1993/04/10 読売新聞朝刊
[自衛隊PKO平和への試練]世界と日本第六部(5)射殺事件(連載)
◆政府に戸惑い 求められる「国際貢献像」
カンボジアで国連ボランティア(UNV)の中田厚仁さんが射殺された事件は、日本政府に大きな衝撃を与えるとともに、政府部内にも国連平和維持活動(PKO)に対する考え方に微妙な食い違いがあることを浮き彫りにした。
河野洋平官房長官「大変不幸な事件に遭遇したが、日本のPKO参加五原則を満たす状況が続いていると判断している。我が国のPKO参加方針に変更はない」
武藤嘉文外相「PKO参加五原則が崩れたかどうかは、もう少し事実関係を確認してから判断すべきだ。PKO協力法はもっと国民に理解されるべきだ。同法が定着していない時に、(派遣対象を)どんどん広げていくのはどうか」
日本がPKOへの初の本格的な貢献である国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)への人的協力を開始してから半年。官房長官と外相の微妙な違いはPKO活動の厳しい現実を改めて突き付けられ、戸惑っているためのようだ。
なぜ、こうした戸惑いが出てくるのか。UNTAC幹部職員は「日本はPKOに夢と理想を求めているのに対し、各国はこれまでの経験から現実を見つめているからだ」と解説。「死者が出たところで仕方がない、というのがどこの国でも当たり前。PKOとはそういうものだ。死者の出たことが、PKO引き揚げ論につながってしまうとすれば、そういう反応は日本だけだ」と言い切る。
こうした中、日本としてはカンボジアに続く二番目のPKO参加となるモザンビークへ、輸送調整部隊派遣に向けた第二次調査団が九日、出発した。モザンビークPKOへの参加をめぐっては、政府部内では派遣慎重派の官邸サイドと積極派の外務省などとの間に確執があった。
それだけに、今回の射殺事件についても、派遣積極派だった外務省内には「ひどい言い方になるが、モザンビークPKOへの日本の参加が決まった後でよかった。その前だったらモザンビークも吹き飛んでしまっただろう」という声がある。
やっと高まってきたPKOに対する世論の支持と理解が、今回の事件で大きく変わってしまうのではないか、という不安があるからだ。それは取りも直さず、「政府も含め日本人全体が、まだ、国際貢献、PKOに対する確固たる自信を持っていないからだ」(国際平和協力本部事務局幹部)とも言える。
この背景には、PKO協力法が、実施計画や実施要領で現場の行動を厳格に規定していることや、武力行使を容認したPKF(国連平和維持隊)活動を凍結するなど「まだ試作車に過ぎない」(自民党首脳)現実がある。
政府は、今回の射殺事件でUNTACに対して要員の安全確保を要請した。五月にはカンボジアの制憲議会選挙の選挙監視団に日本からも約五十人の要員が派遣されるが、「PKO協力法のPKF凍結に抵触する恐れがある」(国際平和協力本部事務局)ため、その警備に日本のPKO部隊は協力できないのが実情だ。
同事務局の幹部は、「日本のPKOは、各国のPKOに比べて三周遅れ。(施行から三年後の)PKO協力法見直しの際に、PKF凍結を解除するのは当然。それさえも出来なければ日本のPKOは世界からどんどん遅れてしまう」と言う。
政府は、現実に適合したPKO体制確立へ向けたPKO法の見直しや、国際貢献に対する日本のデザインを示すことが求められている。
(政治部 黒河内豊)
(おわり)
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