1992/12/28 産経新聞朝刊
【主張】国連軍参加への準備急げ 無為無策では世界の孤児に
国連の存在が重みを増してきた。冷戦は終結したが、地域紛争の多発などで世界は逆に混迷の度を深めている。やっと始動した国連中心の集団安全保障のメカニズムは、合理的なうえ公正さも保ち得る。日本はそこに積極的に参入していかなければならない。
国連憲章の第一の目的は「国際の平和及び安全を維持する」ため、それを阻害する(恐れのある)侵略行為などに対し「有効な集団的措置をとる」ことだ。湾岸戦争以来の▽UNTAC(カンボジア暫定統治機構)▽旧ユーゴPKF▽ソマリア多国籍軍などは、その性格づけや目下の成功の度合いに大差はあるが、国連が本来の姿にふさわしい主導性を発揮している。
◇画期的な「ガリ報告」◇
その原動力になっているのがガリ事務総長だ。持ち前の合理的発想が米国との意志疎通をよくし、現実的には米国の実力を「背景」とする国連の平和維持機能を強化している。これは最強の軍事力を保持し、国連の名のもとに世界を引き続きリードしたい米国の「世界戦略」とも合致する。大局的には、米国と事務総長は一種の「相互依存関係」にあるとみられる。
今年六月、国連の平和維持機能を飛躍的に高める「平和のための課題」(ガリ報告)が提出された。中でも画期的な提案は、強制力を有する重武装の「平和執行部隊(国連緊急展開部隊)」(事実上の国連軍)の創設である。紛争の未然防止のため、一方の当事国(者)だけの要請でも国連部隊を派遣する「予防展開」も提唱された。
「平和執行部隊」はもちろん、武力行使を容認する国連憲章第七章に依拠するものである。今回のソマリア多国籍軍も、国連安保理史上初めて『七章』に基づき『全会一致』で承認された。国連軍に近い性格だ。
国連安保理はまた、旧ユーゴ南端のマケドニア共和国への防護軍派遣を決めた。紛争はまだ現地に波及していないが、その民族構成は複雑だ。これに火がつけば、ギリシャなども巻き込む新バルカン戦争に発展する恐れがある。これは従来型PKFでは実行し得ない「予防展開」で、やはりガリ報告の所産であるといえよう。
事実上、米国とガリ事務総長のイニシアチブで、国連の集団安全保障体制が築かれることに反発する国がないわけではない。しかも、中国が孤立化を避けるため国連への協調的姿勢をとり続けるなら、安保理の五常任理事国(P5)が「拒否権」を行使する局面はきわめて少なくなる。経済はG7、安全保障はP5という大国間の合意が、世界政策の大枠を決めるとなれば、第三世界などの警戒心は強まる。その説得と合意形成が、ガリ事務総長に課せられたもうひとつの使命である。
日本の現状を見れば、停戦合意もなく武力行使を容認されているソマリア多国籍軍への人的貢献は不可能だ。自衛隊はやっとカンボジアに派遣されたが、従来のPKO原則をさらに厳格化した国際平和協力法は、自衛隊にさまざまな制約を課している。貴重な国際貢献への第一歩ではあったが、国際的な期待に応えられるものではなかったことを改めて痛感させられる。
◇常任理事国の資格あるか◇
ソマリアへの貢献が、またも資金協力中心(一億ドルは決定ずみ)で終わるなら、国際社会の批判は高まるだろう。十九日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、日本と同様に憲法上の制約を持つドイツがソマリア派兵を決めたのに、法律を盾に軍隊の派遣を拒否する日本の対応は改めて疑問を生じさせよう、との趣旨の論評を行った。
クリントン次期大統領は、日本とドイツの安保理常任理事国入りを歓迎する姿勢だが、その前提となるのは両国の国際貢献への姿勢と実績であることを忘れてはならない。
そうした観点に立てば、日本が従来唱えてきた「国連重視外交」の実体は、皮肉なことに急速に空洞化しつつある。それでもなお、日本は「常任理事国」の席を占めたいと世界に公言するのだろうか。現実の困難さをタナあげしてしまえば、第三世界と米欧間の利害調整など日本に格好の働き場はあるが、みずからなし得る貢献があまりに貧しすぎる。
今、緊急に着手すべきことは、一歩手前まで現実性を帯びてきた「国連軍」創設に自衛隊が参加できるような法体系の整備である。根本的には憲法九条を含む戦後日本の「遺制」を見直さなければならない。
ソマリアはその警鐘である。多国籍軍のうちはまだ取り繕える(つくろえる)が、国連軍結成の場合はそうはいかない。加盟国としての義務が生じる。政府や政党はこの問題意識を持たなければならない。
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