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レポート(3)
「ろう児の日本語獲得に必要なもの」
中村成子(全国ろう児をもつ親の会)
 
【1】言語力の土台となるのは母語
 人が生まれて最初に出会い、自然に覚えていく言語が「母語」です。「人間には言語を獲得する本能がそなわっている」(ピンカー1994)と言われ、その本能によって言語形成期に獲得した言語が、その人の母語となります。ふつう、親(養育者)の言語が子どもの母語になります。本人は母語を覚えたプロセスを記憶していません。例外を除いて、人は誰でも気がっいたときには、すでに母語としての言語をもっていて、それをほとんど無意識に間違えることなく自由に使いこなしています。
 生まれた赤ちゃんがひとりの人間として成長していく上で、母語は重要な役割を果たします。母語が、コミュニケーションの手段になると同時に、物事を認知して概念を形成するための道具にもなるからです。子どもが母語を習得すること、人とコミュニケーションできるようになること、物事を理解する力がつくこと、この三者は相互に密接に関連しながら発達していきます。小学校入学後の学力がどこまで伸びるかは、母語の力がどれだけあるかによって決まります。第二言語や外国語を学ぶときにも母語の力が土台となります(カミンズ1984)。逆に言えば、母語が中途半端である場合は、学力も伸びにくく、第二言語や外国語の習得も難しくなります。
 以上は、日本に限らず世界に通用する、「母語」についての一般論です。上記の「ふつう」でないケース、つまり親の言語が子どもの母語にならないケースとして聴者の親を持つろう児の場合があり、「例外」となるケースのなかに、音声言語で育てられたろう児が含まれます。
 
【2】ろう児の母語になるのは手話言語
 (ここでは「ろう児」とは、生まれつき聞こえない子どもと、言語習得以前に聞こえなくなった子どもを指します。)ろう児が日本語を獲得するために必要なものは何か?それは上で述べた「母語」です。ではろう児の母語とは何でしょうか?
 ろう児の場合、親がろう者であるか聴者であるかによって、言語環境が違ってきます。
 親がろう者で、手話言語(対応手話ではない)を使っている場合は、それが自然に子供の母語になります。【1】で述べた一般法則どおり、親の言語が子どもの母語になるわけです。ろう児がろう者の親から手話言語を母語として習得していくプロセスは、聴児が聴者の親から音声言語を母語として習得していくプロセスと同様であることが、言語学者たちの研究によって明らかにされています。
 ところが、親が聴者で音声言語を使っている場合、言い換えれば聴覚口話法でろう児を育てる場合、子どもはその言語を自然に習得することはできません。したがって訓練が必要になります。どんなに「楽しい」訓練でも、訓練して習得する言語を母語とは呼びません。聴覚口話法で育った子供たちの大多数は、やがて手話を使うようになります。この事実が、音声言語はろう児の母語にはならないことを証明しています。聴覚口話法の成功例(1割?2割?どなたか教えて下さい)と言われる人でも、音声言語が母語になったわけではありません。100%理解し理解されたという確信がもてない、冗談を言い合って楽しむことができない、発音や文法の間違いがあっても気がつかない、・・・こういう言語は、母語とは言えないのです。
 ろう児が母語として自然に・容易に・確実に・獲得できるのは手話言語です。不得意な聴覚を使って音声言語を獲得することは、どうしても不自然で・困難で・不確実な・プロセスになります。しかし得意な視覚を使う手話言語なら100%吸収され、本能によって母語として獲得されるのです。
 
【3】ろう児にとって日本語は第二言語
 言語には手話、音声、文字という三つの形式があり(カーテン&ペソーラ1999)、それらが人類の歴史上に出現したのは手話言語、音声言語、文字言語の順だとされています(正高信男2001)。
 日本語を獲得する際の方法や手順、どの感覚を使い、どの言語形式を採用するかは聴児とろう児では違うということを、まず聴者は知って理解しなければなりません。
 聴児は日本語の音声言語(話し言葉)を母語として習得し、次いで教育によって文字言語(書き言葉)を習得します。両方をマスターしてはじめて日本語を獲得したことになり、音声言語と文字言語から成る日本語が第一言語となります。
 これに対してろう児の場合は、母語となるのは日本手話ですから、手話言語が第一言語です。ただし手話言語には書き言葉がありません。ろう児が聴者の社会で生きていくためには、日本手話とは別の言語である日本語を第二言語として習得する必要があります。かれらは話し言葉より書き書葉の方が得意なので、書き言葉の日本語、つまり文字言語が第二言語となります。
 ろう児が習得しやすく、コントロールしやすいのは視覚から入ってくる手話言語と文字言語です。ですから、かれらにとって最も効率のよい日本語獲得の方法とは、日本手話を母語とし、その母語を土台として第二言語となる日本語の書きことばを学ぶことです。ろう教育におけるバイリンガル教育は、この方法を採っています。(話し言葉については、排除するわけではなく、適性や希望に応じて学習します。その際母語の手話言語で説明することができるので理解が進みます。)バイリンガル法を採用している国々(約30カ国)では、聴覚口話法で教育していた時代よりも全体的に子どもたちの読み書きの力が伸びて、言語力も学力も向上したことが報告されています。
 
【4】致命的な誤解
 北欧では20年も前から実践されているバイリンガルろう教育は、日本の専門家たちにも知られています。にもかかわらず、ろう児にとって最善の教育法だと思われるバイリンガル教育がいっこうに導入されないのはなぜでしょうか?それは、ろう児にとっての手話言語と文字言語との関係、すなわち日本手話と日本語の書きことばとの関係について、聴者である専門家たちがいくつか重大な誤解をしているからだと思われます。
 その誤解というのは、聴者であるが故の、聴者の限界としての誤解です。ろう者から誤解だと指摘されても、「そんなはずはない。間違っているのはそっちだ。」と頑迷に否定して、理解しようとしなかったために凝り固まってしまった誤解です、当事者であるろう児やろう者に聞いて、かれらの視点を取り入れていれば、簡単に解けたはずの誤解なのです。
 以下、三つのおもな誤解について見ていきます。
◆誤解1=「正しく発音できなければ、書き言葉は覚えられない」
「音声による話しことばを習得してから、書き言葉を勉強するべきだ」
「文字言語を習得するためには、音声言語を媒介にしなければならない」
→ これは、聴児ならそのようにして言語習得のプロセスをたどるという、聞こえることを前提とした話で、ろう児には当てはまりません。ろう児は当てにならない音声・音韻に頼らずに、母語の手話言語から第二言語の文字言語へと移行することができるのです。
→ この誤解のために、日本では聴覚口話法が70年間にわたって無批判に維持され、ろう児の言語発達を混乱させてきました。「9歳の壁」が生じるのは、聴覚口話法がろう児の自然な母語習得を妨害するからです。【1】で述べたとおり、母語が発達しなければ知的発達も停滞するのです。
◆誤解2=「日本語の習得が先決。手話の習得はその後でいい」(文部科学省)
→ これは全く逆転した考え方です。日本手話を先にすれば日本語習得もうまくいくのに、逆の順番で教育するから、両方とも中途半端になって、母語獲得ができなくなるのです。「言語を獲得する本能」は言語習得の臨界期を過ぎると消失します。中学生や高校生になってから手話を学んでも、その手話は母語にはなりません。しかもここで言う「手話」とは、ろう学校で使われている日本語対応手話のことで、これは手話言語ではありません。
→ この誤解が、結果として日本語の話し言葉も書き言葉も、そして「手話」も十分に使いこなせない「セミリンガル」の卒業生を大量に産み出してきました。この事実は、教育する側がその社会的な責任を果たしていないことを意味します。それだけでなく、教育方法の間違いによる失敗を、ろう児の能力や意欲のせいにしてきたのですから「犯罪的」だと言わなければなりません。ろう児自身は、それに対して反論する機会も言語力も与えられておらず、それを奪っていたのは、他でもない、教育した側なのです。
◆誤解3=「バイリンガル法には、日本語対応手話や同時法的な手話も含まれる」
 これはバイリンガル法を目指している(らしい)人たちによる誤解です。「手話言語力をベースとする」という手話が、日本手話なら問題ないのですが・・・。
→ ろう教育におけるバイリンガル法(ニ言語法)とは:
第一言語=社会の少数派であるろう者の言語すなわち日本手話という手話言語
第二言語=社会の多数派である聴者の言語すなわち日本語(おもに書き言葉)
ろう児はこの二つの言語をこの順番で習得することによってバイリンガル(二言語使用者)となる(カミンズ1990)。
→ 対応手話や同時法的手話が含まれるのは、トータル・コミュニケーション法であって、バイリンガル法ではありません。
→ アメリカでは1960年代末から1980年代末にかけて20年にわたってトータル・コミュニケーション法が実践されました。その教育結果について、1988年に全米ろう教育審議会が「受け入れがたいほどに不十分である」つまり大失敗だったと議会と大統領に報告しました。それを受けてトータル・コミュニケーション法の見直しや分析が行われたことから、またASLが独立した言語として広く認知されたことから、ろう者の言語であるASLを教育言語とするバイリンガル法が始まったのです。1990年頃のこの時点で、ASL以外の「手話もどき」は子どもたちの言語発達にとってむしろ有害であることが、認識されています。現在、アメリカの全部のろう学校のうち8割がバイリンガル法を採用しているそうです(アメリカ人ろう者のろう教育関係者による)。
 日本のろう教育は、これを貴重な教訓として日本手話を教育言語として認めるべきです。
 失敗したことがわかっている対応手話や同時法的手話を使うこと、および、それをバイリンガル教育だと偽称することは、人道的にも許されることではありません。ろう児たちの人格と人生が犠牲になるのですから。
 
【おわりに】
 2002年10月、東京都難聴・言語障害教育40周年行事で、正高信男氏が「人間の本能としての手話理解」と題した記念講演をされました。氏は質問に答えて「口話教育は愚劣だということです。無駄なこと。ある意味で犯罪的。」「間違った、反省する、責任をとる、という話を聞かない。何となく手話がいいらしいということで曖昧なまま移行している。これは良くないことです。」と明言されました。「わが意を得たり」と嬉しく、この指摘が「難聴児教育」の考え方を変えていく契機になるだろうと期待しましたが、講演の記録を載せた「紀要」では、この質疑応答の部分はカットされていました。
 この部分こそ、これからのろう教育を改善していくための最重要ポイントではないでしょうか。それをカットすることがなぜ許されるのでしょう?誰かが政治的配慮をしたようですが、これは言論の自由の抑圧であり、知る権利の侵害であると言えます。教育界のこのような前近代的な体質を変えなければ、将来の見通しは明るくならないでしょう。
 
レポート(4)
「ろう児に日本語を習得させるためには?」
竹内かおり・岡本真末・小野広祐・長谷部倫子(龍の子学園)
 
●はじめに
 いかにしてろう児に日本語を習得させるかという問題は、ろう教育に携わる者にとっては常に大きな関心事である。日本において社会生活を営む上で、日本語が不可欠であることは否定しようのない事実である。
 本稿では、ろう児に日本手話を習得させるために、日本手話と日本語という二つの言語をどのように位置付ければよいかを提示し、ろう児にふさわしい教育のあり方について考察を加える。
 
●ろう児にとっての日本手話とは?日本語とは?
 日本手話は日本語とは異なる独立した文法体系を待つ視覚言語である。十分な言語入力を受ければろう児は日本手話を自然に獲得する。両親がろう者の場合だけでなく、両親が聴者であっても、ろう学校という集団の中でろう児は自然に日本手話を獲得する(注1)。その獲得のプロセスは聞こえる子どもが音声言語を獲得するそれと同様である(注2)。言語を獲得する能力に関してはろう児も聞こえる子どもも変わらないが、ろう児は耳が聞こえないために、音声日本語を決して自然には獲得できない。なぜなら、彼らには音声による言語的入力が起こらないからである(注3)。このことからも明らかなように、ろう児の第一言語となり得るのは日本手話であって、日本語ではない。
 ろう児の第一言語が日本手話であるという事実は、決してろう児の日本語習得の可能性を否定するものではない。それどころか、第一言語の日本手話こそがろう児の日本語習得に際しては極めて重要な役制を果たす。ろう児が日本語を自然に獲得できない以上は、ろう児には日本語を「第二言語として」教える必要性がある。第一言語の基盤がなければ第二言語を教えることはできない、子どもを二言語使用者にするための教育をバイリンガル教育と言うが、バイリンガル教育においては第一言語の能力が高い子どもほど第二言語の習得がよりスムーズであることが研究によって既に実証されている。このことは、ろう児の日本語指導に際しては日本手話と日本語が決して対立関係にあるものではないことを示している。「L2(=第二言語)はL1(=第一言語)が確立してから、意識的に学習する言語」(高見澤他、1997)なので、土台となる日本手話の言語運用能力が高ければ認知力も高くなり、ろう児は第二言語である日本語にスムーズに移行できるのである。
 
●日本語対応手話を用いればろう児に日本語を習得させられるのか?
 日本語対応手話はろう児にふさわしい教育手段ではない。「日本語対応手話は、あらかじめ獲得された日本語にもとづいて表現されるもので、日本語を使いこなせない人にとっては、一貫した構造のない単語の羅列にすぎない。」(市田、2003: p.38)音声日本語を話しながら手で手話単語のみを表す日本語対応手話は、日本語を既に獲得している聞こえる人間にとっては完全なものであるかもしれない。だが、視覚からしか情報が入らないろう児にとっては、日本語対応手話は単語以外の要素がすべて欠落した著しく不完全なものである。聴者の視点ではなく、聞こえないろう児にとって日本語対応手話が何を意味するのかを理解する必要がある。日本人の聴者がフランス語の単語の羅列だけを見せられてフランス語を習得することが不可能なように、ろう児にとっても単語の羅列(=日本語対応手話)から日本語を習得することは物理的に不可能なのである。
 
●ろう児に日本語を習得させるにはどうすればよいか?
−バイリンガルろう教育の必要性−
 前述のように、ろう児の第一言語は日本手話である。その事実を踏まえた上でろう児に日本語(注4)を習得させることを目指すなら、バイリンガル教育の他には方法はないであろう。ここで言うバイリンガル教育とは、日本手話(第一言語)を教育言語として書記日本語(第二言語)を習得させる教育のことである。
 音声日本語を使ってろう児に日本語を教える教育、つまり口話教育は成果をあげられず、ろう児に日本語を習得させることはできなかった。口話教育の限界がトータルコミュニケーション理論の台頭、また、現在に至っては手話導入の必要性の議論という形となって表れている。だが、いまだに日本手話による教育は行われていない。ろう児に日本語を教えるためには音声日本語(=口話)や記号(=指文字、キュードサイン)や単語の羅列(=日本語対応手話)ではなく、彼らに理解できる第一言語の日本手話で教育を行うのが最も適切である。
 日本手話を教育言語とすることに否定的な見方を示す人の多くは「日本手話には助詞がないのに、その日本手話でどのようにろう児に日本語を教えるのか?」という疑問を投げかける。だが、言語が違えば文法構造が違うのは当然であり、日本手話に助詞がないことが教育言語として値しないという根拠にはならない。英語にも助詞はないが、英語によるバイリンガル教育は可能であるし、実際に行われている。英語には日本語の助詞とは異なる文法構造があるので、助詞がないことは何ら問題にはならない。日本手話には日本語の“てにをは”にあたるような助詞はないが、英語と同様、日本手話には日本手話の文法構造があるので、助詞がないことが言語として問題になることはないのである。日本手話は教育言語として立派に機能し得る完全な言語であり、日本手話によるバイリンガル教育こそが、ろう児にふさわしい教育である。なぜなら、耳が聞こえないという物理的な制約により、ろう児にとっては視覚言語である手話しか完全な機能を果たし得ないからである。
 
●龍の子学園における実践
 NPOバイリンガルろう教育センター龍の子学園では、日本手話を教育言語としたバイリンガルろう教育を行っている。実践例については発表当日にビデオを使用して詳しく紹介する。
 
・実践例
【小学部(小学1〜3年)の日本語学習の方法】
(1)題材に合った写真の提示
(2)日本手話による説明
(3)日本語文の提示
(4)日本手話による確認と議論
(5)日本語プリントによる理解度の確認
 
●おわりに
 バイリンガルろう教育は諸外国では既に始まっている。「バイリンガルろう教育」の意味は単に二言語を完全に習得させることではない。子どもの第一言語である手話を肯定的に認めて使用するということは、それ以上に大きな意味がある。「個性の発達とアイデンティティの形成は、周囲の人々が子ども達の言語をどの程度受け入れるかに影響される。手話を受け入れるということは、子ども自身を受け入れることであり、子どもが成長期に必要としている情報を手話を通して得ることができるという事実を受け入れることである。」(Lewis et al. 2000)これはデンマークのバイリンガルろう教育プロジェクトの報告書に書かれている言葉である。(このプロジェクトの生徒は卒業時のテストにおいて、デンマーク語の読み書きも含めて聞こえる生徒と同等の成績だったと報告されている。)また、世界的に著名なバイリンガル教育研究者のカミンズも、ろう教育における教育言語としての手話の必要性を、アイデンティティの面から強く訴えている。「ASLがほかのどの言語にも匹敵する正当な言語であること、そしてろう児の第一言語の認知面の発達が、第二言語の土台になるという実証的研究によって、授業言語としてASLを使用することは強く支持されている。(中略)〜、ASLを第一言語とするバイリンガル教育を提唱する根拠は、学力面もさることながら、実はろう児の文化的アイデンティティにある。ろう児からASLの保持・習得の機会を阻もうとする教育者は、基本的にはろう児に集団自殺を強いるのと同じである。なぜなら、ろう児にとって唯一残された道は、レッテルをはられた多数派社会の一員になることしかないからである。」
(Cummins、1990)
 ろう児の発達にとって最も重要なことは、彼らの第一言語である日本手話の環境を保障することである。なぜなら、ろう児にとって日本語力、認知力、学力、アイデンティティの形成などあらゆる基盤となるのは、日本手話に他ならないからである。
 

[注]
1)「大多数のろう児たちは、両親が健聴者である。(中略)〜このようなろう児たちが初めて手話に接するのは、ろう学校に入ってからである。(中略)〜しかしながら、ろう児たちは、寄宿舎や学校の校庭で、両親がろうのろう児や手話をすでに習得している年長のろう児と接することにより、手話を学んできた。」(鳥越、1998)
2)“Children who are profoundly deaf will learn sign language if they are exposed to it in infancy, and their progress in language acquisition is similar to that of hearing children.”(Lightbown & Spada、1999. p.17)
3)「難聴度の高い子供が音声言語を習得するよう訓練される場合は、入力が皆無であるに等しい。(中略)〜こうした子供は実際ジーニー(※13歳を超えるまで言語習得に必要な入力を与えられなかった少女)と同じくらい不幸な境遇にあるのだ。言語との接触を完全に絶たれているからだ。周囲の大人は子供たちが言語に接触していると思っているだけだ。」
4)ここで言う「日本語」とは、音声日本語(発話)ではなく、ろう児が視覚から確実に習得できる読み書きの日本語(「書記日本語」)を指す。







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