1989年7月号 諸君
FSX また人身御供にされた安全保障
小川和久 国際政治アナリスト
航空自衛隊の次期支援戦闘機(FSX)の日米共同開発問題は、いまのところ、アメリカの要求を大幅に呑まされて決着、という格好になっている。しかし今回の騒動は、国際関係の常識をもとにした本質的議論がないまま終始したなどの点で、歴史的教訓に学んでいないレベルの低さだけが目立った。とりわけ日本側が反省する必要があるのは、またしても安全保障問題を“経済摩擦解消の人身御供”に使ってしまった、という点であろう。
なぜ経済問題になってしまうのか
まず最初に、本来的に安全保障問題であるべきFSXが経済問題にすり替えられた背景を押えておく必要があるだろう。
その直接的な理由の第一は、アメリカ側の“主役交代”である。『文藝春秋』六月号でアメリカのジャーナリスト、ジェイムズ・ファローズ氏が明らかにしているように、いったん合意に達していたFSX共同開発がアメリカ側から白紙還元的に蒸し返されたのは、それまで国防政策に口をはさむことのなかった商務省と通商代表部が、マスコミと議会を利用して初めて発言権を行使したことによる部分が大きい。
もとより、安全保障と経済問題をリンクさせて考える性癖は、アメリカに顕著な傾向である。その根底にあるのは、一般的に“戦争経済体制”あるいは“軍事ケインズ主義”と呼ばれるアメリカ経済の特異体質で、オイルビジネスであろうと兵器産業であろうと、企業活動のかなりの部分を国防予算に依存していることによる。こうしたビッグビジネス群を核として回転するアメリカ経済にとって、軍事的同盟国がアメリカ製兵器の有力なマーケットに位置付けられるのは、しごく当然の成り行きといってよい。
従来、この兵器セールスを牛耳ってきたのは、軍事・外交の専門家集団である国防総省と国務省だった。そこでは常に安全保障上の配慮が最優先し、ややもすれば同じ兵器セールスにしても当事国とアメリカの間の経済摩擦と切り離して考える、という傾向さえみられた。しかしながら、国際的なアメリカの凋落(ちようらく)の原因が貿易、財政の“双子の赤字”にあることが明らかになるにつれ、同盟国への兵器セールスについても、国防総省と国務省について「ビジネスにアマチュアリズムを持ちこむような愚行」という指摘がおこなわれるようになった。その急先鋒が、今回のFSX騒動で初めて安全保障問題に顔をのぞかせた商務省だったことは、いうまでもない。アメリカ流の“武士の商法”が転換を求められている動きとしても、興味深いものがある。
第二点として、いかにアメリカ戦争経済体制の主役が替わろうとも、それを突き動かしている要因に変化のないこともまた、押えておく必要がある。日米摩擦のたびに、露骨にジャパン・バッシングをしてみせる“ワシントンの道化師集団”、上下両院からなるアメリカ議会の存在である。
議員と選挙民、支持団体、関連企業との関係は、洋の東西を問わず似た構造にある。しかし、アメリカの議員ほど公然と自分の支持基盤の利害に神経を使うというのも、近代国家では珍しいだろう。
ジャパン・バッシングにあたって、アメリカの議員がどれほど支持基盤との利害関係によって動いているか、象徴的な一例を紹介しておこう。日米摩擦のたびに日本の新聞をにぎわす共和党のジョン・クラゲット・ダンフォース上院議員のバックグラウンドである。
八四年以降のダンフォース議員の対日アクションをみていると、まさに“対日強硬派のシンボル”といったおもむきさえある。テーマが何であろうと、日米摩擦には必ず顔をのぞかせており、八五年一月から八七年八月までの朝日新聞に登場した回数でも百四十一件と、二位のベンツェン議員(三十八件)を大きく引き離している。
このダンフォース議員、日米半導体摩擦、通信機器の市場開放問題をはじめ、ありとあらゆる機会をとらえて強硬発言を繰り返しており、むろんFSX問題も例外ではない。
まず八七年三月、ときのワインバーガー国防長官に、“日本にアメリカ製戦闘機を導入させるように求める書簡”を送ったのを皮切りに、四月には中曾根首相に書簡で、訪米した安倍自民党総務会長には面会して要望、七月になると“FSXにアメリカ製を購入させるために対日圧力を求める決議案”を上院に提出、満場一致で可決された。さらに今年二月にFSX共同開発問題が蒸し返されると、再びF16戦闘機の輸入を求める発言を繰り返し、共同開発を阻止する議会決議案の賛同者にも名前を連ねている。
また、日米半導体摩擦については八七年七月二十二日、通商法第三〇一条(外国の不公正貿易慣行に対する対抗措置)強化法案(スーパー三〇一条)に関する公聴会で、「モンサント社が日本政府の勧めで栃木県にシリコン・ウェーハー工場を建設したが、日本国内では少しも売れない」と指摘したあと、にわかに声を荒らげて「ここはワタナベ(渡辺美智雄氏)の選挙区。これではまるで買収のようなものだ」とまで述べている。通信機器の市場開放問題でも、ダンフォース議員は通信機器通商法の共同提案者になっている。
こうしたダンフォース議員の対日アクションを支えているのが、選挙区ミズーリ州の企業群であることはいうまでもあるまい。そして驚くなかれ、ミズーリ州の企業ランキングのベスト・ファイブは、(1)マクダネル・ダグラス、(2)サウスウェスタン・ベル、(3)ジェネラル・ダイナミクス、(4)サウスウェスタン・ベル・テレグラフ、(5)モンサントという顔ぶれなのである。
FSXが日米共同開発に決まるまで、マクダネル・ダグラスがF/A18戦闘攻撃機、ジェネラル・ダイナミクスがF16戦闘機を担いで空中戦を演じたことは記憶に生々しい。通信機器の市場開放問題でサウスウェスタン・ベルとサウスウェスタン・ベル・テレグラフが、半導体問題でモンサントが、それぞれダンフォース議員を利益代表に押し立てていた構造も明らかになるだろう。
それだけではない。ダンフォース議員の十歳年長の兄、ウィリアム・ヘンリー・ダンフォース氏はハーバード大学出身の医師で、調査当時、セントルイスにあるワシントン大学で総長を務めていたが、同時にFSXの候補機F/A18を担ぐマクダネル・ダグラスの役員でもあった。日本に置き換えてみると、三菱重工の役員の弟が自民党国防族の有力議員で、FSXの自主開発を露骨に働きかけているようなものである。
ダンフォース議員が支持基盤の利害に神経を使うのは、アメリカの国内問題についても同様である。
八六年九月二十七日のワシントン・ポストは、国民に人気のある税制改革にダンフォース議員が反対した点を追及した。アメリカの軍事産業は八十億ドルまでの税金の猶予が認められており、しかも契約完了方式という優遇措置によって、契約完了まで所得税の納入を待ってもらえ、さらにそれが無制限に延長されることもしばしばで、納税者の批判を浴びてきた。税制改革では、この猶予額を四十五億ドルに削減することになっており、これに対してダンフォース議員が「改革によってマクダネル・ダグラスは数十億ドルの出費になる」とあからさまな不満を表明していたからである。
以上のようなアメリカ戦争経済体制と議会の関係は、今回のFSX問題のみならず、日本の過去のFX(次期主力戦闘機)選定問題にも、色濃く影を落としている。一つの証言を紹介しておく。
「昭和四十年代のFX商戦のころ、アメリカ政府と議会は日本にマクダネル・ダグラスのF15戦闘機を売りたがっていた。したがってアメリカ政府は、日本にF16戦闘機を売りこもうとしていたジェネラル・ダイナミクスに対して、『F16はNATO(北大西洋条約機構)に買わせるから、日本への売りこみは遠慮してほしい』と通告していた。ジェネラル・ダイナミクスとしては、それでも日本への売りこみを諦め切れず、『宣伝だけはしておきたい』とFX商戦に加わった形になったのです」
証言者は、ジェネラル・ダイナミクスに深い関わりを持つ防衛庁高官OB。この証言通りになったことは、日本がF15を大量に導入したのに対して、NATO諸国が一様にF16を購入する方向に動いたことでも明らかだろう。そして、このときのアメリカ政府の“行政指導”の背後に、「FSXのときは、ジェネラル・ダイナミクスの出番を作るから」という密約がなかったかどうか。FSX共同開発の母体にF16が決まったとき、そう感じた日米の航空関係者は少なくない。
生かされなかったF1の教訓
しかしながら、安全保障問題を経済問題にすり替えたからといって、アメリカを非難するだけで問題が片付くわけではない。それを許してきた日本側の姿勢こそ、とりわけ今回のFSX問題では問われるべきだと思う。それは、現在のFS(支援戦闘機)である三菱F1選定時と同じ過ちが、さしたる反省もなく繰り返されているからである。
F1選定のプロセスでは、まず最初に予算が限られていた。民間企業一社分の研究開発費にも満たない予算総額では、支援戦闘機をゼロから開発するには限界があった。そこで国産のT2ジェット高等練習機を戦闘機に改造することにした。F1の原型、FST2改である。
そうしたところへ、アメリカのプレッシャー、要するに軽戦闘機ノースロップF5の売りこみが加わってくる。最終的には、七二年十月の国防会議でFST2改の装備は正式決定されたが、その直前に開かれた自民党国防議員懇談会の席上で、ときの田中角栄首相から「アメリカ機導入のために、FST2改を白紙撤回しよう」と提案されたほど、アメリカの売りこみは執拗だった。
田中提案の主旨は、アメリカの対日貿易赤字を解消するため、支援戦闘機としてノースロップF5Eを導入し、T2高等練習機のほうも生産を中止して、複座型のF5Bを練習機にするというものだった。しかし、このときT2計画はすでにテスト飛行の段階に入っており、ここで中止すれば実損がきわめて大きいことから、かろうじてT2とFST2改のプロジェクトは生き残ることになった。
このように、最終決定する国防会議の寸前までアメリカが顔をのぞかせていたのだから、日本の安全保障にとって何が必要かを中心に発想されたのではなく、支援戦闘機はいわば“日米経済摩擦解消のための人身御供”として扱われたといってよい。
その結果、日本の支援戦闘機F1がどうなったかは、世界の軍事関係者なら誰でも熟知している。スパイを使わなくとも外見をみただけでわかるほどの欠陥を抱えることになってしまったからである。
F1の欠陥のうち航空自衛隊が悩んでいる代表的なものを挙げれば、(1)エンジンがパワー不足、(2)翼面積が小さい、(3)航続距離が短い、(4)レーダーが能力不足、(5)後方視界が悪い―などがある。
紙幅の関係で、エンジンのパワー不足の問題だけを説明しておくが、戦闘機としての戦術飛行に致命的なだけでなく、日本の研究開発の歴史に汚点を残したとさえいえる惨状が浮き彫りになっている。
航空機の性能を評価する目安に、すべての装備と燃料を積みこんだ全備重量に対するエンジン推力、という数値がある。自動車のカタログでは、パワー・ウェイト・レシオと表現されているが、全備重量をエンジンの推力で割った数値である。この数値が少ないほどパワフルとされ、小数点以下だとF15戦闘機のように垂直上昇も可能になる。
F1の場合、一トンのエンジン推力が二・〇六九トンの機体重量を支える形(パワー・ウェイト・レシオ二・〇六九)で、原型機T2の一・七三一を大きく上回り、性能の低下は歴然としていた。「練習機であるT2と戦闘機のF1が空中戦の訓練をすると、戦闘機のほうが必ず負ける」というのだから、やり切れない話ではないか。ちなみに、代表的な世界の戦闘爆撃機や攻撃機、つまり日本の支援戦闘機の能力を持つ機体のパワー・ウェイト・レシオは、アメリカのF16一・五六八、F4ファントム一・六一八、F/A18一・七四九、英・西独・伊共同開発のトーネード一・八七八のレベルにある。
なぜ、そんな馬鹿げたことになったのか。それは戦闘機に改造するさい、機体重量の増加を無視したところから発している。つまり、原型機T2の後部座席をつぶし、その部分に戦闘機として必要な電子機器を積みこむなどした結果、離陸時の機体の最大重量は十三・七トンと実に二・二三六トンも増えてしまった。にもかかわらず、エンジンはT2と同じもの(石川島播磨重工がライセンス生産しているチュルボメカTF40-IHI-801Aアドーア、推力二・三二トン)が二基搭載されることになった。機体が重くなったのに同じエンジンでは、パワー不足になるのは専門家でなくてもわかる道理であろう。
このとき、エンジンのパワーアップが検討されたのはむろんのことだが、日本でジェットエンジンを国内開発した実績に乏しく、新たに開発に取りかかってもF1の開発期限に間に合いそうもなかった。世界的にも、双発という条件からみて、F1にふさわしいエンジンはT2と同じアドーアしかない、ということで決定されたのだった。
こうしたF1の欠陥問題の背景に、アメリカのプレッシャーを受け続けた防衛庁と開発陣が、「いまF1を開発しておかなければ、航空自衛隊の戦闘機はアメリカ製に席巻されてしまうし、研究開発面でも遅れ、技術の継承もできなくなる」という焦りから、のちに拙速と批判されるような強引な開発に走ったことは、研究開発関係者の間では常識である。今回のFSXをめぐる議論が、当時と寸分違わないレベルにとどまっていることは、この点からだけでも理解できるだろう。
今回のFSX問題で最初に生かされるべきだったのは、以上のようなF1の教訓だったことはいうまでもあるまい。つまり、(1)アメリカの圧力の有無に関係なく、FSXを自主開発できるだけの研究開発環境の整備、(2)アメリカが圧力を加えてきたとき、それを押し戻せるだけの理論武装、なとの準備が整っている必要があったということである。
だが、そうしたF1の教訓に学ぶことを怠っていた(としか筆者には思えない)にもかかわらず、航空自衛隊関係者、防衛産業関係者の中に「日本の研究開発のちっぽけな規模で、F1のレベルの戦闘機を作れたことは世界に誇ってよい」という自己満足、自己欺瞞の声が聞こえるのは、一体どうしたことか。技術者間の評価としてならまだしも、世界に通用する議論ではないし、第一、欠陥機によって航空自衛隊の戦力に穴を開けたことを納税者にどう説明するつもりなのか。国の大事に関わる問題を、自分たちの内輪の議論に矮小(わいしよう)化してもらっては困るのである。
安全保障が経済問題に優先するなどというつもりは毛頭ないが、両者は簡単に置き換えることのできない全く次元の異なる問題である。にもかかわらず、こうした歴史に学ばない日本側の姿勢がまずあって、両者を一緒に論じることを許すことになったといえるのではないか。そこから、経済問題へのすり替え、つまり日米経済摩擦の人身御供への道が開かれていったことは、とりわけ日本側が銘記すべきことであろう。
安保問題をアメリカに問え
ここで思い出してほしいのは、八七年の東芝機械ココム違反事件のさい、アメリカ側から示された姿勢である。アメリカの対日非難は、おおむね次のトーンで一貫していた。
「東芝機械がソ連に輸出した工作機械の能力がココム(対共産圏輸出統制委員会)の規制に違反していたばかりか、それを使って作られたスクリューによってソ連原潜の静粛化が進み、アメリカの潜水艦探知能力に甚大なダメージを与えた。日本は、この西側世界の安全保障に及ぼした損害を償うべきだ」
このとき、ワシントンの連邦議会議事堂をバックに、テレビカメラの前で東芝のラジカセをハンマーで叩きこわしてみせたハンター下院議員(共和党)などは、日本に対する損害賠償額として三百億ドルを要求する決議を議会に求めたが、そのおり同僚議員から国防総省算定の損害額が十億ドルにすぎないことを指摘され、慌てて二百九十億ドルもダンピングするという喜劇を演じている。これをみてもわかるように、アメリカ議会の対日非難には、この事件をきっかけにして何らかの“負い目”を日本側に感じさせ、対日貿易赤字を解消するためのカードに使おう、という政治的意図が色濃くにじみ出ていたといえる。
このとき、同じココム違反の事実をアメリカから糾弾されたノルウェー政府は、日本と全く違った対応で難局を乗り切った。このノルウェー政府の対米姿勢には、日本が参考にすべき教訓が示されていたといってよい。
まずアメリカの通報を受けると、ノルウェー政府はいち早く独自捜査をスタートさせ、ココム違反の事実を認めた。また、東芝機械にコンピュータ・ソフトを輸出した国営兵器会社コングスベルグ社についても、輸出を担当した子会社のコングスベルグ・トレーディング社を解散させた。さらに、ハイテク(製品)が共産圏に流出することを防ぐために、近い将来立法措置を講ずることを明らかにしたのである。
こうして、日本に比べて驚くほど素早い対応を示したうえで、アメリカ議会が包括貿易法案によるノルウェー制裁の動きをみせると、シュトルテンベルグ外相が「この種の制裁措置は、アメリカとの軍事協力をきわめて不健全なものにする」と強硬に反発し、ノルウェー国民もそれを強く支持した。要するにノルウェーは、アメリカが掲げる安全保障問題の大義名分を逆手にとって、経済問題へのすり替えを許さなかったのである。 このように、東芝機械のココム違反事件でのアメリカ側の姿勢には、安全保障という大義名分によって経済摩擦を有利に展開しようとする意図が露骨にのぞいていた。今回のFSX問題について、日本側が示してしかるべきだった対米姿勢は、ノルウェーのひそみに倣(なら)って、これをそっくりそのままお返しすることではなかったのか。
独立国家の防衛政策が商務省を中心とするアメリカ側の商業ベースによって引っ掻き回されたのだから、日本としては「経済を優先させたアメリカの姿勢は、日米安保体制に害を及ぼす恐れがある」といった形で、東芝機械のココム違反事件のときのアメリカ側と同じくらいの怒りは表明しなければならなかった。少なくとも、安全保障問題を前面に打ち出すことによって、経済問題にすり替えることを許さない姿勢だけは、示すことができたはずである。
それが日本側にできなかったのは、ダイレクトにつながるFSX問題についてF1の教訓を生かしていないことでも明らかなように、確固たる国家戦略、あるいは戦略的思考を持てずにいるからにほかならない。こうした戦略不在の状況が戦後一貫して続いており、事あるごとに繰り返される構造からは一日も早く抜け出す必要があるだろう。
思うに、安全保障問題を経済摩擦解消の人身御供にする日本側の性癖(経済問題へのすり替えを許す体質)は、敗戦から復興を遂げるプロセスで習い性になったものといえる。そうした途次、日米繊維交渉などを体験する中で、アメリカの怒りを鎮めるために安全保障をスケープゴートにする悪癖を身に着けてしまったのではなかったか、と思われてならない。
しかしながら、ここで欠落しているのは日本側の歴史認識だという現実を踏まえておく必要があろう。日米繊維交渉の当時、対日経済摩擦はアメリカにとってごく一部を構成する要素でしかなかった。それが現在では、日本の動向がアメリカの命運を左右するまでに変化している。両国の関係は、“いけにえ”を捧げて済むようなシンプルなものではなくなっている。それに気付かず、その場しのぎの対応で済まそうとした日本側が、FSXに代表される様々な日米間の懸案において、ツケを払わされるのは当然といってよい。
最後に繰り返しておくが、何をいけにえにしようとも、人身御供とはその場しのぎのマヤカシ、代償行為でしかない。決して本物になれないニセモノだから、そこで行なわれる議論にしても本質的なものには発展しにくい。そんなことを続けていれば、せっかく築き上げた日米関係にしても、いつかは破綻がくるのは避けられないだろう。もうそろそろ、矮小化された外交姿勢や議論から、国の大事を解き放つ必要があるのではないか。
◇小川和久(おがわ かずひさ)
1945年生まれ。陸上自衛隊航空学校を経て同志社大学神学部中退。
週刊誌記者を経て軍事アナリストとして独立。現在、危機管理総合研究所長。
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