日本財団 図書館


1990/11/01 読売新聞朝刊
[社説]「国連平和協力法案」の原点を見失うな
 
 議会制民主主義は、対話の政治だ。対立の打開には、話し合いによる妥協や譲歩が必要だ。法案の修正もあってよい。
 しかし、国連平和協力法案に関する金丸信・元副総理の“修正発言”は、問題の原点についての、最も重要な基本認識が欠落している。原則を無視してその場をしのぐ、国会対策的手法の悪例である。
 金丸氏は、協力法案を時限立法にすることや、自衛隊の派遣を断念する大幅修正を提唱した。「自衛隊は専守防衛が原則」であり、海外派遣に対する「近隣諸国の懸念や国民の戦争体験に配慮」すべきだというのが、その理由という。
 協力法案は、専守防衛の原則を侵したり、近隣諸国をおびやかすような法案なのか。そうではないはずだ。
 イラクのクウェート侵攻は、国際秩序に対する破壊行為である。国際社会が結束して立ち向かわなければならない。冷戦が終わり、平和の回復への国連の役割が重くなっている。「国連中心」をとなえてきた日本は、何をなすべきなのか。
 カネを出すだけでよいのか。人も出す場合、民間のボランティアまかせで、必要な人数や機材をそろえられるのか。今回の湾岸危機では、実際、民間の航空機、船舶の確保などが難航し、自衛隊の組織的活用が必要なことが明らかになった。
 「武力行使をしない」条件で自衛隊を平和協力隊に含めることについて、憲法の解釈をきちんと整理し、新しい国際情勢のもとでの新しい日本の役割を確立することが、この国会の使命だったはずだ。
 ところが、国会論戦はどうだ。護身用の小火器の定義や「参加と協力」の違いなど、六法全書のスミをつつくような議論や言葉の駆け引きを繰り返している。
 一方で、社会党など一部の野党は、「子供を戦場に送るな」「青年よ銃をとるな」といった感情的なスローガンを叫び、自衛隊の「派遣」と「派兵」を意図的に混同して、いまにも日本が戦争を始めるかのような宣伝を展開している。
 政党だけでなく、テレビもまた、この問題の報道などに、迷彩服姿の自衛官や戦車の訓練風景などの映像を重ね合わせ、戦争イメージの増幅に一役買っている。
 これにあおられて、政府側も、「危険なところには派遣しない」(海部首相)など逃げの答弁に終始し、野党のあげ足取り的な質問に振り回されている。自民党内も、「地元選挙区のきびしい空気」などを背景に、右往左往のありさまだ。
 湾岸地域でのイラクの暴挙を放置したら、中東原油の大部分をイラク独裁政権に握られたままとなり、世界経済は大混乱となる。その場合、中東に石油の七割を依存している日本は、現在のような平和と繁栄を維持することはできなくなる。
 世界はいま、大きな変革期にある。大局を踏まえて進路を示し、国民に理解を求めるのが、政治指導者の役目だ。感情に訴える政治、感情に引きずられる政治ほど、危険なものはない。政府はもとより、与党も野党も、責任の重さを自覚すべきだ。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。

「読売新聞社の著作物について」








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION