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2004年2月号 論座
激論 自衛隊の派遣は正しい選択か
田岡俊次
ジャーナリスト
森本 敏
拓殖大学国際開発学部教授
 
――昨年十一月にイラクで殺害された奥克彦・在英大使館参事官と井ノ上正盛・在イラク大使館三等書記官(肩書はいずれも当時)の死を、どのように受け止めていますか。
 森本 この二人は、ORHA(米復興人道支援室)が立ち上がったときから、ORHA、そして現在のCPA(米英の暫定占領当局)に日本政府を代表して派遣されていたわけで、その二人を失った打撃は非常に大きい。復興人道支援のいちばん先頭を走っていた二人を失ったことにより、日本は情報収集とCPAとのパイプを失うことになりました。代わりに人を出しても同様の役割を果たすことは無理です。ORHA立ち上がりのときから苦楽をともにしてきた人間関係から入る情報というのがあるわけで、ほかの人が行ってすぐ代われるものではない。日本政府がこうむった損害は質量ともに計算できないぐらい大きなものがあると思います。
 田岡 今回の事件をめぐっては、米軍の発表に矛盾が非常に多く、また車のボンネットやフロントガラスには真正面の高い位置から撃たれた弾痕があり、並走中の車から射撃されたとは考えにくいなどの腑に落ちない点が多いのに、外務省はすぐに現地調査もしなかった。真剣な疑問を抱かざるを得ません。
多国間協調は可能か
――亡くなった奥参事官は、外交専門誌「外交フォーラム」の二〇〇三年十一月号で、「イラクの戦後復興における国連の役割」と題して「イラクには政治的、社会的に国連の活動を受け入れる素地がある。これを活用しない手はない」「イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立には、なお相当の時間とエネルギーが必要だ。その重荷を米国と一部の連合参加国だけでは、いずれ背負いきれなくなる。その時、国連という機関の役割が必ずや大きくなってくる」と書いています。国連のあり方についてはどうお考えですか。
 森本 奥参事官は、英国大使館に出るまで国連政策課長だったわけですが、CPAに勤務していて、アメリカだけが突出したイラクの復興統治に納得できないものがあって、国連の活動が入ればもう少しいろいろなことができると考えていたと思うんです。復興人道支援を有効ならしめる国連安保理決議がきちっと通って、フランスも含めて反対している国も活動に加わる形で国連が乗り出さないと、本当の意味での復興支援はできない。だから、バグダッドの国連事務所ビルの爆破テロ以降、国連が引いていくのを見て、彼は非常に失望したと思います。アメリカの一極主義と国連を中心とする多国間協調主義をどう調和させられるかということが、彼の大きな問題意識だったと思います。これは彼だけでなくて、国際社会全体が抱えている非常に大きな問題です。
 田岡 今回の戦争で失敗すると、アメリカは覇権を実際上放棄せざるを得なくなるんじゃないか。二〇〇二年、ロシアがNATOに準加盟し、さらに今年(二〇〇四年)は東ヨーロッパ七カ国がNATOに加わる。東がなければ西はない。紙の表(おもて)がないのに裏だけあるはずがないですからね。西側同盟はすでに形骸化し、この戦争の結果アメリカの威信は失われるでしょうから、西側同盟もたぶん終わりでしょう。列国が自国の利害で行動するノーマルな時代になれば「一国平和主義はいかん」と言うのは「企業は利益を追求してはいかん」と言うようなものです。スウェーデンは有力な軍備を持ちながら、他国と軍事的かかわり合いを持つことを徹底的に避けて、百九十年間戦争を免れた。他の国々も、表面では「民主制」とか「正義」を唱えつつ、いまでも一国の平和と利益を目指して行動している。冷徹に自国の平和を図ることが大事だと思います。
 森本 しかし、今日の国際社会の中で、一国だけで国家の安定とか繁栄は維持できないのです。日米関係であれ日中関係であれ、相互依存関係は不可欠で、どちらがどちらに一方的に依存しているということはあり得ない。自分の国だけがいいというのは、国際社会の中に存在する国としてはあり得ない議論だと思います。われわれの生活は日々、多国間の相互依存関係の中で成り立ってるわけですから、国際社会の協力とか貢献にある程度乗り出す必要がある。ただ、無節制に海外の問題にかかわっていけばいいのではなく、どこまでかかわることが日本の国益につながるかということを、きちんと議論しないといけない。民主主義の体制の中で、国民の理解が得られない海外活動なんてあり得ないわけですから。しかし、政府の政策に理解が十分に得られてないから、六割近い人がイラクヘの自衛隊派遣に反対している。日本の国益とは何なのかということを国民レベルで議論し、国益を守るのに最も有効な防衛力の使い方をし、犠牲を覚悟して地域の安定に貢献する。その結果として日本の国家の安定、平和、繁栄、国民生活が維持されるんだということを理解しないといけない。一国平和主義というのは言葉だけで、現実にはあり得ない空想的概念としか私には思えないですね。
 田岡 一社利益主義といっても、他社と取引しない会社があるわけじゃない。ジョージ・ワシントンが退任の辞で述べた「外国の純粋な好意に期待するほどの愚はない」というのは、古今東西共通の鉄則です。ただ、長期的な一国の平和を図るためには、米国が西側同盟の盟主でなくなっても、それと協調していかなければいけない。国連平和維持活動に協力するとかODAとかもやるべきなんだけれども、根本目的は、第一が一国の平和、第二が一国の利益で、長期的利益の追求が現実主義でしょう。今回のケースに関して言えば、小泉さんは「民主的で安定した政権をイラクにつくるため」と国際法違反の内政干渉を公言する。しかし、あの国で真の民主制を敷くなら、世論を反映して反イスラエル・反米的政権になる。宗派も民族も対立があるから、当然不安定になる。民主的で親米で安定した政権という三つの要素を全部満足させるのは不可能で、どれか一つを選ぶしかないでしょう。日本にとってはイラクの安定がいちばん大事だけれども、複雑な構成の国だから、安定のためにはクルド族など一部の国民を抑圧せざるを得ないし、反イスラエルでないと国内は治まらない。安定第一なら「フセイン二号」のような人物に助力するしかあるまい。また、「テロの温床にしない」と米国は言うけれども、テロを軍事力で抑えることは不可能です。イスラエルが武力でパレスチナを抑圧したためテロが起き、ドイツ占領下のフランスでもレジスタンスが活発だった。イラクも米英の占領によってそうなった。テロの温床にしたくなければ、早く米軍が撤退し、そのあとに安定政権ができるように各国が協力するという手しかないと思います。
 森本 テロの温床をつくらないために米軍が撤退すればいいという議論は、はたして現実問題としては正しくない。いまの状態で米軍が撤退して、アメリカ以外の各国が新しい政権づくりに協力できるか。米軍がいるから各国がイラクに入ってるんで、米軍が出たら各国も全部出ていっちゃう。
 田岡 バース党が政権を取る前には共産党も交えた各派が内戦をやって、その結果、落ちつくところに落ちついてバース党政権ができた。それと同じように、今度も混乱の後に強力な指導者が出てきて、それで安定する。他国が武力で内政干渉をしてもろくなことはない。
 森本 いや、それを安定と言えるかどうかはわからない。とても安定しているとは言えない状況になるのではないかと思います。
イラクはまだ戦争中だ
――イラクの現状をどうとらえますか。はたして「戦後」なのか、「戦中」なのか。
 森本 国際法上、終戦の要件は二つのシナリオがあって、一つは、いずれか一方が他の一方を征服する場合。もう一つは、当事国が降伏文書、停戦合意、休戦協定に署名する場合ですが、今回はイラク側に統治能力のある人がいないから、後者のケースはない。征服というケースしかない。征服とはどういう意味かというと、まず領土を実効支配すること、そして既存の政権が崩壊していること。前者はともかく、後者のほうも十分達成できていなかったのですが、フセイン元大統領の拘束で一応達成された。しかし、テロ活動が続いている。したがって、日本政府が言っている「戦闘地域、非戦闘地域ともにある」という考え方は間違っている。実態はともかく、国際法上も戦争状態にある。この場合の戦争とは何かというと、一部の残存兵力が米軍を含む外国人兵力に対するゲリラ活動を行っているという状態です。戦争行為の中のゲリラ戦闘にもいろいろなやり方があって、その中の一つとして、テロという手段を通してゲリラ活動をやっているというのが私の見方です。
 田岡 今回のアメリカ政府、日本政府の最大の失敗は、首都を占領したことで戦争が終わったと思ったことです。私は戦争前から何度も「首都を取ってもこの戦争は終わらない」と言ってきた。そういうケースは戦史上多い。一九七九年十二月、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したときは初日に首都カブールを占領し、その後泥沼化した。日中戦争でも、一九三七年十二月に首都南京が陥落し、日本では「支那事変」が終わったように思って提灯行列をやったけれど、その後戦争は八年続いた。ソ連の「アフガン戦争」が一日ではなく十年続いたのと同様、イラク戦争は現在その第一年です。エリック・シンセキ大将という日系の米陸軍のトップが、開戦前の二月二十五日、上院の軍事委員会で「イラクを攻撃するのであれば、五十万の兵力を数年間駐屯させる必要がある」と言って、ラムズフェルド国防長官やウォルフォウィッツ国防副長官の激怒を買い、六月に退役しました。財政担当のリンゼー大統領補佐官は「戦費は一千億ないし二千億ドル」と言ってクビになった。米政権は正確な判断をする専門家を排除して戦争を始めたのだから無茶だ。
 森本 ただ、だれが戦争をしているかということが問題で、イラク国民が戦争していると定義できるかどうか、私は非常に疑問に思ってるんです。イラクには、いわゆる国際法上の国民というのがいないんじゃないか。いまのテロは、アルカイダをメンバーとするグループが、イラン、シリア、ヨルダン、サウジアラビアを通ってイラクに入ってきて、サダムの残党、スンニ派の勢力、旧軍人の一部、旧バース党の党員とかが、旧イラク軍が隠し持っていた兵器を持ち出して、米英を中心とする多国籍軍を一掃するためにやっている。自由選挙でシーア派の政権が誕生しては困るから、統治評議会が外へ逃げてしまう状態にして、イラクに新しいイスラム過激派の政権をつくる。そのために十月末ぐらいから攻勢に出てきた。これから二月ごろまでは、多国籍軍側が、テロリストたちのグループ数千人を掃討できるか、あるいは多国籍軍側がイラクから放逐されるのか、その瀬戸際の戦闘状態が続くでしょう。アメリカはこういう状況になることに気づくのが遅れて、後手に回った。しかも、アメリカ陸軍の場合、海外に展開するローテーションは十二カ月です。いまの部隊はそろそろ十二カ月の期限が来るので、兵員もかなり疲れている。本当はいったん引き揚げて、ゲリラ戦闘に適する別の種類の部隊を投入して、別の戦術で戦うべきだった。それが遅れたためにむしろ攻守が逆になった。最初の三週間は、アメリカのハイテク戦争でまったく一方的だった。しかし、そのあとはゲリラ戦闘で守勢に回ってしまっている。
 田岡 私は五月末からゲリラ戦が始まったと思う。最初は単純な方法で、車から銃撃するとか、対戦車ロケットで攻撃するとかだった。だが森本さんがおっしゃるように、十月ごろから戦法が変わり出して、道路わきにセットするリモコンの爆弾を使い出し、十一月に至ると対空ミサイルが命中するようになった。イラク軍の対空ミサイルは湾岸戦争前に輸入したものが多く、推薬も劣化していたはずで、新しいものが他国から入ったのではと考えます。ただ、いちばん大きな問題なのは、一般の民衆の向背です。民衆はフセイン政権はいやだったが、外国軍に対しても反感がある。フセインが拘束されて復権のおそれがないとなると、かえって南部のシーア派地域でも占領軍に対する反感のほうが表に出てくるのではないか。道路わきのリモコン爆弾は準備するのに相当時間がかかる。民衆が協力しているか、少なくとも黙認していなければやれないでしょう。
 森本 外部から侵入した勢力のテロは短期的に過激になる可能性はあるが、イラク国内のテロ勢力は減衰し、中長期的には沈静化すると思います。
どこに誤算があったのか
――イラク各地で発生しているゲリラ活動は、統一された意思のもとで行われているんでしょうか。
 森本 イラクのテロは、統一された指揮系統で行われているとは言えない。手段は末端の細胞に任されているんだと思います。ただ、空港の周りで撃たれた対空ミサイルなんかを見ると、一人で勝手にできるものではない。ある統一された命令で動いているグループが各地にいくつも点在していて、思想的にはつながっているんでしょう。テロはごく一部の地域だけではなく、かなり広範に起きている。あの国は大都市以外ほとんど部族社会ですから、外から来た人は全部識別できる。だれが入ってきてどこにいるか、部族長にはわかっているはずなんです。その中でこの種のテロが行われている。それをどう受け止めるか。
 田岡 住民の黙認があればこそ、バグダッドの空港のすぐ近くに対空ミサイルを持ったゲリラが出没し、各地で爆破工作ができるわけです。南部でも起き始めている。
 森本 ただ、イラクの国民全体が、外国人勢力を一掃しようというコンセンサスを持っているかどうか、私は疑問だと思う。フセイン政権が崩壊したことを喜んでいる人々には、いつ報復を受けるかわからないという恐怖感がある。新しい政権はアメリカが統治評議会として決めたメンバーを主体に構成されるわけで、彼らはゲリラに報復を受けるような状態を望んでいるとは思えない。いますぐ多国籍軍が出て行くとどういうことになるか、だれが考えても明らかです。
 田岡 南ベトナムの場合には、フランスを打ち破ったホーチミンに対する尊敬はあっても、北ベトナムの社会主義政権に統一されることに対する抵抗感もあった。今回は、外国のキリスト教徒の軍勢が侵入して制圧した。それに対する反感は、ベトナムにおける反米感情よりももっと広範で根が深いんじゃないか。しかも、根本的問題として、アメリカはイスラエルを支援している。イラクはクウェートを占領し、撤退を求めた国連の安保理決議に従わないとして攻撃を受け、経済制裁を受け、さらに今回侵攻を受けて占領された。ところが、イスラエルは奇襲で始めた一九六七年の第三次中東戦争でヨルダン川西岸やガザを占領し、その年の国連安保理決議でイスラエル軍の即時撤退が決まったにもかかわらず、従わないどころか入植を進めた。しかしアメリカが国連安保理で常にイスラエルをかばって拒否権を使うから、有効な制裁措置がとれない。大量破壊兵器にしても、イラクは中断したが、イスラエルはジェリコI、IIという核ミサイルをつくっていることを半ば公言しているのに米国は年に三十億ドルの経済援助までしている。極端なダブル・スタンダードでアメリカがイスラエルをえこひいきし、イスラエルがパレスチナのアラブ人を徹底的に抑圧している以上、アラブ民衆がアメリカに対して反感を持つのは不可避です。
――アメリカは占領後の事態を開戦前にどの程度具体的に考えていたのでしょうか。
 森本 中央軍司令官がブッシュ大統領から決裁を得た作戦計画を実行したわけですが、それはバグダッドが陥落するまでの作戦計画で、そのあとの統治計画は作戦計画の中に入ってなかった。第一期の作戦、つまり三月二十日から四月九日にバグダッドが陥落するまでの作戦目的は三つあって、一つはフセイン政権の打倒、第二が大量破壊兵器の発見、第三は石油施設の確保だった。石油施設の確保はできたかもしれないけれども、重要な戦略目標は達成できていない。七月に中央軍司令官のトミー・フランクスを交代させたのは、私は明らかに更迭だと思う。
 田岡 フランクス大将の交代は、更迭とは見ていません。ラムズフェルドはシンセキ大将が六月に辞めたとき、フランクスを後任の陸軍参謀総長にしようとした。ところが、シンセキの慎重論は陸軍の総意だったから、フランクスは固辞して退役した。シンセキの後任のなり手がなく空席が続き、結局、二年も前に退役した将軍をすえるしかなくなった。
 森本 アメリカは、バグダッドを陥落させたら大衆がアメリカ側について、民主化のプロセスを国民が受け入れ、予定通りに統治が進むだろうとわりあい簡単に考えていたと思うんです。でも、アメリカが考えていた前提条件が次々と崩れて、復興支援も軌道に乗らない。統治のやり方もまったく間違っていて、バース党員や旧軍人の雇用もせず、彼らの経済基盤を全部壊した。彼らは生活に困って不満の塊になり、六カ月たってみたら、本格的なテロ組織が出来上がっていた。後手後手に回るようなことをずっとやってきた。
 田岡 ウォルフォウィッツは「戦後のプランはなかったわけではない」と七月二十三日の現地での記者会見で言ったけれど、それには三つの前提があったという。第一に、イラク軍の大量の寝返りが起きるだろう。第二に、イラクの警察が治安維持にあたるだろう。三つ目は、ゲリラ戦にはならないだろうと想定していた。その予測が外れた。どれをとっても重大な誤算だし、特にイラクの警察が治安を維持するという想定はこっけいだ。バース党の権力基盤である警察はつぶすつもりでありながら、他方その警察が治安を維持してくれると考えた、とはバカらしい。アメリカは、すぐに撤退できるはずだったのができなかった。軍の内部からの不満も非常に高く、七月にABC放送の現地インタビューで、兵や若手将校が公然と不満を言っている。軍の準機関紙「スターズ&ストライプス」が、十月に軍での調査の結果を発表しています。「貴君の部隊の士気はどうか」という質問に対して、「きわめて高い」と答えたのは三%だけ、「高い」も一三%。一方、「きわめて低い」が二三%、「低い」が二六%。もともと米陸軍はこの戦争に反対だったんだから士気が低くて当然です。
失敗の連続だったアメリカの中東戦略
 田岡 アメリカは「フセインの二十年余の圧制からイラク国民を解放した」と言うが、その前半はフセインを支援した。イラン・イラク戦争中にも「日本は石油の九割を中東に依存し、安定が大事。フセインを支援しろ」と言い、日本はイラク支援に三千億円ぐらい出した。また同じことを言う。
 森本 イランが強すぎたときに、バランスをとるためにアメリカはそうやったわけです。アメリカは八〇年代にイギリスに代わって中東湾岸に介入して、イランとイラクのパワーバランスの中で、常にアメリカは強者とは反対側に立って、バランスをとってきた。どちらかがあの地域の覇権者になることを、アメリカはずっと阻止しようとしてきた。
 田岡 いや、イラン革命で状況が変わったんです。革命前、アメリカはパーレビ国王を支援していた。当時、イラクはソ連寄りでした。アメリカがパーレビにべったりで、国民の弾圧にまで手を貸したから、イラン革命が反米運動になった。
 森本 アメリカの外交官の説明を聞いたり政策ペーパーを読むと、アメリカの意図は、イランとイラク、どちらかが強大な国にならないように、常にバランスをとろうとして長期的に動いてきていた。しかし、どちらも地域を不安定にすることに気づいてからは、「ダブル・コンテーメント」(二重封じ込め)がずっと続いている。
 田岡 それはイラン・イラク戦争が始まってから、侵略者であるフセイン支援を正当化するために言った理屈で、革命前は、アメリカは一方的にイラン、その後はイラクを支持した。西側主要国では日本だけが常にイランとも友好関係を保ち、成功した。
 森本 アメリカの中東湾岸政策は、自分が覇権を握ろうとすることなんです。だから、だれかが覇権者になったら困る。いまはイラクのフセイン政権を倒して自分が覇権者になろうとしている。アメリカはイギリスに代わってあの地域の覇権者になろうとして二十年間やってきた。だれか強くなろうとすると、抑えてバランスをとるという政策を繰り返して、それがうまくいかないという歴史を繰り返してきた。
 田岡 パーレビを支持して失敗。悔しいものだからフセインを支持して失敗。今回は自分で入ってまた失敗。アフガニスタンでも失敗、下手に手を出して中東を不安定化してきた。
 森本 ただ、今回のケースは、アメリカがテロを追っかけ、大量破壊兵器を追っかけてたら、たまたまあそこの地域が震源地だと気がついて、入り込んでるだけだと思うんです。あれが別の地域だったら、別のことをやってたと思う。
 田岡 イスラエル支援がずっとありましたからね。それがイスラムのテロの源泉で、「9・11」が起きた。
 森本 そういうことになると、イラク戦争はある種の宗教戦争だということになってしまうけど、私はそうは思わない。一部の人がイスラエルにとって戦略的に有利な地政学的環境をつくろうとしたことは確かだけれども、石油が手に入ったり、イスラエルが戦略的に有利になったというのは結果であって、イラク戦争の真の原因ではなかったと思う。アメリカのいまの中東政策は、イラクからフセインという覇権者を取り除いて、あの地域に戦略的拠点をつくって、覇権を拡大していこうということだと思うんです。「大量破壊兵器」とか「イラクの民主化」と言ってるのは口実であって、本当の戦略的な狙いは、新しい脅威の根源の地域に入り込んで、テロと大量破壊兵器を封じ込めようとしたんだと思う。だから明らかに「9・11」を引きずってきている。
 田岡 ボブ・ウッドワードの『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)は、米政権の内実を描いた本で、ラムズフェルドは「9・11」が起きたとたんに「いまこそチャンスだ。サダムをやっつけよう」と言い出す。その口実として、イラクとテロとの関連を探したり、炭疽菌問題をイラクのせいにしようとしたがうまくいかず、「大量破壊兵器」を言い出したりした。
 森本 フセイン政権を取り除いたら、民衆がアメリカ軍を歓呼で迎えて、あとの統治がうまくいくと思っていた。それがそのとおりにならなかった。
 田岡 そんなことを思うのは「アメリカ教」原理主義者の迷信で、常識で考えたらうまくいくわけがない。軍人のシンセキ大将らの方が、ブッシュ、ラムズフェルドら政治家、文官より現実的で常識的だった。
 森本 しかし、アメリカはうまくいくと思っていたんです。現にそうやって世界中を統治してきたという歴史観を彼らは持ってるから。ドイツであれ日本であれ、アメリカが占領統治したところは、みんな平和になって豊かになっているではないかとね。
 田岡 今回失敗するとアメリカは反省し、逆の「一国主義」つまり「引きこもり」に向かう可能性がありましょう。
 森本 どうですかね。アメリカというのは、あんまり反省しない国なんだな(笑い)。自分たちのやってきたことが正しかったという歴史観を持っている。ただ、そのため方策は政権が交代するたびに、振り子がちょっと元に戻るだけで、根本的な反省はしないでしょう。
派遣前にまず国会で審議せよ
――混迷を深めるいまのイラク情勢の出口はどこにあるのか。アメリカは今後どうすべきか。それにからめて今月中旬にも予定されている航空自衛隊の派遣を含め、自衛隊の派遣問題をどう考えますか。
 森本 考え得る今後のシナリオは二つあると思うんです。一つは、数カ月にわたる掃討作戦の結果、テロ勢力が少しずつ衰退し、治安がゆっくりと回復され、アメリカがほぼ考えていたとおりの統治システムが六月までにできるという、好ましいシナリオです。もう一つは、域外からテロ勢力が入ってきたり、あるいはイラクの中で同調する勢力が増えて、掃討作戦がなかなか功を奏しないという状態が続き、犠牲が増えるというシナリオです。日本は、前者のシナリオを前提に、イラクの復興人道支援に協力するため、地域、活動内容を決めて派遣しようとしているわけです。しかし、もし後者のシナリオが動くことになった場合は、どこかで自衛隊の活動の見直しをやらないといけない。いくら任務を与えられているからといって、状況が変化すれば決断が変わるのは当然であって、派遣計画そのものをあまりかたくなに考える必要はなく、復興支援ができるような状態ではないという客観情勢ができたら、そのときは派遣活動や内容を見直すというプロセスがなければいけないと思います。
 田岡 イラク特措法の期間は「四年」だが、「さらに四年延長できる」とあるから、私は防衛庁の人に「八年の長期戦を見越したのか。先が見えていてけっこうだ」と言ったんだけれども。それぐらい長期になって、結局はうまくいかないだろう。対ゲリラ戦では、一時制圧に成功したかと見える時期があって、手を緩めると再燃、結局撤退という筋書きが多い。ベトナムでは地上部隊派遣の四年後に削減、「ベトナム化」の話が出た。今回は開戦後半年で、もう「イラク化」と削減の話が出る。今年十一月に大統領選挙があるからね。アメリカでは「exit strategy」を論じていますが、これは日本語の「逃げ支度」で、これから自衛隊が行くというのは計画倒産で商品を運び出そうとしてる会社に新規融資をするような形だ。
 森本 イラク特措法の法律上の規定としては、通常国会が始まる前に基本計画が了承され、自衛隊の一部が防衛庁長官がつくる実施要綱に基づいて派遣されたあと、国会で承認される必要がある。もしその承認が得られなかった場合には自衛隊を撤収するわけです。それだけではとどまらず、内閣不信任案が提出され、政権が崩壊する可能性もある。自衛隊を出しておいて撤収するという国際的な恥をかくだけでなく、国内政治上も非常に大きな危機を迎えてしまう。どの部隊を出すかというより、むしろ問題はタイミングです。本来は国会で承認を得て自衛隊を出すのが原則なのですが、その時期が、日米関係に大きな影響を与えるようなタイミングかどうかを見きわめないといけない。その見きわめこそが、政治的判断の最も重要なところです。先に行われた総選挙で民主党が議席を伸ばし、その後の経緯にかんがみれば、きちっと通常国会で議論をしてから部隊を送り、そのことについてアメリカにきちんと説明をしなければならない。手続きを踏んでから自衛隊を出すのでないと、払うべき政治的リスクがあまりにも大きすぎると思います。
 田岡 同意見です。緊急性はないから、国会の承認を得てから出すべきで、はじめから出さないならまだしも、出してから引き揚げるのはまずい。そもそもイラク特措法は、首都占領で戦争が終わったという誤った認識に基づいて、戦後の復興支援のためにつくられた法案で、そのつもりで国会を通っている。しかし、実際は戦争が続いてるんだから、特措法の前提が崩れている。問題は情勢分析能力の不足にある。
 森本 この法律が万全なものでないことは明らかで、法律が通ったときの前提条件が変化していることも、田岡さんがおっしゃったとおりです。そこで、今後の問題は何かというと、自衛隊を海外に出す場合に、そのつど法律を通す、そのつど政治的な問題になる、派遣も遅れるという状態を解決するためには、一般基準法、恒久法をつくらなければいけないんです。ただ、いまの憲法の枠の中でがんじがらめになっている恒久法ができると、かえって自衛隊の活動が制約を受けることになる。私はそういう法律があったほうがいいと思いますが、相当自由な発想でつくらないといけない。
 そのときにいちばん大きな問題は、日本が海外に自衛隊を送ることによって追求すべき国益とは何かということを、具体的かつ個別的に議論して、経済的にはどう、政治的にはどう、軍事的にはどう、資源の面ではどうというきちんとした定義づけがどれだけできるかということです。もう一つは、防衛力を海外に持っていくことの意味をどう考えるか。つまり、防衛にわれわれは何を期待しているか。その問題を解決せずに恒久法をつくっても、「ここまでしかダメです」という歯止め論にしかならない。積極的に自衛隊を海外に出すことで何を追求するのか。防衛の目的は何なのか。その二つのことを議論しないと、この法律はつくれないですね。今回のイラク特措法は、これ以上は憲法解釈を乗り越えないといけないような、限界ギリギリのところに来ている。恒久法を議論するというプロセスを通じて、実は憲法を議論することになると思うんです。イラクヘの自衛隊派遣は、日本の防衛、外交、安全保障にとって戦後初めて経験する、非常に大きな転換点です。PKO法を通してカンボジアに出て行ったのが第一の転換点だとすれば、戦後二回目の大きな安全保障政策の転換点を、われわれはこういう形で迎えているんだと思います。
 田岡 自衛官は採用時に服務宣誓をするんだけれども、それは日本国の平和と独立を守るために危険をかえりみない、のであって、イラクの治安とか、米軍の輸送とか、そんなことに服務宣誓をしていない。軍事力は自国の防衛にのみ使うもので、あとはせいぜい国連の平和維持活動のおつきあいに出す程度でよい。他国に「民主制を敷く」などと言い内政干渉の手伝いに出すのはもっての外。しかもパンドラの箱を他国が開ける大失態をした後に、片づけに行くのはばからしい。まだアメリカは「指揮権を譲らない」と言ってる。みんなが「やめろ」と言うのに川に飛び込んで泳ぎだし、流されて、「助けてくれ」とは言いにくいから「水泳を教えてやるからついて来い」と叫んでるようなものです。
 森本 もっと根本的な問題は、イラク問題にかかわるため今まで現憲法の枠内でやってきたことがいろんな点で限界に来て、これまで逃げてきたつけを払わされることになると思うんです。そして、どのようにこのつけを払うかが、日本の安全保障政策に深くかかわる問題になると思います。
◇田岡俊次(たおか しゅんじ)
1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
朝日新聞社入社。防衛担当記者、編集委員を経て、現在、軍事ジャーナリスト。
◇森本敏(もりもと さとし)
1941年生まれ。
防衛大学校卒業。
外務省・安全保障政策室長、野村総合研究所主任研究員を経て、現在、拓殖大学教授。
 
 
 
 
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