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1995/05/04 産経新聞朝刊
【憲法を考える】危機管理 有事に即応できぬ機能、権限
 
 阪神大震災、地下鉄サリン事件など、政府の危機管理が問われる事態が続いている。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核開発疑惑への対応も、今後の展開次第では危機的局面を迎えかねない。阪神大震災では発生当初、村山富市首相への連絡が遅れ、政府の対応は後手にまわった。国家的危機管理の整備を考えるうえで、首相の権限や官邸機能の強化、自衛隊の位置付けなど憲法とのかかわりをめぐる論議が問い直されている。
◆官邸の機能強化◆
 自然災害が発生した場合、首相や官房長官に対しては市町村から都道府県、国土庁を経て情報が伝えられる。しかし、阪神大震災では兵庫県や神戸市も被災者であったため、国への連絡が遅れた。しかも地震発生が早朝で、警察庁出身の首相秘書官が身内の不幸で不在だったことも重なり、官邸はいわば“情報過疎地”となった。
 政府はこの反省から初動対応の見直しに着手。これまでの国土庁ルートとは別に、二十四時間態勢をとっている内閣情報調査室と警察、防衛、消防、気象、海上保安各庁をオンラインで結んだほか、NTT、JR、電力各社など民間公共機関からも情報を集め官邸に伝える新ルートをつくった。
 しかし、独自の情報収集網を持たない国土庁防災局の限界も指摘され、行政システムの抜本的な見直しは今後の課題として残された。
 政府は中央防災会議や防災問題懇談会で、災害対策基本法や自衛隊法の見直しなど災害即応体制の強化を検討している。政府内には米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)のような組織を新たにつくるべきだとする意見もある。
 また、現在の首相官邸は老朽化し、首相が指揮をとる中央指揮所もなく、情報通信の面では著しく遅れているのが実情だ。首相官邸が被災した場合の対策もほとんど検討されていない。
 中曽根康弘元首相は「東京に直下型地震が起きれば、首相官邸の倒壊や閣僚が駆け付けられないおそれがある。官邸や議員宿舎の耐震度や招集経路を再検討する必要がある」と提言する。
 政府はようやく官邸建て替えに関する有識者による懇談会をつくり、基本設計費を今年秋に編成する予定の今年度補正予算案に盛り込む方向で検討に入っている。
 一方、自衛隊の出動が遅れたとされる背景には、自衛隊の存在をめぐって違憲論が絶えないという憲法上の欠陥が遠因とする意見も強い。九条改正問題は危機管理の面からも検討が求められている。
 地下鉄サリン事件も内閣機能強化の側面から新たな課題を投げかけた。米国のような中央情報局(CIA)や連邦捜査局(FBI)を持たない国家システムとなっていることから、情報の一元化の不徹底、広域捜査の限界を指摘する声もある。
◆権限行使に法の壁◆
 七代の首相を支え、二月に退任した石原信雄前官房副長官は四月二十五日、連立与党行政改革プロジェクトの会合に招かれ「国の危機管理にかかわる場合、首相が直接、行政各部を指揮できるよう内閣法を改正してはどうか」と提案した。
 現在、行政の最高意思決定機関は首相ではなく、閣議となっている。これは「内閣が職責を行うのは、閣議による」とした内閣法四条の規定による。
 閣議は慣行として全会一致が原則。このため、現在の内閣制度では首相が権限を行使しようにも法的に限界があるというのが石原氏の指摘だ。
 内閣機能の強化を検討した臨時行政改革推進審議会(第三次行革審)で、伊藤博行内政審議室長(当時)は、全会一致の根拠として「内閣は行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負う」とした憲法六六条の規定をあげた。伊藤氏は法改正だけで首相の権限を強化することは難しいとする見解を示した。
 これについて、第三次行革審の故鈴木永二会長は「合議制の閣議が行政権の最終決定者であるのはおかしい」と指摘したが、行革審は結局、内政審議室など内閣五室の格上げは提案したものの、首相権限の抜本的強化策にまで踏み込むことはできなかった。
 中曽根内閣で官房長官をつとめた後藤田正晴氏も「首相は法律上は閣僚の任命権も罷免権も持っており、戦前よりはるかに強い権限を有している。ただ、閣議という合議体の議長にすぎず、各省の役人を指揮することもできない」と指摘、緊急時にはトップダウン方式で首相官邸が主導権を発揮できる体制づくりを提言している。
 首相の権限強化案の一つとして、中曽根元首相らは、国民の直接投票による「首相公選制」を提唱している。これを導入するためには、憲法改正が必要になるが、首相に強大な権限が集中しすぎるとして異論も強い。
【危機管理が問われた主な事例】(肩書は当時) 
◆ミグ25事件 三木武夫首相
 昭和51年9月6日、ソ連(当時)のベレンコ中尉の操縦するミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸。ベレンコ中尉は米国に亡命。
《政府の対応》
 航空自衛隊は緊急発進(スクランブル)をしたものの、ミグ25を見失う。坂田道太防衛庁長官は出張中で、事件の連絡がはいったのは約1時間半後。機体は解体調査してソ連に返還。
◆ダッカ・ハイジャック事件 福田赳夫首相
 昭和52年9月28日、日本赤軍がパリ発東京行きの日航機を乗っ取り、乗客ら156人を人質に。
《政府の対応》
 「人の命は地球より重い」と福田首相が判断し、人質釈放の代わりに奥平純三ら6人の赤軍メンバーを超法規措置で釈放し、身代金600万ドル(約16億円)を払う。福田一法相は「法秩序の維持が果たせなかった」と辞任。
◆大韓航空機撃墜事件 中曽根康弘首相
 昭和58年9月1日、日本人を含む乗客ら269人を乗せた大韓航空機がソ連領サハリン沖上空で、ソ連空軍機の発射したミサイルにより撃墜される。
《政府の対応》
 政府は自衛隊が傍受したソ連機と地上基地との交信内容のテープを公表。9日、ソ連は撃墜を認める。
◆なだしお事件 竹下登首相
 昭和63年7月23日、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」が衝突し、30人が死亡。
《政府の対応》
 竹下首相は事故当時、特急「白山3号」の車中。小渕恵三官房長官、小沢一郎官房副長官、瓦力防衛庁長官も東京にいなかった。帰京した竹下首相が対策会議を開いたのは事故発生から約8時間後。瓦長官は後に辞任。
◆湾岸危機 海部俊樹首相
 平成2年8月2日、イラク軍がクウェート侵攻。
《政府の対応》
 海部首相は群馬県嬬恋村のホテルで静養中。3日夜に帰京。その直後に予定していた中東訪問を延期。その後、人質となった邦人の救出や130億ドルの財政支援などの対応に追われる。人的貢献体制の不備が問題化。
◆阪神大震災 村山富市首相
 平成7年1月17日午前5時46分、マグ二チュード7.2の大地震発生。死者5500人、負傷者4万人を超える大惨事に。
《政府の対応》
 首相への報告は発生から2時間後。4時間後に非常災害対策本部設置。2月13日に復興委員会を設置。28日、復旧対策費を盛り込んだ第2次補正予算、復興関連の5特別立法が成立。延べ自衛隊220万人、警察36万人が救援にあたる。
◆地下鉄サリン事件 村山富市首相
 平成7年3月20日午前8時すぎ、東京の営団地下鉄・日比谷線などで毒ガス・サリンがまかれ、乗客、駅員12人が死亡、5000人が中毒に。
《政府の対応》
 首相が再発防止と事件の全容解明を指示。サリン対策関係省庁連絡会議を設置。内閣安全保障室を中心に対策チームも。オウム真理教に対する強制捜査が進行中。
 
 
 
 
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