第6分科会「重複障害教育」
討論の柱 |
(1)ろう重複児の就学措置
(2)ろう学校における重複児教育
(3)親の悩みと進路保障・施設作り |
共同研究者 |
中野聡子(東京大学先端科学技術研究センター)
阿部直子(埼玉県立大宮ろう学校) |
座長
司会 |
駒井雅夫(大阪府立生野聾学校)
佐藤敦子(ろう重複共同作業所なのはなの家) |
レポート |
(1)聾重複児の就学と教育環境に関する実態調査から見えてくるもの」
中野聡子(東京大学先端科学技術研究センター)
金澤貴之(群馬大学教育学部)
(2)「学校選択とろう教育に望むこと」
阿部直子(埼玉県立大宮ろう学校、第2どんぐりを作る会)
(3)「教え子との再会から中学時代の教育を検証する」
村上栄子(特定非営利団体法人つくし代表)
(4)「ろう重複障害者の施設作りの経過と課題」
大内幹雄(福島県ろう重複障害者の生活を支える会)
(5)「つくし会の取り組みと課題」
渡邊健二(つくし会) |
【分科会のまとめ】
・出講者44名、重複児の親は1/2に近い。
・レポートは1日目3つ、2日目2つ発表された。1日目は教育中心、2日目は福祉中心の方向ですすめた。
(1)なのはな作業所で重複障害者が生き生きとはたらいているように、ろう学校でも重複児も生き生きと過ごすようにろう学校が特に配慮してほしい。重複児の就学にあたってその児の親が展望をもてるようにろう学校がきちんと説明したり取り組んだりしていくべき。また先輩の重複児の親とのつながりもできるように配慮するべき。(重複児に対するコミュニケーションは口話、キュード、指文字では困難。絵カード→手まね、手話の方向ですすめていくことが大切ではないか。)
(2)特別支援教育について、単一障害というワクにこだわらず、様々な障害をわきまえるようにしていく必要が生れてくることを大切にしていく。
(3)地域の施設作りの取り組みはまちまちだが、情報交換できたのが大変有意義だった。重複児の親の組織の間の情報交換も大切。
(4)分科会で話し合われたことを地元人もんかえって活かすとともに地元の取り組みの中でどのようにすすめていくかと実践し、来年の広島集会に成果を出し合っていきたい。 |
【成果と今後の課題】
・重複児・親が半分位出席し、親たちの経験を聞くことができたのがよかった。教員が重複児教育で行き詰っている時、母の取り組みを報告してそのようにしてほしいと要望することも大切だ。つまり、親の積極的な意見を聞くことだと思う。
・入所施設か作業所かNPO(ディサービス)か地域によって目的が異なるが、それぞれの展望について話し合っていくこと。調査も必要。
・この分科会でわかったことは、重複児教育と卒業後の労働の2本柱ですすめていくべきだということ。 将来としてはその2つを1つにつなげるように、それぞれの分科会を充実していくことではないかと思う。 |
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レポート(1)
「聾重複児の就学と教育環境に関する実態調査から見えてくるもの」
中野聡子(束京大学先端科学技術研究センター)
金澤貴之(群馬大学教育学部)
1. 本調査の主旨
聾重複児を待つ保護者に話を聞いていくと、まずは「どの学校に行くか」というところに、襲重複児を持つ保護者にとっての大きな関門が立ちはだかっていることがわかる。もちろん、学校の選択の難しさの問題は、聾重複児に限られることではないかもしれない。しかしながら聾重複児の場合、そもそも彼らを受け入れることを第一の目的とした学校がないがゆえに、「どちらがよりマシか」という消極的選択にならざるを得ないという点に、大きな特徴がある。さらには、聾学校について言えば、聾重複児の受け入れについて積極的かどうかということと、その聾学校がどのような指導方法を採用しているかということとは、無関係ではない(この構造については、昨年の全国集会で中野が発表した)。
聾重複児を持つ保護者の中には、聾重複児の受け入れについて消極的な聾学校しか県内にないために、やむを得ず養護学校や通常の学校の特殊学級を選択する保護者が少なからず存在する。このことが意味することは、聾学校のみを調査対象としては、聾重複児の教育環境の実態の全体像は見えてこないということである。そこで今回は、各地で草の根的に立ち上げられつつある聾重複児の「親の会」の会員で、聾重複児を持つ保護者を対象として、聾重複児の就学の問題や教育環境の問題について、アンケート調査を行うこととした。
なお、本稿執筆時点では、まだすべての質問紙の回収が終了していない。そのため分析結果の報告は、分科会当日に行う。
2. 調査方法
1)分析の方法と視点:聾重複児を持つ保護者3名から、就学をめぐってどのような出来事があり、その時々にどのような思いを感じていたのかについて、聞き取りを行った。その結果、以下のことが示唆された。
・就学の選択の悩みや葛藤は小学校(小学部)入学時点だけではなく、転校、進学など、さまざまな局面で起こっている。
・就学の選択肢は、聾学校か養護学校かというだけでなく、多岐にわたっている。
・就学の選択にあたって、選択先の学校関係者以外に、相談できる専門家がいるかどうかによって、得られる安心感や判断の仕方が変わってくる。
・就学後の教育環境については、教員の専門性や人間性と、友だち同士の人間関係といった、人的資源に負うところが大きい。
そこで、本調査を行うにあたり、小学校(小学部)入学の時点に焦点化し、その時点での実態や、気持ちの迷いや葛藤が浮き彫りになるよう、上記の点を考慮し、以下の質問項目を設定した。
2)調査対象:複数の県にまたがる聾重複児を持つ家族の集まる集会に参加された方を中心に、聾重複児を持つ保護者40名ほどに依頼(現在も依頼、および回収中であるため、正確な依頼人数や回収数は未定)
3. 質問内容
0)現在の子どもの年齢と、就学されている場合は学校(学部)と学年、卒業されている場合は就労先。
1)小学校(学部)一年生だった時のことについて
・就学先
・担任の先生の、障害児教育の専門性について(特殊教育の免許の有無、重複児の指導の経験)
・クラスの、他の子どもたちとの関わりについて。
・通学の方法について。
・小学校(学部)の就学に際して、特に学校に要望としてお願いしたこと。
・就学の決定に際して、どこか2つ以上の場で迷ったかどうか。具体的には?
・就学の決定の際に、相談にのってもらえる人がいたかどうか。
・就学先を決定する際に、重視したことは何か。
・就学の決定は、決定時の希望に沿うものだったか。具体的には?
・就学の決定に際し、特に大きな問題はあったかどうか。具体的には?
・小学校(学部)での学校生活に、満足しているかどうか。具体的には?
・就学した後、転学を考えたり進められたことがあったかどうか。具体的には?
2)小学校に入学する前、就学先の決定にあたって、得ていた情報は?
3)就学指導や学校の受け入れなど、学校に対して改善してほしい点について。
4)現在、お子さんに関するさまざまなことについて、特に気になっていること。
4. 今後に向けて
現在、回収できているアンケートを見ると、ほとんどのアンケートについて、自由記述欄にびっしりと記入がしてあり、欄外にも所狭しと多くのコメントを寄せて下さっている。また、今後の調査について個別にご協力頂ける意思の有無についても、多くの方がご協力頂ける意思を示して下さっている。これらのことからも、聾重複児を持つ保護者にとって、就学の選択の問題が深刻であり、教育環境の改善について、保護者が強い要望を持っていることがうかがえる。今後、分析を進めつつ、さらにより詳細に調査を進めていきたい。
レポート(2)
「学校選択とろう教育に望むこと」
阿部直子(埼玉県立大宮ろう学校、第2どんぐりを作る会)
はじめに
第2どんぐりの会とは、「埼玉県南部に、ろう重複専門の通所作業所を作ろう」ということで発足した会です。幸い土地と家屋の寄付があり、目下改修計画を立てつつ、さいたま市に認可を求めて申請中です。来春4月の開所予定なのですが、3月の市議会の結果を待たないと認可が得られるかどうか分からない状況です。また、庭や家屋を作業所に改修するための予算がおよそ800万円ほどかかるのですが、市からの補助は50万円までです。資金集めと市交渉とを関係諸団体の協力を得ながら進めつつあるところです。
今回「学校選択とろう教育に望むこと」というテーマで会員のお母さんたちの声を聞きました。行政にはなかなか理解してもらえない「ろう重複」という障害を改めて考えさせられる内容でした。
(1)A子ちゃん(小1)のお母さんの手記
私の娘A子は、聴覚障害(身障手帳3級)と知的障害(療育手帳A)を併せてもつ重複障害児です。そのため、就学の際にはとても悩み、考えました。双子の妹B子も知的障害(療育手帳B)をもっていて、二人のことを同時に考えていくのは正直に言って本当に大変でした。
最初に考えたのは、A子・B子ともに養護学校へ通学させることでした。弟(当時2歳)もいるので、スクールバスで家の近くから学校まで行ってくれるのはとても魅力的でした。学校のカリキュラムも、とてもゆったりとしていて、私の子どもたちには合っていると思っていました。養護学校ならば楽しく通えるのではないか・・・と思いました。しかし、細かく考えていくうちに、やはり足りない部分が出てきてしまいました。決定的だったのは、養護学校へ体験入学した時のことです。B子がとてもつまらなそうで物足りなさそうだったのです。自分のイメージしていた小学校とはあまりにも違っていて、がっかりとしていたのです。
この様子を見て、B子に関しては、養護学校はやめようと思ったのでした。
A子は、それなりに楽しんでいたところもあったのですが、やはりどうしても後ろから声をかけられるとか言葉かけだけになってしまうようなので、「聞え」に関しての配慮がまったく足りない状態でした。聞える子どもたちの集団なので仕方のないことだろうとは思うのですが、それでは困ってしまうので、やはりコミュニケーション手段を身につけていくには、ろう学校が良いと思いました。
その後、B子は特殊学級のある近くの小学校へ通学させることに決めました。
A子は、聴覚障害よりも知的障害の方が重いと判定され、県の方から「ろう学校よりも養護学校の方が良いのでは?」というような事を何度となく言われ、なかなか決まりませんでした。ある日、県の指導2課の方と話をすることになり、その時に思っていることを正直に話してみました。
ろう学校の幼稚部に2年間通って、多少なりともコミュニケーション手段が身について、とても嬉しかったこと。
ろう学校は家から近く、無理なく通学ができること。
そして、ろう学校はB子の通う小学校との交流もあり、とても近い(隣)ということ。
指導2課の方は、納得してくれたようで、ようやくろう学校と決まったのでした。
約1年間、いろいろ考え、悩みましたが、今はA子もB子も楽しく学校に通っています。A子は、まだ模倣ですが、指文字を少しずつ使えるようになり、手話も覚えっつあります。手厚く指導して下さる先生方に感謝しています。
(2)B男くん(小1)のお母さんの手記
B男は赤ちゃんの頃、心室中隔欠損症と気管支軟化症で長期入院し、おそらくその後遺症で知的障害と難聴を併せもっています。手術で体の治療が完了した3歳から、1年半、知的障害児通園施設に通いました。そこでは、通っている間に随分体も丈夫になり、表情も豊かになってきました。B男からの要求なども出てきて、感情を共感したりするのに「専門的なケアが必要になってきたのでは?」と言われ、4歳児(年中クラス)から、ろう学校の幼稚部に入学しました。幼稚部では、キューサインや簡単な身振りをいくつか覚え、友だちを意識するようにもなりました。体もますます丈夫になりましたが、やはり、1つのことを1年も2年もかけないと覚えられなかったり、嫌なことがあると泣いて座り込んでしまうなど、他にも数え切れないほど問題行動がありました。
養護学校の学校公開に初めて行き、とても明るい雰囲気だったことと、職業訓練なども見て良い印象を受けました。その後、もう1度詳しいお話を聞くために、ろう学校の担任の先生と養護学校を訪ねました。養護学校では、キューサインは先生方が勉強しないと使えないそうですが、一般的にはマカトン法を使っているということでした。また、行き帰りのスクールバスには添乗員さんが1人しかいないため、いたずらなどされないように補聴器は外しておいた方がよいことや、常に1対1で先生が付いていられる訳ではないことなどを話されました。しかし、時間割が細かく区切られておらず、子どもたちが1日を通してのびのびと体を使って動き回れそうなところと、高等部の様々な職業訓練はとても惹かれるところがありました。
その頃、ろう学校では父母教室が開かれ、小学部の重複クラスのお母さん方のお話を聞くことが出来ました。「養護学校では、後ろから話しかけられるのは当たり前で、聞えない子は状況が分らず、孤立してしまうこともあり得る」ということでした。「ろう学校にいれば、同じような重複障害児をもつお母さん方がいるし、いつでも相談できるので、今ではろう学校に入学させて良かったと思っている」と、皆さんがおっしゃっていました。
一方、担任の先生は「小学部に入ると、今よりもっときびしくなるだろう」とおっしゃっていました。「細かいところまで注意してもらえるのは幼稚部のうちだけで、小学部に入れば、基本的なことは出来て当たり前とみなされる」ということでした。「B男はもっと体を動かして、のびのびと過ごした方が良い」ということでした。「小学部の授業でずっと着席している状況ではかなりストレスがたまるだろうから、帰りに校庭で遊ばせたら良い」というアドバイスもいただきました。
父母教室でコミュニケーション手段の大切さを教えていただき、子どもと通じ合える嬉しさなどもお聞きして、その時点ではやはりろう学校に入学させたいと思っていました。けれども、心の奥では、その後もかなり迷っていました。それは、着替えが遅い・服の裏表が分らない・くつの左右が分らない・手を離すとどこかへ行ってしまう・座っていられない・すぐ泣いてしゃがみこむ・周りの状況を判断できない・いつもマイペースなど、養護学校に入学した方が良いのでは?と思うことが多かったからです。
しかし、幼稚部でほんの少しキューサインなども覚え、通じ合える喜びが分り始めてきたところだったので、ここで全く違う学校へ行かせ、また新しい環境で1からやり直すのはとても抵抗がありました。今までと同じ学校で、顔見知りの友だちが多くいる中で、今まで覚えたコミュニケーション手段を使いながら、あと1つでも2つでも多く習得していってほしいと思い、ろう学校入学を決めました。
現在、B男は元気にろう学校に通っています。B男担当の先生も1対1でいつも付いていただいて、幼稚部以上にきめ細かな指導を受けています、授業も散歩や体育、ふれあい体操や図工など体を思いっきり使ってやるようなものが多く、楽しんで学校生活を送っているようです。今のところ、ろう学校に入学したことは、間違いではなかったと思っています。
(3)C男くん(小6)のお母さんの手記
早期教育から小学部4年生までろう学校にお世話になっていました。幼稚部から小学部になる時に、このままろう学校に入るのが良いのか、それとも養護学校に入るのが良いのか、とても悩みました。結局、聞えないということを考えて、ろう学校に入学しました。
小学部1年生から3年生までは、担任の先生と親との「子どもに対する考え方」が同じだったことと、子どもが先生を信頼していたことで、安心して学校に通うことができました。先生から「今まで出来なかったことが出来るようになった」と誉めていただいたりして、子どもが少しずつでも成長している様子がうかがえました。
しかし、5年生になって養護学校に転校しました。理由は、4年生の時に先生がかわって、息子に対して「何か身につくことを教えてあげよう」という熱意が全く感じられなかったからです。逆に「どうせこの子は何を教えても何も出来ないんだ!」というような先生の態度が多くなり、親も安心して学校に出せなくなりました。これでは、片道1時間もかけて学校に来る意味がないのではないか?と思い、親子とも疲れてしまいました。
今、養護学校にかわって良かったと感じられるのは、子どもが楽しく生き生きと通学していることです。それに、先生に心配事や障害のことなど何でも相談出来ることです。養護学校では聴覚に障害をもった子の受け入れは初めてだということで、先生方も勉強してくださり、手話や身振りなども含め、息子が一番分りやすい方法で接してくださいます。勉強も、目で見て理解できるように、息子の好きなキャラクターや光や飾りなどを使って、分りやすく工夫していただいています。
しかし、養護学校でも、今いる先生方はそのような配慮をしてくださっていますが、これから先もずっとこの状態が続くとは限りません。結局、ろう学校であろうと、養護学校であろうと、先生方が「障害に対する専門的な知識」をもっているだけでなく、「いかに子どもを理解してくださるか、何かを習得させてあげようという気持ちをもってくださるか」にかかっていると思います。親の気持ちを少しでも理解してくださり、一緒になって考えてくださる先生がいなければ、どこの学校に入っても同じだと思います。そんな心暖かい先生方がたくさん出てきてくださることを期待しています。
(4)D男くん(中1)のお母さんの手記
息子のD男は、視覚と聴覚に生まれつき障害をもっています。聴力は両耳とも120dBと重度の障害で、視力は網膜色素変性症・黄班部変性で徐徐に落ちてきたかたちで、現在ほぼ右光覚(−)左0.007という数値が出ています。D男自身は最近やっと聴こえない・見えないことが分ってきたところです。
聴力に関しては、生後数ヶ月から聴こえていないことが分りました。視力の方は、病院の先生もあまり診たことのない症状なので「どんな行動をするか観察して下さい」といわれるだけでした。3歳までは入退院の多い子で、しかも歩きはじめが2歳近くで、ろう学校の教育相談に通うようになるまでは、あまり外で遊ぶこともありませんでした。歩き方がおかしいと気付いたのも私ではなく、ろう学校の先生でした。しかし、その視力が、幼稚部で始まるコミュニケーション手段であるキュードスピーチの獲得の障害になるとは、ずっと後になるまで気付かなかったのです。D男の「キューの勉強がしたくない!嫌だ!」の態度が、見づらさから出ていると分らず、「本人にはとてもつらい毎日だっただろう」と数年経って分ったくらいでした。
D男の小学校就学を決める頃は、「盲ろう」という障害や言葉がまだまだ知られていなかった頃で、私も「盲ろうとは全盲全ろうの人を言うのだ」と思っていました。同じくらいの年齢の同じように目と耳に障害のある子どもが、どのように何処で勉強しているのかを知りたかったのですが、当時は探すことが出来ませんでした。この子をどの学校が受け入れてくれるのだろうかと、盲学校・養護学校・そして通いなれたろう学校の先生と相談をし、とにかく重い聴覚障害ということでろう学校を選択しました。D男も先生も、お互い慣れている部分があったことで、全く新しい学校へ行くよりも、これまでの生活も勉強も引き継ぐことが出来ると考えたからでした。
幼稚部でキュードスピーチが獲得できず、語彙数の増えなかったD男ですが、キューサインとひらがな(1色で書くことのできる)を結びつけたことで、1年生でとても語彙数が増え驚いたものでした。しかし、私が普通にキューサインを発信しても、D男にはしっかり伝わらず、苦肉の策でD男の手を取り、私の手はD男の手に伝え、口の形だけを読み取らせていました。
そんな時、国立特殊教育総合研究所の盲ろう児の教育研究をしている先生に出会いました。先生は、この苦しいキュードスピーチをご覧になり、すぐに指文字を使うようアドバイスを下さいました。つい最近、当時のD男と私のやりとりを映したビデオを見直したのですが、自分では伝わっていると思っていたものも、何だか怪しいことが分り、この先生との出会いを本当に嬉しく思います。キューサインとは違って50音一つ一つ違う形の指文字を、この子に覚えられるのだろうか?と半信半疑でキューサインから指文字への移行がスタートしました。ところが、D男はとても楽しく覚えることが出来たようで、頭の固い私よりも先に覚えてしまいました。しかし、やはり見る事で指文字を識別することはできず、この時から触指文字でのコミュニケーションが始まりました。
小学部では重複学級でしたから、学校での勉強は教科書を使うことはありませんでした。担任の先生の手作りのプリントですから、自然に見やすい大きな字になっていましたが、研究所の先生から「手書きの文字ではなく、書体や大きさが常に同じ文字を使うこと」「小さい文字の物は拡大読書機を使って見ること」を薦められました。しかし、ろう学校には勿論、拡大読書機などありません。ましてや、たった一人の為に高額な機械を買ってもらうことも出来ず、月日は流れました。
1年1年文字を読むスピードは遅くなり、5年生から点字の勉強を始めることになりました。当然、宿題をみてあげるために私も点字を覚えることになりました。点字が読めるようになっても、盲学校に籍のないD男には点字の教科書をもらうことが出来ませんでした。けれども、担任の先生のご苦労で、県内で初めて、壁を破って頂くことが出来ました。
教科書の問題だけでなく、見えない生徒に教えるという専門の知識のある盲学校に週1回でも通えないかと望んだのですが、「特殊学校間の通級は認められない」という壁に、またぶつかってしまいました。点字が触読できるとはいっても、書かれている事を何でも理解できるわけではありません。意味のわからない言葉が沢山あります。というより、むしろ分ることの方が少ないです。
盲学校で、見えない子どもはどのように言葉の意味を理解していくのでしょうか。私も勉強不足でよく分らないのですが、今の視力になって、盲学校の方が良いのではないかと悩んでしまっています。点字以外でも、触覚をフルに活用する学習教材が必要です。しかし、聴力も重度のD男にとって、この発音で何を言っているのか理解してもらえることは難しく、見えない聴こえる生徒とのコミュニケーションをどうしたら良いのか、またまた悩む毎日です。
普段の会話、点字を使わない部分の勉強、周りの状況を伝えること、それらは、常に、D男の手に直接触れる触指文字で伝えてもらいます。離れていては何1つ伝わりません。先生の手の上には常にD男の手が乗っているわけです。かなりの疲労になります。しかし、どんな場面をも伝えていただかなければ、集団の中にいることにはならなくなってしまいます。そのため、D男に付いた先生は、他の生徒をみることが難しいです。重複クラスは、先生の定数が単一クラスより多くなっていますが、それでも手が足りないのが実状です。生徒の実態に合わせて先生を増やしていただけないのでしょうか?一体どこにどうやって声を届ければよいのでしょうか?このような肉体労働とは別に、教科書だけでは難しい部分の文章を点字タイプライターで打って点字教材を作ってくださっています。触指文字による会話、通訳など、D男の担当になられた先生だけが背負ってしまわれたら大変な負担になってしまいます。最近は手話も少し覚えてきました。しかし、どのようにして物事を理解し、指文字や手話につなげていったら良いのか、課題は大きく残されたままです。先生には盲ろう児であるD男への理解協力の輪を他の先生方にも広げていくご努力もしていただいています。
今年7月、全国の盲学校・ろう学校・養護学校・幼児通園施設に通う盲ろう児を担当している先生方、大学の先生方が中心になり「全国盲ろう教育研究会」が設立されました。これによって、たとえ県内に1人しかいない盲ろう児を担当している先生でも、他県の情報入手や意見交換が出来るようになればと願っています。そして、校内でも、盲ろう児への理解がさらに広まってほしいと思っています。
盲学校を選べばコミュニケーションが難しくなり、ろう学校を選べば教育教材が揃わない。ずっと、その問題で悩んでいます。盲児でもろう児でもない「盲ろう児」のための教育を、D男にとっては慣れ親しんできたこのろう学校の中で、盲ろう児教育研修を受けた教員、教材の整った教室で受けられることを切に望みます。
おわりに
4人のお母さんの手記を読んで感じたことは、「ろう重複障害」への理解がまだまだ不十分だということです。併せもつ障害に視点を当てた取り組みがなされることは言うまでもありませんが、聴覚障害というコミュニケーション障害・情報入手障害の部分を考慮しつつ、1人ひとりの子どもの全体的な課題に沿った教育が、どこの学校に在籍しようとも、創造的になされなければなりません。今ある障害児学校のどこに行っても、ろう重複の専門家もいなければ、専門的な施設・設備が整っているわけでもありません。かろうじて、担任教師の個人的な努力に負うところがまだまだ多いのが現状です。
しかしながら、にの先生に出会えて良かった」と思えることが、どれだけのエネルギーをお母さんたちに与えていることでしょう。親身になって努力されている先生方には本当に頭が下がります。ぜひとも、「ろう重複障害児」への理解を広げていくためにも、教師集団と親集団とが力を合わせて、連携の輪を広げながら、運動を進めていきたいものです。
行政に考えていただきたいことは次のような点です。
1. ろう重複障害教育の専門家養成(障害特性の把握・カリキュラムの検討・人間性育成)
2. ろう重複障害教育のための教育予算化(施設設備の充実・教材教具の開発整備など)
3. 障害の重度化・多様化に対応できる教育の創造(研究助成・情報交換・人事交流など)
参考までに
討論集会分科会には50名を越える参加者(北海道から沖縄まで)があり、「ろう重複障害」の教育の在り方や卒業後の進路の問題について討論しました。
学校選択の問題では、中野聡子さん(東京大学先端科学研究センター)と金澤貴之さん(群馬大学教育学部)の実態調査レポートの報告がありました。「ろう学校の重複障害児受け入れは、口話法重視の学校ほど消極的」であること。「教員の専門性や人間性、友だち同士の人間関係など」を重視しながらも、学校選択に当たっては「聞こえないという障害に応じた教育を重視する人が圧倒的に多い」こと等が分りました。「養護学校で共通のコミュニケーション手段がもてずに孤立している子が23%もいる」という報告もあり、考えさせられました。
また、「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)では、重複という状態に応じた受け入れ先も期待できる」という指摘や、「トータルな視点でアドバイス出来るコーディネーターが求められる」という指摘は新鮮でした。最終報告には「親の意識を反映するように」と明記されているそうです。今後の動向にも注目していきましょう。
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