第1分科会/討論
【レポート(1)】
「聴覚障害教育の目標と方法」
小田 侯朗(国立特殊教育総合研究所)
【レポート(2)】
「龍の子学園 親の会の活動から見えてきたろう教育とは」
上川 健一(龍の子学園親の会)
【レポート(3)】
「自立活動における障害認識に関する取り組み」
脇中起余子(京都府立聾学校高等部)
石黒(栃木) 聴覚障害教育が始まってからずいぶん経つが、聴覚障害教育の変遷についてお話していただきたい。
小田(共同研究者) 1878年から125年経ち、簡単にはいえないが、理念だけ申し上げれば、明治時代は、福祉が基本にある。それまでは、障害児教育は不可能であると考えられていた。その後、口話法が入り、聞こえないけど話せるという考え方が広まった。聞こえる人間に近づくという考え方。戦後は、補聴器によって聾児も聞こえるという考えが広まった。聾者が聞こえる社会にインテグレートする形で進んできた。現在、ノーマライゼーションの中で「聾者は聾者として生きる。聾者には聾者の文化があり、それを教育の中に組み込む」という考え方になってきた。100年前、ベルが盲児と聾児を分けて教育することを提唱した。その専門性について、もう一度、今後の特別支援教育の中で考え直す時期に来ていると考えられる。
山本(北海道) 「龍の子学園」の人間教育について、具体的にお聞きしたい。
上川(レポーター) 私たちは「親の会」で、龍の子学園とは別組織である。具体的には、学園のスタッフにお聞き願いたい。生活レベルの取り組みをしている。
横島(埼玉) キュードスピーチについて、現在の状況をお聞きしたい。
小田(共同研究者) 資料2枚目 昨年1月のアンケート結果を見ると、3割の学校が使用している。主要な方法として使用している学校は1割5分ぐらい。全日聾研大会などで「指文字に変えた」という報告はあるが、「キューにした」という報告はない。
前田(共同研究者) 全国的にはキュー採用聾学校は少なくなってきている。いつ頃まで使ったらよいのか、キューを外していく時に、その次のメディアをどうするのかという問題がある。現場での研究が必要と考える。
木島(東京) 高等部にはいろいろな子がいる。共通のコミュニケーション手段は何か?今は幼稚部から日本手話でやって欲しいというニーズから、人工内耳で通常者のようにやって欲しいというニーズがある。どうしているのか?
(レポートの中にあった)生徒に見られる3つの傾向は、どれも健全な自我のアイデンティティとは程遠い。聾学校の中でアイデンティティは育っていないと考えられる。なぜ、育てることができないのか?
脇中(座長) 高等部生徒に対しては、集団を確立するために手話を使うよう勧めている(共通言語としての手話)。授業では、習熟度によってグループ分けしている。「手話と口話の両方を使ってほしい」と言う生徒が多い。基本的には、子供達の実態やレベルに合わせてコミュニケーションするようにしている。共通言語として、手話を生徒に勧めている。
アイデンティティについては、変わっていくもの、成長していくものである。コミュニケーションのためには手話は必要という話はする。何かのコミュニケーション方法を排除することはしない。親や教師の影響が大きいと思う。私個人としては、聾者としての誇りを持ちながら「聞こえないからこれはできない。でもこれならできる」とはっきり主張できるようになってほしいと思っている。
前田(共同研究者) アイデンティティの構築。高等部ではUターン現象が起こっている。以前は幼・小・中と上がってきた集団であったが、小学部のときインテグレートした子が、中学部や高等部で聾学校に戻ってくることが多くなった。高等部生徒の指導は難しい。社会ではいろいろな問題が起きているが、遅かれ早かれそんな子が聾学校の生徒として入ってくるかもしれない。今の社会の流れにあった形で指導していく必要がある。今は素朴な生徒だけではない。手話はいらない、という子もいる。指導がストレートに入っていかなくなった。
前田(共同研究者) 障害認識の指導について。先ほどの発表の「3つの傾向」にもあるが、脇中先生が目指す障害者像についての具体的な話をお聞きしたい。また学校ではどう取り組んでいくのかもあわせてお伺いしたい。
脇中(座長) (A、B、Cの傾向で)今、Aの傾向の子はほとんどいない。Cの傾向も減っている。「手話は一生要らない」という親もいなくなった。親の手話に対する理解が広がっている。聴者に対して、「自分はどうして欲しいのか」をきちんと考えたり言えたりできるようになってほしい。バリアフリーについて、今までは障害者だけがバリアをこわす努力を強いられたが、今では、バリアをこわすための努力は障害者にも健常者にも求められるという考え方が、主流になっている。昔と違って今は、障害者に対する周囲の考え方、見方が変わってきている。そのことの生徒に対する影響は大きい。いいことだと思う。
戸石(千葉) キュードスピーチについて。キューは聾者にとって意味がないということを、聾学校は考えていないと思う。
障害認識という言葉のつかい方についてであるが、障害のとらえ方というものが障害認識なのではないか。(発表の)図にあるような「障害それ自体は悪いことではない」というもの、この考え方をどのように生徒に指導するのか?
脇中(座長) 障害のとらえ方は、教師が生徒に教え込むものではない。私は、生徒どうしの意見交流などの中で、生徒が自ら変わることを大切に考えている。そのために、いろいろな授業を設定している。例えば、「日本語と英語、どちらが立派?」という問いかけを生徒にしたことがある。初めは「英語」と答える子が多かった。生徒同士でディスカッションし、その中から生徒自身が「どちらが立派?」という考えを導き出すようにした。話し合いの結果、「どちらも同じ」という考えが多くなった。このような形で、手話や口話の問題も考えさせている。このような活動を通して、障害に対する様々な考え方を知り、自分の考え方を決めていけばよいと思っている。
長谷川(茨城) (筑波技短に)入ったばかりの生徒に対し、「一番自信のあるコミュニケーション手段は何か?」と尋ねたところ、聾学校からきた生徒も「口話」と答えていた。2年後、同じ質問をしたら、答えは「手話」だった。社会的な経験の中で自然に覚えていったのではないかと考えられる。学校で教えることには限界がある。社会での経験が大切なのではないか。
脇中(座長) 会社に入って「インターンシップ」制度が増えている。仕事の上での厳しさが体験できる。生徒は、緊張するが、「意外と健聴者は優しかった」と言った生徒が多かった。
太田(茨城) 手話の習得は、学校だけでは限界がある。技短では、寮生活などの交流を通して自然に手話が身につく。
古屋(宮城) コミュニケーションの手段は、キュード、口話、手話等、いろいろある。いろいろな場面で社会性、ルールなどを学んでいくが、最終的には手話だろうと思う。聾者のお互いのコミュニケーションの方法は手話であることや、聾教育の現状を踏まえ、今、特に考えなくてはならないことは何なのかを考えて欲しい(コミュニケーションの確立、健聴者と聴覚障害者が共に歩んでいく方法など)。
前田(共同研究者) 先日、TVのニュース番組で、石神井聾学校高等部野球部のことが紹介されていた。12人の野球部員が確保できていて、予選の野球の大会で、石神井聾学校は3回戦で敗退したが、試合が終わっても選手の生徒がユニホームを脱がない様子や、来年こそは甲子園に行く、という内容の放送であった。ニュースキャスター自身がインタビューを手話でしたり、画面に字幕がついたり等、社会もここまで変わったなと思った。
聾の子供達の母集団を確保することが大切だと思う。全国の聾学校の高等部の生徒数は減少している。以前のように、大きな集団で活動することが少なくなってきている。最大の理由は、聾学校がどのような看板を掲げているか、ではないか? 学校は15年間ほど子供を預かるわけだが、その中できちんとした学力をつけさせて欲しいと親は願う。
教師のコミュニケーション能力に問題あり。授業の研究を保障する場や機会がないということも問題である。
司会(討論の柱の説明) 「聾学校、難聴学級、地域校に期待することは何か。聴覚障害児にとって必要な環境はどんなものか。その学校の存在意義は何か。その目標が現実的に届くために何ができるか(必要か)。その条件を整えるために何が必要か。」
アンケートからの質疑応答
質問 小田先生の理論や考えは理解できたが、学校では実際に何ができるのか。
小田(共同研究者) 公教育である聾学校では、各校の基本理念をもちながらも柔軟な対応が必要であろう。いろいろな子どもに対応できるように、間口を広くしたほうが良いと思う。聾者にとって口話も手話もアプローチの一つであり、これがダメということはない。聾学校でやるべきことをしっかりやることである。馬蹄形で授業をする、子どもと目を合わせる、教師が言っていることを子どもが分かっているのか確認するなど、当たり前のことを当たり前に行うことである。幼・小は先生同士が話し合う機会が多いが、中・高は教科中心の授業となり先生同士の話し合いがあまりなくなってしまう。お互いにこれで良いのかと授業を見合い、確認し、学部同士の教員の話し合いが必要である。
子どもにとって快適な環境を作り、長期的にプランを立て自分たちの計画を検証する体制を作る。テーマをもち話し合い、学校の中で評価すること、校内でできないことはアドバイザーに依頼するなどなど。また、自立活動には聴覚障害教員も加わると、聞こえ難さなどの情報も得られ、バランスが良くなる。学校では目的をもち、どのようにしていくかを話し合い、学校としてできること、改善できることをまず行うことである。
質問 龍の子学園の講演会の講師は、どのように招いているのか。聾学校とフリースクールとの関係はどうか。書記日本語について教えてほしい。
上川(レポーター) 私自身の講演依頼は、龍の子学園から招かれて行った。龍の子学園は、5年前にフリースクールとして設立された。日本手話と他の日本語などのバイリンガル教育を行っている。
聾学校を否定しているわけではなく、日頃聾学校に通い、第4土曜日フリースクールに通う。龍の子学園では、押しつけたり強要したりはしていない。書記日本語については、まず、手話を覚え、次に書記日本語へ進んでいくと考えている。親が聴者の場合は手話を使わないが、聾者は手話を使っている。まず、親が手話を覚え使うことで書記日本語へ進む。
質問 他に親の会はあるか。
上川(レポーター) 名古屋、大阪にあるようだ。
質問 口話によって手話ができない場合、人間関係等どうか。
上川(レポーター) 手話を知らずに口話だけでいくと、友達関係はうまくいかない。聾の仲間をつくりたい場合は、手話を覚えないと仲間は作れない。聾学校では同じ仲間がおり、同じ仲間といることは快適である。インテグレーションをすると、コミュニケーションがとれずに友達が少なくなる。聾学校出身の人とインテグレーションをした人では、コミュニケーションがしっくりこない。筆談や手話を使っても違う面がある。プライドを捨てやりとりしてほしい。
質問 龍の子学園親の会に入って変わったことは何か。
上川(レポーター) 子どもたちは普段聾学校へ通い、月1回龍の子学園へ通う。聾学校では、表情が暗く勉強も分からない。龍の子学園では、スキーやキャンプなどのさまざまな行事があり、とても楽しいところである。いろいろな体験をして、子どもは成長すると思う。聾学校では、そのような活動が足りない。龍の子学園の方がスムーズである。
質問 親の会活動は分かるが、全日聾連との関係が良くないと聞くが・・・
上川(レポーター) 折り合いが悪いわけではないと思う。全国の組織として十分認識している。共存できれば良いと考える。聾児の教育を考え活動している組織であり、それぞれの役割があるのでそれをすれば良いと思う。
質問 手話は必要ないという生徒に対しての指導は、どのようにするのか。
脇中(座長) 手話はいらないという生徒は、今の高等部では殆ど見られない。以前はかなり見られたが、殆どが、集団の中でもまれる中で考え方を変えていった。以前は、手話を否定する生徒は、親の影響を非常に受けていると感じた。
質問 障害認識とは何か。
脇中(座長) 障害の自己認識というが、親の考え方が大きな影響を及ぼしていると思う。子どものまわりにいる大人が、障害のとらえ方を見つめ直すことが大切。障害のとらえ方として、一つは「病気、欠陥、なくした方がよい」という考え方。もう一つは「障害は個性。当たり前のこと」という考え方がある。これからは、後者の考え方ですすんでいくと思う。親は、この考え方で、子どもと接してほしい。
親が「いつかは手話が必要」と認めていると、その学年の子どもや親どうしの関係が良いと感じている。親どうしの良好な関係が、子どもにも良い影響を与えていると感じている。
酒井(神奈川) 親の考えが大きく影響しているということについて、情報を活用し、アンテナを高くして聾教育について話し合っていきたいと思う。
前田(共同研究者) 今後の新しい方向性として重視されるのは、親に対するサポートシステムである。子どもたちの障害などについて、最初に親に説明する立場の耳鼻科医や、幼稚部の教育相談担当教員などの影響は計り知れない。こういったコーディネーターの養成について、欧米のサポートセンターなどを参考にする必要がある。できれば、デンマークのように祖父母も含めたサポートシステムを作る必要がある。
横島(埼玉) フリースクールの目的は何か。デフファミリーで難聴学級に通っている子のためのものか。
上川(レポーター) 学園の噂を聞いて、聾学校から来ている子もいるし、難聴学級から通ってきている子もいる。子供たちは、学校とは違った様子を見せている。楽しくてたまらないといった様子で、関わり合いをもっていけるようになる。手話を使っていなかった子も、時間はかかるが、追いついていけるようになる。また、親に対してのアドバイスをすることもある。
脇中(座長) 討論を始める。聾学校・難聴学級・地域校に期待することは何か。
長谷川(茨城) 一つの聾学校の中で、口話法も手話併用法もバイリンガル教育もやっている、というのはあり得ないと思う。聾学校はどういう目標を持って、どこに進むのか。
小田(共同研究者) 現実として、一つの学校は多くの方法を持たざるをえない。子どもが少ない中で、その子の能力を最大限に伸ばすためには、私は、聴覚口話も手話も排除することはできない。一つ一つの要素の中でどこを伸ばせばよいか考え、今できることをやらなければ。コミュニケーションのべースは、個人的には手話(日本語対応手話、日本手話両方の意味で)だと思う。問題が何かを見取る力、問題が起きたら教職員が話し合って解決していく力が学校に必要だ。始めから何かを排除することはできない。場面に合った教育をするしかないので、今できることを討論したい。
石黒(栃木) 私は今「危機」を感じる。手話が広まるにつれ、口話法とけんかをするようなところが出てきているが、今迎えている危機は、聾学校の生徒数の減少だ。また、文部省が言っているように、特別支援教育制度をどうするか。重複障害児が増えてきている中で、教育方法が見っからない。今後さらに課題は増えるだろう。今ここで「聾学校に期待すること」を話し合うよりは、一人一人に合わせたコミュニケーション手段を確立したり、教材を開発したりすることなど、今後どうすればよいのか、もっと情報交換をしたい。
小田(茨城) (1)日本全国の聾学校で教育方針がまちまちだが、全国の教師が集まって話し合う場はあるのか。(2)小、中、高の12年間、聾学校で学力を獲得させられるという保証ができるのか。親が確信を持って預けられる裏付けはあるのか。
前田(共同研究者) (1)について「全日本聾教育研究大会」がある。日本の場合、聾児を教育する者(教師や親)の研修システムが非常に遅れている。久里浜の特殊教育総合研究所で長期研修・短期研修を行っているが、ああしたことを県単位でも実施する必要がある。成人聾者から健聴の教師が学ぶことがあるが、その努力が足りない。学ぶ努力をする学校は伸びるだろう。学校の中で、いいものは残し、たりないものは補う、共同作業が大事だ。
工藤(宮城) 人間育成について皆さんに考えて欲しい。(1)アイデンティティの確立、(2)自己決定できる力、(3)判断力、(4)責任感の育成、(5)相互協力、(6)思いやり、(7)マナーの7つが必要。マナーについて、聾者の文化と健聴者の文化には少し違いがある。聾者の中では当たり前かもしれないが、FAXを出しても返事がないことなど。相互理解については、個人主義が強くなっているせいかもしれない。
前田(共同研究者) モラルの低下は、社会全体の問題の中でとらえるべきであって、聾者だけの問題ではない。自己決定できるためには、情報が入ることが前提だ。聾児は情報を得るための手だてを学んできていないから、聾学校で育てていかなければならない。相互協力が足りないのも、健聴者も同じだ。最も大切なのは、コミュニケーション能力だと思う。
(2)について
卒業生の進路を親に開示していくことが、保証になる。聾学校が生き残るための目標設定も必要。
久保(東京) 教育を語る前に、基本的人権が守られていることが重要。自分が使いたい言葉を使うことは、基本的人権の一つだ。龍の子学園の子どもが「楽しい」というのは、人権がまもられているからだ。(要項P124参照)世間では、聾学校では手話を教えていると思われている。これはつまり、聾学校は手話を教えることを望まれているということだ。
植木(群馬) 聾学校で育ったが、教えてもらいたかったのは2つある。1つは、小・中学部になると言葉を学習する時、単語の意味から教えてもらったが、自由に考える時間が無かったのが残念だった。二つ目は進路。社会に入っていく時、今のような障害認識というカリキュラムはなく、「障害があるけど頑張っていくのよ」と言われた。先生方のイメージ、私のイメージのそれぞれを持ったまま、成長してきた。生徒と先生がコミュニケーションをとれること、楽しくコミュニケーションが取れることを、聾学校でやって欲しい。先生や生徒みんなが障害認識を考えていかなければならない。
長谷川(司会) 経験を基に発表してもらった。
酒井(神奈川) 中1から中3まで会津で育った。ずっと口話で育ってきた。中1の時、新しい先生に手話を使えばいいと言われた。それまでの授業は、生徒同志の手話は無く、口話、身振りが多かった。高等部は栃木だったが、指文字を使用した。友達との関係の中で、指文字を覚え、使用し、言葉も増えていった。健聴者との交流から、常識の違いを知ることもある。学校で学ぶことには、限界がある。社会から学ぶことも多いと思う。
長谷川(司会) 子供の環境を私たちが作っていくという話だった。
藤田(島根) 聾学校で学んだ経験より。昭和2年、京都で口話による教育を受けてきた。古い手話もあったが、幼稚部から中学部まで口話だった。京都の聾学校では、いろいろな人に刺激を受けた。手話をやる学級、口話をやる学級があった。おかしいと言って、意見を学校に言った。差別なども多かった。聾の世界は惨めだった。聾唖者だけ、健聴者だけと言うのは無理。どちらもお互い理解できるよう協力してやっていくべきである。
前田(共同研究者) 藤田さんの夫、藤田威さんをご存知ですか。「歳月」という本を出している。図書館に行って是非、読んでみてほしい。20、30年前のこの国のろう教育の実態がありありと書かれている。
長谷川(司会) 聾だけでなく、健聴の方も発言してほしい。
小田(茨城) これまで、デフファミリーと言う言葉を知らなかった、筑波に入り、それは恥ではなく、誇りを持っていいということを聞いた。聾学校の生徒を交換留学などして、いろいろな経験ができれば、世界がもっと広がると思う。新米の先生方に対して、24時間手話だけの世界に入れさせるのは、良い考えだと思った。
長谷川(司会) より具体的な意見が出された。
上川(レポーター) 我が家にホームステイしている人がいる。カナダ人で聾者。健聴者に対し、講義を行っている教育者だ。日本語対応手話と日本手話の違いを日本に来て知った。通じないということで悩み、日本手話を知るため、デフファミリーのホームでステイをした。
昨年の7月にMBOに参加、アメリカに行ったが、子供だけが参加し、苦労しながらもアメリカの手話を覚え、楽しく交流できた。文化交流もでき、有意義であった。日本の中だけでなく、世界へどんどん行って欲しいと思う。
長谷川(司会) 人材の交流が子供たちの発達にいい影響があるという話だった。これからの方向性について話をいただきたい。
小田(共同研究者) 感想をお話する。今後のことを考えると、多分、聾学校は特別支援学校になっていくと思う。聾学校は、在籍している子供に対する指導を基本としながらも、いろいろな人に対してサービスしていくことになる。聾学校のネットワークも強化し、情報交換しながら、お互いにレベルアップしていくようにしていきたい。
前田(共同研究者) 今日、昨日と大切なお話をありがとうございました。龍の子の上川さん、先進的なレポートをありがとうございました。個人的には、聾児の教育の場所が多様化されていくと思う。聾学校も、様々な特徴、校風を持って良いと思う。
今後、いろいろな個性、特徴を持った聾学校が出てくると思う。125ページを見ると、福島の青木先生の文章だと思うが、この言葉の重みを改めて感じた。ベトナム戦争直後の話だが、ベトナムの故ホーチミン大統領は、「山には頂上は一つしかないが、どんなに険しい山であっても、さまざまなコースがある。いろいろな登り方があっていい。ただ、登って行く時に、登山者たちの間で問題意識を共有していくのが大切だ」と語ったという。このホーチミンのことばのように、ろう教育の発展のために、様々な方法がとられてよいが、その時に、我々の間で問題意識を共有する必要がある。そのためにも、来年度の集会では、より具体的な話を期待する。
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