1991/04/25 読売新聞朝刊
[社説]掃海艇のペルシャ湾への派遣決定を「やるべきことはやる」の一歩に
政府がようやく、掃海艇のペルシャ湾への派遣に踏み切った。
すでに、多くの国がやっていることであり、石油輸入の七〇%を湾岸地域に依存している日本としては、日本船舶の航行の安全を守るうえでも、機雷除去に参加するのは、極めて当然のことである。
しかし、湾岸戦争が終結して二か月近くもたつ。イラクが同海域に敷設した千二百個の機雷のうち、すでに七百個以上は、各国の努力で掃海ずみという。掃海作業は、まだ数か月を要する見通しなので、日本も何とか間に合うわけだが、もっと早く決断すべきだったと考える。
決定までのもたつきは、人的な国際貢献へのわが国の対応の鈍さを改めてみせつけた。こんなことを繰り返しているから、日本の貢献は十分に評価されないのだ。
政府はじめ与野党が、まず考えるべきことは、やらなければならないことは率先してやる、という姿勢を確立することだ。
東西冷戦構造の崩壊とともに、日本をとり巻く国際環境は、歴史的な大変化の渦中にある。こうした新たな時代に対応するには、頭を切り替えて、政治が、戦後の惰性を切り捨てることが先決だ。
国際貢献策をめぐるこれまでの国会論議は大局観を欠いた法律論に終始してきた。今回の掃海艇派遣のように、政府の政策判断でできることまで、法律絡みの論争となり、決定が遅れた。
今後の貢献策の検討は、まず、それが日本にとって必要かどうかを論議し、やらなければならないことは、法律を改正してもやりとげるという姿勢が必要だ。そのうえで、どうしてもできないことは、その理由を内外に明らかにすべきだ。
そうしないと、日本が何を考えているのか、外国に理解されず、“顔のない国”と批判される結果になる。
“アリの一穴”論と言われる反対論がある。平和時の掃海だけに限定しても、いったん自衛隊が海外へ出るのを許したら、堤防がアリの一穴から崩れるように、いずれ海外派兵に道を開き、日本は再び軍国主義化する、という議論だ。
現在の日本は、民主主義体制の下、国会を中心に、文民統制が確立している。国会がしっかりしていれば、文民統制に不安はないはずだ。その国会の中で、アリの一穴論を言うのは、自己矛盾ではないか。そんなに自信がないようでは、議員の職責は果たせない。
いまの日本には、他国を侵略するような意図も能力もない。民主政治を暴力で倒そうとするファシズムもみられない。軍国主義復活の芽はどこにも存在しない。それなのに、そんな自信のない議論が出るから、アジア諸国が心配するのだ。
アジア諸国の意見には、耳を傾けなければならないが、日本の真意を十分に説明すれば、必ず理解は得られるはずだ。
今回の掃海艇派遣は、米国の要請によらず、日本が自主的に決断した形となった。要請の有無を問わず、やるべきことを進んでやるための第一歩にしてほしい。
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