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2004年4月号 Voice
自衛隊は戦えるか
有事に「敵地攻撃」できない国は坐して死を待つのみ
西尾幹二(にしおかんじ)
(評論家)
志方俊之(しかたとしゆき)
(帝京大学教授)
ルビコンを越えた日本
 西尾 先日、自衛隊の一等海佐の方など三人を囲む会がありました。そこで話題は自ずからイラクをめぐる国際協力体制のテーマになりました。「コアリション」という名前が付いていて、同盟でもなければ連合でもない。各国の自主性に任せた緩やかな枠組みのことです。そのなかには、イラク戦争に反対していたドイツもフランスも入っている。アメリカは「戦闘はアメリカが引き受けている。一国で十分である。各国はイラク復興に向けて、自主的貢献をしてくれればいい」といっているそうです。そこで何をやるべきかは、各国が自分で考える。アメリカは「この指とまれ」といっているだけで、特別な要求は何もしないのです。
 国連の枠組みで行なわれていたPKOは、もっと役割分担がはっきりしていました。誰が協力して誰が協力しないか、何をするか何をしないかは、すべて話し合いで決められていた。しかし今回は、ただ「この指とまれ」があるだけなんです。自分で行なうことは自分で考えなくてはならない。自衛隊は、そうした新しい状況のなかで動かなければならない。ところが日本は、外務省だけでなく、何よりも官邸が依然としてPKOの観念から抜け出していない。つまり新しい現場で求められている厳しさがわかっていない。
 たとえば彼らは「同じ行動を起こすなら、もっと素早くしたほうがよかった」というのです。戦闘が終了した直後に自衛隊の医師団を派遣していれば、真っ先に復興の旗を立てることができました。あるいはアメリカがアルカイダの動きを空から監視できるP3C哨戒機を出してくれと頼んだとき、早い時期に出していればどれだけ感謝されたかわからない。なぜならアメリカはP3C哨戒機が足りずに困っていたからです。哨戒機なら偵察が目的ですから、憲法に抵触することもありません。
 しかし日本政府には、そういう判断を素早く下したり、自らの力で前向きに物事を動かす思考の習慣がない。首相のすぐ横に意見を具申する武官がついているというシステムもない。その結果、現場は非常に困っているという話を自衛隊の制服組の人たちから聞きました。そう考えると「コアリション」というのは、緩やかな協力体制ではあるけれど、ある面ではもっと厳しいのかもしれません。協力したくなければしなくてもいいけれど、その始末は自分でつけなければならないんです。
 志方 たしかに全部自分で決めろというのは、設定としていちばん難しいかもしれません。自衛隊の派遣時期にしても、どうせならもっと早くしたほうがよかったかもしれません。それでもアーミテージ国務副長官など親日派のアメリカ人たちは、今回の自衛隊派遣をずいぶん高く評価しています。「日本はよくここまでやってくれた。これで日本人はルビコンを越えた」というわけです。その思いは日本人が感じている以上でしょう。
 そもそも、まだ戦闘が収まっていない国に自衛隊を派遣するなど、小泉政権でなければ無理だったかもしれません。いまだにリベラル派が少なからぬ力をもつ日本の政治体制では、派遣決定までに時間がかかったのも仕方ないでしょう。遅まきながらも、よく決断したと評価します。
 また今回のサマワ行きが何よりよかったのは、これが北朝鮮への強いメッセージになったことです。これまで北朝鮮は「日本は強がりをいっても、軍事力を外に出すことは絶対にない」と思っていたはずです。しかし日本は実際に自衛隊をイラクに出した。これを見て「日本は外交のカードとして自衛隊を使ってくるぞ」と、はっきり認識したと思います。たとえば北朝鮮が国際法に反する行動に出て、国際社会が海上封鎖や海上阻止行動を行なおうとするとき、自衛隊も共同して工作船を通さないようにする。そのようなことも起こりうることが北朝鮮にははっきりわかったのです。その意味で有効なメッセージだったと思います。
防衛基本法がない不思議
 西尾 ただそこで私が不思議に思うのは、自衛隊を海外に派遣する際に、なぜいちいち「特措法」をつくらなければならないのかということです。自衛隊はたしかに軍隊ではまだないかもしれませんが、武装組織が何の任務を担うかはわかりきっています。
 海外派遣のたびにいちいち特措法をつくるなんておかしな話で、自衛隊は最高司令官から命令を受けて、それだけで粛々と行動すればいいのです。各国の軍隊は皆そのはずです。日本だけがその都度「行っていいですか」と国民にお伺いを立てている。これでは本当にいざというとき、役に立たないと思いますね。
 志方 たとえばアメリカの場合、武力行使を行なうに際していちいち議会にお伺いを立てていたら間に合わないので、大統領が議会の承認を得ずに命令を出せることになっています。ただし最低六十日以内、どうしても無理なときは九十日以内に議会で事後承諾をとらなければならない。ある規模以下の兵力を動かすときは、事前に議会の承諾を受ける必要がなく、その都度、軍の派遣を認める法律は必要ありませんが、議会に対してかなり気を使うようにはなっている。ところが日本の場合、気を使うどころか、一から法律をつくらなければならないのですからまったく違います。
 西尾 だから時間がかかってしようがない。以前、自衛隊法を少し見たのですが、普通の軍法とは全然違う。普通の軍法に書かれているのは、「これをやってはいけない」という違法行為のみです。だから軍人は、してはいけないことだけ考えておけば、あとは何をしてもいい。これだと非常に簡単です。
 ところが自衛隊法では、「何々することが許される」としか書いていない。これだと何か新しい行為をしようというとき、「これは許されるのか許されないのか」と、いちいち法律に照らし合わせて考えなければならない。これだと例外に対応できない。しかし、戦争は例外の連続のはずです。これが結局、「特措法」をつくらなければならない理由にも通じるんです。
 志方 そうですね。これは私がよく使う譬えですが、四階建ての建物があるとして、自衛隊という実働部隊やそれを管理する防衛庁は四階にあるんです。それを支えている三階には何があるかというと、手続法です。自衛隊法と防衛庁設置法とがあって、「自衛隊は防衛出動ができる」とか「陸上自衛隊は五つの方面隊に分ける」「北は札幌に総監部を置く」といったことが定めてあります。ただそこには、「どういうときに自衛隊を動かすか」という考え方はいっさい書かれていません。そして二階にあるのが、昨年成立した有事法制で、平時にしてはならないが、有事ならば行なえることが書かれています。
 では一階には何が来るべきかというと「基本法」なんです。基本法とは、いわば国家の意志を示したもので、国家はどういう事態で軍事力を用いるかといった、一種の国家戦略が書いてあるべき法律です。この基本法が国防問題に関して存在しない。いわば一階がないわけで、その上に二階から四階までが載っている状態なのです。
 日本には「教育基本法」や「環境基本法」、「災害対策基本法」など、全部で二六の基本法があります。「循環型社会形成推進基本法」などというものもあって、これはリサイクル社会におけるごみの分別収集などを規定するものです。ごみの分別に対して基本法があるのに、なぜ国家の防衛に対する基本法がないのか。ほんとうにおかしな話です。
 基本法の定義を見ると、「国家にとって重要なことの基本方針を定めたもの」となっています。そこで私は、もし日本に「防衛基本法」をつくるなら、どんなものになるか考えてみました。「わが国は国際的な紛争が起こったときに、まず政治的な対話で解決をめざす。それでもダメな場合は、外交的取引を行なう。それでもダメなときは、経済援助などを使った搦め手を使う。これらすべて行なってもうまくいかず、しかもわが国の主権が侵され、国民の生命が傷つけられる場合は、われわれは物理的な力、すなわち防衛力を用いる」。このような方針を指し示す「防衛基本法」があるべきで、しかもこれが定めてあると近隣諸国に対する抑止力にもなるんです。
 「日本はここまで行くと防衛力を使う」というのは、逆に「ここまで行かなければ使わない」ということですからね。国民にとっても安心なんです。その意味でも「防衛基本法」は必要だと思います。
法律でがんじがらめの自衛隊
 西尾 話を有事法制の問題に移したいと思います。これができたことで、これまで存在した不合理な問題がずいぶん解決したそうですね。赤信号で戦車が止まらなければならないとか、夜は火薬の積み下ろしをしてはならないとか、テロリストがピストルしかもっていない場合には機関銃を使ってはならないなど、変な規定がいままでたくさんありましたが、有事法制の制定でほぼ解決したと聞きます。実際はどうなんでしよう。
 志方 たしかに滑稽な部分はかなり解決しました。たとえば敵が攻めてくるから、ここにトーチカをつくりたいとき、その時点で地主の許可がなくてもつくれるようになりました。地主にはきちんと賠償しなければなりませんが、それはあとでやればいい。ほかにも畑を掘ってもいいとか、赤信号で止まらなくてもいいなど、有事における自衛隊の行動の自由はかなり確保されました。
 ただ武器の使用については、まだ「警察官職務執行法」に準じて制限されているんです。相手がピストルしかもっていなければ機関銃は使えない。これは国内での話ですが、国外でもそれに準用することになっています。サマワにおいてもそうなのです。軍隊として武器使用する際のコードがない、ということは大きな問題です。
 西尾 自衛隊がオランダ軍に守られながら作業するのは、私たち国民から見ると非常にみっともないように見えます。だけどこれは自衛官の方が臆病なのではなく、彼らは法的にがんじがらめになっているから、何か起こったときもオランダ軍にお願いするしかないということですね。
 志方 そうです。今回サマワに約六〇〇人の陸上自衛官を派遣するにあたって、三〇人、一五〇人と少しずつ出していますね。このとき、いきなりサマワでキャンプするのは危ないから、最初はアメリカ軍の「バージニア」というキャンプ地で少し留まって、その後オランダ軍の基地に行き、そこから自衛隊の基地をつくりに行っているのです。そして基地が完成した時点で全員が移る。ステップ・バイ・ステップで移動するわけです。
 ずいぶん、まだるっこく見えるかもしれませんが、安全を確保するためには仕方のないことなのです。日本の場合、せっかくアメリカ軍の基地もオランダ軍の基地もあるんだから、それを使わせてもらっているのです。
 ただオランダ軍は日本がサマワに来たことで、いずれオランダに帰ってしまうかもしれません。彼らは自衛隊が治安維持部隊ではないと知っていますが、自分たちがいなくなれば自衛隊が治安維持をやってくれると思うでしょうから。その場合、現行法律下では自衛隊は困ってしまう。とてもテロリストに立ち向かえる内容ではありません。そのときは法律を変えなければならなくなります。
 西尾 それがおかしいんです。いちいち法律を変えるのではなく、最初に決めた法律でちゃんと行動できるようにしておかないと。とくに心配なのは朝鮮半島有事です。この場合もやはり、新たに法律をつくることになりますね。
 志方 そうでしょう。政治家にいわせると、法律をつくるのは簡単なんです。たとえば「テロ対策特措法」と「イラク支援特措法」は、文言がほとんど同じですから。だから新しい法律といっても、「てにをは」を変えておしまいです。
 西尾 それでも投票したり、さまざまな手続きが必要になりますよね。それをやっていたら、有事には間に合わない。やはり軍隊の法律というのは「これをしてはならない」ということだけ書いてあればいいんで、「これをしなさい」としか書いていないのはおかしいんです。
 志方 そういう法律は恒久法とか一般法などというんですが、いま自民党内では恒久法をつくるべきだという意見も出されています。ただ政治家には、自分たちに自信がない人が多いんです。いったん恒久法をつくると、有事に際して政府は自衛隊を自動的に行動させてしまう。その結果、侵略したり戦線を拡大するかもしれない。それを自分たちはコントロールできない。その都度その都度法律をつくるようにしておけば、これが安全弁になるというのです。
 西尾 その考えは、アメリカがいうところの「ビンの蓋理論」と同じじゃないですか。「日本はファシズム国家になるかもしれないから、アメリカがビンの蓋となり、日本の防衛の任を担う」という。それを日本人自らが主張しているようなものです。とても変です。
 志方 自分たちはいつも無意識におかしな判断をすると思い込んでいる。だから私は「政治家は自分自身に自信をもっていない」といったんです。
自衛隊は北朝鮮を攻撃できない
 西尾 そこが一番の問題ですね。何が怖いかといって、敵じゃなく自分が怖い。これはすごく自虐的な精神です。過去の歴史で「自分たちは諸外国を侵犯した犯罪国家だ」と思い込んでいることが関係しているんでしょう。
 そこで思い出すのが、私は昨秋、石破防衛庁長官と『坐シテ死セズ』(恒文社刊)という対談本を出したのですが、そのとき議論していて気づいたのが、日本は選択肢のなかに「こちらから打って出る」という発想と手段をもっていないということです。
 私は長官に一つ質問をしました。平成十五年一月二十四日の衆護院予算委員会で長官は「恐れの段階で敵基地を叩くことはできない。しかし『東京を火の海にしてやる』という表明があり、ミサイルに燃料を注入しはじめたならば、これはわが国に対する攻撃着手になる」とおっしゃいました。
 これについて「日本が報復攻撃をする」という意味だ、と書いた新聞もありましたが、長官はそこまでいっていません。そこで私が「日本が具体的にどう対処するかについておっしゃったわけではないんですね」と確認すると、「そのような場合には相手の基地を叩くことは、自衛権の範囲内として可能です」という答えが返ってきた。
 この「可能」とは「権利がある」というだけの話で、理論上可能だということで、そのためのハードはない。自衛隊は「敵地攻撃能力」を具えておらず、また敵地攻撃をあらかじめ「攻撃的に選択していない」。私は心配になってさらに詳しくお考えを長官に聞いてみると、次のようなことをいわれました。
 日本の領空防衛に関しては、F15というすばらしい戦闘機をはじめ、さまざまな武器で対処することが可能で、まず領空が侵犯される恐れはないそうです。中国の戦闘機が来ても大丈夫な最高水準の守りがある。しかしF15は空対地ミサイルも地対地ミサイルも積んでいないから、どんなに飛んでも敵ミサイル基地をピンポイントで攻撃することはできません。F2の場合、支援戦闘機ですから限定的な対地攻撃能力はありますが、やはりピンポイントはできない。また仮に行ったとしても、今度は給油の問題があって、空中給油機がないから行った飛行機が帰ってこられない。結局は戦闘機をもっていても、攻撃に使うことはできないというのです。
 これは非常に変な話で、私たち一般人の常識からすると、防衛のみを目前とする武器など、武器とはいえない。われわれを脅かす原因となっている敵のミサイル発射基地を攻撃する力がなければ、国防など叶わないのです。
 なぜこんなことになったのか。「憲法の制約上、日本はそうした能力をもたないと決めているんですね」と私は聞きました。すると石破長官は「憲法のせいではない」と明確におっしゃった。「国民は憲法のせいと誤解しているけれど、そうではない」と。現に鳩山一郎総理大臣は昭和三十一年に「敵国から攻められそうになった場合、坐して死を待つことはない」と発言していて、それ以来、解釈は変わっていないそうです。
 では何が問題かというと、政府の憲法解釈に、自衛隊の発動に関して三つの要件があり、その第二の要件に「攻撃できるのはほかに適当な手段がない場合に限られる」という条項があるそうなのです。
 この「適当な手段」とは日米安全保障条約です。これがあるかぎり日本はいっさい敵地攻撃ができないのです。仮に在日米軍が他国の戦争に駆り出されるなどして日本からいなくなり、かつ日本がやられそうな場合にのみ攻撃できる。でもそれでは、準備や訓練なども間に合いません。話を聞いて私はほんとうにイライラしました。
 志方 こちらから行って攻撃できないということは、まさにそのとおりです。航空自衛隊はこれまで、飛来してきた航空機を落とすことしか考えていなかった。ただ、それでは国防体制に不備があるということで、今回ピンポイント攻撃能力をもつことにしたんです。もう予算要求もしています。空中給油機もあと二年で来ることになっています。さらにJDAMと呼ばれる、測地衛星を使って誘導するGPS弾をアメリカから買う話も進んでいますから、石破長官と会談なさった時点より少しは進歩しています。
 日本への攻撃という点でいくと、いまいちばん考えられるのは北朝鮮によるものです。これに対する日本の国防力を紹介しますと、まず日本へ攻撃に来た戦闘機については全部落とせます。しかしいまだミサイルを落とすことはできませんから、攻撃を防ぐにはミサイルの発射基地を叩くことになります。この場合、叩くのはアメリカ軍です。ただし状況によっては、アメリカ軍が日本にいないことも考えられる。その場合は自衛隊が叩くことになります。
 航空自衛隊はいまだ精密誘導爆弾をもっていませんから、それ以外のものを使うことになります。普通の爆弾は誤差が五メートルも一〇メートルもあるという代物ですから、精度はかなり落ちます。少し手を加える必要がありますが、海上自衛隊が陸上自衛隊の地対艦ミサイルを使う手もあります。これなら目標にかなり近づいて撃てば、きちんと当てることができます。
 給油の問題については、二年後に空中給抽機が来るまでアメリカ軍の給油機に手伝ってもらう方法を考えていて、そのための訓練も近々に始まります。さらにもう一つの方法として、爆撃して帰ってくる際に燃料切れになりそうになったら、韓国の飛行場に降りてしまうという手があります。米軍基地のある烏山に降りればいいのです。
 自衛隊とアメリカ軍、韓国軍は皆同じ識別電波を発していますから、韓国のミサイルが日本の戦闘機を誤って撃ち落とす心配はありません。いったん韓国で降りて、そこで補給して帰ってくる。これがいちばん現実的な方法でしょう。ただし韓国が認めた場合です。
 またミサイルが飛んできた場合ですが、ミサイルが発射されたかどうかは日本独自にはわかりません。アメリカが早期警戒衛星などで監視していて、発射されると「何秒後にここを通る」と知らせてくれるのです。その情報をもとにイージス艦がミサイルを撃ち落とすことになる。アメリカの情報がなければ絶対に当たりませんから、まさにアメリカ頼みの作戦なのです。
日本のロケット打ち上げが失敗する理由
 西尾 そのような話を聞いていると、この国はどうなっているんだと非常に不安になります。ただそうなった原因は憲法ではなく、「外に打って出る」という意識そのものを自分たちで五十年間縛ってきたことにあると私は思います。それは国会、防衛庁、政府、外務省だけでなく国民全体の意識として、自縄自縛になっている。最近アメリカが「やられる前に先制攻撃して自分を守る」という理論を言い出していますが、日本人はよもやそんなことを考えていないでしょう。
 志方 考えていません。時代がものすごい勢いで変わっているのに、そこにわれわれが追いついていない。「軍隊というのは放っておくと悪いことをする」という発想がいまだに根強く残っているのです。
 西尾 自衛隊に対してじつに無礼な話であるばかりでなく、自国の歴史に対する冒涜でもあります。
 志方 去年やっと日本独自の力で情報収集衛星を打ち上げましたが、これは偵察衛星なんです。ただ偵察衛星というと響きが悪いから、情報収集衛星と呼ぶことにした。しかも防衛庁に運用させるのはマズいと考え、内閣に衛星情報センターをつくって運用させることにした。実際に運用にあたっているのは自衛隊のOBですが、場所も防衛庁からあえて離しました。要するに軍事というものと、できるだけ溝をあけようとしているんです。
 この衛星が打ち上げられるまでの経緯も大変で、「人様の国を空から盗み見るとは何事だ。平和日本のやることか」などとバカなことをずいぶんいわれました。そう考えると、偵察衛星を打ち上げられただけでもよかった、とせねばならないのかもしれません。
 偵察衛星に限らず日本ではロケットや人工衛星の打ち上げが、なかなかうまく進みません。その理由は何といっても、掛けているお金が一ケタ違うからです。また、すぐ採算の問題がいわれる。「今度つくった人工衛星は国際競争力があるのか」「何発目から採算がとれるのか」などと、費用対効果の話になるんです。そのため一発目がうまくいくと、二発目では、「ここの肉厚部分を減らそう、部品点数を減らそう」といって、もっと安くつくる方法を考えようとする。あるいは構成部分の実証実験を六回していたのを三回に抑えようとする。「H2A」という名称は同じでも五号機や六号機になると、改良というより、一号機とはまったく違うバージョンになっているのです。それがわからずに実験を「はしょって」しまう。
 しかしロケットや人工衛星のような巨大科学というのは、大変な信頼性を必要とします。同じものを十発上げて十発成功したところから経済性を考えればいいんです。それを十発成功しないうちから考えてしまう。そこに問題がある。
 そもそも巨大科学の研究・開発というのは、国家的意志がなければできない。これを開発して日本のためにどう生かすかという意志が必要なのです。ところが日本は、そういうものを安全保障に使うという発想が欠落している。ですから科学技術衛星には年間二〇〇〇億円掛けるが、偵察衛星には平均五〇〇億円しか掛けなかったりするんです。そして科学技術衛星を使って、一生懸命地球の温度を測ったり、気流を調べたりしている。もちろんそれも大切ですが、偵察衛星の比重が低すぎます。
 もっとも科学技術衛星の二〇〇〇億円という額も、EUと比べると半分にすぎません。要するに日本国には巨大科学を推進していこうという意志がないんです。
 西尾 以前、軍事評論家の江畑謙介さんがおっしゃっていたことですが、日本の民間の技術開発で行なっている大出力レーザーエネルギーを利用して、武器の開発ができるそうです。これは地上発射型のレーザー装置なんですが、光が屈折して曲がる性質があるけれど、それを制御する矯正アダプターを付ければ実用化できる。簡単にいえば光線爆弾で、これならものすごく安くできるうえ、日本の技術だけで十分に対応できる。ハワイにある「すばる望遠鏡」に使われている技術などを応用すれば、空中の光の屈折などすぐに解析できるそうです。そしてこれは防衛のときにはコンテナ船に載せて、船で洋上に出て行けば迎撃時間を稼げる。攻撃のときには陸上に光を当てれば海岸線を破壊できる。アメリカから武器を買う量を減らせる。
 こういう技術やアイデアがあるのに、平和利用で使うことしか考えていない。民間技術を統合して軍事利用する意識がない、と江畑さんは嘆いておられました。
 志方 江畑先生の意見に賛成ですね。これからの科学は、国家プロジェクトでやっていかなければダメなんです。宇宙開発にしても、いまお話しされたレーザーエネルギーにしても、MD(ミサイル防衛)にしてもそうです。巨大科学の場合は国家の意志が必要で、いまのままの日本では大きいことは何もできません。
 西尾 できないですね。筑波大学レーザー研究所ではこれ、別の研究所ではこれと、やっていることが全部ばらばらで、それを統合する国家意志というものがないんです。
六カ国協議に合わせて艦隊を出せ
 志方 話は変わりますが、いまイラクヘの派遣に向けて、海上自衛隊の艦船が室蘭を出港しました。あそこで武器や装甲車などを積んでイラクに向かうわけですが、この日本の動きに北朝鮮はたいへん注目していると思います。そこで私なら、二月二十五日から北京で開かれる六カ国協議に合わせて、海上自衛隊の艦船が日本海を通るようにするでしょう。北京で協議が開かれている目の前を日本の艦隊が通る。これは国の意志を示すメッセージになります。
 西尾 だけど、そういうことはまったく考えられていない。それどころか刺激してはいけないと、逆に考えているのではないですか。
 志方 当然、通常のように太平洋回りで行くわけです。でも、それぐらいのことをやっていいんです。ただし知らん顔をして、たまたま太平洋側の天候が悪かったからとかいって、日本海を通ればいいんです。
 西尾 そういうことは国家として、世界中の各国が皆やってきたことですからね。
 志方 これぐらい当たり前のことです。あと石川県の小松基地には第六航空団がいますね。彼らが米軍と共同で大規模な防空演習をやる。相手が力の信奉者なんだから、相手に通じる“言葉”でメッセージを出すことが重要なのです。「これは特定の国を対象としたものではありません」と答えておけばいいんです。このようなことができるぐらい、日本は国家意志の表現を強化しなければいけないと思います。
 西尾 やはりいちばん根本にあるのは、先ほども述べたように「自分が悪いことをするのが怖い」という発想でしょう。その一方で「周りの国々は善である」と考えている。そして軍が暴走しないように政治で蓋をするのが、シビリアン・コントロールだと思っている。シビリアン・コントロールは本来、そういうものじゃないはずです。文と武の対等が原則なのに、「文民統制」と誤訳されて文官優位、内局支配となった。
 ただ、長いあいだその流れで来ていますから、多くの日本人は日本が国家としての意志を示さないほうが、諸外国との関係もうまくいくと思っていた。それが、いよいよそうはいかなくなってきたのです。日本人も意識を変えなければいけない。小泉首相にしても、改革を叫ぶなら何よりまず、国の大本を成す憲法、教育、外交、防衛の四つの柱をきちんと改革するべきです。そうでなければ改革という言葉を使うべきじゃない。保守層のなかに憲法を弁解理由に何もすまいとする感情がある。これでは憲法改正なんかできっこない。悪いのは日本の保守です。
 志方 そう考えたとき、今回のイラクヘの自衛隊派遣の効果は二つあるでしょう。一つは「日本にも危ないことをやる気があるぞ」という旗を立てたこと。もう一つは、サマワの人たちと心でコミュニケーシヨンすることです。いままでは日本人は金を出すだけで、姿は何も見えませんでしたからね。そして「旗を立てた」。これが何を意味するかというと、日本の国家意志を示したということです。
 戦後五十年、日本は国家の意志を積極的に示したことがありませんでした。万事が対応型の政策で、何かいわれるたびに「どうすれば無難に対処できるか」「どうすれば安く済ませられるか」「安全な方法はないか」と、そればかり考えてきた。今回初めてですよ、「やろうじゃないか」といったのは。ですから私は、これを国家としての非常に大きな一歩だと思います。日本人はあまり気づいていませんが、北朝鮮や中国はしっかり気づきました。そういう意味では、今回の自衛隊のイラク派遣は大変な収穫だったと思うのです。
西尾幹二(にしお かんじ)
1935年生まれ。
東京大学大学院修了。
電気通信大学助教授を経て電気通信大学教授。現在、電気通信大学名誉教授。「新しい歴史教科書をつくる会」名誉会長。文学博士。
志方俊之(しかた としゆき)
1936年生まれ。
防衛大学校卒業。京都大学大学院修了。工学博士。
陸上自衛隊で陸上幕僚監部人事部長、第二師団長、北部方面総監を歴任。現在、帝京大学教授。
 
 
 
 
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