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【記念講演】
「ろう学校への手話導入」の成果と課題
〜これからの聴覚障害教育を展望するために〜
講師:大杉 豊氏
(全日本ろうあ連盟本鱒務所長)
 おはようございます。
 今、私は、全日本ろうあ連盟の事務所長として仕事をしています。職場には、世界、また日本全国からたくさんの情報やニュースが運びこまれてきています。最近、ほやほやの明るいニュースが2つありましたのでご紹介してから講演に入ります。
 
明るいニュース
 まず1つは、この前カナダで、世界ろう者会議が開催されました。そこで、世界ろう連盟の新しい理事長が就任されました。彼はフィンランドの方で、ヨキネンという方です。彼は早速、3つの方針を発表しました。1つは、世界各地のろうあ連盟の全体的強化を図ることです。2つ目に教育の進展を図ること、3つ目は、ろうあ協会と政府、国連、その他に及ぶ草の根活動の展開、専門家とのかかわりなどのネットワークの強化をしていくという3つです。特に2つ目、新しい理事長が今後4年間で、今までのろう教育よりもまた更に発展させたいという話があり、私も励みになったような気持ちをもっております。
 2つ目のニュースは国内のものです。8月には忘れられない、語り継がなければならないことがあります。「ヒロシマ、ナガサキ」のことです。来週8月9日、長崎で平和祈念集会がありますが、そこで被爆者を代表して、平和の誓いを、初めてろうの方が話すことになりました。
 長崎県ろうあ福祉協会、全通研長崎支部が合同で、ろうあ被爆者の体験談などを綴った本を出版したり、平和祈念集会に手話通訳をつけてほしいと要望したり、ろうの被爆者が語り部の活動をしたりするなど、今まで活動を積み上げてきました。そのおかげで長崎市の方が感銘をうけて、今度初めて、ろうの方を選んだのです。今、ろうの被爆者はお歳もめされ、病気などで亡くなるなど、少なくなってきています。以前の被爆の体験を日本の人々・世界の人々に伝えたい、伝えなければならないという気持ちと、世界各国で混乱や戦争が起きている中、平和の大切さをもっと考えたいというこの時代にふさわしい長崎のニュースで、大変誇りに思い嬉しい気持ちで皆様にお伝えしたいと思いました。
 
15年前のろう教育の状況
 全国の方々が集まって、討論や意見交換をしながら、これからのろうの子供のためにいい意見、アイディアを出し合っていくのは大変良いことです。それだけではなく、今までの歴史や経過、以前のろう者の思い等を振り返りながら、あらためて今私達はどう共通認識をもっていったらいいのか確認していきたいと思います。そういう意味も含めて、今日の講演のテーマを考えました。「『ろう学校への手話導入』の成果と課題」というテーマです。
 今から15年前、初めて第1回集会が開催されました。1989年のことです。
 この頃アイ・ラブ・パンフ運動が大きく展開されました。本当に皆さんが一生懸命運動した結果、政府へ声が届き、結果として、初めて、手話通訳士試験が公認されました。厚生大臣公認の試験ではありますが、初めて国レベルで手話通訳士が認められ、長い間続いた「手話はくだらない」ものという考えから、「手話も言葉である」ということが認められた年です。今もなお、政治すべてに手話通訳士がつくにはまだ至りませんが、1989年は手話通訳士が認められ、その後、広がりをみせ、夢が広がった年です。また、1989年は世界ろう者会議東京開催に向けての準備、募金活動などが盛り上がる年となりました。ろうあ者の明るい未来のために一生懸命活動された年です。
 ですが、ろう教育の方を振り返ると色々な問題がありました。ろう教育、ろう学校の現場ではまだまだ手話が良いという見方はされていませんでした。手話通訳士は公認されましたが、ろう学校に良い影響を及ぼすのはまだでした。口話ができなければ手話でも仕方ないという考え方です。手話の評価が低かったというのが当時の背景です。また、ろう学校卒業後には、手話よりも口話が大切だという考え方がまだまだありました。
 ろう教育の内容は、卒業後のために手に職をつけるための指導をする考え方が強く、縫製、印刷、木工、理容などの職業科がありました。けれども時代の変化で、良い職業に就くためには良い学歴が必要だという考え方が当然広まりました。
 そのために、「ろう学校ではなく地域の学校に通わせるのがいいのでは」という考えが親の間で広まりました。ろう学校は県内1〜2ヶ所ですので、自分の家から近い学校に通わせる「インテグレーション」が広まりました。そのため、ろう学校の児童数が減少することになりました。また、卒業後の職業技術から学歴主義へと移り変わる中で、ろう学校の存在意義についてあらためて疑問視する動きがありました。ろう学校が消えていくのではないかという危機感がありました。今、3つ挙げましたが、その他にもたくさんの危機感がありました。また、ろうあ連盟でも、討論を積み重ね、ろう学校の中で手話をもっと導入しなければならないという考えに至りました。ろうあ者の皆さんの思いも同じだと思います。
 ろう学校への手話の導入は簡単なものではありません。阻む要因もたくさんあります。先生や親には口話への想いに根強いものがあります。それを打ち砕くことは容易なことではありません。ろう児への教育に一番の責任を持つ親や先生方が口話への強い執着を持つことで、ろう者の意見は受け入れられることはなく、口話偏重主義となりました。また、ろう学校の中にはろうの教師もいましたが、校長先生や学校方針などに従わなければならず、抵抗を感じていても我慢しなければならない、または熱心なほど孤立してしまうなどということがありました。また、ろう成人との交流の場もありませんでした。この二つの大きな要因のため、手話の導入がまだ認められなかったのです。
 
第1回の全国討論集会
 それで、第1回目のろう教育を考える集会が大阪で開催されたわけです。学校関係者、親、ろうあ者、保護者、手話通訳者など関係者374名が集まりました。今回の参加は800〜900人ですのでイメージとしてはこの半分くらいの集会でした。
 第1回の分科会は5つでした。今は基礎講座を含め9つの分科会に増えました。また、8団体が集まり、ろう教育の明日を考える連絡協議会が発足されました。上野益雄先生をお迎えした記念講演では、ろう教育の将来について、特に手話の導入は「仕方がないから」ではなく、生活の中で手話が本当に必要だという事実のもとに、ろう児に手話が必要だという考えに立って導入しなければいけないとお話がありました。
 私はその時は参加しませんでした。たまたま私は妻の実家にいて、妻の父が大阪に教育の全国集会に行ってくると出かけていきました。帰ってきてから感動したとたくさん話を聞きました。その話を聞くと、腹を割った交流ができたとのこと。風呂場で福島の板橋さんなどとの交流もあり、手話が必要だと話し合ったそうです。第1回の報告集があったので見てみると、妻の父もろうあ者ですが、彼の発言も載っていました。彼は小さい時から学校で厳しく口話教育を受けたそうです。でも、ろうの生徒同士のコミュニケーションは手話でした。ただ、卒業後、以前先生に「口話が必要だ。ろうあ者であることを知られないように」と言われたことがずっと頭に残っていたそうです。それでずっと聞こえるふりをしてきて9年間ほど後、やっとろう者であり手話を使うということを示せるようになったそうです。つまり、ろう学校でろうあ者として生きていく術を教えられなかったということです。妻の父としてではなく、実際にろう学校で教育を受けた者の声として重く受け止めています。
 
「アイデンティティ」と「言語」
 今までの15年間、本当に様々な変化がありました。「手話」に関するテーマのものを調べてみました。第1回目から今回の15回目まで見てみると、第1回の「ろう教育と手話」がはじめてです。内容は、なぜろう学校への手話の導入は必要かということです。必要性に疑問をもつ方も多かったので、手話は大切・必要だという講演や討論をするために設けられたテーマです。ですが、回を重ねるにつれろう学校に手話の導入が必要だという考えが共有されてきたため、テーマを具体的に2つに分けました。1つは「手話は子どもの言語発達のために大切だ」という考え方、もう1つは「ろう児がろうとして生きていくためのアイデンティティを確立するために手話の導入は大切だ」という考え方です。2つは相反するものではありませんが、しばらくは「アイデンティティ」と「手話言語」という2つの側面から分科会が分かれ、それぞれ討論を積み重ねました。そして第11回には、鳥越先生においでいただき、「手話は言語として発達する」と詳細な内容に渡る講演があったと思います。第12回は、手話コミュニケーションが成立すれば、それから日本語の獲得ができるという内容でアメリカの講師に講演をいただきました。第11、12回の頃には、徐々に手話と日本語のバイリンガルという考え方での討論も始まりました。そして最近では、実際に日本語指導と手話指導の方法について実践例が出され、討論が積み重ねられています。
 今までの討論の積み重ねを見てみますと、全国の仲間に2つの共通した意識が広まりました。1つは子どもの言語発達のために、また、アイデンティティ確立のために、ろう学校での手話導入は大切であるという考え方です。もう1つは、まず手話を教え、コミュニケーションが成立してから読み書きする力をつけることができるという考え方です。それは学習理論として、理論的に裏付けられ、実践の中でも、バイリンガル教育が可能であるという認識がされるようになりました。
 
ろう学校は変わったか
 次にろう学校はどのように変化したのかというと、まず、親や先生方が少しずつ手話の学習を始めました。手話を学ぶ仲間の輪が少しずつ広がりました。次に、手話を習得した後は身振りや声と一緒に手話を使うなど、様々なコミュニケーションの広がりが見られるようになりました。それは口話偏重主義からの解放につながりました。口話だけが正しいのではなく、正しい選択肢はたくさんあるという考え方になってきました。続いて、手話を導入した指導法の研究も始まりました。幼稚部、小学部でも手話での指導が始まってきました。最後に、ろう学校に勤務する全国のろう職員の仲間が集まり、やっと協議会を結成することができました。ろう学校にろうの教職員がいるということは本当に大切なことです。なぜかというと、生徒にとって、ろうの成人・先生というのは自分の将来と重なるものだからです。いい意味でも悪い意味でもロールモデルという立場になるわけですから全国の仲間との交流がなく、一人だけでロールモデルをやっていては疲れてしまいます。
 
 
手話を身につけるには?
 今までお話しましたように、ろう学校への手話導入が当たり前と考えられるようになり、今ではろう学校への手話導入について表向きに反対される校長先生もいなくなりました。日本聾話学校の校長先生も手話でお話をされるほどです。手話はいけないという考え方は今はありません。けれども、子ども達が口話ができないから仕方なく手話を導入するという考え方がまだまだ残っているように私は感じています。今、問題、課題と言えるのは、まず、先ほどもお話したように両親、先生方が手話を学び始めて頑張ってはいるが、はっきり言えばまだまだであるということです。親や先生自身、手話ができると言い切れないでしょう。ろう者のようなすばらしい手話はできないと、まだまだ自信を持てないということです。手話でのコミュニケーションは出来るが、更に深く手話言語としての視点はまだまだできないでいる現状にあります。まとめますと、手話表現はできるが、逆に聞こえない子ども達が活発に手話で話しているのを読み取ることができないのです。
 ろう学校の中で、週に1度手話学習会やサークルを設けて学習するというのはよくありますが、それだけで手話が覚えられるかというと疑問があります。ですから更に手話を身に付けるにはどうするかという課題が今もあるわけです。ろうの子ども達の活発な会話を先生が理解してこそ初めて、先生として誇りをもって教えられる。子供の会話が読み取れないで、上から一方的に教えるだけでは子どもも納得がいきません。
 
手話による教科指導法の開発
 もう1つ、手話を取り入れた教科の指導法が今のところ確立されていないということです。ろうの先生は自分で手話での指導経験を積み重ねられますが、それをマニュアル・カリキュラム化し、全国のろう学校に広め教員同士で実践していくということがまだまだ浅いです。それから手話の教材の開発は進んでいますが、まだまだ立ち遅れています。実際ろう学校で使用する教科書では日本語の読み書きはできますが、手話についての本はありません。ですから例えば、手話を正科にしても使用教科書がないのです。結局、教育委員会からも「手話はまだまだ」と言われてしまいます。つまり手話指導法についても教材についても資源不足ということです。
 でもろうあ連盟もこのような課題にさじを投げてしまっているわけではありません。以前から日本手話研究所内の教育研究部が中心となり、小学1、2年生の国語の教科書の中身をろうあ者が噛み砕いて手話で表現したビデオを作成しました。今まで4本ほどビデオを出していますがすぐなくなる程、どんどん普及しています。このことからもこのビデオの必要性が分かります。ビデオを作るだけでは無責任なので、指導者を集め、国語の内容や読み書きを教えるための具体的な指導についてのワークショップを重ねています。まとめたものが「手話コミュニケーション研究48号」に載っています。興味のある方はぜひお読みください。
 
2003年の状況
 1998年から15年経過した、この2003年はどんな年でしょうか。この15年間、日本のろうあ者や通訳者が一生懸命頑張ってきた結果、これら二つの団体だけでなく、外のろう者にかかわる団体も結集して、日本の法律にある欠格条項をすべて撤廃するという要望の運動を進め、大変な成果をあげています。その結果、ろうあ者の目標、例えば医者や薬剤師への道がどんどん広がってきました。
 また、今まで手話の研究が進められ、そして国民に手話が普及されてきました。また、最近は本部事務所にも新聞社やテレビ局から問い合わせがたくさん来ますが、その問い合わせをする方達は手話についての簡単な知識をもっています。例えば、「手話には2種類ありますよね」、とか、「無就学のろうあ者も身振り的な手話はしますよね」、などです。この講演の最初に話した長崎のニュースも、たくさんの新聞で報道され、8月9日にはあらためてテレビを通じ日本に広く知らされると思います。またスポーツの分野では、今、アメリカのヤンキーズ(あまり私は好きではないですが)に松井選手が入団して、テレビでずいぶん放送されています。その松井の隣で、時々守っているのがプライトというろうの選手です。私も個人的に知っていて、前にアメリカで生活していた時に2回ほど応援に行ったことがありますが、当時はまだ2軍で一生懸命頑張って1軍に上がり、今は松井と並んで守備をしています。でも「ろうあ者の野球選手なんて珍しい」という放送もなく、アメリカではろう者が社会参加をするのは当たり前なのです。実は日本でも秋のドラフトで、ろうの選手が入団するのではないかと私は予想しています。社会人野球の石井というピッチャー、リリーフ専門だと思いますが、140キロ台のボールを投げるらしいです。このように、手話もろうあ者も社会の中で当たり前となり、昔と違って受け入れ方もやわらかくなってきました。
 15年間という短い期間ですが、手話やろうあ者に対する見方は以前に比べ大変向上しています。ただ、ろうあ者の社会福祉向上のためにもっと政府や地方自治体が援助してくれるといいですよね。今は経済的に良い時期ではないということです。それでも頑張って、全国手話研修センターをつくりました。手話研修センターは、全日本ろうあ連盟、全国手話通訳問題研究会、手話通訳士協会が、気持ちやお金を結集して、自分たちで運営する形で建てました。8月30日、31日に京都観光で有名な嵯峨野にオープンします。手話研修センターは、今後手話の言語としての解析・研究が発展するためにも大切な場所となります。
 
今日のろう教育の危機
 現在、2003年の状況をお話ししましたが、あらためて、ろう教育の中での問題・課題は何なのか、今後の不安としては何があるのか、簡単に話したいと思います。
 ろう学校では児童数が急激に減少しています。東京、大阪はまだましですが、他の地域では、どこに子どもがいるのか分からないくらい減少しています。そして、ろうと他の障害を併せ持つ重複の子どもさんの割合が増えています。ろう学校の児童数が減っているというのは、日本の出生率も減っているということも当然関係しています。それに加えて、地域の学校にインテグレートするろう児が増えています。それらの子ども達の中に手話を見る経験がない子どもが増えています。
 簡単にいうと、きこえる仲間はたくさんいるが、コミュニケーションがとれない等の問題から孤立するという状態です。
 また新しい問題として、新生児に対し病院ですぐに聴覚の検査ができるシステムが広まりました。聴覚の検査は医療の権利としてありますが、ろうであるとか聴覚に異変があるのが分かった時にそのまま他の病院にまわすので、ろう教育関係者やろうあ者協会またはろう者が意見を出すということは出来ないという状態です。医療の方に送り出すと、医者の話だけを聞いて、親は「やはり聞えるようになるためには人工内耳をするしかないな」という雰囲気になってしまうことが多い。
 初めに代表世話人の安藤さんからお話がありましたように、国、地域で特別支援教育の構想が始まっています。内容的にも具体化はまだまだできませんが、簡単にいうと、ろう学校という名称がなくなる、ろう学校がなくなるといった不安が広がっています。
 色々な問題点をまとめてみると2つになると思います。1つは医療の分野だけが一人歩きしてしまうということです。医療だけでなく医療、教育、福祉が一体となって連携をとっていかなければならないのに医療だけが一人歩きをしてしまうということです。本当に危険です。もう1つは教育の考え方です。インクルージョンという考え方で、ろうの子供が手話を使う必要があるのなら通訳を配置しようという考え方になってきています。それから、先ほども話したようにろう学校の役割があらためて問われているということです。現状のままでいいと思っていてはろう学校の必要性が薄れてくる恐れがあります。これらは私達が共通して危機感を抱いているものだと思います。
 最近、大変心を動かされた絵(手話コミュニケーション研究49号71頁参照)があります。私達の不安がそのまま絵に表されているものです。真ん中にろうの赤ちゃんがいます。その赤ちゃんの周りに手をつないでいるのは人間ではありません。動物です。動物の意味するものは、日本ではちょっと考えにくいものですが、アメリカでは動物は賢くないという意味です。つまり、知識がない。教えても意味がないというものです。よく見てみますと、動物は白衣や緑色の手術衣を着ています。これで意味が掴めたのではないかと思います。はっきり言えば、このテーマは「人工内耳」です。「人工内耳の柵」というテーマです。これは日本ではなくアメリカ女性が描いた絵です。つまり、今話した今後のろう児に対する我々の不安は日本だけではなく、世界各国同じだということです。
 ろう者として人工内耳に反対し、それだけではなく、医療の分野だけが一人歩きしないようにと、意見はしますが、解決法はまだ見つかっていません。また、ろうの子どもの人工内耳装用率は100%に近づくと思います。そうなったら、子供達は大きくなって仲間になりうるのでしょうか?それとも、みんなバラバラになるのでしょうか?私達としては同じろうあ者であり、同じ人間だと思うのです。人工内耳にしてもろう者としての問題は同じなのです。やはりその方たちもいろいろと悩みがあるでしょうし、お互いに分かり合って、一緒になって問題について考えていかなければと思います。そのために私達は今から準備が必要だと、ろう者世界会議に行って感じてまいりました。
 
手話の法的な認知
 今は2003年、21世紀が始まったばかりですが、すでに大きな問題に直面しています。ろう学校への手話の導入に関してこれまでを振り返ってみて、今後必要となる考え方が1つあります。今後もろう学校の存在は当然守らなければなりません。しかし、インテグレーションしていく子どもが増え、新しい学校も増えていきます。すると、いろいろな場所にろう児が分散していきます。ですが、ろう学校や地域の学校など、どんな教育を受けても、ろう児と親の手話での言語環境を整えていかなければなりません。例えば、ろう学校では手話で教えるのが当たり前としても、インテグレーションした子どもに学校で手話を教えることはできません。だからその前段階で、新しい場所なり新しい制度なりの環境を作ってあげなければならないと思います。ですがその考えをさらに発展させるには、たくさんのバリアがあります。
 たとえば、手話通訳は法律の中にはっきり示してありますが、手話そのものの法的認知はされていません。日本国憲法や法律で、日本語を特に公用語として認めているという文章が見あたりません。憲法レベルでは日本語の位置付けはきちんと載っていません。日本にいるから日本語は当たり前という考え方なのですね。憲法にしても法律にしても、手話を明文化したいと思っても日本語の位置付けがないということで先に進まないのです。しかし、ろうあ者のためには手話は特別な言葉として認知するような新たな法律を組み込む必要があると思います。
 また先ほども言いましたが、手話教材をさらに開発していかなくてはいけません。手話の指導法も、誰かが決めたものを広めていくのではなく、地域のろう学校や家庭それぞれで、どんどん工夫をする必要があります。実際に赤ちゃんや1、2歳の子どもがろうであった場合、難聴児施設やろう学校の教育相談に行くという方法もありますが、それだけではなく家庭に専門家が訪問して手話でコミュニケーションをとるというような制度もこれから必要になると思います。最近はIT・・・新しい通信技術が発展普及しています。ですので、インテグレートして孤立した子どもには、ろうあセンターにいる相談員やろうのお兄さんやお姉さん的な人とテレビなどを使ったIT技術でリアルタイムに手話を通してコミュニケーションをとり、遠隔地でも手話で援助できるような方法もこれから開発していけるはずです。
 
手話教材の開発
 残り30分あるので、特に手話教材の開発についてお話ししたいと思います。日本語の教材はたくさんありますが、手話の教材は少ないです。日本語の教材と手話の教材を比較し、簡単な表にしました。まず、日本語には「語り」、母から子どもへの語りかけや絵本の誌み聞かせなどの「語り」がたくさんあります。同じように、ろうの子どもへは手話による語りができます。次はテープです。日本語には童話の朗読カセットテープなどがあります。手話でも最近はビデオテープが出ていますので、作ろうと思えば作れますから、どちらも同じです。一番の問題は、日本語には文字がありますが手話にはないということです。今、会話は手話で文字は日本語のバイリンガルという考え方がありますが、少し慎重に考える必要があると思います。日本語には書きことば(文字)があるが、手話にはないから日本語の書きことばにしているわけです。手話には書き言葉がないというのも不思議な話で、なんらかの方法があるはずです。
 
【日本語と手話】
  日本語 手話
語り あり あり
テープ あり あり
書記 あり なし
メタ言語 あり あり
 
手話のメタ言語力をつける
 最後にメタ言語についてお話します。メタ言語は少し高次な言語的レベルです。簡単にまとめますと、こういうことです。
 日本語の場合は、子どもたちが3、4歳くらいから、簡単なしりとりはできるようになります。しりとりは案外難しいものです。なぜなら、言葉の最初と最後の文字が分からなくてはならないからです。「うま」なら、「う」と「ま」と切り離して考えられなければしりとりはできません。この部分がメタ言語的発達なのです。もっと難しくなると、回文もそのような知識をもっていないとなかなかできません。また歌や詩などを書く時は何度も語順を変えてみたり、言い回しを調べたりすると思います。それは言語を客観的に見て分析し、工夫をするということです。その力を「メタ言語力」と言います。
 ろう学校の先生や親が手話でコミュニケーションはできるが、手話を言語として習得できない一つの壁はメタ言語力がなかなか身にっかない、ということです。ですが、メタ言語力をつけるには、本格的に手話の指導が必要です。幼い時から身につけないと大人になってからは発達できないようです。
 この本は読まれたことのある方も多いと思います。鳥越先生の著書です(『バイリンガルろう教育の実践』〜スウェーデンからの報告〜)。なるほどと思うことがたくさんあります。スウェーデンの学校ではメタ言語力を高めるために意識的に教えているという報告があります。手話のメタ言語力を獲得して初めてスウェーデン語への置き換えができるという考え方です。
 いろいろと説明してきましたが、(メタ言語力とは)理解力、表現力、自分の意識を広めていく力、手話の形状を客観的に分析する力です。
 日本手話研究所で作った手話ビデオヘのろう児の反応の報告を読むと、ろうの子ども達が自然にメタ言語力をつけている様子が分かります。例えば、ビデオの中の女性の手話を真似して、自分で表現している。そういう中で手話を獲得している様子があります。またその女性の表情を知らず知らずのうちに自分で真似して解析している。それから見たとおりの表現に少しアレンジを加えて表現をするというような遊びもありました。
 普通はろうの子どものそういう反応にろう学校の先生が気づくのですが、分からないというのが問題です。本当はそこでメタ言語力が育っているのです。そのわずかな子どもの成長を捉え、伸ばしていくのが教師として必要なことです。ただ先生としてはビデオによって子どもも自分も手話を覚えられるという好都合なことです。小学部や幼稚部では手話を教えていく中でろうの子ども達のメタ言語的力を養う試みが徐々に始まっています。しかし実際問題として幼稚部に入る前の子ども達、0〜3、4歳の子どもにどうやって手話のメタ言語的力を養っていくのか、教えていくのかが今後の大きな課題です。







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