1998/10/13 世界週報
日本の防衛態勢のぜい弱さを露呈した北朝鮮ミサイル騒動
帝京大学教授
志方俊之
しかた・としゆき
米国に全面依存の戦略情報収集
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、東海岸の大浦洞(テポドン)にあるロケット発射基地で、新しい型の長距離弾道ロケットの発射準備をしているとの情報は、八月に入ってから逐次米国から日本政府に伝えられていた。
米国は、偵察衛星から送られてくる映像を解析して、発射台が設置されたこと、発射台にロケットが据え付けられたことを確認し、そのロケットの直径や長さなどから、おおよその射程(飛翔できる距離)やペイロード(運搬できる弾頭部の重さ)を推定していた。
さらに基地にある車両の数がにわかに多くなったこと、ロケットに液体燃料を注入するタンクローリーの準備が整ったことなどから、発射が近いことを察知していた。
米国は偵察衛星ばかりでなく、地上基地、艦艇、航空機などにある電子装置で、北朝鮮の空を飛び交う通信を傍受し、平壌と大浦洞基地との間の通信量の変化などを調べていたに違いない。
このほか、平壌で準備が行われている建国五〇周年の記念パレードに関する情報にも注目していたであろう。名物の壮大なマスゲームや、観覧席の観客が各自に持つ「色つきカード」を使って描き出す一糸乱れぬデモンストレーションが、今回はどんな絵柄のものか(今回はロケット発射の動画だった)、人間を介して漏れ伝わってくる情報にも注意していたはずだ。
米国は、映像(IMAGINT)・通信(SIGINT)・個人(HUMINT)によって集められるすべての情報を集め、これを総合的に分析して、ロケットの発射が近づいていることを察知していたのである。
とくに、ロケットに燃料を注入する時点をつかむことは重要な情報だ。北朝鮮の長距離弾道ロケットは液体燃料を使っているから、タンクローリーが何時間もロケットに横づけになって燃料を注入しなければならない。
この時点をとらえれば、発射はその後二日ないし三日以内に迫っていることが分かる。ロケットに注入された燃料は、何日間も入れたままだと劣化して予定通りの推力が出なくなるからである。
このように、どのようなロケットが開発されているか、発射の準備がどの程度まで進捗しているかなどの情報は、日ごろからの長期にわたる収集努力が続けられてこそ得られるもので、一般に、「戦略情報」と呼んでいる。
一方、わが国は、字宙利用を平和目的に限るという一九六九年の国会決議によって偵察衛星を持たないようにしてきたから、映像による情報収集(IMAGINT)はできず、人間を介した情報収集(HUMINT)もしない方針できたから、通信傍受(SIGINT)くらいしか方法はない。それも極めて限られた手段によって、「聞こえてくるものは聴く」といった程度のものだ。
要するに、わが国の防衛態勢には戦略情報収集能力は全く欠如しているといって過言ではない。したがって、近隣国のロケットについては米国から伝えられる情報に全面的に依存するしか対応策はない。今回も例外ではなかった。
米国からの情報に基づいて、日本政府は八月に入ってから北朝鮮政府にロケットの発射を思いとどまるよう促すとともに、日米韓三国協議の枠組みづくりなどの外交的努力を行った。また、防衛庁は八月半ばから自衛隊のイージス艦や電子偵察機を日本海に配置して警戒を続けていた。
最大の弱点は総理官邸の指揮統制能力
八月三一日午後零時七分、弾道ロケットは発射された。ここから先は、一〇分以内に探知・識別・追尾・要撃という一連の行動をとる戦術・運用の段階で、この段階で必要なのは分秒を争う「戦術情報」の収集処理である。
赤道上の静止軌道に打ち上げられ、北朝鮮上空を監視していた赤外線センサーを搭載した米国の早期警戒衛星は、宇宙空間に昇ってくるロケットが噴出する赤外線を「探知」した。この信号は直ちに前方展開している統合戦術地上基地(JTAGS)に伝えられる。また太平洋に落下した弾頭部分は、国防支援(DSP)衛星やアリューシャンのセミア島にあるフェーズド・アレー・レーダー(コブラ・デーン)により探知され、米本土のコロラドスプリングズのシャイアンマウンテンの地下深くにある北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の宇宙探知追跡システム(SPADTS)に送られる。
このほか、米軍の航空機・艦艇のレーダーや目視の結果も、同様なルートで情報を送る。これらの情報を突き合わせて解析し、それが弾道ロケットなのか火山の噴火なのか隕石なのかを瞬時に「識別」するのだ。弾道ロケットが上昇中に、燃焼する時間は、射程三〇〇〇キロのもので約二分間だから、探知と識別の作業は二分間ですべて行わなければならない。
一九九六年四月以降、このようにして得られた情報は直ちに在日米軍から自衛隊に通報されることになった。これを「早期警戒情報システム」と呼んでいるが、今回自衛隊は発射三分後にその情報を入手したと思われる。
この早期警戒情報のほかに、日本海に展開していた海上自衛隊のイージス艦や電子偵察機は、ロケットの打ち上げを探知して防衛庁に通報したに違いない(情報収集の手段・位置・時間などのデータは、自分の情報収集能力を暴露することになるので、一切公表されないのが軍事常識であるから、これは筆者の推測にすぎない)。
防衛庁は直ちに総理官邸に報告するわけだが、ここから先の連絡は電話やファクスによるため、分秒刻みの体制とはほど遠い。第一報のメモが総理の目に入ったのは、午後零時五〇分ごろ、スパチャイ・タイ副首相との会談が終わるのを待ってからのことだった。
午後三時すぎになって、新型のテポドン一号が日本上空を通過して三陸沖の太平洋上に落下した可能性があるとの情報が防衛庁長官や外務大臣に伝えられ、六時ごろには総理に報告された。
また、防衛庁が報道陣を通じて国民に情報を伝えたのは、夜の一一時すぎとなった。遅れた理由の第一は、米軍から得た情報が主体だから、公表に当たっては内容や表現について米軍との調整が必要だったこと。第二は、わが国上空を事前通報もなく通過したとなると、単に防衛庁マターではなく、国際条約違反など外務省マターでもあり、民間航空機や漁船の被害の有無に関しては運輸省等その他の省庁との連絡も必要だった。
しかし、その前にこれは国家の主権や国民の安全にかかわる国全体の問題であり、本来ならば安全保障会議を招集して国としての基本的対応を決めなければならない性質のことであった。しかし、安全保障会議は開かれなかった。
わが国の防衛態勢の最大のぜい弱性は、自衛隊の最高指揮官である総理大臣の下に情報が整理されて速やかに伝達されるシステム(例えば、内閣情報調査室の情報集約センター)が弱体であること、そして閣議と安全保障会議で、あらかじめ予想される事態ごとに半自動的に発動できる対応策を決めていないことだ。今後の軍事的脅威は、閣議を招集する暇がない場合も多いと見られるから、日ごろから安全保障会議の実効性を高めておくことが肝要である。
消去法で残った選択肢はTMD共同開発
北朝鮮政府は九月四日になって、今回のロケット発射は人工衛星の打ち上げであり、現在も衛星は地球を周回していると発表した。当初は弾道ミサイルではないかと言っていた米国政府も、一四日になって衛星打ち上げが失敗したものと認めた。ミサイルの軌道追跡にかけては高度な技術と体制を持っている米国の発表が遅れた理由は依然として不明だが、北朝鮮が射程数千キロの弾道ミサイルを保有する能力を持つに至ったことは間違いない。
北朝鮮が小型の核弾頭を持っていなくても、化学剤や通常爆薬の弾頭を持てることは確実で、そのこと自体が、わが国にとっては潜在的な脅威である。もし、あのロケットが弾道ミサイルであり、わが国の領域に落下する急迫不正な場合、わが国にはどのような対応の選択肢があるだろうか。
まず、政治的外交的な努力で北朝鮮に弾道ミサイルを持たせないようにすること、そのために必要な信頼醸成のための交流を積み上げることは当然である。それが功を奏しないときの対応として、理論的には四つの選択肢がある。
第一は、わが国も同じような弾道ミサイルを持って抑止力とすること、第二は、相手の弾道ミサイル基地を攻撃して発射機能を破壊すること、第三は、弾道ミサイルを撃ち落とせる防衛システムを開発して装備すること、第四は、座して自滅を待つという無抵抗主義を貫くことだ。
このうち、第一と第四の選択肢は、わが国の国是ではなく、また非現実的であるから棄却する。第二の選択肢は、自衛権発動の三要件を満たしている限り、憲法の趣旨に反しないという政府の統一見解(一九五六年二月と五九年三月)があり、現在も同様な解釈がなされている。
しかし、空中給油機を装備していない航空自衛隊にとっては、これは「絵に描いた餅」だ。したがって、空中給油機を装備して、自衛権を行使できるポテンシャルだけは持っておくことは、抑止力として一つの選択肢となり得る。
結局、第三の選択肢、すなわち戦域ミサイル防衛(TMD)の開発に着手することが対応として残る。しかし、わが国だけで、宇宙を含めた「戦術情報」収集処理網を必要とするTMDを構築することは、技術的にも財政的にも不可能であり、米国が進めているプロジェクトの一部に参加することが最も現実的な対応といえよう。
しかし、まずその前に、戦略情報の一部を自前で収集できる偵察機能を持つ多目的衛星を開発して打ち上げることは、最低限実行すべきであろう。
志方俊之(しかた としゆき)
1936年生まれ。
防衛大学校卒業。京都大学大学院修了。工学博士。
陸上自衛隊で陸上幕僚監部人事部長、第二師団長、北部方面総監を歴任。現在、帝京大学教授。
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