第7分科会/討論
【レポート(1)】
「これまでのインテグレーションを振り返って」
稲田利光(全国難聴児を持つ親の会)
匿名(滋賀) 聴力検査の結果FM補聴器が合うということでFM補聴器を勧めたということは、どういうことなのか。また、FM補聴器の限界があるのではないか。
障害者学級と難聴学級の違いについて、また、やり方、分け方、内容について。
稲田(レポーター(1)) 障害児学級の分け方については、各県によりいろいろな言い方があるので、足立先生の詳しいレポートを聞いてください。
FM補聴器は基本的に先生の話が子どもに聞こえるようにするための機器である。FM補聴器の限界は、先生の話と周囲の私語が同時に聞こえないし、マイクを通せばかなり分かるが全てを理解するのは不可能、というところにあると考える。特に今は総合学習の時間などがあり、グループや屋外での活動があるときに、FM補聴器をかけていても役に立たず、みんなが何をしているかわからないということも多い。聴こえる人は話を聞けばわかるが、聴こえない子どもは先生や級友が同時に手話をやっていれば手話を見て内容がわかる、というように自分で選べるような環境が、集団の中では必要だと思う
豊島(茨城) 難聴学級(親の会)に通っている親の中に聾の両親もいるか。
聾の両親と健聴の両親との交流、情報交換会もあるか。
稲田(レポーター(1)) 大阪の親の会では、親子共に聾の人、親か子どちらかが聾の人などが会員になっているが、親が健聴で子が聾という親子が多いので、どうしても健聴の親が中心の考え方になっている。
交流では、聾の親と、健聴の親は仲良しで、手話通訳できるお母さんが通訳したり、パソコンの字幕を利用したりして、協力し合っている。
【レポート(2)】
「『原則分離・選択制』の選択制を模索して―よそ者の宿命―」
末森明夫(茨城県聴覚障害者協会)
豊島(茨城) 茨城県では、難聴学級に通う子ども達のために介助員制度があるが、介助員の報酬はどのような形で支払われているのか。
末森(レポーター(2)) つくば市の場合は国や県、市の援助により、支援員に対して報酬を支払っている。また、遊ぶ会でお願いする支援員には親が手当てを支払う。その他、水泳教室の場合はボランティアで来てもらっているが、手当てとまではいかないにしても、ほんの気持ち程度を渡している。
【レポート(3)】
「何のための統合教育なのか」
渡辺 健(東京都 会社員)
末森(レポーター(2)) 第3の世界とは、どういうことか。
渡辺(レポーター(3)) 第3の世界 定義がはっきり決まっているわけではない。私の中で、聴者の世界、聾者の世界と、普通は2つの世界がある。しかし、何か問題が起きて、聴者とコミュニケーションができないときがある。ストレスがたまってくる。しかし、聾者の世界にも行きにくい、行きたくないというときがある。抵抗を感じるそのような時に行く世界。自分だけの世界みたいなイメージのもの。
【レポート(4)】
「統合教育と難聴学級の役割」
足立 貢(大阪市立泉尾北小学校)
質疑、応答は時間の都合上、シンポジウムの中に含めて行われた。
【シンポジウム】
豊島(茨城) 体育の授業の時に補聴器をはずすという病院からの指示について、子どもはその時不安はないのか。その時に補聴器に代わるサポートがあるのか。
足立(レポーター(4)) 体育の時だけ外すという指示ではなく、補聴器を使用する時間を短くして聴力低下を予防して欲しいということであった。保護者や本人と相談して補聴器を使用しない時間を決め必要な場面だけに限定して使用している。体育については、手話通訳に行っている。
堀谷(座長) FM補聴器の限界について伺いたい。
渡辺(レポーター(3)) FM補聴器を小学校の時に使用していた。中学校では教科ごとに先生も変わるし、グループ活動が多いので、他の生徒の話を聴くためにも補聴器をつけていた。しかし、集団の中での討議等では効果がないと思っている。
堀谷(座長) 一つのものにこだわるのではなく、合う、合わないを自分で選びながら考えていけばいいのでは。補聴器にこだわり過ぎたり頼りすぎたりしていると、壊れた時に混乱する。補聴器だけにこだわらない方が良いと思う。
渡辺(レポーター(3)) こだわらない方がよいと思う。情報の取り方はその子によって違う。自分がキャッチしやすい方法がわかった上で最終的には自分で選択、判断できるようになって欲しいと思う。
稲田(レポーター(1)) 使う価値があると思うなら、使えばいい。日頃は使わないが運転の時に補聴器を使うと音が入るので安心して運転できるといって使う人もいる。
堀谷(座長) 補聴器だけの問題ではなく、使えるものは使うというふうに、状況に合わせ選択できることが必要と思う。
西(和歌山) 10年前、京都の大会に参加した時にもFM補聴器についての意見が出た。京都では、ループを使用していた。ループの使用やスイッチの切り替えで聞こえが良くなることがある。最近はループや補聴器の性能も良くなっているため、いろいろ利用してみるのも良いのではないかと思う。
末森(レポーター(2)) 以前の大会での討論や交流会のやりとりから思い返してみても、インテグレーションや聾学校で行われる教育のどちらが良い、悪いという論点から話をするのはいかがなものかと感じている。インテグレーション出身者が今の聾教育の中で果たす役割をきちんと評価をしたうえで、この分科会で議論をしていくべきではないかと考える。
堀谷(座長) 決して、インテグレーションを否定しているわけではないのだが、社会の流れというものもあるかと思う。また、インテグレーションする人が増えてきていることも問題を大きくしている部分ではないかと思う。他に何かご意見ありましたら。
匿名(滋賀) 自分の子ども達も聴覚障害を持っている。これまでいたる所でFM補聴器を勧められてきた。和歌山の方のお話にもあったが、FM補聴器は集団補聴器のループがあってこそ生きてくるものと知った。健聴者の中でマイクも使ってもらっていない状態で話しをされても、内容が読み取れない、理解できないという現状が自分の子どもに起きていることを考えると、FM補聴器を一方的に勧めるやり方は間違いではないのか。
末森(レポーター(2)) FM補聴器にも効果的な使い方があると思う。十分な知識がある教師が少ないのではないか。フィッティングの相談等、聾学校と難聴学級のつながりをさらに強化していく必要がある。
堀谷(座長) 教員の専門知識について意見が出された。これも課題のひとつである。この件についても合わせて足立先生から意見を伺いたい。
足立(大阪) 大阪の現状からもわかるように難聴学級の担当者は、担当して数年で替わる場合が多いように思う。当然教師の意識が低く、うまくサポートができないと、聴覚障害児に適切な情報が伝わらなかったり、きこえる子どもたちと聴覚障害児の交流が上手くいかなかったりするという問題が発生すると思う。まずは、聴覚障害児に対して必要なサポートや配慮について考える必要があり、このことについては、今回のレポートで提起できたのではないかと考えている。明日は、聾学校の立場から見たインテグレーション、特別支援学級・学校となれば、インテグレーションがどうなっていくのかということについても検討できればと思う。
橋倉(東京) 秋田聾学校では児童・生徒数が減少していることもあり、サテライト教室を2箇所設置した。そこに聾学校の教師が週2回出向いて難聴学級の教師、親、子どもを指導するために出張教室を行っている。そこでは聾学校の教師の専門知識が生かされており、難聴学級の教師にも役立っている。
■8月3日
シンポジウム
【ミニ報告会】
足立 貢(大阪市立泉尾北小学校)
大阪府の難聴学級や聾学校が主体の聴覚障害児の交流会、「WANPAKU交流会」の様子をビデオで見た。
堀谷(座長) 「WANPAKU交流会」の様子を見ると、子ども達のコミュニケーション手段がそれぞれ違っていたように思う。つくば市の難聴学級の交流では、子ども達は主にどのようなコミュニケーション手段を用いているのか。
末森(レポーター(2)) 初めはコードスイッチングで話しをしていた。1年経つと手話が主流になった。親も声を出さないで会話をしている。声を出さないという状況を確保することが子どもにとって大切である。将来交流がある時も、声を出さずに手話で会話できるようになればいいと考えている。土浦の場合、子ども達は口話のみで会話をしてくるため、口話と手話の両方を使用するつくば市の子ども達と話が噛み合わず、スタッフが困惑しているという話を聞いた。
堀谷(座長)
「文部科学省の特別支援教育構想について」
個々に応じた支援を地域の学校でどのように実践していくか、聴覚障害の子ども達をどう受け止めていくかが課題である。特別支援教育が推進されれば、障害児と健常児をつなぐ専門性を持った教師の役割が重要になってくる。また、聾学校の専門性も問われている。地域の学校はたくさんあるため、支援の在り方、親の会や様々な団体との連携を考えて議論する必要がある。
聴こえる学校の中でどのように支援するか。
心の問題として子どもの心と体も成長していく力を身につけるためにはどうしたらよいか。
インテグレーションしたときに集団で対等な関係が作れるか。それにはどうしたらよいか。
特別支援教育について、文部科学省から出された内容については、今の状態をみながら変わっていく準備段階であり、徐々に変わっていくのではないかと思う。各地での取り組みが必要である。筑波での難聴学級の取り組み等、色々な取り組みが将来のよい方向、道筋をつくるという一つの提案だと思う。子どもがどんなところで悩んでいるのか、話し合い整理していきたい。複雑な内容なので、答えるよりも話をする中で気づいたことを話してほしい。
日本聴力障害新聞に載っているが、健聴児の中で過ごす聾児に対する支援や介助員の取り組みがあるという情報提供があった。和歌山の西さんから報告してもらう。
西(和歌山) 私は聾学校育ち。インテグレーションの経験なし。色々な役職を持っている。
小3聾児の親が、3年前に県や橋本市の教育委員会と熱心に交渉。介助員の例を出して説明した。聾学校に入るか迷ったが、市の広報で介助員を募集した結果、教育委員会を通して手話でコミュニケーションがとれる臨時介助員が決まった。母親と臨時介助員が会う機会はなく、不安を持っていたが4月になって初めて会った。介助員は、勉強の時に、先生の話を手話で、教科書を読むときは教科書を指さして伝えた。その様子を新聞やテレビで知って驚いた。口話教育が口舌技術と放送され抵抗があった。臨時介助員は、月曜日から金曜日まで付き、週に2日はAさん、残りはBさんのように交替して行っている。その子は、ケンカをした時に通訳を頼って解決することもある。4、5月は授業が分からず泣いたりすることもあった。週末、和歌山の聾学校へ行き補習授業を行っている。病院の言語訓練も受けている。テストには臨時介助員は介入していない。
臨時介助員が、失敗したのは授業でわからないところを付け足して教えてしまったことだと話していた。
臨時介助員の給料はある。
和歌山県で昨年1〜6級までの身体障害者手帳を持っている人は8346人。18歳以下の聴覚障害者162人。そのうち、和歌山の聾学校の生徒60人なので他の子どもたちはインテグレートしていることになる。
豊島(茨城) (1)曜日により違う臨時介助員が付くようだが、月によっても変わるのか。1日中同じ人が付くのか。また、休み時間は臨時介助員はどうしているのか。(2)報酬はどこからでるのか。(3)小学校は色々な教科があるが全てに付いているのか。
西(レポーター) (1)通訳は1週間に2日間担当がA、3日間担当がBとすると、AとBの間で、一月ごと2日と3日が入れ替わる。
全ての教科について1〜6時間目までずっと付いている。
昼休みは見ているだけ。担任の先生が見て回るときも介助員は見ているだけ。金曜日だけ昼から聾学校へ行き足りない部分を補足するようにしている。
(2)橋本市教育委員会から通訳者へ支払われる。
(3)全ての教科に付いている。4月から7月までやってみたが限界が感じられた。9月からは授業の中で国語など長い文章になる。どういうふうに伝えるか通訳の方で不安が出てきている。どうするかについて聾学校と相談しているが、課題となっている。
堀谷(座長) 全国の支援の状況について聞きたい。
稲田(大阪) 手話通訳やノートテイクの介助員の在り方について、学生の方々にお聞きしたい。
堀谷(座長) 私も大学時代のゼミでは通訳がついていて、いつも通訳と一緒なので、かえってゼミの友達との関わりが薄かったような気がする。学生の方でなくともインテグレーションの経験がある方でもかまわない。意見があったらどうぞ。
山根(東京) わかる授業を受けたいのは確かだが、朝から放課後までずっと一緒に介助員が付いているのは、のんびりできないと思う。自分で必要に応じて介助員を付けられるように選択できればいいと思う。
堀谷(座長) 選択肢を持てることは良いことではないか。ずっと付いていることは保障されていることにはなるが、自然なやり方が良いと思う。他に感じたことがあれば。
遠藤(愛知) 高校までは友人による口話通訳や自主的な勉強から授業が理解できた。高校以降になると授業内容がわからなくなり、さびしかった。友達との関わりを大切に考えると、介助が常時付くのは抵抗があるし、気遣いで疲れると思う。
稲田(レポーター(1)) 小学生が介助員を付けるか、付けないかという選択ができると思うか。自分が小さかった時のことを思い起こして欲しい。
遠藤(愛知) 全く分からないよりは、分かった方が良いので、選択できれば良いと思う。
堀谷(司会) 友達の口話通訳で十分だろうか。そのことに対して授業者の教師がどのように支援の意味を考えていたのか、疑問が残る。この件に関して、難聴学級の先生からご意見をいただきたい。
高木(栃木) 4月より初めて難聴学級(児童2名)を担当している。交流する健聴の子ども達も徐々に手話や指文字が使えるようになってきている。通訳とまではいかないが、授業のサポート程度ぐらいはできる。教師側も常に介助するのではなく、疲れた表情を見せたらその場を離れて他の子どもの様子を見に行くなど、臨機応変に対応している。
渡辺(東京) 私が受けてきたのは、自分が興味あるものを選択し、調べて発表するといった子どもの主体性が大切にされていた授業だった。教師が教えたい気持ちを強く持ちすぎるがゆえに、子どもにとって負担過重になることもあるのでは。例えば、授業自体がつまらなければ、ノートテイクをしてもかえって子どもにとってプレッシャーになることもあると思う。介助も同様で、あまり子どもに付きすぎると子ども同士の会話が無くなり、孤独になってしまうのではという不安もあるかと思う。また、教師も生徒への配慮が必要だし、生徒側もわからない時は自分で質問に行くなど、生徒自身が教師に意見を言う姿勢や人間関係を作っていくことも必要ではないか。
堀谷(座長〉先生の授業する力も必要だし、魅力ある授業を行う事も大切。
末森(レポーター(2)) つくば市、竹園の話。通訳やノートテイクをつけてOKというのは誤りだと思う。問題はたくさんある。常に一緒に居るのは疲れると思う。難聴学級に介助員がいるのだが、そのことに対し、1週間に1日交流で来てくれる大学生に、疲れるとかノートテイクはいらないといった、本音が、小学2・3年生から出る。難聴学級の先生はその話を聞いてショックを受けている。大学生との交流のときにどうしてそういった本音が出るのか。そういう言える場が必要だと思う。聾の先輩と話し学ぶことで聾学校と同じような経験ができるのではないか。
愛媛県の原田さんという方は、難聴学級のないところで介助員制度をやってみて、やはり難聴学級が必要だという。その時誰がサポートするか。ピアカウンセリングみたいなベターな方向を考えたとき、筑波大学や筑波短期大学がある。20万人の市で、同じことをまねできるかどうか難しいと思う。常に情報保障という考え方をするのは間違いだと思う。まずは、生活支援が必要。生徒が自らその情報が必要かどうか判断するのは難しい。自分で考えて必要性を判断するのが情報保障と思う。情報保障は高学年になってからでよい。小さいうちは生活支援という考え方で様子を見ることが大事だと思う。
自分の子どもにノートテイクや手話通訳を付けたが、子どもがいらないというのでなくしたら、やっぱり「わからない」と、筑波大学の聾の学生に話していた。
堀谷(座長) 発達段階、年齢によっては、自分にあったものを選ぶ力がまだできていない。選ぶ力を培うための準備期間が必要である。子どもの発達に合わせて、先生や聾の先輩が支援のあり方を考えていかなければならない。子どもが将来自分で選択できるような力を育てることが大切。
日向(司会) 聾学校の教師として話す。
教科によっては、難しい概念の知識に追いついていくことができない。T・Tのあり方は今までの話と似ている。ずっと先生が付いていては、子どもは他の友達と交流しにくくなる。先生に頼ってしまい、自分から他の人に聞くという、小さい時から育てる力が育たなくなる。1〜6校時まで一緒にいるのではなく、1時間の中でどのように介助していけばよいのか考える必要がある。班に分かれて活動する時には、自分から活動する力を育てるためにも、離れてみて子どもに任せてみることも必要。介助員と先生がきちんと相談して介助することが必要になってくると思う。
私の経験から。小学校では先生が変わらず、ずっと一緒だった。板書も多く、分かりやすかった。中学校では教科ごとに担当が変わり、分かる先生と分からない先生がいて指導もまちまちだった。介助員は必要だと思うが先生によるのではないかと思う。特別支援教育に変わった時に、介助員や教師が特別支援学校の中で普通学校と特別支援学校を結ぶコーディネータ的な役割として、討議した上ですすめていくことが必要だと思う。
堀谷(座長) 特別支援の内容についても考えなければならない。自主性を持った子どもに育てるために生活支援という観点からも考えたい。地域では、支援ができる学校はまだまだ特別な存在だと思うが、親はどのような悩みをもっているか、支援の状況などを聞きたい。
匿名(滋賀) 情報については疑問を持っている。健聴の両親と聾の両親が話し合うと、健聴の親の意見が通る。
私は小2まで聾学校、その間の勉強の遅れのため、地域の小学校には1学年ダウンで入った。聾学校は楽しいと思っていたが親は勝手に私を地域の学校へ入れた。自分は何を言ったらよいか分からず不安な状態であった。20人の中で一人ぼっち。いじめられたこともあった。先生が背中を向けて話すと全く分からない。苦しい悲しい毎日、でも親に言えない。「がんばりなさい」と言われ、家族とも気持ちが離れていく。家族の中でも孤独。家族の中で苦しい思いをして、高校に入った時、爆発して悪い道へ。両親は気持ちを分かってくれない。「聾の人と結婚するな」と言われたこともあり、反発した。聾の人と久しぶりに会ったが「話せるのだから」と外された。第3の世界という気持ちも分かるが、どちらかを選んで入らなければいけないと思う。自分は聾に入る。結婚は主体性をもって決めた。
自分の子どもが聾で生まれ、1歳の時に指文字の表を貼った。子どもは、早い時期から指文字に興味を示した。キュードを使用していたので、抵抗があったが、滋賀のろう学校に入学させた。キュードは発音のためにするもので、生活の中ではコミュニケーションをとるのに手話が大切だと思う。子どもはその後、友だちのたくさんいる所に行きたいと言うので本人の意思を尊重し、地域の学校に入れた。自分なりに友だちとのかかわりをつくっている。介助員、ノートテイクなどを使うと、自分の意思を表したり、友達を選んだりすることもできない。自立するということは、そういう経験をたくさんさせることだと思うし、大事なことだと思っている。
堀谷(座長) お母さんの立場で見ると、聾の子どもとのコミュニケーションがとれない。インテグレーションの問題も出てきた。支援だけでなく、心の問題についても話すことが大事。互いに本音を言い合ってそこでどうするかを考えることが必要だと思う。
豊島(茨城) 息子は、訳があって、地域の普通学校に通学。月2回、口話訓練に通っている。地元の難聴学級に入れたいと思うが言語訓練の先生に普通学校に入るのは難しいと言われた。難聴学級に入れるレベルの基準を教えて欲しい。
足立(レポーター(4)) 難聴学級に入れるレベルの基準というものはないと思う。原則は、保護者が希望されれば入級することが可能だと思う。また、本人や保護者の人級希望があれば難聴学級で指導をするべきだと考える。大阪はそのように対応している。難聴学級の担当者に、まず相談してみるのがいいと思う。
末森(レポーター(2)) 難聴学級は位置付けがない。自主的判断でどんな子どもにも応対できるようにすべきである。逆にいうと地域で色々な幅がある。聾学校では基準があるが、難聴学級では受け入れの程度に格差がある。特別支援教育ではどうだろうか。法的に位置付けが可能となる。そういうメリットがあると思う。いろいろな立場で見方も違いマルチ的な見方が必要と思う。難聴学級を特別支援学校ではっきり位置付けるのがいいことと思っている。予算も取れるし保障もしてもらえる。聾学校としては不安も大きいと思うが、それぞれの立場で見方もちがう。聾学校と難聴学級のかかわりが上手くできていることが大切だと思っている。
都会では特別支援教育について、敏感になり危機感をもってやっているが、地方はのんびり、〜らしいのレベル。もっと聾学校関係者が知識を高める必要がある。
聾学校がきちんとしなければ、特別支援学校を聾学校がどうみていくか、特別支援学校を認める中で、難聴学級を普通学級の中でどうみていくか、きちんとビジョンを出さないと難聴学級とはますます格差が開いていく。もう少し活発な意見を欲しいと思う。
鈴木(宮城) 出身は秋田。軽度の難聴。小・中・高と普通学校に通う。大学に入ってからノートテイクしてもらう。ノートテイクがあることも知らなかった。田舎の方は本当にのんびりしていてその辺をもう少し考えて欲しい。子どもが、ノートテイクや介助者の必要性について判断ができるようになってから、子どもにそういう制度があるという情報提供することが大切だと思う。
堀谷(座長) 子どもの力を育てた後にどういう保障があるのかを教えることも大切だと思う。
西(和歌山) 自分は聾学校出身なので、インテグレーションについて語るのは難しい。インテグレーションをした後、ひきこもりになってしまった子や不満を持っている子の話を聞いたことがある。そのような話を受けて考えると、大人がいかに聾という子どもの障害を受容し、それに基づいた判断をしていけるかが大切なのではないかと思う。
堀谷(座長) 第3の世界に子ども達を追い込まないためにも、大人の努力が必要。
堀川(福島) 盲学校に勤務している。福島県には一つしかないため、8割の子どもは寄宿舎生活をしている。その弊害からか、彼らには実家の近所に友達がいないという状況が起きている。よって、夏休み、冬休みにもすることが無く、宿題の作文の内容が実際の体験に基づいていない場合もあった。このようなことは聾学校でも起こることなのか。このような状況は教育によって変えていかねばならないが、盲・聾という部分に偏りすぎると問題が起きてくるのではないかという不安がある。特別支援教育学校がその解決の糸口になるかどうかわからないが、良い方向に向かうように努力していかねばならないと考えている。
堀谷(座長) 地域の中で盲・聾学校がどのように関わっていくのかを考えていかなければならない。聾学校同士、また各機関との連携をとっていくことが必要だと思う。
渡辺(レポーター(3)) 健聴者の中で生活している聾者についてわかっていることが必要ではないか。健聴者の方からもどんどん入ってきてほしい。
【感想とまとめ】
渡辺健(レポーター(3)) 健聴学級の中に、もっと聾のお子さんがたくさん入ってほしいと思う。こうした中では、聾の親・大人・若い人・聾の子どもたち同士のネットワークづくりが大切だと思う。昔は、インテグレーションの中ではサポートがなかったけれど、現在はサポートがありすぎるという状況がある。サポートのあり方や方法について評価したり討論したりする場の設定が必要である。
末森明夫(レポーター(4)) 原則分離、つまり、聾の子どもたちは聾学校に入ることから始まると考える。その上で、選択制がある。「聾学校はちょっと。難しい。地域の学校に通わせたい。」という人がいるので、そうした考えの人のためにサポートが必要になる。現在のインテグレーションには問題がたくさんあるが、インテグレーションを敵視するような姿勢は、必ず将来問題になると思う。聾の子どもたちが聾学校に通ったほうがいいのか、インテグレーションをしたほうがいいのか、お母さんたちが悩んだり、苦しんだりしているが、子どもたちをどうするのかという視点が大事である。そうした考えに基づくと聾学校の責任は重いと考える。都会の人々がんばっていても地方の人々がのんびりしている傾向が見られるように地域間の格差はあるが、聾学校が全体的にがんばれば、難聴学級もがんばるというような相乗効果がみられると思う。聾の子どもたちのために共に進んでいってほしい。
足立貢(共同研究者) 教師は自分の考えを子どもに押し付けてしまったり、一度決めた指導方針を変更したりすることが少ないという傾向があるように思う。難聴学級の保護者の中には、様々な意見や質問を教師にぶつけてくることがある。こうした場合には、教師はそうした意見や疑問を真摯に受け止めて、指導方針や指導内容を変更するなどの柔軟な姿勢が大切である。また、子どもについては、学習面だけではなく、心のカウンセリングの場を保障することが必要である。通常の学級においての様々な心の葛藤などを解決することも難聴学級の役割だと考える。
稲田利光(共同研究者) 学校を変わるということがこの分科会で話題なったが、過去の例では聾学校から地域の学校へ、難聴学級から地域の学校へ転校したという例がある。この場合、小学3年生になる予定の子どもが、学年を落として小学2年生で転入するようなことが親の運動によって認められたケースがあった。子どもにとっては迷惑であったかも知れない。学校の変更ということは子どもに大きなストレスを感じさせるものであるので、最初の学校選択は親が真剣に取り組まなければならない。統合教育を進めるに当たっては、親や教師は子どもたちが「やった。やれた。」という達成感・成就感・成功感を常に持つことができる環境であるか否か、が重要です。そして、家庭や学校では子どもを褒めることを大切にしたい。こうした体験が少ない場合には、大人になってから人間性が歪んでしまうことがある。
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