自民、自由両党の連立へ向けた政策協議の中で、両党は国連平和維持軍(PKF)本体への自衛隊参加を可能とするよう、国連平和維持活動(PKO)協力法で凍結されているPKF本体業務条項を解除することで一致した。
昨年六月には、PKO任務遂行中の自衛隊員の武器使用について、正当防衛のような場合、統制のとれた上官の判断による、などのPKO法改正が行われた。それと合わせると大きな前進であり、PKO法はほぼ所期の枠組みに到達したといえる。PKF凍結解除が早期に実現するよう、公明党なども合理的な判断を下すことを望みたい。
一連のPKO法見直しは、ひとことでいえば、国際基準あるいは常識に近づいたことを意味する。PKOの趣旨は、停戦合意などが何とか成立してはいても、依然リスクの残る元戦場での平和維持である。崇高な国際貢献の典型的な姿といえる。
PKF(つまり歩兵部隊)の仕事は停戦監視、兵力引き離し、武器の収集などであり、リスクが最も高いことは論をまたない。PKOには不測の事態も起こり得る。それはカンボジアPKOでの文民警察、国連ボランティアの殉職によって証明された。
日本は、リスクが高いとみられる仕事からできるだけ逃げようとしてきたといっていい。日本ではPKF本体と後方支援部門を、あたかも別の任務のように分け、後者の輸送、施設などを安全とみなして、それなりに派遣実績を積み重ねてきている。ところが、カンボジア暫定統治機構(UNTAC)をみてもわかるように、国連は文民部門と軍事部門を二本柱としたが、“PKF本体”だけを特別扱いなどしなかった。武器使用を個人判断にゆだねたのも、つまりは自衛隊員の手を縛ってきたのではないか。
しかし、PKF本体への参加凍結解除をもって、PKO法改正作業は終わりというわけにはいかない。というのは、PKO法の規定では、なお重要な任務が欠けているからだ。典型的なものは「警護」である。
カンボジアPKOで国民がショックを受けたのは、日本の文民、ボランティアが殉職したさい、自衛隊に文民を守る法的裏付けがなかったことだ。しかも、国際共同作業としてのPKOの性格を考えれば、守るのは日本人だけに限られないのが常識である。
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