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2004/04/22 毎日新聞朝刊
[記者の目]サマワの自衛隊派遣=鵜塚健(大阪社会部)
◇現状踏まえ撤退の議論を−−「非戦闘地域」は疑問
 イラク日本人人質事件の犯人グループは、自衛隊のイラクからの撤退を要求した。人質解放で事件は決着し、結果的に政府の撤退拒否の姿勢が世論に支持される形となったが、果たしていつまでイラク南部のサマワが自衛隊派遣の条件である「非戦闘地域」と言えるか疑問だ。私は3月末から2週間、現地で陸上自衛隊と町の取材をした。「比較的平穏」とされるサマワでも、治安は徐々に悪化している。拘束された5人が生還した今こそ、自律的に現状を分析し、自衛隊撤退を議論すべきだ。
 私がサマワ入りしたころ、町には食料品や電化製品があふれ、住民は皆、「ヤパーニ(日本人)」と人懐っこく声をかけてきた。クウェートから国境を越え、イラク国内を車で進む際に感じた緊張は、サマワに到着すると消えていた。
 「ブッシュ・ノー、コイズミ・グッド」。サマワの町で、よくこんな言葉を聞いた。米軍とは違い、給水など復興支援活動を続ける自衛隊のイメージは悪くない。日本製の車や電化製品の好印象、建設会社などによる過去のインフラ整備への高い評価も加わる。
 サマワの住民のほとんどはイスラム教シーア派である。米英軍などはスンニ派と対立を続けていたが、今月初旬、シーア派の対米強硬派指導者のムクタダ・サドル師を中心とする勢力が各地で衝突した。サマワでも、商店街でサドル師の肖像画が売り切れ、サドル師派を中心とするデモが起こるなど、潜在的な危険要素を肌で感じた。そもそもバグダッドやバスラなど大都市に通じる街道筋にあるサマワだけが、テロや衝突と無縁なはずがない。
 このころ、陸自の広報担当者は、ブリーフィングで「警備レベルについては特に上げていません」と常に話し、胸を張った。しかし、宿営地入り口では、普段の記者へのボディーチェックに加え、乗っている車を撮影したり、装甲車で車両の通路をふさぐなど、明らかに警戒を強めていた。
 不穏な雰囲気を裏付けるように7日深夜、陸自宿営地の近くに着弾があった。翌8日には、日本人人質事件が発覚。外務省は、サマワで取材する記者らに対し、従来より強い調子で退避を求めてきた。陸自からは報道関係者を宿営地に受け入れると打診があり、私と同僚カメラマンは、宿営地内へと避難し、多くの報道機関も同じ行動をとった。夜には市中心部の米英占領当局(CPA)事務所を狙ったとみられる爆発があり、治安は急速に悪化した。宿営地で人質事件の詳細を知るにつれ、「もし、自分が人質になったら」という恐怖感に襲われた。
 一夜明け、一息ついた9日夕方のことだった。宿営地が攻撃されるとの情報が入り、隊員たちが厳戒態勢に入った。報道関係者はコンテナ内に入るよう指示があり、迷彩柄の防弾チョッキが配られた。「出ないでください」。隊員の口調が厳しい。宿営地にサイレンが鳴り響き、コンテナの扉のすき間からは、小銃を抱えた隊員たちが足早に警戒に向かう姿が見えた。30分後、危険は去ったと判断されて警戒は解除されたが、まさに戦闘に備える姿そのものが目の前にあった。
 私とカメラマンは結局、宿営地内で丸5日過ごし、陸路クウェートに出国した。数社は自衛隊法に基づく「邦人輸送」として航空自衛隊のC130輸送機でクウェートに運ばれた。邦人輸送は「災害、騒乱その他の緊急事態」に適用される。そこまでして報道陣を退避させるということは、現地が純粋な「非戦闘地域」ではないことを政府自らが示したとも言える。
 今、サマワの陸自は安全上の理由から、学校や道路の補修など宿営地外での復興支援活動をほとんど行っていない。このままでは陸自がサマワにいる意味がなくなる。
 砲撃事件の際、取材に応じた若い地元警察官は突然、怒り出した。「なぜ、事件、事件と騒ぐんだ。危険なイメージが広まれば、日本人が帰ってしまうじゃないか」。今のところ、サマワの人々の日本に対する信頼は厚い。
 しかし、イラク国内の衝突は全土に広がり始め、サマワに波及しない保証はない。自衛隊が安全確保のためとはいえ、銃口をイラク国民に向ける事態も考えられる。そうなれば、サマワの日本への信頼は崩れ、米国と同一視される。今こそイラクとサマワの現実に正面から向き合わなければならない。
 
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