2001年11月号 外交フォーラム
日米軍事協力体制と日本独自の安全保障―自ら判断し行動する大人の関係に
江畑謙介
軍事評論家
憲法解釈による抑止機能の否定と日米役割分担の制約
日米安全保障条約のような政治・法的システムも含めた「軍備」の目的は「抑止」にある。つまり、軍備はそれを実際に使わないために保有するという本質的矛盾を持つのだが、要は国家の利権と国民の生命財産が外部勢力から侵害されない「威圧手段」としての役割が期待されている。「防衛白書」にも、「防衛力は、侵略を排除する国家の意思と能力を表わすものとして、侵略を未然に防止し、万一侵略を受けた場合はこれを排除する機能を有する」とされ、昭和三二年五月二〇日に国防会議と閣議で決定された「国防の基本方針」も、「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し・・・」と始まっている。
ところが日本国憲法第九条では「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とされていて、軍備の持つ本質的性格と第一の目的である「武力による威嚇」の抑止効果の手段を放棄している。そこで「自衛権は独立主権国家として固有のものだ」という解釈で自衛隊の保有を正当としているが、その武力を行使できるのは正当防衛的な場合に限定され、自国が正当と信ずる(その絶対的な判断基準がないから国際紛争が起こるのだが)利権を守るための「武力による威嚇」に自衛隊を使用できない。しかも、外部勢力から武力攻撃を受けた後か、そのおそれがある場合にのみ自衛隊の防衛出動ができる(自衛隊法第七六条)のだから、防衛力の整備計画においては常に侵攻があった場合にそれを排除する力(さらに、「おそれのある場合」では武力の行使はできないと解釈されている)が基準になり、抑止する力としての整備計画という概念は論じられない。それどころか武力を行使できる範囲は日本領土とその周辺に限られ、外部勢力の攻撃発進場所(外国領土)に対する攻撃はできないとしている(ただし弾道ミサイルのように、その発射基地を攻撃する以外に防ぐ有効な方法がない場合は例外という政府統一見解はある)。ここから日米安全保障条約における自衛隊と米軍の役割の区分が作られ、日米の軍事協力の基本になると同時に、それを明確に区分する実際上の困難さから生じる問題が提起されている。
日米安保条約の抑止機能を発揮させる体制と態勢の整備
防衛白書には「日米安保体制を堅持し、(中略)米国の関与や米軍の展開を確保することとあいまって、アジア太平洋地域ひいては世界の平和と安全にも資することとなる」と書かれているが、日米安保体制を堅持する理由については述べられていない。ここで日米安保の歴史的過程についての検証は避けるが、簡単に言えば、戦後の占領からなし崩し的な樹立であった。だが結果として、米国の世界における立場とその戦略、日本の政治体制と戦略地理的条件などから、太平洋を挟んで米国と安全保障体制を築くのがきわめて現実的選択であった点については、改めて述べるまでもないであろう。
この日米安保体制は冷戦後、アジア太平洋地域の安定に寄与するためのシステムに変化した。一九九六年の「日米安保共同宣言」と、九七年の「日米防衛協力のための指針」の見直しによる。軍備の役割の原点から言うなら、新しい日米安保体制の意義は第一に、それがこの地域の平和と安全に役立つものかという見地から評価検討されなければならない。
ここで軍備が持つもう一つの矛盾が表面化する。軍備が抑止力として機能するためには、必要な時にそれが武力として機能せねばならないという点である。つまり、その軍備の抑止効果が発揮されるには、平時からそれが機能できるような体制(法的)・態勢(訓練)を確保しておかねばならない。前者が新ガイドラインに基づく「周辺事態安全確保法」の制定や日米物品役務相互提供協定と自衛隊法の一部改定であり、態勢の確保が日米共同訓練である。
八月下旬、横須賀や佐世保を母港とする米海軍艦艇が鹿児島、姫路、和歌山、名古屋、清水などの港に寄港した。これを周辺事態に対応して、米海軍艦艇による日本の商業港を利用するためのなし崩し的実施と非難めいた報道や意見が見られたが、そのとおり、米海軍艦艇による日本の各地への寄港は、米軍が表向きの理由としている乗員の休養と観光だけではなく、その港に実際に入ってみて、潮流や風向き、港内交通、繋留方法などのノウハウを獲得しておくのも目的である。しかし、「なし崩し」もなにも、日頃からやっておかねばならない行為であるのも事実で、これを悪いことのように言うのは、日米安保体制はアジア太平洋地域の安定に役立たないとするイデオロギー、あるいは個人的な価値観からの非難に過ぎない。日米安保体制がこの地域の安定に役に立つようにするという立場なら、その行為がこの地域の安定に寄与するか否かという見地から判断されるべきである。態勢的な確保の面から、米海軍艦艇の各地への寄港は正当性を持つ。
日米軍事協力と台湾海峡問題
防衛白書は「冷戦後も、国際情勢は依然として不透明・不確実な要素をはらんでいる」と書くが、国際情勢から不透明・不確実な要素がなくなることはない。
とはいえ、朝鮮半島情勢や台湾海峡の情勢など、あえて「ホット・スポット」と形容される戦略状況がアジア太平洋地域に存在するのも事実で、これらの場所における武力衝突の発生は、日本の平和と安全に大きく拘わる問題である事実は地図を見れば一目瞭然である。「周辺事態安全確保法」の制定において、政府は「周辺事態」とは「そのまま放置すればわが国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態など、わが国周辺の地域におけるわが国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」で、その範囲は「事態の性質によるもので、地理的に規定できない」とした。
ところが周辺事態安全確保法は日米安保体制の再定義に基づく法規だが、日米安保条約は変更がないのだから、その適用範囲は、日米安保条約が適用される範囲として昭和三五年二月二六日の政府統一見解、「フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国の支配下にある地域(後に『台湾地域』)もこれに含まれる」というのが適応されるはずで、台湾は含まれないとする考えはおかしい。
それ以前の話として、地理的関係から、台湾とその周辺で何か武力衝突が起これば日本に必ず影響が及ぶ。そして東・南シナ海一帯で米軍基地が存在するのは沖縄だけであり、台湾に対して大陸からの武力攻撃があれば米国が必ず台湾を助けるであろう点は、民主主義体制の防衛という一点からだけでも明白だから、その際に沖縄は米軍作戦の最前線基地になる。日本はこの戦略地理的条件を認識して、覚悟しておくべきである。
問題は、そのような武力衝突(台湾に対する海上封鎖も含む)が現実に起こらないようにする目的に日米安保体制が効果を持つものか、そして日米安保体制による日米軍事協力が抑止力として機能し得るのかという点である。日米安保条約や軍事協力の内容は、いちいちその見地から判断されねばならない。そして、例えば米海軍艦艇が日本の各港に寄港し、そこで補給を受けられるようになることで、有事における米海軍の作戦能力が向上し、それを中国が認識して、台湾に対する軍事的手段の発動を思いとどまらせる要因が生まれると判断するなら、認めるべきであろう。それは中国にとって見れば、日米の軍事協力による中国主権発動の妨害と映るのは当然だが、日本が台湾地域での武力衝突は防がねばならないと考えるなら、日米軍事協力は北京政府をして、武力による台湾問題解決という手段を諦めさせて、平和的手段による解決を進めるようにさせる効果を発揮することになる。
例えば南シナ海の安全確保に日本は何をするのか
ところがその実行に当たって、いくつかの現実的な問題が生じる。集団的自衛権の問題は別稿に譲るとして、ここでは日米安保体制が適用される地理的範囲の問題を考えてみよう。
前述のように日米安保体制の適用範囲はフィリピン以北、台湾地域と朝鮮半島である。東シナ海は当然含まれると考えられるが、この海はバシー海峡で南シナ海に繋がり、ここは年間五万隻の外洋航行船が通航する。世界の外洋船舶の数は約九万隻だから、南シナ海は世界でもきわめて重要な航路帯である。その五万隻の多くが、日本の生存と繁栄に直接的に関係する点は容易に想像できる。
一方、南シナ海には多くの紛争要因がある。台湾を含め六カ国が領有権を主張する南沙郡島を始め、海底資源開発や公害、密輸、海賊の問題などが絡み合って、非常に複雑である。海賊問題に関しては二年前のアロンドラ・レインボー号事件を契機に、ようやく日本政府の認識も高まって、海上保安庁のヘリコプター搭載巡視船が恒常的に哨戒活動に派遣され(まだ一隻でしかないが)、周辺諸国沿岸警備隊などとの共同訓練を行なっている。だが海賊と麻薬組織・密輸組織が合体したりして、巡視船では対応できないような激しい武力衝突を伴う事態が発生したらどうするのか。また国家間の大規模武力衝突が発生して、南シナ海の安全通航が阻害される事態になったらどうするのか。海上における武力衝突防止を目的とした兵力引き離しや南シナ海に安全航路帯を確保するために、各国海軍が軍艦を出すことが国際的に合意された場合、日本は憲法と日米安保の適応範囲を楯に海上自衛隊の派遣を拒否するのであろうか。海上自衛隊は主要水上艦約五〇隻を持ち、太平洋では米海軍に次ぐ第二位の規模と実力を有する。それだけの海軍力を保持し、年間七億五〇〇〇万トンの物資を海上交通で輸入して生きている日本が、南シナ海の安定と安全通航確保には協力できないと言い切るためには、それなりの説得性がある理論を用意するか、世界からの孤立を覚悟せねばならないだろう。
日本はすでに前記の巡視船派遣のほかに、昨年一〇月にはシンガポール沖の南シナ海で実施された四カ国(米、シンガポール、韓国、日本、さらに七カ国がオブザーバーを派遣)潜水艦救難訓練に潜水艦救難母艦「ちよだ」と潜水艦「あきしお」を派遣し、今年六月にはやはりシンガポール沖のマラッカ海峡で実施された国際合同掃海訓練に掃海艦艇三隻を参加させている。日本はこれらはいずれも「非戦闘行為」であると解釈しての参加であるが、常識的には、平時には非戦闘行為でも有事には戦闘行為とみなされる。しかし、現実には平時・有事を区別するのは難しい。機雷掃海に関して周辺事態安全確保法の制定の時に、戦闘当事者が敷設した機雷を取り除くのはその当事者から見れば敵対行為に映るのではという問題が提起されたが、相手の国の領海内ならばともかく、公海に敷設されたり浮遊する機雷を取り除くのが敵対行為に当たると心配していたのでは、海上交通の安全確保は成り立たない。また国連海洋法にも定められている公海における通過通航権の原則にも反する。
多国間の掃海訓練に海上自衛隊が参加していながら、南シナ海の自由通航確保のためには海上自衛隊を派遣できないというのでは、世界の納得が得られないであろう。
国連任せではない日本独自の判断を
公海の通過通航権は国連の条約により補償されているが、日米安保条約も国連を基にしている。条文の各所に国際連合憲章の文字を見るし、第五条の(日米)共同防衛行動は、「(国連)安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置をとったときは、終止しなければならない」として、国連(軍)による日本の防衛行動が発動されるまでの暫定的措置に過ぎないとしている。ということは国連が、例えば南シナ海の平和及び安全の回復・維持のために加盟各国の海軍力を派遣すると決めた場合に、日本がこれを拒否するのは、日本国憲法前文と照らし合わせても難しいのではないだろうか。
日本は国連をすべての基本とするのが好きで、周辺事態安全確保法とは別途制定された「船舶検査活動法」においても、「国連安全保障理事会の決議に基づいて、又は旗国(船籍国)の同意を得て」行なわれるとされている。別の解釈をすれば、その船籍国の同意が得られるか、「国連がやれと言うなら」という、日本の責任を問われない逃げを打っているとも見えよう。
ここに問題の要因が潜んでいる。日本は「すべて国連の」と言っていても、日米安保体制の発動において米国や国際社会が必ずしも国連の決定や同意に従って行動するものではないという現実である。それは一九九九年のユーゴスラビアに対するNATOの空爆作戦でも現実のものとなっている。このユーゴ問題では、むしろ国連は無力であった。
自衛隊が「周辺」以外の地で米軍と踵を接して戦うことはないにしても、米国は独自の判断から在日米軍とその基地を軍事作戦に使用する場合もある。そのとき日本は米軍による日本の基地の使用や、補給や修理の要請に対していかなる判断基準で実施するつもりなのか。在日米軍とその基地は日米安保条約によって存在と使用が認められているが、その条約は国連を基本としている。国連の決定がないのに日本は米軍の作戦行動を支援できるのか。例えば台湾地域での軍事的衝突が発生するなら、中国が常任理事国である国連安保理の承認・決定を得られるとは考え難い。結局、日本は国連に責任を任せるのではなく、日本独自の判断による日米安保体制の運用を考えねばならないだろう。その判断基準とは「アジア太平洋地域の(ひいては世界の)平和と安全に資する」か否かという点になる。
元来、日本と米国とは軍事戦略において大きな相違がある。米国は全世界戦略で、海外に米軍を派遣するパワープロジェクションを基本としている。これに対して日本は、日本の領土を基本とする専守防衛戦略である。したがって米国は日本を前進拠点として全世界戦略を展開するが、日本は日本周辺からせいぜいアジア地域内での行動に限定される。第二次大戦後の米国とはそういう国であり、その国と安全保障条約を締結した日本はこの点を認識し、米国との共同作戦を考えねばならない。米国の軍隊が日本の基地や在日米軍部隊をアジア以外の地域における作戦に使用しても、それは国の立場の違いからやむをえないものであろう。しかし一方で、その日本の基地や在日米軍部隊の使用が、アジア太平洋地域や、ひいては世界の平和のためにマイナスになると日本が判断するなら、基地の使用や支援の要請を明確に拒否すべきだろう。要するに、日本が自分で判断することが必要である。
今年五月にジョージ・W・ブッシュ米大統領が公表した新しい(弾道)ミサイル防衛(MD)構想では、全世界において戦略・戦域・戦術、あらゆる種類の弾道ミサイルの攻撃を阻止するシステムを建設する内容が謳われている。従来日本は北朝鮮の弾道ミサイルの脅威を表に出すことによって、純粋に日本の防衛用としての戦域弾道ミサイル防衛システムの研究を進め、米国との弾道ミサイル防衛研究においても、戦域弾道ミサイル防衛用システムの研究として、米国の戦略弾道ミサイル防衛システムとは一線を画するという態度を採ってきた。それにより集団的自衛権の問題を回避しようとしたのである。だが米国の新ミサイル防衛構想は、米本土防衛用の国家ミサイル防衛(NMD)とか海外における米軍防衛用の戦域ミサイル防衛(TMD)といった区別をなくしてしまった。さらに宇宙空間に迎撃システムを配備する案まで検討されている。
「弾道ミサイル拡散は世界の平和にとって脅威」とする日本政府の見解がある一方で、集団的自衛権に抵触しそうなシステムは排除するというのは基本的に矛盾している。この矛盾は遠くない時期に糊塗できなくなるだろう。それまでに日本は宇宙の平和利用という国会決議の問題を含め、弾道ミサイル拡散とその防衛に対する姿勢を確立しておく必要がある。
日本は今以上に大人にならねばならない
リチャード・アーミテージ米国務副長官は現職就任前に執筆した論文において、日米関係は大西洋を挟んだ米英関係に相当するものになるべきだとの論を展開した。人種、宗教、価値観などから米英関係に匹敵する日米関係が構築できるとは考え難いが、少なくも戦略地理的条件において米国と英国、米国と日本との関係はかなりよく似ている。また米国から見た場合、英国と日本がある地域に対しての戦略的目的(交易・資源供給地域の安定と繁栄、そしてその背後にある「戦略的競争相手」の抑え込み)と、逆に英国と日本が求める目的とも似通っている。したがって、日本は米国との間に、双方が互いに利益を得る関係を作れる基本的条件を有している。
ただ、それでも日本は日米安保体制が常に機能するという幻想を抱いてはならないだろう。例えば領土問題で、すでに米国は尖閣諸島に関しては日米安保の対象ではあるが、米国はこれに関与したくないと言明している。北方四島に関しては、日本への帰属が米国の戦略にとっても有利になるから支持はするが、中国と台湾を巻き込む尖閣の問題は、米国にとって何の利益ももたらさないので関与はしたがらない。それは当然であろう。日本も北極圏にある島の米国とロシア間の領土問題には何の態度も示してはいない。
また人道支援・災害救援のような活動においては、その国独自の判断が求められるのは当然としても、平和維持活動のような、時には武力をもってその目的を遂行せねばならない国際貢献活動においても、日本が日米安保体制とは別個に判断し、行動することが求められる。これらの「戦争以外の作戦(Operation Other Than War)」では、各々の国が各々の価値観と外交方針で決めなければならない。
OOTWには、戦争のためのものとは異なる特殊な装備が必要となる。日本が積極的な国際貢献を謳うなら、OOTWのための部隊編成や装備調達と、日米安保体制における共同運用のための装備とのバランスを考えなければならない。日本は平成七年に冷戦後の世界情勢の変化を受けて、「防衛力のあり方」を定めた「防衛計画の大綱」を改定した。しかし、その後の内外情勢の変化は激しく、今年九月からはさらに現状に則した「防衛力のあり方」の見直しを行なって、新たな防衛計画の大綱を定める作業に着手した。
防衛力は相対的で、状況の変化に応じて機敏に変更せねばならない。今回の改定は、秋に出される米国の新たな国防計画や核戦略の見直しなどの結果を受けてのものとなり、各国で動き始めた情報を活用する新たな通常戦の方式である「軍事における革命(RMA)」や、核・生物・化学兵器テロなどへの対応能力など、技術面での変革も多分に含んだものとなろう。
だが、そのためには基本戦略を確立しておかねばならない。日米関係が基本であり、日米安保体制が日本の安全保障の根幹である点に変化はないとしても、日本が従来以上に独自の判断と行動を求められ、また日米安保体制とは別個の行動も必要になる度合いが増えてくるのは確実である。日本は今以上に大人にならねばならない。
◇江畑謙介(えばた けんすけ)
1949年生まれ。
上智大学大学院修了。
軍事評論家。
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