということは、使用する側の責任が増えるわけで、自分たちが必要なものは必要であると主張し、獲得していくよう、考え方を変えていってはどうか。
 
畠山(北海道) 北海道のろう教育は、10〜20年遅れているのではとショックを受けた。北海道には高等ろう学校が1校、(義務)ろう学校7校ある。地域のろう学校の現状と高等ろう学校が受け入れる条件が合わない。地域のろう学校が、高等ろう学校に入って勉強する前の学習の場ではなくて、人間教育を受ける場というのが北海道の現状。地域の中学部までは、口話中心の学習で、高等ろう学校へ入っていくという現状がある。高等ろうに入って3年学んだ後、大学へ入るか、就職するか悩んでしまう。聞こえない子ども達が、自分から学びたい、将来このような職業につきたいと、選択できる道を広げることが大切だということを、今回の話を聞いて気がついた。2年後、北海道高等ろう学校の専攻科、歯科技工科、情報科がなくなる予定。その後どんな科が必要か考えると、ろう学校を卒業して会社に入った先輩方の経験談を聞く、今の子ども達が将来どのような職業に就きたいと考えているのかというのをもとに新しい科をつくるという話があった。成人ろう者の話を聞き、聞こえない子ども達の将来どのような職業につきたいかという意見を聞いたうえで要望を出したいと考えるが、それについて間違っているかどうか意見があればお聞きしたい。総合教育について3年間は高等部で学び、2年間は専攻科で学ぶ。それでも足りなければ、さらに繰り返して学習ができるという方法があってもよいのではないか、ということを提案していきたいと思うが、それらのことについてアドバイスをお願いしたい。
 
立入(共同研究者) 同意見である。重複の障害をもった子ども達の教育を高等部段階でどう保障していくかという問題がある。専攻科あたりにある一部の職業科が存在する意義は大きい。専攻科における新しい職業観にたった新しい職業科を作られていくという方向性は間違っていない。大学でも重複障害の学生を受け入れるようになってきており、愛媛大学は、通訳費は年間170万円保障されている。パソコン機材等の費用も全額大学が負担している。このように社会が変わりつつある中で、ろう学校の中で解決する必要はない。もっと社会にでて必要なことは要求すればよい。社会の構造を利用する力が必要。与えられるだけではなく、必要ならばそれらを獲得していく力こそ、これからの生きる力、求められている力だと思う。ろう学校の中だけで解決する必要はないと思う。その中で、重複の障害を持った子ども達の教育の問題を決して忘れてはいけない。
 
岡本(東京) ノーマライゼーションの進展の説明について、国連、世界の動きとしてはノーマライゼーションに向かっているというのはわかるが、しかし、ろう児の子どもにとってはという部分(文)があるはず。ろう教育に関わる一番大切な部分が抜けていたのではないか。その条文がわかれば教えてほしい。今すぐわからなければ調べて報告集に載せてほしい。
 聴覚障害教育の専門性について。大学でろう学校の教員を育てている学校として聴覚障害児教育の専門性というのはどういうことを指しているのか。言語指導とはどういうものか。
 親の意見とのずれがある。ろう児のとらえ方が全くあっていない。ろう児はきちんとした教育をすれば同じ学習時間で同じ成果が上がると思っている。20年前からスウェーデン、アメリカなどでバイリンガル教育がはじまり、聴児と同じ学力が身に付いている。学習に時間をかければ何とかなると言っていたが、子どもが悪いから、聞こえないから学習に時間がかかるのか。親として聴者と同じ能力があると見ている。教育の方法が問題では。
 聾免の内容について。ろう者としての文化、言語、社会学、心理学すべてのことが入っているのか。聾免を持った先生方は本当にろう児の気持ちをわかっているのか。
 親であり、納税者として、子どもとコミュニケーションのとれない先生に税金を払いたくない。ろうの子どもの気持ち、言語がしっかりわかる先生には払っても惜しくはないというような運動を親としていきたい。
 
立入(共同研究者) ノーマライゼーションとの関連について、パワーポイントで示したものは、文部科学省が特別支援教育を進めていく上での背景である。対象となる児童の数が増えている、ノーマライゼーションの背景が広がっているということを「今後の特別支援教育のあり方について」という報告書の中に触れている。その中には、「ろう児について」という情報は入っていない。その引用である。
 言語指導については一言では語れない。ことばを教えるということは大変ひろい意味がある。その中には、モードの問題もあるがモードだけの問題でもない。ことばの持つ抽象概念をどのようにして0〜1歳児に教えていくか。場の構成、場を作ることでことばを入れていく、経験を広げていく様々なテクニックが言語指導の中核であり、聴覚活用や親子関係の構築なども含め幅広い分野であると考える。
 専門性について。我々が公教育としてやっている教員免許状の交付と非常にリンクしている。国が定めている免許法の分類に応じて適切な授業を最低限行なわなければならず、その中には、生理、病理、心理、教育法、指導法、教育実習というものがある。これらは最低限やらなければならない。この上に何をのせるかは各大学が考えるものとしている。聴覚障害児の心理的、社会的な問題等についても授業の中で触れている。しかし、4年間の大学の教員養成課程の中で100%到達することは不可能。だから無駄だといわれたらどうやって教員養成を成立させるか。教員というものは、たやすく完結してすぐに養成できるものではない。いろいろな保護者と触れ合う中で何十年かかかって養成されるものだと思う。現場の中で、いろいろな苦しみや悩みを持ちながら、それぞれ一人一人が一生懸命研修し勉強してやっていくという気持ちが全員のろう学校の教員に共通してはいない。
 異動や人事上の問題、人間関係などで思うような研修や勉強ができない環境もあるが、それらを少しでも改善しようとする努力はしている。認定講習という形で現職教育という機会を設けている。自主的に研修をつむ熱意ある先生方もたくさんいる。
 組織運営について、ろう学校という組織を運営するときに、連携が必要であり、会議や委員会が生じてくるのはしかたのないこと。それらに無駄があるのも確か。これを効率的に進めていこうというのが、特別支援教育コーディネーターという制度であると考える。
 ろう児のとらえ方のずれについて。私自身もろう児と聴児の知的能力は全く違わないと思っている。ろう学校の高等部から大学へ入ってくると、大学の中で学ぶことがものすごくたくさんあると思う。ろう学校完結ではなく、社会に巣立っ前に、大学でもっと自由にいろいろなことを勉強してほしいと思う。大学は失敗の許される場で、そういう経験も大切、そのような機会を作ってほしい。ろう学校の高等部まででは解決し得ない部分があるということを教育期間の延長という言葉で表現した。







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